富田靖子さんは若い頃から第一線で活躍する役者で、歳を重ねた現在もかわいいんです。
今回は富田靖子さんの若い頃からの経歴、結婚した旦那や子供、離婚の原因、堺雅人さんをはじめとする過去の熱愛相手、現在の様子もまとめました。
この記事の目次
- 富田靖子のプロフィール:役者で、代表作は映画「BU・SU」など
- 富田靖子の若い頃の経歴① 127,000名の中から映画のヒロインに抜擢
- 富田靖子の若い頃の経歴② 実は本名が嫌いだった
- 富田靖子の若い頃の経歴③ 歌手デビュー&アイドル女優として人気に
- 富田靖子の若い頃の経歴④ 映画「BU・SU」でアイドル女優から脱却
- 富田靖子の若い頃の経歴⑤ ドラマでは後輩に後れを取っていた
- 富田靖子の若い頃の経歴⑥ 映画「南京の基督」でヘアヌードを披露
- 富田靖子の若い頃の経歴⑦ 1998年頃より舞台にも本格的に進出
- 富田靖子の若い頃の経歴⑧ バイプレイヤーとして”理想の母親役”が定着
- 富田靖子が結婚した旦那はダンスインストラクター・ 岡本裕治
- 富田靖子の子供は娘が1人
- 富田靖子の離婚原因は?しばらく公表しなかったのはなぜ?
- 富田靖子と堺雅人の関係は?過去の熱愛相手を振り返り
- 富田靖子は現在もかわいいと話題・役者として第一線で活躍中
- まとめ
富田靖子のプロフィール:役者で、代表作は映画「BU・SU」など
生年月日:1969年2月27日
出身地:福岡県
所属事務所:アミューズ所属
富田靖子さんは役者で、本名は「冨田靖子」です。
中学生の時に、オーディションを経て映画「アイコ十六歳」でデビュー。以降、映画・ドラマ・舞台などで活躍しています。
代表作は、1987年公開の映画「BU・SU」、1995年公開の映画「南京の基督」などです。
富田靖子の若い頃の経歴① 127,000名の中から映画のヒロインに抜擢
富田靖子さんは1983年、中学在学中に映画「アイコ十六歳」のオーディションに参加。
応募総数127,000名もの中から見事ヒロインに抜擢され、役者としてデビューします。
同オーディションには役者の松下由樹さん、宮崎ますみさん、歌手の岡田有希子さんと森口博子さんも参加していたとのこと。
松下由樹さんと宮崎ますみさんとは同映画で共演していますが、端役として役者の佐藤二朗さんも出演していたというのだから驚きです。
映画『アイコ十六歳』に佐藤二朗!?
— 今関あきよし (@kalinapapa) April 15, 2020
何度かテレビ局から電話があって、佐藤二朗さんの出演している番組で「アイコ十六歳」の映像使用の許可を求められることがあった。
確信が持てなかったけど、コレか!
時は流るる〜(^〜^)♪#佐藤二朗 #アイコ十六歳 pic.twitter.com/fy4UurxrkJ
富田靖子の若い頃の経歴② 実は本名が嫌いだった
富田靖子さんはデビュー当時、芸名での活動を希望していたといいます。
幼い頃から「靖子」という名前がチープに感じ、好きになれなかったのだそう。
しかし、会長を含めた芸名会議でもピンとくる芸名がなく、本名のままのデビューとなったといいます。
富田靖子の若い頃の経歴③ 歌手デビュー&アイドル女優として人気に
出典:https://item.rakuten.co.jp/
映画デビューと同時にシングル「オレンジ色の絵葉書」で歌手デビューも果たした富田靖子さん。
歌手・冨田靖子のスタートとなった『アイコ十六歳』のイメージソング「オレンジ色の絵葉書」は、ジューシィ・フルーツのギタリスト、柴矢俊彦の作曲、B面「夢少女」はサザンの初期作品のアレンジを数多く手がけた新田一郎の作曲。本編の音楽は斎藤誠、サザンオールスターズ、原由子、ウエストウッドという豪華なクレジット
アイドル全盛期の80年代らしい、華々しいデビューとなりました。
その後、1984年公開された主演映画「ときめき海岸物語」でもその演技力が話題に。”アイドル女優”としてたちまちブレイクしていきました。
