2025年の夏の甲子園は沖縄県代表の沖縄尚学高校が優勝で終わりましたが、この大会で炎上し大きな注目を集めたのは広陵高校でしょう。そして、広陵高校の野球部監督が中井哲之氏です。
中井哲之氏のプロフィールや若い頃からの経歴、家族や巨大、結婚した嫁や子供(息子・娘)、自宅や広陵高校野球部監督としての評判、推定年収やいじめ事件と対応、監督辞任や現在をまとめました。
この記事の目次
中井哲之は広陵高校野球部元監督
中井哲之
生年月日:1962年7月6日
出身:広島県廿日市市
所属:広陵高校
活動:野球指導者、学校職員
中井哲之氏は広島県の広陵高校野球部監督を長年務めてきた人物です。
広陵高校を野球強豪高校に育てあげ、高校野球の名将として有名になりました。
しかし、2025年夏に野球部内でひどいいじめ事件があったことが発覚しました。
中井哲之氏と広陵高校はいじめ問題を重要視せず、もみ消そうとしたことが分かったため、SNSを中心に大炎上し、広陵高校は甲子園大会中に大会出場を辞退することになりました。
中井哲之の若い頃からの経歴
広陵高校出身で甲子園出場歴あり

中井哲之氏は1962年に広島県廿日市市で生まれました。
小学4年生の頃から地元の「廿日市ジュニア」で野球を始めます。そして、広陵高校野球部からスカウトを受け、父親に背中を押される形で広陵高校に入学しました。
中井哲之氏が入学した当初の広陵高校野球部は上下関係が厳しく、理不尽の連続でした。中井氏はそれを問題視しし、自分たちが上級生になると、下級生に雑用を押し付けないようにしたそうです。
素晴らしい行いですが、2025年には野球部内での上級生のいじめがあり、それを擁護する言動を見せたことで、広陵高校が大炎上し、監督を辞任することになったなんて、なんだか皮肉ですよね。
高校時代は高校3年生の時に春夏連続で1番ショートとして甲子園に出場し、春はベスト4、夏はベスト8に入りました。
広陵高校教諭と野球部コーチ

高校在学中から教師を志し、教員免許をとれる大阪商業大学に進学し、社会科の教員免許を取得します。
そして、母校の広陵高校に教員として戻ります。
広陵高校では商業科の教諭として勤務し、さらに野球部のコーチに就任しました。
久しぶりに広陵高校野球部に戻った中井哲之氏が見たのは、理不尽な上下関係でした。自分が撤廃したはずの理不尽な上下関係が再び発生していたので、寮に泊まり込んで子供たちを指導し、上下関係を再び撤廃させたんです。
そして、中井哲之氏が27歳になった1990年度から野球部監督に就任しました。
高校野球の名将として広陵高校野球部を指導

出典:mainichi.jp
監督に就任した1990年夏の甲子園は予選で敗退しましたが、その年の秋の中国大会では優勝し、翌年の春の甲子園には出場します。しかも、広陵高校はこの大会で優勝しました。つまり、中井哲之氏は監督就任1年未満で甲子園優勝を成し遂げたんです。
その後、2025年まで広陵高校野球部監督を務め、春夏通算で甲子園に24回出場、優勝2回・準優勝2回という結果を残し、中井哲之氏の指導を受けたい、広陵高校で野球をしたいという生徒が全国から集まるようになっています。
中井哲之氏の教え子には次のような人がいます。
・二岡智宏
・新井良太
・上本博紀
・小林誠司
・野村祐輔
・上本崇司
・福田周平
・有原航平
・佐野恵太
・中村奨成
・渡部聖弥
プロ野球の中でもトップクラスの選手ばかりですね。
中井哲之の家族(両親・兄弟)

