そのあまりの猟奇性から社会を震撼させた「座間9遺体事件」を引き起こした白石隆浩とはどんな人間なのか注目されています。
今回は白石隆浩の生い立ちを中心に、父親や母親や兄弟などの家族についてや白石隆浩の現在の様子などについても合わせてまとめました。
この記事の目次
白石隆浩は座間9遺体事件の犯人
白石隆浩は、2017年10月31日に発覚した「座間9遺体事件」の犯人です。事件当時27歳でした。
座間9遺体事件とは
「座間9遺体事件」は白石隆浩の自宅だった、神奈川県座間市緑ケ丘のアパートの室内から、10代半ばから20代後半までの女性8人と当時20歳の男性1人、合計9人分のバラバラにされた遺体の一部が発見された事件です。
発見された遺体は9人分の切断された頭部、約240本の骨などで、頭部や骨などの遺体はクーラーボックスや大型の収納箱に入れられ、ニオイを消すために上から猫のトイレ用の砂が被せられていました。
白石隆浩は、「首吊り士」などTwitterで5つのアカウントを使って自殺願望のある女性などを探して接触し、「一緒に死のう」などと持ちかけて自宅アパートへと連れ込み、ロープで首を絞めるなどしてわずか2ヶ月の間に9人を(女性には性的暴行を加えた上で)次々に殺害し、数百円から数千円程度の犠牲者の所持金を奪い、一部犠牲者に対しては殺害後にさらに性的な暴行を加えるなどしました。
事件発覚と白石隆浩の逮捕
事件の発覚は、最後の被害者となった当時23歳の女性の兄が、2017年10月24日に警視庁高尾警察署に捜索願を提出した事でした。
被害者兄は妹のインターネット利用履歴などから独力で白石隆浩の存在を探り当て、そのアカウント情報を警視庁へと通報、警視庁はその調査中に被害者兄へと情報を提供した女性に囮役を依頼し、白石隆浩を小田急線の相武台前駅へとおびき出しました。
囮役女性に同行した捜査員は女性を白石隆浩には接触させず、視認で本人かの確認だけをさせた後に白石隆浩を尾行し自宅を突き止めました。白石隆浩がアパート玄関から入ったところを捜査員が踏み込み、室内に9人分の遺体などを発見。白石隆浩はその場で殺人の容疑で逮捕されています。
白石隆浩の生い立ち① 誕生〜小学校時代
それでは、白石隆浩が「座間9遺体事件」を起こすまでの生い立ちについて見ていきます。
白石隆浩は1990年10月、神奈川県座間市内で生まれ、それから1〜3年後に妹が生まれ、両親との4人家族の中で育ちました。1994年、白石隆浩が4歳の頃に、家族と共に神奈川県座間市小松原の一軒家へ引っ越し、幼稚園を経て地元の公立小学校へと進学しています。
出身小学校については、実家の場所などから「座間市立旭小学校」ではないかと推測されていますが、確定情報ではありません。
白石隆浩の小学校時代の同級生の証言によると、当時の白石隆浩は「ほとんど覚えていない」「陰が薄い子だった」「大人しく目立たない」「いつも何かに怯えている印象」といった少年だったようです。
座間市の白石隆浩の実家の近所に住む主婦は、幼少時代の白石隆浩について以下のように証言しています。
「1つか2つ違いの妹と2人で遊んだりしていて“兄妹仲がいいなあ”と思ったものでした。ただ小学生のときにグループ登校していたウチの子どもは、彼のことをほとんど覚えていないと言っています。目立たないし、口数も少ない、勉強も普通で、ごく平凡な男の子という印象です」
妹と仲良く遊ぶ姿を見せていたようですが、大人しいという印象は同級生らの証言と一致しています。少年期の白石隆浩は大人しく目立たない、物静かな少年だったようです。
白石隆浩の小学校の卒業文集
大人しく目立たない少年だったという小学生時代の白石隆浩ですが、小学校時代の卒業文集の作文からは、その後の犯行にも繋げて考えられるような「自己中心性」も垣間見得ます。
白石隆浩は、この作文で日光江戸村に行ったという修学旅行の思い出を記しています。楽しかったとしつつも、作文の中では「見たいものがあったけど、班の人が先に行ってしまったので見られなかった」「班の人が観たいと言って観た映画が幼稚でつまらなかった」などの不満を書いています。
この文集の文面を見た犯罪精神病理学の専門家は以下のように分析しています。
「他人の関心を引こうとする社交性はあるものの、人間関係の希薄さを感じる」
確かに、この白石隆浩の卒業文春の文面の中で同級生をそれぞれの名前ではなく全員を同じように「班の人」と呼んでおり、どこか周りの同級生達を冷めた目で見つめている、当時の白石隆浩の姿が想起されます。
小学生時代から表の顔と裏の顔を使い分けていた?
