「虹色の湖」をヒットさせた歌手・中村晃子さんですが、大竹しのぶさんに婚約者だった服部晴治を略奪されたスキャンダルで日本中を賑わせました。
今回は中村晃子さんの家族や若い頃の活動、スキャンダルや結婚歴、現在を紹介します。
この記事の目次
- 中村晃子のプロフィール
- 中村晃子の若い頃の経歴① 生い立ちと家族
- 中村晃子の若い頃の経歴② 高校時代に出場したコンテストでスカウト
- 中村晃子の若い頃の経歴③ 田村正和とセットで売り出された時期も
- 中村晃子の若い頃の経歴④ 虹色の湖が大ヒット
- 中村晃子の若い頃の経歴⑤ 夜のヒットスタジオで大泣き2回
- 中村晃子の若い頃の経歴⑥ 紅白歌合戦になかなか出演できなかった・・・
- 中村晃子の若い頃の経歴⑦ 女優としても演技力が高く評価される
- 中村晃子の若い頃の経歴⑧ 映画の吹き替え声優としても活躍
- 中村晃子は婚約者・服部晴治を大竹しのぶに略奪されていた
- 中村晃子が婚約者・服部晴治の浮気を知ったきっかけ
- 中村晃子の現在① 芸能界を引退した?
- 中村晃子の現在② 弟の家族と豪邸に住んでいる
- 中村晃子の現在③ 結婚は諦めていない?
- まとめ
中村晃子のプロフィール
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中村 晃子(なかむら あきこ)
愛称: アッコ
生年月日: 1945年1月3日
出身地: 千葉県習志野市
血液型: O型
身長: 162cm
中村晃子さんは、1962年に銀幕デビューを飾り、松竹の一押し女優として芸能界入り。
歌手としても活動し、1968年にリリースした「虹色の湖」が大ヒットとなり、紅白歌合戦にも出場しました。
その後もリリースした楽曲がヒットを飛ばし、歌謡界のアイドルとして君臨します。
また、写真集を出版したり、吹き替え声優として人気作品も担当するなど、幅広い活動を行ってきました。
プライベートでは、婚約者の男性を大竹しのぶさんと奪い合うというスキャンダルが連日メディアを賑わせたことも。
大竹しのぶさんとの関係については、後の章で詳しく紹介します。
中村晃子の若い頃の経歴① 生い立ちと家族
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中村晃子さんは千葉県習志野市出身で、兄1人、弟1人の3人兄弟の真ん中として誕生しました。
警察官だった父親は、中村晃子さんの芸能界入りを反対していたそうです。
一方、母親は昔、海外で名を挙げたオペラ歌手・三浦環(みうらたまき)の門下生で、レコードも出していたオペラ歌手でした。ただ、戦争が起きたことで歌手活動は停止していました。
父親の意向もあり、母親も最初は芸能界入りに反対でしたが、中村晃子さんの歌手デビューが決まると、母親は芸能活動を陰でサポートしながら、歌のアドバイスもしてくれたそうです。
今でも中村晃子さんの自宅には、母親が生前使っていたピアノが保存されています。
中村晃子の若い頃の経歴② 高校時代に出場したコンテストでスカウト
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若い頃の中村晃子
中村晃子さんの芸能界入りのきっかけは、まだ高校在学中だった1962年に開催された「ミス・エールフランスコンテスト」に応募したことにあります。
コンテスト自体には落ちてしまったものの、最終審査に残ったことで芸能関係者の目に留まり、松竹大船撮影所からオファーが来て、撮影所の奨学生制度を使って銀幕デビュー。
1964年5月に松竹と正式に契約を結び、晴れて正式な所属女優になりました。
中村晃子の若い頃の経歴③ 田村正和とセットで売り出された時期も
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若い頃の田村正和と中村晃子のツーショット
その後の中村晃子さんは、松竹のネクストフューチャー枠として、まだ駆け出しだった田村正和さんとセットで売り出されることに。
実際、中村晃子さんは田村正和さんとコンビで映画「俺たちの恋」、「雨の中の2人」、「空いっぱいの涙」などの作品にメインキャストとして出演しています。
しかし、当時売れていたのは個性派の作品で、2人が出演した典型的なラブストーリー作品は全くと言っていいほど売れず、松竹の関係者は青息吐息だったそう。
後年、これらの作品について、「田村正和さんの良さを活かせてない」という評価が下されています。
1960年代後半から歌姫として日本の歌謡界を牽引していた中村晃子さんですが、実はデビューしてから暫くの期間、全く売れずに燻っていた時期があったんですね。
中村晃子の若い頃の経歴④ 虹色の湖が大ヒット
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中村晃子さんは1965年に歌手デビューします。
しかし、当時の日本は欧米でヒットしていた「ビートルズ」や「ローリングストーンズ」の流行から、「グループサウンズ」と呼ばれるグループでのロックバンドが席巻し始めていました。
そのため、中村晃子さんのレコードは売れ行きが芳しくなく、周囲の期待とは裏腹に、ヒット曲にはなかなか巡り合えませんでした。
そんな中村晃子さんが、鳴かず飛ばずの生活に終止符を打ったのは、1967年10月10日にリリースした7枚目のシングル「虹色の湖」がきっかけでした。
「虹色の湖」は、イントロから重厚なドラムとキレのあるベース、エレキギターを利かせた曲調というグループサウンズを意識した作曲と編曲。
そして、中村晃子さんの歌唱力の高さも相まって、J-POPに新たな風を吹き込んだのです。
「虹色の湖」は「一人GS(グループサウンズ)」とカテゴライズされ、1960年代後半以降、次々に女性シンガーが追随することになりました。
その後の1968年にリリースした「砂の十字架」もヒットとなり、中村晃子さんはNHK紅白歌合戦に初出場を果たしています。
虹色の湖が後の音楽界に与えた影響とは?
