1975年に大阪府寝屋川市で起きた「寝屋川夫婦殺害事件」では、被害者が殺害された経緯や殺害方法がむごすぎると話題です。
今回は寝屋川夫婦殺害事件の詳細、犯人の渡辺健一や被害者夫婦の関係、死刑判決と最後の言葉をまとめました。
この記事の目次
寝屋川夫婦殺害事件の概要
寝屋川夫婦殺害事件
発生日時:1975年8月23日
発生場所:大阪府寝屋川市三井が丘4丁目9-79
被害者:沢田心平さん、沢田美智子さん
犯人:渡辺健一
罪状:強盗殺人
判決:死刑
寝屋川夫婦殺害事件とは、1975年8月23日に起こった強盗殺人事件です。
タクシーに家のカギを忘れたことがきっかけで、タクシー運転手が強盗目的でそのカギを使って部屋に侵入し、夫婦2人を斧で殺害しました。
寝屋川夫婦殺害事件では、夫婦2人の殺害方法があまりにも残忍だったこと、事件のきっかけが日常的に起こりうる「タクシー内に忘れ物」だったことから、日本中に衝撃を与えました。
寝屋川夫婦殺害事件の詳細
家主がタクシーに鍵を忘れた
犯人の渡辺健一は、大阪でタクシー運転手として働いていました。
ある日客を乗せたら、その客が財布と家のカギをタクシーの中に忘れてしまったのです。
渡辺健一はそのカギの家の場所(寝屋川市三井が丘4-9-79)が4階建ての団地の中にある一室であることを突き止めました。
また、その部屋には5人家族が住んでいて、中学生と高校生の息子がいることも調べました。
しかし、今後何かに使えるかもしれないという悪だくみがあり、部屋のカギはその家主には返しませんでした。
犯人の渡辺健一が強盗に押し入る
渡辺健一はすぐにはそのカギを使うことはありませんでした。
しかしその後、渡辺健一はまとまったお金が必要になり、あの忘れ物のカギの存在を思い出してその家に強盗に入ることを決意しました。
以前の調べでは、家主(カギを落とした人物)のほかに、中学生と高校生の男子がいることがわかっていましたので、男性3人を制圧するために武器として斧を用意します。
事件当日である1975年8月23日は、天気は大荒れで嵐のような夜でした。8月23日の未明に渡辺健一はカギを使って、強盗に押し入ったのです。
妻を拷問して物色し逃走
カギを落とした家主の家族は、転勤のためにその部屋をすでに引っ越していました。しかし、分譲アパートだったために、転勤期間の2年間の約束で新婚夫婦に部屋を貸していました。
そのため、犯人の渡辺健一が忍びこんだ部屋には事前に調べていた5人家族ではなく、新婚夫婦が住んでいたのです。
犯人はまずは夫を襲い、腰や背中などを切りつけて動けない状態にしました。そして、次は妻を襲います。
妻の喉のあたりを切りつけた後、お金のありかを聞き出すために、足首や指などを斧で切断して、拷問しています。
さらに、妻をレイプしようとしましたが、大量の出血があったために滑ってしまい、レイプは諦めて、性的ないたずらをしています。
そして、持っていたカギを使って家のカギを締めて逃走しました。
カギの存在から犯人が浮かび上がる
妻は犯人が逃走した後に、最後の力を振り絞って、「こちらは、三井ヶ丘団地の沢田ですが、人殺しです、人殺しです、助けて下さい。」と110番通報をしました。
110番通報後、玄関はカギがかかっていたため、隣の部屋からベランダを伝って、警官が現場の部屋に駆け付けます。
しかし、警察が到着したときには出血多量で妻は死亡していました。
夫の方はまだ息があり、警官に「暗くてよくわからなかったが、1人の男にやられた」と証言しましたが、その後に意識不明になり、すぐに病院に救急搬送されましたが、翌日死亡しました。
警察は殺人事件として捜査しますが、自宅が密室でベランダや窓に犯人が侵入した痕跡はなかったこともあり、犯人はなかなか浮かび上がってきませんでした。
警察はカギに目を付けました。その部屋のオリジナルのカギは3つありました。
夫婦が1人ずつ持っていたカギは部屋の中から見つかり、さらに妻の母親が1つ保管したカギもきちんと手元にありましたので、犯人が持ち去って玄関に鍵をかけたわけではありません。
しかし、警察がそのオリジナルのカギを詳しく調べたところ、妻の母親が持っていたカギは、実はオリジナルではなくスペアキーであることが判明します。
そこで、その家のもともとの持ち主(タクシーに鍵を忘れた男性)に話を聞くことになりました。
そうすると、以前にタクシーの中に鍵を忘れて紛失していたことが明らかになったのです。
そして家主の男性の証言で、そのタクシーに乗った日時や乗車・降車場所、タクシー会社などが明らかになり、タクシー会社の勤務記録から渡辺健一が容疑者として浮かび上がりました。
カード詐欺で逮捕され自供