中井哲之氏の両親は「The昭和」というタイプでした。
父親は頑固おやじで電気店を営み、母親は耐えるタイプだったそうです。
中井 完璧に、頑固おやじですね。お母さんも良く耐えるというか、我慢するというか昔の人ですね、お互いに。
子供時代の中井哲之氏が野球をすることを応援し、毎晩自宅に野球のコーチや関係者を呼んでお酒や食事を振る舞い、母親は黙々と料理を振る舞い片付けをしていたそうです。
また、中井氏には弟がいましたが、弟さんは44歳の若さで脳腫瘍を患い他界しています。
逝去の発表を受け、中井監督は脳腫瘍を患い、44歳の若さでこの世を去った自身の弟の存在を重ねた。
引用:広陵・中井哲之監督が清川栄治さん悼み人柄語る「野球だけじゃなかった」大商大でともに3季連続V – 高校野球 : 日刊スポーツ
この弟さん以外に兄弟がいたという情報はありませんので、中井哲之氏は2人兄弟だったようです。
中井哲之が結婚した嫁は由美さん

中井哲之氏と結婚した女性は、中井由美さんです。
中井哲之氏が由美さんと出会ったのは、広陵高校野球部監督に就任して最初の夏の県大会でした。
1990年4月に中井哲之氏は27歳で広陵高校野球部監督に就任しましたが、最初の夏は県大会2回戦で敗退します。
悔しさのあまり泣いていた中井哲之氏に、テレビ局がインタビューをとりにやってきました。
その時のリポーターが由美さんです。
由美さんにインタビューされた中井氏は「勘弁してください」としか言えませんでした。
そして、その翌日、広陵高校には由美さんから大量のクッキーが届きました。お礼を言うために中井哲之氏が由美さんに電話すると、次のような答えが返ってきました。
「私たちはこれ(インタビュー)が仕事なんです。一番感情があふれている時に聞くのが仕事で、そういう人間なわけではないんです」
引用:人情味あふれる広陵・中井哲之監督 12日から連載 – 野球の国から 高校野球編(取材後記) – 野球コラム : 日刊スポーツ
これを聞いた中井哲之氏は由美さんのことを「まっすぐな人」と感じ、2人はこれをきっかけに結婚することになりました。
中井哲之の子供は息子が1人!娘はいない

出典:column.sp.baseball.findfriends.jp
中井哲之氏には子供が1人います。息子さんです。娘はいません。
息子さんの名前は中井惇一です。
惇一さんは2025年8月時点で30歳なので、1995年頃に生まれたようです。
中井哲之氏と惇一さんは一時的に親子の縁を切った状態にありました。仲が悪かったというわけではありません。
惇一さんは小学生の時に野球を始めますが、父親の中井哲之氏は広陵高校野球部監督だったこともあり、一緒に練習をしたりキャッチボールをしたりしたことはなかったそうです。
それでも惇一さんは父親の背中を追いかけ、相談なしに広陵高校への進学を決め、野球部に入部しました。この時点で、親子ではなく、監督と選手という関係になります。
この時点で惇一は「気持ちの上では、親子の縁を切りました」と言う。自宅でも父親を「監督」「先生」と呼び、敬語で話す日々が始まった。
引用:【高校野球 新・名将列伝】広陵・中井氏を自宅でも「監督」「先生」 “縁を切った”2人が親子に戻った瞬間(1/2ページ) – zakⅡ
野球部では惇一さんはキャプテンに就任し、チームを引っ張りましたが、1度も甲子園に出場できずに3年間が終わりました。
その後、惇一さんが野球部引退することになった時から、2人は再び親子の関係に戻ったそうです。
なかなか特殊な親子関係と言えるかもしれませんね。
中井哲之は家族で広陵高校野球部に関わっていた

出典:hochi.news
中井哲之氏と家族は全員で、広陵高校野球部に関わっていました。
中井哲之氏は広陵高校野球部の監督です。そして、嫁の由美さんは広陵高校野球部の寮(清風寮)の寮母を、息子の惇一さんは広陵高校野球部部長を務めていました。まさに、家族ぐるみで広陵高校野球部に関わり、野球部の指導をしていたんですね。
由美さんは野球部の母のような存在で、バレンタインデーには部員全員分のチョコレートを、子供の日やクリスマスにはシュークリームやケーキをメッセージと共に用意していました。
現在の福岡ソフトバンクホークスに在籍している有原航平さんは由美さんを「偉大な方」と評し、甘えられる存在だったと話していました。
マウンド上の堂々とした姿から一変し、由美さんの前では「子ども」になれた。孤独で重圧のかかるエースという立場。
惇一さんは広陵高校卒業後に中京大学進学し、保健体育の教員免許をとり、母校に恩返しをするために、2017年4月に広陵高校の常勤講師として勤務します。当時は野球部副部長でしたが、2025年時点では野球部部長に昇進しています。
中井哲之の自宅