出典:https://www.news-postseven.com
白石隆浩の小学生時代からは、どことなく冷たさが感じられます。その印象を一層強める証言が、白石隆浩の実家の近くに住む2人の主婦から上がっています。
その2人の主婦は白石隆浩の小学生時代の同級生の母親なのですが、1人の主婦は当時の白石隆浩について「手のかからないおとなしい真面目な子」「妹の面倒をよく見る良いお兄ちゃん」と大人しく優しい少年だったと話しています。
しかし、もう1人の別の主婦は、白石隆浩の同級生だった娘から白石隆浩の全く別の性格を聞いていたそうです。
「小学校の集団登校で、白石君は登校班の集合場所に遅刻してきたり、学年が下の子の面倒を全然見なかったそうです。娘がそう話していました」
この2つの証言から、小学生時代の白石隆浩は、大人の前では大人しく優しい少年を演じ、子供達だけの場面では、いい加減で冷酷な本性を見せていたという見方が浮かび上がってきます。
白石隆浩は、言葉たくみに自殺志願者を優しく誘い、冷酷な方法で次々と殺害していきました。その豹変する二面性は、小学生当時から白石隆浩の中に存在していたのかも知れません。
小学生時代にハマっていたという「失神ゲーム」とは
白石隆浩の小学生時代のエピソードとして、もう1つ気になるものがあります。白石隆浩は小学生時代、友人同士で首を絞め合い、酸素を欠乏させて失神させ合うゲーム「失神ゲーム」にハマっていた事があるというのです。
当然ながら、この遊びは下手をすれば本当に死んでしまう可能性もある大変危険なものです。白石隆浩は実際にこのゲームで失神した事もあるようで、小学生時代からこうした危険な行動を繰り返した事で、命を軽んじる人格形成につながったのではないか?と見る向きもあるようです。
白石隆浩の生い立ち② 中学校時代
座間市内の公立小学校を卒業した白石隆浩は、そのまま地元の公立中学校へ進学したとされます。
白石隆浩が通っていた中学校については「座間市立東中学校」という情報が出ています。これはTwitterで白石隆浩の同級生だという人物が公開した情報ですが、証拠などは示されておらず確定情報ではありません。
中学時代は野球部、陸上部に所属していた
中学生時代の白石隆浩は、1年生の頃は野球部に所属し、2年生からは陸上部に入り直して、卒業まで続けたようです。白石隆浩の中学時代の卒業文集の作文は「僕と部活」というタイトルでした。
この作文では「勉強や遊びよりもひたすら部活を頑張っていた」と書いており、部活を通じて成長できた、良い思い出でや友人もできた事などを続けています。
ただ、この作文はわずか12行の短いもので、文章も文字も雑で適当に書きなぐっただけのような印象を受けます。
そして、白石隆浩の中学時代の同級生の母親が以下の証言をしています。
卒業文集の彼の作文を読んだら、部活のことばかり書いてあって、そうか、部活を頑張っていた子なのかと一瞬、思っちゃったんですけど、野球部の集合写真にも陸上部の集合写真にも彼の姿がないんですよ
別の近所の主婦の証言によれば、白石隆浩はどうやら部活にはほとんど顔を出さない「幽霊部員」だったのだそうです。つまり、白石隆浩は卒業文集に堂々と嘘を書いていた可能性が浮かび上がります。
なお、中学時代の同級生達からは、当時の白石隆浩の印象について「根暗っぽくはないが、目立つわけでもなかった」「優しくていい人だった」「地味だけど友達とも楽しそうにしてた」といった証言が出ているようです。
白石隆浩の生い立ち③ 高校時代
白石隆浩は中学卒業後、横浜市内の県立高校へと進学しています。
白石隆浩が通っていた高校は「神奈川県立商工高等学校」だと言われています。これは当初、白石隆浩の高校の同級生を名乗る人物からのリークにより出てきた情報です。