渡辺健一は警察の取り調べには白を切っていましたが、1975年12月7日に渡辺健一のクレジットカードの不正使用が判明したため、遺失物横領と詐欺容疑で別件逮捕されました。
そして、その取り調べ中に夫婦2人を殺害したことを供述し、詐欺・住居侵入・強盗殺人・遺失物横領・窃盗容疑で再逮捕されることになりました。
寝屋川夫婦殺害事件の被害者は新婚夫婦だった
寝屋川夫婦殺害事件の被害者は新婚夫婦でした。
・沢田美智子さん(22歳)
被害者Aの死因が鼻背部割創に基づく肺浮腫及び頭部割創に基づく脳挫傷による窒息死であること
寝屋川夫婦殺害事件の犯人は渡辺健一
出典:matome.eternalcollegest.com
寝屋川夫婦殺害事件の犯人は渡辺健一です。渡辺は事件当時38歳で、前科がありましたが、タクシー運転手として働いていました。
ただ、事件前に失業保険の不正受給がばれて32万円を返済する必要が出てきました。
さらに、同時期に愛人に「住んでいるマンションの治安が悪いから引っ越したい」と泣きつかれて、まとまったお金が必要になったんです。
そんなときに、以前のタクシー内にあったカギの忘れ物を思い出し、強盗殺人を計画しました。
斧を持っていた時点で、ただお金を盗もうとしたのではなく、最初から殺人を考えていたと思われます。
寝屋川夫婦殺害事件は、犯人がカギを持っていたために簡単に侵入されてしまいました。そして、犯人は逮捕された後に次のようにつぶやいたそうです。
「チェーンが掛かっていたら諦めたのに、被害者も悪い・・・」
開いた口が塞がらないほどのひどい供述ですよね。相手に責任転嫁をするなんて、あまりにもひどいですし、被害者遺族は犯人に対して怒りが沸くどころの話ではないと思います。
ただ、犯人は斧を用意していました。斧だったらチェーンを切断することも可能ですから、例え
チェーンがかかっていたとしても、室内に侵入しようとしていたはずです。
不正受給した32万円と愛人の引っ越し費用のために、若い新婚夫婦は斧で惨殺され、さらに妻は足首や指を切断され、性的いたずらをされるという拷問までされてしまったのです。
寝屋川夫婦殺害事件の犯人・渡辺健一の判決は死刑
寝屋川夫婦殺害事件の犯人の渡辺健一は、1975年12月7日にクレジットカードの不正利用で別件逮捕され、1976年1月17日に犯行を自供しています。
裁判では、弁護側は渡辺健一は大量飲酒による心神喪失状態で、さらに夫の沢田心平さんが死亡したのは搬送された病院の輸血ミスが原因と主張し、情状酌量を求めました。
しかし、1977年9月6日に第一審で死刑判決が言い渡されました。
さらに1978年3月31日の第二審でも被告側控訴棄却で死刑判決が支持され、1980年11月6日に最高裁で被告側上告が棄却されて死刑が確定しています。
裁判では犯人は完全に責任能力を有し、さらに被害者の沢田心平さんは輸血ミスではなく、斧で切りつけられたことが原因の肺浮腫+脳挫傷による窒息死と認定されました。
1983年の永山基準では、「一般的には被害者数が1人なら無期懲役以下、3人なら死刑。2人がボーダーライン」と示されましたが、この寝屋川夫婦殺害事件では殺害されたのは2人です。
つまりボーダーラインだったと言えます。
ただ、この渡辺健一の犯行は被害者の指を切り落とすなど犯行が悪質なものでした。
さらにただの殺人ではなく、より悪質な「強盗殺人」ですので、第一審での死刑判決が支持され、控訴棄却・上告棄却となり、死刑判決が確定したと思われます。
寝屋川夫婦殺害事件の犯人・渡辺健一の最後の言葉
寝屋川夫婦殺害事件の犯人の渡辺健一は、1980年に死刑が確定しました。そして、1988年6月16日に大阪拘置所で死刑が執行されました。
犯人の渡辺健一の最後の言葉はこちらです。
「・・・ウソやろ!・・・・・かなわんなあ・・・」
実はこの日、徳島母子殺害事件の犯人の死刑が執行されました。そのため、渡辺健一は「今日の死刑執行はない」と踏んでいたようです。
この日どころか、「今日死刑が執行されたから、この後は当分死刑執行はないはず」とも考えていたのでしょう。
それなのに、自分の名前が呼ばれたため、「ウソやろ!かなわんなあ」とぼやきながら、死刑台に向かったと言われています。
寝屋川夫婦殺害事件のまとめ
寝屋川夫婦殺害事件の詳細、被害者夫婦と犯人・渡辺健一の情報、死刑判決と最後の言葉などをまとめました。
寝屋川夫婦殺害事件の被害者は、本当に不運だったとしか言いようがありません。
何も悪いことをしていないのに、前の住人がカギを落としてしまったから殺害されてしまいました。
犯人の言うように、チェーンがかかっていたら結末が本当に変わっていたかははなはだ疑問ではありますが、防犯意識は高く持っていなければいけませんね。