小学生の少女4人が監禁された「プチエンジェル事件」ですが、犯人の吉里弘太郎の不審な死や関東連合との関係が話題です。
今回は事件の概要と黒い噂、吉里弘太郎の生い立ちや父親など家族、関東連合との関係をまとめました。
この記事の目次
吉里弘太郎(プチエンジェル事件の犯人)のプロフィール
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吉里弘太郎は、無店舗型で非合法の児童買春デートクラブ「プチエンジェル」の経営者です。
この店は、「カラオケ5000円、下着提供10000円、裸体撮影10000円」と書かれたチラシで勧誘し、雇った小学生女児などローティーンの少女を男性顧客に斡旋して利益を得ていました。
他にも、わいせつビデオも販売し、多額の利益があったと言われています。
吉里弘太郎自身も過去に買春で逮捕歴があり、プチエンジェル事件発生時はまだ執行猶予中でした。
吉里弘太郎が起こした「プチエンジェル事件」とは
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2003年7月、東京都赤坂にあるウィークリーマンションの1室で、小学6年生の少女4人が誘拐・監禁されたプチエンジェル事件。
プチエンジェルの顧客には、政治家や皇族など、世には出せないほどの大物がいたと噂されています。
プチエンジェル事件は不可解な時点で捜査が打ち切られたことから、警察やさらに上の存在による圧力があったのでは?との憶測が流れており、都市伝説としても注目を集めています。
プチエンジェル事件発生
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2003年7月、小学6年生の少女4人が吉里弘太郎から呼び出され、「部屋を1万円で掃除してほしい」という名目で赤坂のマンションに連れて行かれました。
しかし、部屋に入るなり吉里弘太郎の態度が豹変し、少女たちは手錠と目隠しで拘束されて監禁されます。
少女2人が逃げようとしましたが失敗し、手錠に鉄アレイやポリタンクの重しを付けられて逃げられないようにされた上で、スタンガンで脅されました。
その後、少女らが帰宅しないことを不審に思った家族が深夜、警察に捜索願いを出しています。
マスコミによって少女たちの行方不明が報道された翌日、警視庁が吉里弘太郎に逮捕状を請求し、捜査員がマンション付近で聞き込みを開始しました。
自身に捜査の手が及んでいることを察した吉里弘太郎は、朝9時頃、マンションのリビングにビニールをテント状に張り、七輪で練炭自殺しました。
しかし当時、報道関係者からは「ビニールでは溶けてしまって自殺は不可能だったのでは?」というコメントが出され、吉里弘太郎の死に疑問が残ることとなりました。
吉里弘太郎の死によって、マンションから物音が聞こえなくなったのを見計らい、監禁されていた少女の1人が手錠を外して脱出して、マンション付近の花屋に駆け込んで助けを求めました。
通報により駆けつけた警察官が小学生4人を保護し、犯人の吉里弘太郎が死亡しているのを確認しました。
翌日には、プチエンジェル事件を受けて渋谷で一斉補導が実施され、少年少女1500人以上が補導されています。
監禁されていた少女のその後、疑問の残る吉里弘太郎の死の真相、事件にまつわる不可解な現象など、事件後については後述で解説します。
吉里弘太郎が起こした「プチエンジェル事件」の黒い噂
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事件が発覚し、警察がマンションに駆けつけた時にはすでに死亡していた犯人・吉里弘太郎。
死亡した犯人の所有物からは、児童買春デートクラブ「プチエンジェル」の顧客リストが発見されています。
このリストには政治関係者、裁判官、警察官、医者など、地位ある富裕層に加え、なんと皇族の名前もあったと言われています。
警察はこのプチエンジェル事件を吉里弘太郎の単独犯行だとして、ただの誘拐・監禁事件で捜査を終わらせました。
しかし、上記のように大物達が顧客リストにあったことから、不自然な捜査打ち切りに不審がる世間の声が多数寄せられました。
大物からの圧力や忖度により揉み消されたのではないかと怪しむ声もあり、プチエンジェル事件には黒い噂がつきまとうように。
この黒い噂が都市伝説となり、今もまことしやかに語り継がれています。ここではその都市伝説について紹介していきます。
