優秀だと評判だった医師の野本岩男が妻・野本映子さんと子供2人を殺害した「つくば母子殺人事件」ですが、被害者がランジェリーパブで働いていた事実が話題です。
今回は事件の現場や経緯、犯人の動機や被害者との関係、その後や現在をまとめました。
この記事の目次
つくば母子殺人事件とは
つくば母子殺人事件
発生日時:1994年10月29日
遺体発見:1994年11月3日
事件現場:茨城県つくば市
被害者:妻、長女、長男
犯人:野本岩男
容疑:殺人、遺体遺棄
つくば母子殺人事件とは、1994年10月29日に発生した殺人事件です。
夫であり父親だった医師の野本岩男(当時29歳)が、妻と2人の子供を殺害しました。被害者はこちらの3人です。
・長女:愛美ちゃん(2歳)
・長男:優作ちゃん(1歳)
野本岩男は3人の捜索願を出していましたが、11月3日に遺体が発見されたことをきっかけに取り調べを受け、逮捕されています。
医師の夫と美人な奥さん、さらに幼い子供が2人いて、広い一軒家にはゴールデンレトリーバーを飼っていた一家。まさに絵に描いたような幸せそうな家族に、一体何があったのでしょうか?
つくば母子殺人事件の詳細 【現場や犯行の流れを紹介】
つくば母子殺人事件の詳細を見ていきましょう。どのような事件だったのでしょうか?
つくば母子殺人事件の現場は自宅
出典:youtube.com
つくば母子殺人事件は、1994年10月29日早朝に起こりました。
10月29日午前5時ごろ、夫で医師の野本岩男と妻の野本映子は口論になり、野本岩男はロープで妻の首を絞めて窒息死させました。
その後、子供たちが哀れになり、眠っていた長男を絞殺し、さらに長女も絞殺します。
最初は自首を考えた野本岩男でしたが、誰かの犯行に見せかけることを考え付き、自分の妻と子供の3人を殺害した事件当日も、普通に病院に出勤しました。
遺体を海に捨てに行く
野本岩男は、家族3人の遺体を2日間現場の自宅に放置していました。
ですが、そのままにはしておけず、遺体をヒモで縛ってビニール袋に入れ、車のトランクに積み込みます。そして首都高で大黒ふ頭に行き、非常駐車場から海へ3人の遺体を投げ込みました。
この時、遺体には浮かんでこないように鉄アレイがつけられていました。
野本岩男は現場の自宅から遺体を捨てに行く時、途中で新宿・歌舞伎町に立ち寄って、ストリップに行き、その後はソープランドに行っています。
妻と子供2人を殺害し、遺体を車に積んで遺棄しに行く途中に、ストリップとソープランドに立ち寄って性的なサービスを受けるなんて、普通の感覚では信じられません。
また、遺体を遺棄した翌日から、愛人の看護師と一緒に北海道旅行の予約を入れていました。完全な異常者ですよね。
ちなみに、この北海道旅行は実現せず、埋め合わせとして、愛人の看護師に6万円のコートを買ってあげたという報道もありました。
警察には捜索願を出していた
犯人の野本岩男は家族3人を殺害した後、捜索願を出しています。ただ、犯行後すぐではありませんでした。
妻の野本映子さんはこれまで、子供を連れて黙って実家に帰ることがありました。そのため、すぐに捜索願を出すと逆に怪しまれるという計算が働いて、捜索願を出さなかったようです。
3人を殺害して数日後、映子さんの実家に電話した野本岩男は、映子さんが実家に帰っていないことを確認してから(確認したように装ってから)、警察に捜索願を出しました。
実に計算高く、冷静な行動ですよね。
遺体が発見される
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野本岩男によって、野本映子さんと子供2人の遺体は大黒ふ頭から海に投げ入れられました。
しかし11月3日、横浜市鶴見区の京浜運河で野本映子さんの遺体が発見されたのです。鉄アレイをつけられていましたが、腐敗でガスが発生したことで遺体が浮いてきたようです。
さらにその後の捜索によって、11月7日に長女の愛美ちゃんの遺体が映子さんの発見現場の近くで見つかり、11月12日には横浜港近くで長男の優作君が発見されました。
夫の野本岩男が逮捕
野本映子さんと子供2人の遺体が発見されたことで、3人は自ら行方不明になったのではなく、何者かによって殺害されたことが明らかになりました。
