「ルフィ事件」に「かけ子」として関わり実刑判決を受けた山田李沙が話題です。
この記事では山田李沙の生い立ちや川越の実家、親などの家族、ルフィ事件に関わるまでの経歴、大学やミスコンの経歴の有無、結婚歴の有無、ルフィ事件に関わった動機や判決、現在についてまとめました。
この記事の目次
- 山田李沙は通称「ルフィ事件」の特殊詐欺グループのかけ子で服役中の女
- 山田李沙の生い立ち① 川越市出身で2歳で父親を亡くし母親も生活支援
- 山田李沙の生い立ち② 実家が貧乏で小6から中学までいじめを受ける
- 山田李沙の生い立ち③ 定時制高校に進学し援助交際をはじめる
- 山田李沙の実家があったのは埼玉県川越市の観光地にほど近いエリア
- 山田李沙の実家の家族は母親1人だけの可能性が高い
- 山田李沙の経歴① 川越市内のキャバクラやおっぱいパブで働く
- 山田李沙の経歴② 高校卒業後は新宿歌舞伎町へ移住し風俗店で働く
- 山田李沙の経歴③ 闇バイトに応募しルフィ特殊詐欺グループの「かけ子」
- 山田李沙は大学には進学しておらずミスコンにも出場していない
- 山田李沙の結婚
- 山田李沙がルフィ特殊詐欺事件に加わった動機は金銭
- 山田李沙のルフィ事件での判決は窃盗で懲役3年と強盗予備で懲役1年2ヶ月
- 山田李沙の現在
- まとめ
山田李沙は通称「ルフィ事件」の特殊詐欺グループのかけ子で服役中の女
山田李沙は、通称「ルフィ事件」の特殊詐欺グループに2019年終わりから2023年初めにかけて加わり約3年半で約6億円もの金を騙し取り、ルフィグループ内で「伝説のかけ子」などと呼ばれていた女です。2025年1月現在はルフィ事件で実刑判決を受けて服役しています。
山田李沙の生い立ち① 川越市出身で2歳で父親を亡くし母親も生活支援
山田李沙は自身の生い立ちについて獄中で手記に記しており、それを「FRIDAY」が独占公開しています。
それによると、山田李沙の出身地は埼玉県川越市で、2歳の時に父親を亡くし、身体が弱く生活支援を受ける母親との母子家庭で育ったという事です。
私が生まれ育ったのは、埼玉県・川越市。2歳で父を亡くしてから、体が弱く生活支援が必要な母と二人で暮らしてきました。
山田李沙の生い立ち② 実家が貧乏で小6から中学までいじめを受ける
出典:https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/
山田李沙は生活支援を受ける母子家庭という極貧の中で育ち、それが原因で小学6年生から中学3年間にかけて激しいいじを受けています。
中学時代には膝の靱帯にボルトを入れリハビリに1年を要するほどの暴行を受けたという事です。水泳選手になる夢があったという事でしたが、この怪我が原因であきらめる事になったそうです。
正直、生活は極貧でした。私は小学校6年生から、イジメが原因で不登校になります。理由は貧乏で、家がボロボロだったから。毎日貧乏と言われ続けました。中学に上がるとイジメはより過激になり、暴力を振るわれて膝の靭帯を損傷しボルトを入れた。リハビリに1年を要し、小さい頃の夢であった水泳選手も諦めるしかなかった。自己肯定感が極端に低い子供でした
一方、「週刊SPA!」によるルフィ事件のルポ『「ルフィ」の子どもたち』に掲載された山田李沙の小・中学生時代の同級生の証言でも、山田李沙は小学生の頃は友達想いの優しい子だったが、中学に上がった頃になぜかいじめを受けるようになったとの内容が明かされています。