顧客リストの紛失
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まず第1に挙げられるのが、前述した大物だらけの顧客リストです。
警察関係者や政治家、皇族の名前まであったとされるこの顧客リストは、なぜか捜査の段階で紛失したとされています。
このような重大な証拠を紛失するとは考え難く、警察関係者の名前や皇族の名前まであったことから意図的に不明になったのではないかと言われています。
報道の打ち切り
また、少女の誘拐・監禁事件、その犯人が児童買春デートクラブの経営者という事実は、ワイドショーにとっては格好のネタです。
しかし、1500人もの少年少女が渋谷で補導されるなどプチエンジェルの行いが街に蔓延していたにも関わらず、ある時を境に報道機関が一斉に事件関連の報道を取りやめました。
また、犯行現場は赤坂のマンションでしたが、渋谷で起きた事件という報道に切り替わり、真実を伝えることを止めたのです。
さらに、プチエンジェル事件を取材していたジャーナリストでフリーライターの染谷悟が、事件後に殺害されて東京湾に死体が浮かんでいたことも分かっています。
犯人・吉里弘太郎の死
監禁された少女達の家族が警察に相談し、情報が報道された途端に犯人が死亡したタイミングにも不可解な点があります。
前述した通り、犯人はリビングにビニールをテント状に張り、その中で練炭自殺を図ったと言われています。
一部報道によると、吉里弘太郎が行った方法ではビニールが溶けて自殺は不可能と言われており、司法解剖もされず自殺と断定されたことに不審の声が上がっています。
他にも、少女らは犯人の顔を見ているにも関わらず目隠しをさせられていたこと、犯人が死ぬなり鉄アレイ付きの手錠から少女が脱出できたことも不可解です。
さらに、監禁中にATMに金を下ろしに行くなど、自由に行動できる少女がいたことも分かっており、不可解な点は枚挙に暇がありません。
このプチエンジェル事件の裏には、表に出せない何かがあるのではないかと囁かれ、世間は警察や報道の在り方に疑問を持ちました。
しかし、犯人の自殺として片付けられたこの事件はそれ以降捜査が行われることはなく、真相は闇の中となっています。
吉里弘太郎(プチエンジェル事件の犯人)の生い立ち・父親など家族
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黒い噂が都市伝説となり、現在も不可解な点が多いプチエンジェル事件。自殺を図ったとされる犯人の吉里弘太郎はどのような人物だったのでしょうか。
ここでは、吉里弘太郎の生い立ち、家族や父親の情報をまとめました。
吉里弘太郎について詳細な生い立ちや経歴は不明ですが、エリート一家に生まれ、大学を出てデザイナーとして就職したものの、その後ヒモ生活を送り、ホストもしていたと言われています。
そのエリート一家と言われる理由として、父親の経歴が華やかなことにあります。
吉里弘太郎の父親は、朝日新聞西部本社の社会部長で、警視庁キャップを務めていたこともあります。
しかし1993年、難病指定されている「頭頸部ジストニア」を発症、1996年に自殺しました。
父親が自殺する原因となったジストニアは、直接生命にかかわる病気ではないものの、脳や神経に障害が出て筋肉が収縮・硬化する病気です。
筋肉が自分の思い通りに動かなくなることから恐怖や不安を抱える患者が多く、精神科的異常を伴うこともあると言われています。
そのため、吉里弘太郎の父親も病気を苦にして自殺したのではないかと言われています。
また、吉里弘太郎の兄も父親の自殺後、後を追うように1999年に自殺しました。原因は不明とされています。
さらに、2001年には母親が自殺未遂を図っています。
家族が自殺、自殺未遂を図るという不幸が重なり、吉里弘太郎自身も持病のアトピー性皮膚炎に苦しめられていたようで、周囲に「死にたい」と漏らしていたことが分かっています。
家族の自殺が原因かは不明ですが、大学卒業後にデザイナー関係の仕事をしていた吉里弘太郎はいつの間にか仕事を辞め、女性から金銭的な援助をしてもらうヒモ生活を送るように…。
そして児童買春デートクラブ「プチエンジェル」を経営するようになり、少女の監禁事件を起こすこととなったのです。
吉里弘太郎(プチエンジェル事件の犯人)と関東連合の関係とは?