3人の遺体を調べたところ、以下の点が判明しました。
・映子さんはピアスをしていなかった
・3人とも素足だった
・3人とも足の裏が汚れていなかった
・争った跡はない
これらの事実から、3人は自宅で殺害された可能性が濃厚になりました。
自宅で殺害されたということで、当然ながら家族の中で唯一無事でいる野本岩男に疑いの目が向けられます。
「悲劇の夫」と見られていた野本岩男の取り調べが始まりました。
取調官は野本の右手に小さな傷を発見します。この傷については、野本は飼い犬に噛まれたと説明していましたが、警察は殺害時にできた傷と睨んで追求します。
さらに、大黒ふ頭に向かう野本岩男の車が映ったNシステムの映像を提示しました。
最初は犯行への関与を否認していた野本岩男でしたが、最後には「早く白状して妻子を成仏させてやりなさい」という取調官の言葉で、11月25日にようやく自供しました。
つくば母子殺人事件の犯人・野本岩男の動機① 被害者との夫婦間トラブル
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妻子の捜索願を出していた野本岩男は当初、「家族が失踪する理由にまったく心あたりがない」と話していましたが、警察の捜査で夫婦間にトラブルがあったことが発覚します。
被害者・野本映子さんの日記が発見され、事件前、野本岩男夫婦には次のような問題を抱えていたようです。
・野本岩男は投資目的で大阪や神戸に3つのマンションを持っていた
・そのため野本岩男には借金があった
・生活費を入れていなかった
野本岩男の年収は1300万円程度ありましたが、それでも、愛人と遊び、投資用のマンションを買ったことで、多額の借金がありました。さらに、生活費を入れないこともあったようです。
そのため、野本映子さんは昼間は微生物研究所の事務員として働き、夜はランジェリーパブで働いて、生計を支えていました。
日記の中には、「私と愛美を扶養家族に入れてくれるということである。うれしい。本当にうれしい」という文面があります。
一般的に、結婚しても妻が夫よりも年収が多くバリバリ働いているなら、妻も子も夫の扶養家族には入りません。
でも、妻がパートの場合、最低でも子供は扶養家族に入ります。妻もパートの年収によっては夫の扶養家族になるでしょう。
そんな当たり前のことが実現したことで、「うれしい」と日記に書くなんて、野本映子さんはどれだけ虐げられてきたのでしょうか。
犯人の野本岩男は本当に最低な夫・父親だったと言えるでしょう。
つくば母子殺人事件の犯人・野本岩男の動機② 責められて衝動的に殺害
野本映子は慰謝料請求でカッとなった
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犯人の野本岩男の供述によると、野本映子さんを殺害したのは映子さんに慰謝料を請求されたからとのことです。
夫婦喧嘩が絶えなかった2人。犯行があった10月29日、野本岩男は居間のソファーで寝ていたところ、映子さんが居間にやってきて、女性関係のことで喧嘩になります。
映子さんは野本に対して、慰謝料1億3000万円とローン1000万円の支払いを要求しました。
さらに、次のようなことを野本に言い放ちました。
・(包丁とロープを持ち出して)「そんなに嫌いなら、私を殺してください」
このことにカッとなった野本岩男は、逆上して映子さんを窒息死させて殺害しました。
子どもたちは哀れになった
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犯人の野本岩男は映子さんを殺害した後、冷静になりました。
一時は自首も考えますが、「母親がいなくなり、父親が殺人者」という境遇になった子供たちを哀れに感じて、野本は長男を絞殺し、さらに長女も絞殺しました。
野本岩男は非常に身勝手な動機で、妻と子供2人を殺害したのです。
つくば母子殺人事件の犯人・野本岩男と被害者との関係
殺害された野本映子の生い立ち
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野本映子さんは東京都大田区で生まれます。旧姓は「堀崎」です。私立の女子高を卒業しました。