出典:column.sp.baseball.findfriends.jp
中井哲之氏の自宅は広陵高校近くにあると思われます。広陵高校は広島市安佐南区にありますので、そこから通勤できる範囲に自宅があるのでしょう。家族3人で広陵高校野球部に関わっているのですから、通勤しやすい範囲内に自宅があったことは間違いなかったはずです。
ただ、中井哲之氏は広陵高校敷地内にある野球部の清風寮が自宅のような場所だった可能性があります。
2019年の記事では、中井哲之氏は野球部部員と寮で寝食を共にしていると書いてありました。
新1年生が入部してくればゆうに100人を超える大所帯となる。そんな彼らと寮で寝食を共にし、父親役にもなっているのが中井哲之監督だ。中井監督が父親役ならば、100名を超える”子どもたち”の食事や身の回りのことなどを毎日サポートしている妻の由美さんは母親役だ。
嫁の由美さんは寮母でしたから、寮にいる時間は長かったはずです。中井哲之氏も寮で部員たち
と寝食を共にしていたら、ほとんど自宅に帰らなかったのではないでしょうか。
野球部の練習は厳しいものですが、練習が終わった後は寮に戻り、厳しい上下関係の中で上級生からいじめられ、さらに怖い監督もずっと一緒にいるのであれば、下級生達は心が安らぐ時間はなかったはずです。
ちなみに、広陵高校出身の上本さんは、練習よりも寮生活の方がしんどかったとYouTube動画の中で話していました。
中井哲之の年収

中井哲之氏の年収は2000~3000万円ではないかとい噂があります。
強豪私立高校の野球部専用監督って年収高すぎません?
仙台育英須江監督 3000万
広陵高校中井監督 2000万
これはあくまでも噂であり、実際の年収はわかりません。
しかし、有名な高校野球の監督は一般の教員よりも年収は高いはずです。
なぜなら、野球部を指導し、甲子園に出場させれば、学校の知名度が上がりますし、全国から入学希望者が殺到するからです。私立高校にとっては「高くない宣伝料」になるのでしょう。
高校教員の年収は700万円前後ですが、強豪校の監督は土日祝日も関係なく野球部を指導しなければいけませんし、その業務量と高校の宣伝料を考えると、年収2000~3000万円というのは決して高くないのでしょう。
中井哲之の広陵高校野球部監督としての評判

野球部内での評判
中井哲之氏は1990年からずっと広陵高校の野球部監督を務めていましたが、評判はどうなのでしょうか?
野球部の中での評判は「最高!」と言えるものでした。そもそも、広陵高校野球部に入部する生徒は「中井哲之氏の指導を受けたい」と希望している人が多いんです。
そして、野球部内での中井哲之氏の評判を決定づけるものがこちらです。

【超朗報】広陵高校野球部さん、野球雑誌に「尊敬する人物は?」と聞かれ、レギュラー全員が『中井哲之監督』と回答
— 滝沢ガレソ (@tkzwgrs) August 8, 2025
中井監督=聖人確定で大逆転へ───#広陵高校#中井哲之 pic.twitter.com/fcatVSAL2e
2025年の夏の甲子園でベンチ入りをした野球部員全員が、尊敬する人に「中井哲之先生」と書いているんです。
18人全員が尊敬する人に「中井哲之先生」を挙げている。普通なら両親とか歴史上の人物とか、芸能人・有名人を挙げる人がいてもおかしくはないですが、広陵高校野球部は全員が中井哲之氏を挙げています。
野球部内では中井哲之氏がいかに尊敬されているかがわかります。ただ、ここまで揃っていると、中井哲之氏以外を書くことが許されなかったのか、神のように尊敬されているのかのどちらかの可能性もあるかもと勘ぐってしまいますね。
野球部外からの評判は良くない?
中井哲之氏は、野球部外からはあまり評判は良くなかったようです。
広陵高校のことは俺は言う資格があると思っている。
— ⚡️ryu2 (@ryujmy358zz) August 10, 2025
大人でも高校生でも多数悪いことするので広陵だけの話ではきっとないが、中井監督は私の知っている昔から本当に生徒から評判悪かった。OBとか取材してみれば?
広島の強豪校の監督関係者は軒並み、広商で、その監督同士で情報包囲網が作られてるらしい。だから、広陵の中井監督は、浮き気味らしい。しかも、中井監督は、中学校やシニアの監督関係者からの評判があまり良くない。
— とし (@uki6615) August 21, 2017
野球部に所属している生徒からは評判は良いけれど、広陵高校野球部以外の人から見ると、あまり評判は良くなかったようです。広陵高校野球部を知る人から見ると、中井哲之氏と野球部がこれだけ大炎上するのは特に不思議なことではなかったのかもしれません。
中井哲之が監督だった広陵高校野球部いじめ事件と中井哲之の対応
2025年8月の夏の甲子園で、広陵高校野球部は大炎上しました。
なぜ炎上したのか、炎上した経緯と中井哲之氏の対応を見ていきましょう。
2025年1月にいじめが発生