その後、テレビで報道された白石隆浩の出身校だという高校の外観(モザイクがかけられていた)とこの「神奈川県立商工高等学校」の外観が一致して見える事などから、間違い無いのではないか?という声が出ました。
その後、週刊新潮が白石隆浩の生い立ちについての特集記事を掲載、その記事にも「神奈川県立商工高校」に進学したとあるので、ほぼ確定的な情報だと言っても良さそうです。
高校時代の同級生の証言
高校時代の同級生の印象によれば、当時の白石隆浩は「勉強も運動も平均的、取り立てて目立つ存在ではなかった」という事でした。
また、この同級生によれば白石隆浩が入ったのはこの高校の「国際経済科」で、1年生の頃は真面目だったものの、2年生になった頃からサボり始め、週に1度は学校に来ない日があったそうです。
授業中も居眠りしている事が多く、いつもダルそうにしていたと言います。また、高校での白石隆浩は柔道部に入ったものの1年でやめ、2年生の頃からアルバイトに精を出し始めたそうです。
白石隆浩はスーパーやホームセンターなどで週に3日〜5日もバイトを入れ、せっせと金を貯めていたと言います。同級生が何故そんなに金を貯めるのかと聞くと白石隆浩は「実家を出て一人暮らしをしたいからそのための金を貯めている」と答えたそうです。
高校時代に家庭が崩壊、練炭自殺未遂も
白石隆浩はある日、高校の友人に「実は練炭自殺をしようとしたけど失敗した」と話した事があったそうです。それによれば、インターネットの自殺サイトで自殺志願者複数人で集まり、実行する寸前まで行ったそうなのですが、1人が直前で怖くなったため、結局中止になってしまったのだそうです。
白石隆浩はこの自殺未遂の話を、その同級生に淡々と話したといいます。
ちょうどこの少し後に、白石隆浩の両親の関係が悪化し、白石隆浩の妹が大学に進学して一人暮らしするのを世話するためという理由を建前にして母親が実家から出て行き、その後離婚したと報じられています。
家族の不和が白石隆浩の自殺未遂に関係しているのかは不明ですが、この時、自殺サイトを利用していたというエピソードは、その後の「座間9遺体事件」に関係しているように感じます。
大手芸能養成所に通っていた
白石隆浩は高校時代、芸能界に興味を持ち、ある大手の芸能妖精学校に通っていたそうです。
日テレで放送された連ドラのエキストラのオーディションに合格し、後ろ姿だけとはいえ出演した事もあったそうです。この事を白石隆浩は「何千人の中から選ばれた」と嬉しそうに同級生に自慢していたといいます。
北海道へ一人旅・水樹奈々似の女性とホテルへ
また、高校2年か3年の頃、白石隆浩は冬休みを利用して北海道へと1人旅に行っていたようです。
その時、旅の途中で知り合った声優の水樹奈々似の29歳の女性と知り合ってホテルで関係を持ったと同級生に自慢していたそうです。同級生は写真も見せられたそうで「確かに水樹奈々に似ていた」と証言しています。
高校時代に恋愛がらみの事を白石隆浩から聞いたのはこのエピソードだけという事でした。
白石隆浩の生い立ち④ 社会に出るも職を転々とする
2009年3月で高校を卒業した白石隆浩は、大学へは進学せずに、高校生時代からアルバイトしていたという、地元の大手スーパーに就職しています。この頃に実家から出て、1人暮らしを始めたようです。スーパーには2年3ヶ月正社員として勤め、トラブルなどもなかったようですが、2011年10月頃「自己都合」で退職しています。
その後は、神奈川県横浜市の電子機器販売会社や情報通信系の会社、など職を転々とするものの、いずれも長続きせず、数ヶ月から半年ほどで退職しています。24歳頃からは神奈川県海老名市内のパチンコ店でアルバイトをするなどしたようです。
また、一時は派遣会社に登録し、食品加工工場で働く事が決まりましたが、入社してわずか2日で無断で退職するなどしています。
白石隆浩の生い立ち⑤ 歌舞伎町のスカウトマンとして働き始める