野本映子は離婚歴あり
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高校卒業後、蕎麦屋の息子と結婚して、茨城県土浦市内に蕎麦屋を開業しました。夫との間に2人の子供をもうけますが、蕎麦屋の経営はうまくいかずに離婚しています。
蕎麦屋の夫との間にできた2人の子供は、夫側に残してきています。
2度目の妊娠で結婚
蕎麦屋の夫と離婚した後、野本映子さんはつくば市内の「筑波メディカルセンター」で事務のバイトを始めました。
そして1990年の夏、医師や看護師が参加するテニスサークルに誘われて参加し、野本岩男と知り合います。この時、野本岩男は医学部を卒業したばかりの医師でした。
自然な成り行きで野本映子さんと野本岩男は交際に発展、2人は同棲するようになりました。
当時の野本岩男には野本映子さん以外にも交際相手がいたようですが、野本映子さんは妊娠します。しかし、1度目の妊娠は中絶、その後も関係を続けた結果、再び妊娠しています。
2度目の妊娠では、野本映子さんは「結婚しなくても良いから出産したい」と言って、未入籍のまま、長女の愛美ちゃんを出産しました。
出産後も、野本映子さんは野本岩男に結婚を迫ることはありませんでした。
そんな映子さんを野本岩男は不憫に思い、ようやく結婚に至ったのです。ただ、映子さんが2回目の結婚だったということもあり、結婚式は挙げていません。
生計のためにランジェリーパブで働いていた
大好きだった野本岩男とようやく結婚できた映子さん。しかし、残念ながら幸せな生活は待っていませんでした。
野本岩男は常に浮気をしていて、給料は遊びに使ってしまうので、生活費は入れてもらえません。
さらに、購入した投資用マンションの運用がうまくいかず、借金が膨らむ一方でした。
野本岩男がいつごろ投資用のマンションを購入したかは不明ですが、バブルが崩壊したのは1991年~1993年ごろです。つくば母子殺人事件が起こったのは1994年。
これを考えると、野本岩男は思いっきりバブル崩壊のあおりを受けて、借金まみれになっていたことが想像に難くありません。
しかし、野本岩男は借金を抱えているにもかかわらず、遊びまわって、生活費を家庭に入れませんでした。
映子さんはバイトを掛け持ちして、昼は微生物研究所の事務、夜はランジェリーパブで働くことになったのです。
つくば母子殺人事件の被害者・野本映子はランパブで働く悪妻だった?
ここまでの事件の経緯や夫婦間のトラブルを見る限り、妻の野本映子さんに非はなく、野本岩男にすべての責任があることが分かります。
野本映子さんは完全な被害者であり、借金まみれの夫を支えながら、必死に生活費を稼いでいた女性です。
しかし、映子さんが生活費を稼ぐためにランジェリーパブで働いていたことが判明すると、マスコミはこぞって、映子さんは悪妻であるという報道をするようになりました。
・妻:ランパブで働く離婚歴がある女
このような肩書をつけ、「家庭が崩壊したのは、映子さんにも責任がある」と報道したのです。
どのような事情で映子さんがランジェリーパブで働くようになったのかという背景を報じることなく、風俗で働くような女が悪いと決めつけました。
事件後、映子さんは具体的には次のような報道の仕方をされました。
・ブランド好きで浪費癖がある
・妊娠して医師とのデキ婚に持ち込んだ計算高い女
→夫の借金返済と生活費のために仕方なく働く
・ブランド好きで浪費癖がある
→時々は衝動買いをしたり、ブランド品を身につけることもあったが、夫への当てつけだった
・妊娠して医師とのデキ婚に持ち込んだ計算高い女
→1回目の妊娠は中絶させられているし、2回目は結婚せずに出産したし、自分から結婚を言い出したことはない
このような背景を見ると、野本映子さんが悪妻とはとても言えず、マスコミに勝手に作られたイメージなのです。
つくば母子殺人事件の犯人・野本岩男とは
生い立ち
つくば母子殺人事件の犯人は野本岩男です。1965年、茨城県岩井市(現在の坂東市)で農家の次男として生まれました。
小さい頃から成績優秀だった野本岩男は、地元の中学校をトップの成績で卒業し、地域の進学校である茨城県立水海道第一高校に進学します。