山田の同級生B子が明かす。 「小学校までは普通の子、友達思いの優しい子でしたよ。ただ、中学に入ってからいじめに遭って不登校になっちゃったんですよ。口にするのもは憚られる、外見をいじるような。なぜ、彼女がいじめグループに狙われたのかはわかりません。でも言い返すような子ではなかった。だからいじめがエスカレートしたのかもしれません」
引用:大規模特殊詐欺「ルフィ」を壊滅させた2人の女⑥〜「解放されて、自由で、楽になって、刑務所に入ってもいいから日本に帰りたかった」
山田李沙の生い立ち③ 定時制高校に進学し援助交際をはじめる
山田李沙は中学卒業後は定時制高校へ進学しています。
FRIDAYに掲載された山田李沙本人の獄中手記によれば、山田李沙は高校時代から援助交際をはじめ月に12万から13万円も稼いでいたという事です。
定時制高校に進学し、環境が変わってイジメから解放されると、毎日学校に通えるようになりました。ただ、私の行動の根底にはずっと″とにかくお金を稼がないといけない″という強迫観念があったのです。定時制高校で真面目に勉強したとて、まともな就職先はないと悟った。とにかく極貧から抜け出したくて高校時代に援助交際を始め、土日だけで12万〜13万円を稼いだ。
山田李沙が援助交際をしてまで金を稼いだ理由ですが、身体が弱く思うよう働けない母親を助けたいという気持ちもあったようです。
山田李沙は高校進学後に母親を助けようと個人経営の飲食店のアルバイトの面接を受けるも、その店主から母子家庭である事を理由に「普通じゃない人は雇えない」などと言われて落とされた事などを裁判で供述しています。
小さな店の片隅で履歴書を提出すると、それをさげすむよ うな目で見やる経営者。そしてこう聞いた。 「なぜ保護者の欄が母親なの?」 山田は「母子家庭だから」と理由を述べたが、それを聞いた経営者からは耳を疑う言葉が発せられた。 「ウチの店には普通の人しかいてもらいたくないから、普通じゃないあなたは雇えない」
引用:大規模特殊詐欺「ルフィ」を壊滅させた2人の女⑥〜「解放されて、自由で、楽になって、刑務所に入ってもいいから日本に帰りたかった」
こうした経験から、山田李沙はまともに働いても裕福にはなれないと考えて、高校から援助交際をするようになり、18歳頃からはキャバクラやおっぱいパブでも働いていたという事です。さらにそれが闇バイトに応募しルフィ事件の特殊詐欺に関わる事へとつながっていった面もあったようです。
山田李沙の実家があったのは埼玉県川越市の観光地にほど近いエリア
山田李沙の出身地は埼玉県川越市という事ですが、現在も実家が川越市にあるのかどうかはわかりません。
ただ、山田李沙は川越市の中でも「小江戸」よ呼ばれる江戸時代の街並みを残す観光地のほど近いエリアの生まれという情報が明かされています。
埼玉県川越市。 「小江戸」とも呼ばれるこの町には江戸時代の風情を残す街並みが広がっている。観光客でごった返す、その一角にほど近いエリアで山田は生まれ育った。
引用:大規模特殊詐欺「ルフィ」を壊滅させた2人の女⑥〜「解放されて、自由で、楽になって、刑務所に入ってもいいから日本に帰りたかった」
川越市で江戸時代からの古い街並みが残る地域というと川越市幸町ではないかと推測されます。また、有名な観光名所がある地域では「喜多院」がある川越市小仙波町や「川越氷川神社」がある川越市宮下町なども思い浮かびます。
山田李沙の実家は川越市のこれらのエリアに近い場所である(もしくはあった)可能性が高そうです。
山田李沙の実家の家族は母親1人だけの可能性が高い
山田李沙の実家の家族については、生い立ちのところでも触れたように2歳の時に父親を亡くし母子家庭で育った事がわかっています。