白石隆浩は24歳の頃に横浜市内のパチンコ店でアルバイトをしていた事は既に触れましたが、この時に半グレ集団の男と知り合い、その紹介で新宿歌舞伎町の水商売で働く女性をスカウトする仕事を紹介され、スカウトマンとして働き始めます。
白石隆浩がスカウトマンとして働き始めたのは2012年8月頃とされています。
スカウト時代の仲間によれば、スカウトとしての腕は評価されていたそうです。SNSなどを駆使して女の子を探し、優しくマメに返信する事で良い成績を上げていたといいます。
ただ、路上での水商売系やAV女優へのスカウト行為は法律に違反するため、白石隆浩は同じ場所にじっとできずに、すぐに場所を変えていたため「気が小さかった」とも評されています。
職業安定法違反で逮捕される
白石隆浩はスカウトマンとしてかなり長く働いています。しかしある頃から、白石隆浩に約束を守らず女の子から金を騙し取る「悪徳スカウト」といった噂が流れるようになります。
そして2017年2月、売春に関わった嫌疑により、職業安定法違反の疑いで茨城県警によって逮捕されています。
起訴されますが執行猶予判決となりすぐに社会復帰していますが、これをきっかけに警察にマークされるようになり、スカウトマンは続けられなくなったようです。
白石隆浩の生い立ち⑥ 座間のアパートへ引っ越し犯行に及ぶ
スカウトマンを続けるのが難しくなった白石隆浩は、それまで住んでいた東京池袋のマンションを引き払い、神奈川県座間市の実家へと戻ります。
配送会社で派遣作業員として働く
2017年3月〜5月にかけては、派遣社員として配送会社の倉庫作業員として働いていたとの情報も出ています。この時の同僚の女性は白石隆浩について以下の印象を語っています。
実年齢より若く見えました。礼儀正しく、挨拶ができ、物腰の柔らかい好青年でした。仕事をすぐ覚え、テキパキと働いていました。長く勤めていたら、もっといろんなことができただろうなと思ったほどです。口数は少なく、誰かと親しくすることはありませんでした。
事件現場となる座間市のアパートに入居
2017年8月22日、実家から歩いて30分ほどの座間市のアパートへと引っ越して再び1人暮らしを始めます。このアパートこそが後に「座間9遺体事件」の現場となるアパートです。
ちなみにこのアパートのオーナーは有名プロボクサーの井上尚弥の父の井上真吾さんである事が判明しています。真吾さんは事件後に「困惑している」というコメントを出しています。
ターゲット女性をTwitterで探し始める
出典:https://www.news-postseven.com
時系列は前後しますが、職業安定法で逮捕された直後の2017年3月に、白石隆浩はTwitterを利用して、自殺願望を持つ女性達と交流するようになります。
また、この頃にインターネットを利用して自殺するための知識などを学び始め、その知識を利用して自殺願望を持つ女性の気を引いていたようです。
1人目を金目当てで殺害
「座間9遺体事件」の現場となったアパートを借りるには、口座に一定の金額がある事を示す必要がありました。
その金額を用意するために白石隆浩は、その後1人目の被害者となる当時21歳の女性に51万円を口座に振り込ませています。
そして、白石隆浩はこの女性に振り込ませた51万円の返済を免れたいという理由で殺害を思い立ち、入居翌日の8月23日、アパート内で性的な暴行を加えた後にロープを使って首を絞めて殺害します。
殺すことを考え始めたのは8月18日でした。知り合ってから彼女がけっこうな額の貯金をしていることを知り、僕はそのカネが欲しくなった。『カネが無いから不動産屋の審査が通らない』と彼女に話し、約50万円を借りたんです。おかげでアパートの審査は通ったんですが、借りた50万円は返したくないと思った。それが8月18日の話。どうすれば返さずに済むかと考え、彼女を殺すことにしたんです
2人目以降は性欲を満たすために殺害