そして、一浪した後に筑波大学医学部に進学し、1990年3月に大学を卒業。
医師の国家試験に合格した後は、筑波大学附属病院などで働いていました。報道によると、野本岩男は内科医だったようです。
結婚をすぐに後悔
野本岩男は映子さんが長女の愛美ちゃんを出産後、映子さんと結婚しています。野本岩男にとってこの結婚は、衝動的なものだったようです。
自分に「結婚して!」と要求せず、未婚の母となった映子さんに対し、同情に似た愛情を一時的に抱き、さらに自分の娘に父親がいないことを不憫に感じて、結婚を決意したと思われます。
ただ、衝動的な結婚でしたので、野本岩男は数日後には結婚を後悔したと言われています。
さらに結婚後すぐ、茨城県日立市の病院に面接に行き、単身赴任をしています。この面接が自分の意思によるものなのか、医局人事によるものなのかは不明です。
しかし、野本岩男にとっては好都合だったようで、日立市の病院ですぐに看護師の愛人を作っています。
「金と女」への執着が強いタイプ
ここまでの情報を総合してみると、野本岩男は金と女への執着が強いタイプであることは間違いないでしょう。
医師という安定した職業に就き、20代で既に年収1300万円。
それでももっと金を稼ごうと、既にバブルが崩壊してきていたにも関わらず、投資用のマンションを購入しています。それが原因で、野本岩男は借金まみれになっています。
さらに女性関係も派手で、女性にだらしない生活でした。
・新しい病院に行ってすぐに看護師の愛人を作った
・結婚をすぐに後悔した
これだけを見ると、いかにもモテる男性をイメージしますが、野本岩男の外見ははっきり言ってイケメンとは程遠いですよね。おそらく、高校時代まではモテなかったのではないでしょうか。
ただ、筑波大学医学部に進学したことで、一気にモテるようになったと思われます。今も昔も、医師はモテますから。
大学デビューをして思いっきり勘違いし、元々野心家だった性格にさらに拍車がかかってしまったのでしょう。その犠牲となったのが、野本映子さんと2人の子供なのです。
つくば母子殺人事件の3つの謎
つくば母子殺人事件は野本岩男が犯人であることは間違いないのですが、実は3つの謎が残っています。
袋の結び目が特殊
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1つ目の謎は袋の結び目です。遺体はビニール袋に入れられていて、3ヶ所がヒモで縛られていました。この結び目が1ヶ所だけ独特だったんです。
1ヶ所だけ「俵結び」という米を俵にする時の結び方で、農家の人、しかも当時で50歳以上でないと使わない結び方でした。逮捕後の実況見分では、野本岩男は俵結びを使いませんでした。
これにより、俵結びができる共犯がいたのではないかとも言われています。
ただ、野本岩男は農家出身ですから、年齢的に若くても俵結びができた可能性はあります。実況見分では、たまたま俵結びを使わなかっただけなのかもしれません。
長男の殺害犯行時刻がはっきりしていない
このつくば母子殺人事件では、長男の犯行時刻が非常に曖昧なことも指摘されています。
実は、事件前日である10月28日の夕方、野本映子さんの友人が自宅に遊びに来ていて、午後8時に帰る時、野本岩男が帰宅したと証言しています。
また、この友人は午後7時30分ごろに長男にチョコレートを食べさせています。
長男の遺体を解剖したところ、胃の中にはチョコレートがまだ残っていました。チョコレートは通常、1時間程度で消化されて胃の中からなくなってしまいます。
最後に長男がチョコレートを食べたのは10月28日の午後7時30分のはずなのに、10月29日朝に殺害された長男の胃にはチョコレートが残っていた…これは不思議ですよね。
そのため、長男を殺害したのは、野本岩男が帰宅してすぐではないか?という説もあります。海に遺棄されて腐敗した遺体だと、死亡推定時刻を正確に割り出すのは難しいでしょうから。
そうなると、なぜ最初に長男を殺害したのか動機がわからなくなってきます。
ただ、野本岩男が殺害する前に最後にチョコレートを食べさせた可能性はありますので、このあたりも微妙ですね。
嫁がランジェリーパブで働いていた理由は?