事の発端は2025年1月に遡ります。
被害者が寮の中でカップ麺を食べたことを理由にひどいいじめが起こるようになりました。
・集団で暴行を受ける
・便器や性器を舐めろと要求される
・正座をさせられて暴行を受ける
このようないじめに耐えられなくなった被害者は寮を抜け出して、実家に戻りました。
中井哲之は被害者を脅す発言

広陵高校野球部側は被害者の親には「加害者は別棟に移し、被害者とは接触させない」と説明したこともあり、3日間実家で過ごした被害者は親と共に寮に戻ります。
しかし、被害者を待ち受けていたのは監督の中井哲之氏からの恐喝でした。こちら、被害者家族がSNSにアップしていたものを引用します。
監督「お前、嘘はつくなよ、
お前の両親もどうかしてるな
俺なら帰って来ても家に入れんがの〜」
監督「高野連に報告した方がいいんか?」
息子「はい」
監督「2年生の対外試合なくなってもいいんか?」
息子「、、、ダメだと思います」
監督「じゃあどうすんや」
息子「、、、出さない方がいいと思います」
監督「他人事みたいに言うんじゃの〜 じゃあなんて言うんじゃ」息子が言葉に詰まったら、、、
監督「出されては困りますやろ」
息子「、、、はい」
引用:Instagram
この会話。ひどいですよね…。
被害者はこの後、さらにいじめられるようになります。そして、再び寮を抜け出して実家に戻りました。
両親と被害者は野球部や学校と話し合いを続けたものの、納得できる回答はなく、広陵高校から地元の高校に編入することになりました。
広陵高校はそのまま夏の甲子園出場を決める

いじめ事件の被害者が転校を余儀なくされましたが、加害者は野球部に在籍したままでした。
2025年2月には広陵高校はこのいじめ事件について高野連に報告しましたが、高野連からの処分は「厳重注意」のみ。加害者4名は1ヶ月の公式戦出場停止となりましたが、3月からの1ヶ月出場停止なので、さほど大きな影響はなかったようです。
そして、中井哲之氏率いる広陵高校は夏の県大会を勝ち進み、甲子園出場を決めました。
被害者は転校を余儀なくされ、加害者は夏の甲子園に出場する…。被害者にとってはやり切れないですよね。
SNSから広陵高校と中井哲之が大炎上

広陵高校が夏の甲子園出場を決めたのと同じタイミングで、被害者家族が動きます。
被害者家族はインスタグラムで25年1月からのいじめ事件の詳細を投稿するようになりました。そして、拡散させるために「@108takapi」に相談し、インスタだけでなくxでも一気に広がりました。
いじめ事件の内容があまりにもひどかったこともあり、広陵高校はSNSを中心に大炎上しました。
広陵高校が甲子園に出場するのはおかしいという声も挙がりましたが、広陵高校は「処分済み」なので、甲子園に出場すると説明しました。さらに、いじめではなく「単発の暴力」と認識していたことから、さらに炎上します。
広陵高校は1回戦を勝ち上がりますが、対戦相手は試合後の握手を拒否した様子を見せたなどいろいろ物議を醸しましたが、中井哲之氏は試合後のインタビューで時折笑顔を見せて、次のようなことを話していたので、また大炎上しました。
本当にいろんなことで皆さんにご心配をかけたんですけど、こうして夢の舞台の甲子園に立てて。子供たちが全力でプレーできたことに感謝しかありませんし、よく頑張ってくれた。
被害者のことを全く考えず、加害者のことを庇っているように聞こえますよね。
広陵高校は出場辞退へ