この女性を殺害した後、白石隆浩は遺体に性的暴行を加えた事も明かしています。さらに、この時の経験が思っている以上に快感だったとし、それが2人目以降を殺害する動機になったとも言っています。
性欲が溜(た)まっていたのもあり、首を絞めて殺害した後、A子さんをレイプしました。すると思った以上に快感を覚えた。それからレイプ物のAVや、女性を昏睡させたり縛ったりする作品にハマりました。二人目以降は、カネを持っていようがいまいが関係なく、昏睡させてレイプすること自体が目的に変わりました
その後、白石隆浩はおよそ1週間に1人というペースで次々と被害者を殺害、2017年8月23日〜2017年10月23日にかけて、合計で9人の人間を殺害しました。
殺害方法は全てロープで首を絞めるというもので、女性被害者全員に性的暴行を加えています。その後遺体を損壊し、遺体の一部はアパート内で収納ボックスやクーラーボックスに入れて保管していました。
そして、冒頭でも紹介したように10月31日、9人目の被害者の兄が白石隆浩を突き止めた事をきっかけにして逮捕され、犯行は終わりを告げます。白石隆浩はその後、東京・立川拘置所に拘置され、現在は初公判を待っている状況です。
白石隆浩の家族① 父親
続いては、白石隆浩の家族について見ていきたいと思います。まずは白石隆浩の父親について見ていきます。
自宅で自動車部品を設計する仕事をしていた
白石隆浩の父親は、自営業者でパソコンを使って自動車の部品を設計する仕事をしていました。近隣住人の話によれば、社交的な人物だったようで顔を合わせると「良い陽気ですね」など、明るく挨拶してくれる好人物だったそうです。
2階のベランダで洗濯物を干す姿も頻繁に目撃されており、家事なども積極的に受け持っていたようです。近隣の住人が家で仕事をしているのかと尋ねると「外のオフィスを借りてもいいけど、自宅でできるから」と答えたとの証言も出ています。
白石隆浩との関係は良好だった
この父親と白石隆浩との関係は良好だったようです。白石隆浩が東京に出てスカウトマンをしていた頃も、よく実家に帰っていたそうで、そんな時は父親は「息子と飲みに行くんです」「彼女が出来たんですよ」など、近所の住人に嬉しそうに話していたと言います。
被災地でボランティア活動も
白石隆浩の父親は、東日本大震災の直後に、深刻な被害を受けた福島にオートバイで駆けつけ、ボランティア活動も行なっていたそうです。
近所の住人が「放射能は大丈夫?」と心配して声をかけると、父親は「マスクや防護服があるから心配いらないよ」と答えていたのだそうです。
こうしたエピソードからは、白石隆浩の父親がかなりの好人物であった事が伺えます。まさか息子が社会を揺るがす猟奇事件を起こすとは思っても見なかったでしょう。その心情を考えると胸が痛みます。
白石隆浩の語る父親
白石隆浩は、週刊誌記者から受けたインタビューで父親についてコメントしています。
父親は、仕事が恐ろしく忙しく、家族がお金に困ったということはなかったが、仕事を頑張りすぎて、いつも疲れ切っていました。お金と仕事に対する熱量と収入のバランスがとれていなかったので、もっと楽な、ストレスのない仕事をすればいいのにと思っていました。
白石隆浩は、日々忙しく働く父親を見て「もっと楽な仕事をすればいいのに」と冷めた目で見つめていたようです。
白石隆浩は「座間9人遺体事件」の動機の1つとして「働かずに楽に暮らしたかったから、殺して金を奪った」といった供述をしています。一生懸命に働くという価値観を否定するところがあったのかも知れません。
自宅からは姿を消している
白石隆浩の父親は、「座間9人事件」発生後、ほどなくしてこの自宅から姿を消しています。実家の場所が判明している以上、とてもではありませんが事件後にそこに住み続ける事は不可能でしょう。
現在はどこかで静かに暮らされているのでしょうか?