富田靖子さんは「アイコ十六歳」に続き、1985年にも大林宣彦監督の映画「さびしんぼう」で再び主演に抜擢。
また、1986年に放送をスタートしたNTTのCMに、親元を離れ三姉妹で生活する三女役で出演。同CMシリーズは反響を呼び、のちにドラマ化もされています。
富田靖子の若い頃の経歴④ 映画「BU・SU」でアイドル女優から脱却
富田靖子さんが”脱・アイドル女優”となるきっかけとなったのが、1987年公開の主演映画「BU・SU」です。
富田靖子さんは同作で「横浜映画祭」で主演女優賞を受賞。
「キネマ旬報ベスト・テン」において、前述の「さびしんぼう」が5位、「BU・SU」が8位を獲得するなど、その演技力が高く評価されるようになります。
最初の転機が訪れたのは87年。CMディレクターとして数々の話題作を手がけてきた市川準の映画監督デビュー作「BU・SU」に主演する。本作で演じたのは、屈折した性格から故郷を逃げ出した無口な芸者見習いの森下麦子役。それまでの快活でボーイッシュなイメージを覆す役柄を見事に演じ切り、女優としての懐の深さを証明した。
引用:富田靖子
当時について、富田靖子さんはインタビューで以下のように振り返っています。
『BU・SU』の時は「私(富田)にあまり話しかけないようにしてあげてね。話しかけると無理に答えないといけないから、そっとしておいてあげてね」と市川準監督がスタッフの皆に話して下さっていたそうです。そう考えると、あの頃は“何かを作った”というよりも“いつの間にか映画が出来ていた”という感覚でした。
富田靖子の若い頃の経歴⑤ ドラマでは後輩に後れを取っていた
出典:https://twitter.com/
映画では華々しく活躍していた一方、ドラマでは苦戦を強いられていたという富田靖子さん。
1985年にフジテレビ系列で放送されたドラマ「一休さん」でドラマ初出演・初主演。
1987年にはテレビ朝日系列のドラマ「痛快!婦警候補生・やるっきゃないモン!」で連続ドラマ初主演など活躍はしていたものの、いずれも思うような視聴率とはなりませんでした。
90年代頃より頭角を現してきた深津絵里さん・奥山佳恵さんらといった事務所の後輩に後れを取っていると感じていた、と語っています。
富田靖子の若い頃の経歴⑥ 映画「南京の基督」でヘアヌードを披露
富田靖子さんは1995年公開の映画「南京の基督」でヘアヌードを披露し、大きな話題となりました。
年下世代の台頭もあって、やや鳴りを潜めていたが、95年、再び世間の注目を集める。芥川龍之介の小説を原作にした香港との合作映画「南京の基督」である。香港の人気スター、レオン・カーフェイと共演した本作では、無垢な心で神の存在を信じるが病に倒れ、やがて精神が破綻してゆく娼婦・宗金花という難役を熱演。ヌードも辞さず、体当たりで官能的なシーンに挑戦して清純派のイメージから脱却した。
引用:富田靖子
当時は1991年に宮沢りえさんが写真集「Santa Fe」、1997年に菅野美穂さんが「NUDITY」を発売するなど、”女優のヘアヌード解禁”がブーム状態に。
そのほかにも、本木雅弘さんや川島なお美さん、葉月里緒奈さん、高岡早紀さんとそうそうたる役者陣もヘアヌードを披露していました。
富田靖子さんも同作を機にイメージチェンジを図っていたそうで、その思惑どおり「第8回東京国際映画祭」では最優秀女優賞を受賞。以降、”本格派女優”へと転身していきます。
「小泉今日子や中山美穂らトップアイドルが女優に転身してくるわ、事務所の後輩の深津絵里らの台頭もあるわで壁にぶち当たった。19歳の時には悩みも深く1年近く休業しています」(芸能関係者)精神的に立ち直った後、26歳で日本と香港の合作映画「南京の基督」に出演。新たな一面を見せた。「梅毒を患う娼婦役で、全裸の濡れ場を熱演。東京国際映画祭で最優秀女優賞を受賞した」(元映画誌記者)
特にNHKはその重用ぶりが目立ち、富田靖子さんに合わせた正月ドラマ特番を毎年制作していたほど。
また、1997年に放送された大河ドラマ「毛利元就」では、毛利元就の正室・美伊の方役という大役に抜擢されました。