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プチエンジェル事件は、現在も複数の都市伝説のような黒い噂が流れていますが、「プチエンジェル」が関東連合とも関わりがあったのではないかという噂もあります。
関東連合とは、地下社会において大きな勢力を誇る半グレ集団で、「六本木クラブ襲撃事件」など世間を騒がせた事件を起こしてきた元暴走族の組織です。
芸能界や政財界にも影響力を持つとされていますが、大物の名前が顧客リストにあった「プチエンジェル」も、関東連合が関わっていると言われています。
小学生などのローティーンを働かせる正真正銘のアンダーグラウンドな商売のため、関東連合との関連があるのは不思議ではありません。
しかし、「プチエンジェル事件」と関東連合の間には具体的な関連情報はなく、一般のブログなどで関東連合の事件一覧に記載されてる程度に留まっています。
そのため、吉里弘太郎が関東連合の一員であるといった情報や、デートクラブ「プチエンジェル」の経営に関東連合が噛んでいたという情報はほとんど存在しません。
それでもネットなどを中心に、この事件の黒幕は関東連合であるといった噂や、顧客リストが関東連合の手に渡っているといった噂まで、ネットレベルの噂は多数存在しています。
いずれも真偽不明の情報なので、プチエンジェル事件と関東連合の関わりは明らかになりませんでした。
吉里弘太郎が起こしたプチエンジェル事件のその後と現在
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「プチエンジェル事件」の犯人である吉里弘太郎は、事件発覚時にすでに死亡していますが、ここではその後から現在までに判明した情報を解説します。
事件後に行われた捜査により、吉里弘太郎が借りていたアパートから1000本以上のわいせつビデオが押収されました。
同時に、2000名もの名前が記されたデートクラブ「プチエンジェル」の顧客リストも押収されましたが、これは前述の通り、捜査中に紛失したと言われています。
顧客リストはほとんどが偽名だったと報道されており、事件発覚によって芋づる式の一斉検挙などは行われていません。
また、事件を取材していたフリーライターの染谷悟が事件後に殺害され、東京湾から死体が上がりましたが、事件との関連性は不明とされています。
染谷悟は「柏原蔵書」のペンネームで活動するジャーナリストで、殺される前に周囲に「命を狙われている、殺されるかもしれない」と漏らしていたことが分かっています。
プチエンジェル事件以外にも、染谷悟は歌舞伎町の暴力団や中国人犯罪などの取材もしており、何らかのトラブルに巻き込まれたのは間違いありません。
もし染谷悟がプチエンジェル事件の取材をしていたせいで殺害されたとすれば、この事件の闇がさらに深みを増しますね。
また、被害者である少女4人のその後の消息は一切不明となっています。
事件当時小学6年生だったことから、少女たちは2020年現在は間もなく成人を迎えようとしている年齢です。
当時は未成年の少女だったこともあり、これからも被害者少女らの情報が明かされることはないでしょう。
このように、「プチエンジェル事件」の真相や実態についてはほとんど明かされることはなく、現在はすでに捜査が打ち切りとなっています。
黒い噂の絶えないこの事件はネット上でも未だに話題となっており、現在ではYouTuberなどもこの件をネタにした動画をアップしています。
吉里弘太郎の単独犯による監禁事件という形で終わりを迎えましたプチエンジェル事件ですが、今後も真相が判明する可能性は限りなく低いでしょう。
闇の深さに反してあまりにも軽く収束したプチエンジェル事件、今後もネット上では都市伝説が語り継がれていくかもしれませんね。
まとめ
吉里弘太郎が起こしたとされる「プチエンジェル事件」の詳細、吉里弘太郎の生い立ちや現在、家族や父親の自殺、関東連合との関係についてまとめました。
事件の真相は闇の中ですが、このような事件が今後起こらないことを祈るばかりです。