3つ目の謎は、嫁のランジェリーパブ勤めです。
ランジェリーパブは風俗です。いくら借金があるからといって、嫁をランジェリーパブで働かせるものでしょうか。
ランジェリーパブが悪いというわけではありません。シングルマザーが生活費のためにランジェリーパブで働くというのは理解できます。
しかし、医師の妻である映子さんも生活費がないからといって、あえてランジェリーパブでの勤務を選ぶでしょうか。しかも、1歳と2歳の幼い子供の面倒を誰が見ていたのかも疑問です。
また、自分の嫁がランパブ勤務という事実は、上昇志向が強い野本岩男にとって医師のプライド的にOKだったのでしょうか。さらに、職場に知られたら医局人事に響きそうなものです。
いろいろな疑問が湧いてきますが、完全に家庭が崩壊していて、野本映子さんの感覚も麻痺していたのかもしれません。
つくば母子殺人事件のその後
裁判では無期懲役
つくば母子殺人事件では、1996年2月22日、横浜地裁で野本岩男に無期懲役が言い渡されました。
検察側の求刑は死刑でしたが、次の理由で無期懲役になっています。
・殺害方法は残酷ではない
・犯人の野本岩男は深く反省している
1997年1月30日に東京高裁は上告を棄却して、無期懲役が確定しました。
嘆願書が出された
野本岩男の裁判では、3,000件以上の減刑嘆願書が出されました。
野本岩男は父親として、夫としては最低な男でしたが、医師としては優秀な人物だったようです。
・医局長:事件は残念だが、彼には感謝している
・父親:息子は小学校時代から非常に学校の成績がいい子でした。親に叱られたことは一度もない、良い子だったんです
実際、野本岩男は外国人労働者に対して「治療してあげたい」と積極的に申し出たり、入院費が払えない患者には「分割で入院させてやってほしい」と頼んでいます。
家族3人を殺害したにも関わらず、逮捕後にこんなに嘆願書が集まるということは、野本岩男は職場では信頼されていたのでしょう。
しかし、こんな二面性を持つ人物は、なんだか気味が悪いですよね。
3人殺害では異例
野本岩男は3人を殺害しました。一般的に3人を殺害すれば死刑になります。でも、野本岩男は無期懲役でした。
これは、先ほども説明したように、衝動的で残酷な殺害方法ではなく、反省しているからという理由です。
ただ、事件後の野本岩男の行動を見る限り、反省しているとは到底思えません。
遺体を海に捨てる時、見つからないように鉄アレイをくくりり付けています。さらに、行方不明に見せかけていますし、遺体を捨てに行く前にストリップとソープランドに寄っています。
さらに、裁判長は次のようなことを述べています。
確かに「夫婦の不和は2人の行動が要因になる」、これは一般的には当てはまると思います。
しかし、野本夫婦の場合はいささか事情が異なると言わざるを得ません。
映子さんはいったいどうすれば良かったのか?黙って文句を言わず、ランジェリーパブで働き続ければ良かったのか?と思ってしまいます。
これは、映子さんと遺族を侮辱する言葉だと言えるでしょう。
つくば母子殺人事件の現在
つくば母子殺人事件の犯人・野本岩男は無期懲役を言い渡されていますので、現在も刑務所に収監されています。
ただし無期懲役刑でも、仮出所することはあります。
刑法28条では「無期刑については十年を経過した後、行政官庁の処分によって仮に釈放することができる」とされていますので、10年を経過していれば仮出所の可能性はあります。
しかし、一般的には30年以上経過しないと、どんな模範受刑者でも仮出所はできません。
つくば母子殺人事件で無期懲役が確定したのは1997年ですので、最短でも2027年にならないと、仮出所はないと言えます。
もちろん、2027年になれば仮出所するということではなく、一生刑務所の中で過ごす可能性も十分にあります。
つくば母子殺人事件のまとめ
つくば母子殺人事件の経緯や犯行の動機、被害者・野本映子さん日記の存在とランジェリーパブで働く理由、犯人の野本岩男について、事件のその後と現在をまとめました。
事件後、殺害された野本映子さんはランジェリーパブで働く悪女のように報じられ、3人を殺害しながらも野本岩男は無期懲役の判決になりました。
さらには、裁判長に「被告人1人の責任とは言えない」と言われた遺族は、二重三重の苦しみを味わうことになったでしょう。
第三者が「そんな男と結婚するのが悪い」「離婚すれば良かったのに」と言うのは簡単です。
ですが、離婚歴があった野本映子さんですから、「もう離婚したくないから、私が我慢すれば良い」と思ってしまう気持ちも理解できます。
また、1歳と2歳の子供を抱えて、シングルマザーになるという選択はなかなかできませんよね。
最後に、野本映子さんと2人のお子さんのご冥福をお祈りします。