富田靖子の若い頃の経歴⑦ 1998年頃より舞台にも本格的に進出
富田靖子さんはアイドル的な売れ方をしていたデビュー当初から、数年に1度のペースで舞台に出演。その後の1998年頃より本格的に舞台へと進出しています。
2000年公演の「阿修羅城の瞳 BLOOD GETS IN YOUR EYES」、2004年公演の「燃えよ剣」、2006年公演の「アジアの女」では主演も務めました。
また、2018年に主演を務めたこまつ座の公演「母と暮せば」は特に好評を博しており、その後2021年、2024年に再演されています。
富田靖子の若い頃の経歴⑧ バイプレイヤーとして”理想の母親役”が定着
- 富田靖子さんは、1997年からフジテレビ系列「美味しんぼシリーズ」に栗田ゆう子役で出演。
2000年以降は、2時間ドラマへの出演も増えていきます。
2003年からテレビ東京系列で放送された「京女刑事・真行寺メイ」シリーズ、2004年から朝日放送系列で放送された「フリー女子アナの殺人リポート」シリーズで主演を務めました。
また、同年頃より母親役を演じるようになり、同年公開の映画「下弦の月〜ラスト・クォーター」では主人公の母親役で出演。
以降も前述の舞台「母と暮らせば」をはじめとする母親役での好演が注目されており、現在では”理想の母親役”として幅広い層から支持されています。
30代に突入した2000年以降はやや落ち着きを見せ、「下弦の月/ラスト・クォーター」04や「君に届け」10の主人公の母親役、「ロード88・出会い路、四国へ」04の医師役など、若い世代が演じる主人公を見守る立場の役柄が増えている。
引用:富田靖子
- 2013年には、テレビ東京系列の2時間ドラマ「立証〜離婚弁護士・香月桂美」で主演。
- 同年、テレビ西日本で放送され全国的にも話題となった「めんたいぴりり」シリーズでも主演を務めています。
NHK朝の連続テレビ小説においては、2015年放送の「あさが来た」「スカーレット」の2作品に出演。
スカーレットでも母親役を演じ、大ヒットした「逃げるは恥だが役に立つ」シリーズでも、主人公の母親・森山桜役を演じています。
コンプレックスだったベビーフェイスも、40代に入ると受け入れられるようになり、今や目標にしていた薬師丸ひろ子と肩を並べる存在になりつつある。「近年は母親役が秀逸。『逃げるは恥だが役に立つ』の天真爛漫な母、朝ドラ『スカーレット』の貧しくても明るく家庭を守る母と、様々なタイプをこなせるようになった」(放送記者)
富田靖子が結婚した旦那はダンスインストラクター・ 岡本裕治
富田靖子さんは2007年、ダンスイントラクターの岡本裕治さんと38歳で結婚しました。
2006年に日本テレビ系列のバラエティ番組「シャル・ウィ・ダンス?〜オールスター社交ダンス選手権〜」で岡本裕治さんとペアを組んだことをきっかけに仲を深め、交際に発展したそう。
女優の富田靖子さん(39)がダンスインストラクターの岡本裕治さん(29)と昨年6月に結婚、女児を出産していたことが17日、分かった。富田さんの所属事務所によると、2人はテレビ番組の社交ダンスの企画でペアを組んだことがきっかけで交際を始めたという。
富田靖子の子供は娘が1人
富田靖子さんは2006年に女児を出産、2008年にその事実を公表しました。
2024年現在の娘さんの年齢は18歳。富田靖子さんがすでに芸能界で活躍していた年齢でもあることから、ファンの中には今後の芸能界入りに期待を寄せる人もいるそうです。
また、2023年に受けたインタビューでは、娘の大学推薦が気がかりだと語っていました。
今は娘が大学推薦を取れるように「推薦取るんだよ〜」とピシッ、ピシッとやっています(笑)。「この中間、そして期末。日々の提出分。これがあなたの大学推薦に関わっている!」と毎日言っています。今はそこだけです。
無事、大学推薦はとれたのでしょうか。気になるところですね。
富田靖子の離婚原因は?しばらく公表しなかったのはなぜ?