広陵高校や中井哲之氏が大炎上したことで、8月10日に広陵高校は2回戦を前に出場を辞退することを公表しました。理由は加害者生徒の顔や名前が拡散され、誹謗中傷が相次ぎ、爆破予告もあったためです。
中井哲之が監督だった広陵高校野球部のいじめや中井哲之の悪評がさらに報じられる

広陵高校は2回戦直前に甲子園出場を辞退しましたが、その後も中村哲之氏の悪評や野球部内のいじめが報じられました。最大のものは、「2015年に上級生から暴行を受けて、右半身まひで入院した」というものです。これはNEWSポストセブンが報じました。
上級生3人から正座させられて殴る蹴るの暴行を受け失神し、右半身まひの診断を受け、車椅子で入院生活を送ることになったそうです。
この事件後2日経ってようやく中井哲之氏が病院に来たのですが、中井哲之氏は被害者に対して次のように発言しました。
両親が病室を出たタイミングで、中井監督は『お前、部室の扉で挟んでどんくさいのぉ』と言ったんです。否定しても、『扉で挟んだんやろ。嘘つくなよ』と。
引用:【殴られて右半身麻痺に…】広陵高校野球部、10年前にも起きていた暴力事案を告発 病室で監督が発した非情すぎる一言 問題が公に説明されにくい構造|NEWSポストセブン
また、退院した後も中井氏は『どうせ嘘じゃったんじゃろ?』『両親が過保護や』と言い放ったそうです。
あまりにもひどいですね…。
中井哲之は野球部監督を辞任

広陵高校野球部はいじめ事件後に大炎上して、甲子園を辞退することになりました。そして、中井哲之氏は2025年8月21日に野球部監督を辞任しています。
この野球部監督辞任は自ら申し出たものではなく、学校側から打診されたものでした。
取材に応じた同校の浅田哲雄事務局長は「(中井氏に)監督の任を離れていただいた。学校側がそうしました。
引用:広陵・中井哲之監督が退任、長男の野球部部長も交代 30日初戦の広島秋季大会は出場、新監督はコーチの松本健吾氏(1/2ページ) – サンスポ
ただ、学校側は中井氏にかなり気を使っているようで、「監督の任を離れていただいた」と表現しています。
甲子園1回戦後の後のインタビューを見ても、自ら退任を申し出なかったことや学校側の対応を見ても、中井哲之氏も学校も可能なら野球部監督を続けたかった(続けてほしかった)けれど、予想以上に大炎上してその炎上が長く続いていたことから、監督を辞任するしかなかったのでしょう。
ちなみに、中井哲之氏とともに息子の惇一さんも野球部部長を辞任しています。
中井哲之の現在:副校長は留任

中井哲之氏は広陵高校の野球部監督を辞任しましたが、広陵高校の職員を辞めたわけではありません。まだ広陵高校に籍を残しています。
辞任前は広陵高校の副校長でもありましたので、現在も副校長という立場なのでしょう。
しかも、広陵高校の発表によると、中井哲之氏が再び野球部監督をする可能性はあるとのこと。
同校の浅田哲雄事務局長は、退任後も学校職員として残る中井監督について「(復帰の)可能性は0ではない」としたが、まずは調査に全面協力していく姿勢を示した。
辞任の発表と共に「復帰の可能性はゼロではない」と話すなら、ほとぼりが冷めたら、また監督の任に就く可能性は高いのではないでしょうか。
中井哲之のまとめ
中井哲之氏のプロフィールや若い頃からの経歴と家族(両親・兄弟)、結婚した嫁や子供(息子・娘)、自宅と広陵高校野球部監督としての評判、年収やいじめ事件と対応、監督辞任や現在の副校長留任をまとめました。
中井哲之氏は今後、また広陵高校の野球部監督に就任するのか注目していきたいです。


