また、山田李沙はフィリピンにわたって一連のルフィ事件を起こした特殊詐欺グループのかけ子をしていた際にも母親を気遣っており、自ら出頭した理由も「日本に1人で住む母親の事が心配だったため」と供述しています。
日本に一人で住む母のことも心配で『罪を償ってでも帰国したい』と考えるようになっていった。’23年の1月、自ら日本大使館に出向き、拘束されました。
こうした発言から、山田李沙の家族は母親のみで兄弟や姉妹などはいない可能性が高いように思われます。
山田李沙の経歴① 川越市内のキャバクラやおっぱいパブで働く
FRIDAYに掲載された山田李沙の獄中手記によると、定時制高校にまだ在籍していた18歳の頃から川越市内のキャバクラたおっぱいパブで働き始めたという事です。
ナンバー2や3を行ったり来たりしていたという事なのでそれなりに人気があったようです。
18歳になると、川越のキャバクラやおっぱいパブで働きだしました。風俗店で働くこと、売春で稼ぐことに全く抵抗はなかった。私のような人間が稼ぐには、こんな方法しかないと理解していたので……。それでも、ナンバー2や3を行ったり来たりで、なかなか1位を取れないことが悔しかった
山田李沙の経歴② 高校卒業後は新宿歌舞伎町へ移住し風俗店で働く
山田李沙は高校卒業後、1年ほどは地元の川越市のキャバクラやおっぱいパブで働いていたようですが、その後は新宿歌舞伎町へと移住して「箱ヘル」というジャンルの風俗店で1年間働き、売れっ子になったという事です。
その後はデリヘル(派遣型風俗店)で働いて月に150万円も稼ぎ、金が貯まると1ヶ月間ホスト通いなどで遊んで暮らすという日々を送っていたようです。
卒業後、新宿の箱ヘル(店の中にある個室でサービスを提供する風俗店)で1年間働きました。売れっ子になり、少し自信がついた。その後、出稼ぎデリヘルで働いておカネを貯めては、1ヵ月遊ぶという生活を繰り返します。月に約150万円稼ぎ、そのお金はホストクラブや美容に注ぎ込んだ。
山田李沙の経歴③ 闇バイトに応募しルフィ特殊詐欺グループの「かけ子」
山田李沙は新宿歌舞伎町で風俗店で働きながら3年ほど過ごした後、2019年9月にSNSで「闇バイト」の募集を見つけて応募し、フィリピンへ渡って特殊詐欺グループに加わり、電話をかけてターゲットを探し金を騙し取る「かけ子」として一連の「ルフィ事件」を引き起こしました。
山田李沙は、2023年1月に自ら出頭し拘束されるまで約3年半にわたって「かけ子」を続け、約6億円もの金をだまし取ったとされています。
山田李沙は大学には進学しておらずミスコンにも出場していない
経歴のところでも触れたように山田李沙は定時制高校を卒業後はキャバクラや風俗で働いて生活しており、大学へは進学しておらずミスコンに出場した経歴もありません。
ミスコンに出場したのは山田李沙ではなく、同じ特殊詐欺グループのメンバーだった熊井ひとみで多摩美術大学の1年生の時に大学の新入生のミスコン「ミスフレッシュキャンパス」に出場しています。
山田李沙とミスコンに出場経験のある熊井ひとみは「ルフィ」グループでは、フィリピンの同じホテルや一軒家に滞在して「かけ子」を行っていたようです。
山田李沙の結婚
山田李沙は結婚はしておらず、過去に結婚歴もないようです。
山田李沙は「ルフィ」グループの「かけ子」の中で優秀な成績を上げ幹部からも特別扱いされており、フィリピンの収容所で幹部連中が賄賂を払って利用していた「VIPルーム」と呼ばれる部屋への入室を許されて、そこで今村磨人(ルフィグループ幹部)と肉体関係を持っていたとの情報が一部週刊誌が報じています。