富田靖子さんは2021年に旦那・岡本裕治さんと離婚していたことを、2024年に公表しました。
離婚の原因については明かされておらず、おそらく一般人である元旦那への配慮と言われています。
〈私事ではありますが 3年前に離婚をいたしました〉
女優の富田靖子(55)が3月23日、自身のSNSで離婚を発表した。
「3年間、公にしなかった理由を『このことが日常になじむまでに時間が必要でした』と綴っている。元夫は一般人でもあり、離婚の原因などは明かしていない」(女性誌記者)
また、離婚から公表まで3年もの間が空いたことについては、“理想の母親役”というイメージを守るためだったのではないかと推測する関係者もいます。
「3年間離婚を公表しなかったのは、良き母親のイメージを大切にしたからだと思います。富田さんは新垣結衣さんらが主演した大ヒットドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)など、多くの作品で母親役を演じています。離婚発表までには、役柄を大切にする富田さんならではの苦悩があったのでしょう」(芸能プロダクション関係者)
富田靖子と堺雅人の関係は?過去の熱愛相手を振り返り
富田靖子さんは結婚前、何度か熱愛をスクープされています。
1人目は、1988年当時にマネージャーだったAさんです。
「A氏が朝、富田さんを仕事現場へ送るために部屋を訪れたのならマネージャーとして当然の行動でしょう。しかしA氏が富田さんの住むマンションに来たのは前日の夜。一夜をともに過ごしたことになります。当時出版したばかりだった富田さんのエッセイ風日記にも、A氏とおそろいの服を着ていたことなど意味深な関係が記されていました」(当時を知るベテラン芸能記者)
また、ロックバンド「爆風スランプ」のドラム・ファンキー末吉さんとは過去に交際を宣言。
その後の1992年には、車でタクシーとの接触事故を起こしたことをきっかけに、当時劇団員として活躍していた役者の筧利夫さんとの交際が発覚し、話題となりました。
富田は名前を明かさなかったが、ほどなく相手は劇団「第三舞台」の看板役者、筧利夫(当時29)と判明した。2人は90年11月の「飛龍伝’90殺戮(さつりく)の秋」で共演し、舞台上ではディープキスシーンも演じていた。真相の判明を受け、富田は「大切な友達です。役者としても尊敬しています。これからも今まで通り付き合っていけたらうれしい」と心境を語った。
報道に対し、富田靖子さんは交際を否定していましたが、一方の筧利夫さんは「大切に思っている女性です」とコメント。しかしその後の音沙汰はなし。特に共演も続報もなく終わりました。
その後、2001年頃に交際を噂された役者・堺雅人さんとは、舞台での共演をきっかけに惹かれ合ったそうで、お互いのマンションを行き来する姿も目撃されています。
堺雅人さんの所属事務所も交際を認めるなど、結婚も有力視されていましたが、5年ほどで破局したとのことです。
ちなみに当時の堺雅人さんは舞台で活躍していたものの、世間一般においては無名。そのため、週刊誌では”美形舞台俳優”、”年下の若手俳優”とされ、名前は報じられなかったのだとか。
堺雅人さんの今の活躍ぶりからは信じがたいくらいですね。
富田靖子は現在もかわいいと話題・役者として第一線で活躍中
富田靖子さんは現在も、役者としてドラマ・映画・舞台と第一線で活躍。
2020年に放送されたTBS系列のドラマ「私の家政夫ナギサさん」、2020年に日本テレビ系列のドラマ「35歳の少女」といった人気作品にも出演しています。
2023年からは、WOWOWで放送をスタートしたドラマ「フィクサー」シリーズにも出演。
2024年には、東海テレビ系列で放送されたドラマ「おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!」、NHK総合で放送されるドラマ「燕は戻ってこない」などに出演しています。
「おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!」では、デビュー作「アイコ十六歳」以来となる、松下由樹さんとの40年ぶりの共演も話題に。
2人はインタビューで「アイコ十六歳」撮影時を振り返っていますが、松下由樹さんは当時の富田靖子さんについて「本人が躊躇しながら来ている」という印象を持っていたのだとか。
それに対し、富田靖子さんは「息苦しさや孤独感があり、そう見えていたのかも」と語っていました。
当時、芝居が好きなだけでは終わらないこともいっぱいあったからね。主役だからしっかりやってねと言われることが最初は嬉しかったんですが、だんだん息苦しくなってきて、福岡から一人で出てきた孤独感もあったので、もしかしたらそういう風に見えていたのかもしれない。そこら辺の葛藤は撮影の後半くらいから、自分の中で気持ちをどう処理していいのか、わからなくなっていたというのはあります。
また、映画においては、2020年公開の「Fukushima 50」、2024年公開の「シサム」などに出演。現在も活躍を続けています。
まとめ
富田靖子さんは役者で、中学生の時に受けたオーディションを機に芸能界入り。映画の主演を務め、歌手としてもデビューするなど”アイドル女優”として華々しく活躍しました。
その後、高い演技力が評価されるようになり、演技派として注目されるも、1990年代後半に入ると後輩たちが台頭してきたことでそれまでの勢いを失ってしまいます。
そして、イメージチェンジを図った1995年公開の映画「南京の基督」でヘアヌードを披露。同作を機に再び注目を集めました。
以降、ドラマ・映画・舞台と第一線で活躍してきた富田靖子さん。今後も末永く活躍していってほしいですね。