白石隆浩の家族② 母親
続いては、白石隆浩の母親についても見ていきます。白石隆浩の母親は、好人物という評価を受ける父親とは対照的に「無愛想な人」という印象を周辺住人から持たれていたようです。
道であっても挨拶すらしない事もあったそうで、あまり評判は良くなかったようです。
白石隆浩が20歳前後の頃に両親は離婚
この母親は2010年頃、白石隆浩の妹が都内の有名私立大学に進学を決めて近くに引っ越しをするので、その世話をするという理由で家を出ています。
ただ、近隣住人によれば「妹は一人暮らしのできない年齢でもないし、実家から通えない程遠い距離の大学ではない」ため、妹の世話をするためというのは名目に過ぎず、本当は夫婦仲が上手くいっていないため別居したのではないか?との噂が当時から流れていたようです。
結局、その噂は真実となり、白石隆浩の両親はほどなくして離婚しているようです。
この母親もまた、「座間9人遺体事件」が発覚してから数日後に、住んでいた自宅から姿を消したそうです。
白石隆浩の語る母親
白石隆浩は、母親についても週刊誌の取材に答えています。
母親はきれいで料理がうまくて非の打ち所がない完璧な人。自分が19才のときに、パチスロにハマって多額のお金をせびったことで断絶してしまった。1回3万~5万円くらいで、結果として40万~50万円くらい借りがあります。
白石隆浩が母親を女性として見ていたニュアンスが感じられるコメントです。そして、母親が家を出たのは父親との不和ではなく、白石隆浩に原因があった事も匂わせています。
妹を連れて出ているという事を考えると、この頃から母親が白石隆浩を危険視していた可能性も想像されます。ある週刊誌は母親と妹は「逃げるように家を出た」と表現しています。白石隆浩と家族の関係には、まだ明らかになっていない「何か」があるのかも知れません。
白石隆浩の家族③ 兄弟(妹)
白石隆浩の兄弟は1歳〜3歳年下と見られる妹が1人います。幼少期には2人で仲良く遊んでいる姿が近隣住人に目撃されていますが、思春期に入ってからの仲の良さは不明です。
妹は、学生時代からパソコンの知識が豊富で、学校ではそれに関連した表彰を受けた事もあるそうです。学業も優秀で高校卒業後は都内の有名私立大学へ進学し現在は既に卒業していると言われています。
白石隆浩の妹は、その後、結婚して既に子供もいるという情報が出ていますが、これらの情報は白石隆浩の実家周辺の住人の噂話が出どころなので、どこまでが本当の情報かはわかりません。
白石隆浩の語る妹
白石隆浩は妹については「妹は、優しくて、頭もよくて気も使える人」だとコメントしています。
白石隆浩は週刊誌の取材で「事件で父や妹にも迷惑をかけてしまった」と反省するような発言をしています。
一方で、被害者達に対してはいまだに悪い事をしたという気持ちは持っていないようです。白石隆浩の歪な心が見えてきます。
白石隆浩の現在~裁判で死刑判決
白石隆浩は現在、東京・立川拘置所に拘置されています。
拘留されてから、白石隆浩の元には、週刊誌や新聞社、ノンフィクション作家、テレビ局など、あらゆるメディアからひっきりなしに取材の依頼が入り、そうしたメディア関係者からの手紙もひっきりなしに届けられていたようです。
白石隆浩はこうした面会に積極的に応じている様子ですが、事件の核心についてはお金を支払われないと一切話さなかったようです。
面会したメディア関係者からの情報によれば、現在の白石隆浩は口髭を生やし、髪を胸のあたりまで伸びているそうです。
また、白石隆浩の裁判が始まる前までは、受刑者ではないため、拘置所の中ではかなり自由があるはずです。白石隆浩曰く、毎日かなり暇なので、読者や筋トレ、写経などをして時間を潰していたのだそうです。
その後、2020年9月30日に東京地裁立川支部で白石隆浩の裁判員裁判初公判が開かれました。そして、2020年12月15日に判決公判が開かれ、東京地裁立川支部は「犯行時、白石隆浩は完全な刑事責任能力を有していた。SNSの利用が当たり前となっている社会に大きな衝撃や不安感を与えた犯罪史上まれに見る悪質な犯行だ」と認定し、求刑通り死刑判決を言い渡しました。
まとめ
そのあまりの猟奇性から社会を震撼させた「座間9遺体事件」の犯人・白石隆浩についてまとめて見ました。
白石隆浩は2017年8月から10月のわずか2ヶ月の間に、Twitterを駆使して自殺願望のある女性8人とその中の1人の知人男性1人の合計9人の人間をロープで首を絞めて殺害、遺体をバラバラにしてその一部をアパート内で保管していました。
今回は、その異常な犯行に至るまでの生い立ちを中心にまとめましたが、そこからは、幼少の頃から周囲を冷たく見つめ、裏と表の両面の顔を使い分ける不気味な人格が浮かび上がってきました。
現在、白石隆浩は拘置所に拘置されており、裁判では死刑判決が下されました。非常に残忍な事件なので死刑判決は妥当でしょう。