山田李沙がルフィ特殊詐欺事件に加わった動機は金銭
山田李沙は2019年に自ら「闇バイト」に応募してフィリピンへ渡り、「ルフィグループ」の「かけ子」として特殊詐欺事件に関わりました。
山田李沙がルフィグループに加わって特殊詐欺事件を起こした動機ですが、単純に金銭を得るためだったようです。
生い立ちのところでも触れたように山田李沙は貧困家族に育ち、金を稼ぐ事に強い執着を持っていて、キャバクラや風俗で金銭を得ていたものの年齢を重ねた後も大金を稼げる“仕事”がしたいとの考えを持ったのが闇バイトに応募した動機だったという事です。
山田被告は動機について「風俗で働いていたが、30代40代になってもできる仕事をと思い、闇バイトに応募し、かけ子をした」と説明しました。
山田李沙のルフィ事件での判決は窃盗で懲役3年と強盗予備で懲役1年2ヶ月
山田李沙は「ルフィ事件」に「かけ子」として関わって逮捕され、現在までに2つの事件でそれぞれ窃盗罪と強盗予備罪で起訴され裁判を受けました。
このうち、窃盗罪では「懲役3年」の実刑判決を言い渡され確定しています。
フィリピンを拠点とする特殊詐欺グループでうその電話をかける「かけ子」の役割を担い、共謀してキャッシュカードを盗んだとして、窃盗罪に問われた無職、山田李沙被告(27)に東京地裁は18日、懲役3年(求刑懲役4年6月)の判決を言い渡した。
また、一連のルフィ広域強盗事件にも「かけ子」として関わったとする強盗予備罪では「懲役1年2ヶ月」の判決を受けてこちらも確定しています。
「ルフィ」と名乗る男らが指示したとされる広域強盗事件で、強盗予備罪などに問われた山田李沙被告(27)に東京地裁は5日、懲役1年2月(求刑懲役1年6月)の判決を言い渡した。
山田李沙の現在
山田李沙は現在は、ルフィ事件に「かけ子」として関わった罪で実刑判決を受けて服役しています。
山田李沙は現在は獄中で4作も小説を書いているとの情報も明らかになっています。山田李沙はこの小説をノンフィクションライターの栗田シメイさんに託したという事なので、何らかの形で公開される可能性もありそうです。
自作の小説を筆者に託した山田。テーマは「善悪の境界」だ。告白を聞き終え頭を過(よぎ)ったのは、作品の重さに押しつぶされるような″錯覚″だった。
まとめ
今回は、通称「ルフィ事件」の特殊詐欺グループの「かけ子」で、約3年半の間に約6億円をだまし取ったとされ、ルフィグループ内で「伝説のかけ子」などと呼ばれていた山田李沙についてまとめてみました。
山田李沙の生い立ちは、埼玉県川越市の出身で2歳の時に父親が亡くなり、身体の弱い母親との母子家庭で貧困して育っています。小学6年から中学卒業後まで激しいいじめに遭い、膝にボルトを入れるほどの暴行も受けたようです。
山田李沙は定時制高校へ進学後に援助交際を始め、18歳から川越市内のキャバクラやおっぱいパブで働き、高校卒業後は大学へは進学せずに新宿歌舞伎町へ移住して風俗店などで働き、2019年にSNSで「闇バイト」に応募し、ルフィ事件に関わったという経歴を持ちます。
山田李沙の川越の実家の家族は母親のみの可能性が高く、兄弟や姉妹はいない可能性が高いとみられています。また、山田李沙は結婚はしておらず過去に結婚歴もありません。
山田李沙がルフィ事件に関わった動機はシンプルに金銭を得るためで、貧困家庭に育ったために金を稼がなくてはならないという強迫観念があり、手段を選ばずに大金を稼ぐという思考になったようです。
山田李沙はルフィ事件で、窃盗罪で「懲役3年」の実刑判決、強盗予備罪で「懲役1年2ヶ月」の実刑判決を受け、現在も服役中です。