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「虹色の湖」は80万枚の売上を記録し、中村晃子さんの最大のヒット曲として知られています。
音楽界に与えた影響も大きく、楽曲タイトルの「虹」や「湖」という言葉は、その後の1人GSにおいて注目のキーワードに。
例えば、山本リンダさんの「白鳥の湖」、涼川真理さんの「湖に眠る恋」、浅尾千亜希さんの「湖は少女」などがリリースされるなど、楽曲タイトルに「湖」を付けることが流行りました。
中村晃子の若い頃の経歴⑤ 夜のヒットスタジオで大泣き2回
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フジテレビの人気長寿番組として知られる「夜のヒットスタジオ」は、生放送の音楽番組で、様々なアクシデントも有名です。
中村晃子さんも番組で大泣きするというアクシデントを起こし、結果的に不動の地位を築くことに繋がったと言われています。
当時のエピソードについて紹介します。
夜のヒットスタジオで号泣
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現在の音楽のプロモーションと言えば、ツイッターやインスタなど様々なネットやSNSツールが使われますが、中村晃子さんがブレイクした頃はテレビの音楽番組がメインでした。
当時、フジテレビの「夜のヒットスタジオ」は社会現象になるくらいヒットした音楽番組で、出演することこそが歌手のステータスであり、宣伝効果も抜群にありました。
中村晃子さんは出演した際、番組内の企画の1つだったコーナー「コンピューターの恋人選び」に挑戦します。
すると、コンピューターがマッチングした中村晃子さんのお似合いの恋人は・・・番組司会を務める前田武彦さんでした。
出演:https://order.mandarake.co.jp/
この結果を聞いた中村晃子さんは、気が動転したのでしょう。新曲の「涙の森の物語」を盛大に泣きながら歌うことに。
夜のヒットスタジオは生放送で撮り直しもできず、前田武彦さんはオロオロと中村晃子さんの涙を拭い、どうにか場を持たせていたことが現在でも語り継がれています。
「泣きの夜ヒット」と呼ばれて
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中村晃子さんの泣きながらの歌唱が放映されると、お茶の間は大いにざわついたのですが、実は出演歌手が泣いてしまったのは、これだけでは終わりませんでした。
別の回では、歌手のいしだあゆみさんの恋人候補を森進一さん、とコンピューターがはじき出します。
当時のいしだあゆみさんは、森進一さんのことを憎からず思っていたそうですが、急に名前が出たことで気持ちに整理がつかず、歌が始まるとハラハラと泣き始めてしまいました。
この時、何を思って涙を流したのかは言及されていませんが、この頃から番組には「泣きの夜ヒット」という異名が付き始めました。
さらにその後、再びゲスト出演した中村晃子さんは、一緒に出演していた親友の小川知子さんが歌っている最中に突然泣き始めてしまいます。
実は、小川知子さんは当時、レーサーだった彼氏を事故で亡くしたばかりだったそうです。
そのため、親友のピンチに助けに入ろうと前に出て一緒に歌おうとした中村晃子さんでしたが、小川知子さんが周囲を憚らず号泣しながら歌う姿に、もらい泣き。
やがて涙はスタジオ全体に波及し、あちらこちらで涙を流す出演者達がカメラに映されるという、一種異様な光景が広がりました。
結果的に夜のヒットスタジオは、「何が起こるか分からない泣きの夜ヒット」とますます注目を集め、なんと20年以上も続く人気番組となったのです。
中村晃子の若い頃の経歴⑥ 紅白歌合戦になかなか出演できなかった・・・
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歌手として大成した中村晃子さんですが、念願の紅白に出場するまでには乗り越えななくてはいけない高い壁があったといいます。
ここでは、2017年にインタビューで明かした、紅白歌合戦への出演エピソードを紹介します。
出禁をくらっていた
歌手デビューした1965年から、中村晃子さんのことを事務所がテレビ局に売り込みをかけていましたが、NHKだけはどうしても首を縦に振ってくれなかったといいます。
当時のNHKは身だしなみに厳しく、売れているのに「ファッションに難あり」と紅白歌合戦への出演を断られてしまうアーティストが少なくなかったのです。
1960年代後半はグループサウンズ全盛期だったにも関わらず、「ザ・タイガース」、「ザ・テンプクターズ」も、「男なのに髪の毛が長いから」という理由で出場を断られていました。
中村晃子さんは、ヘソ出しのファッションで歌番組に出演していたことから、NHKが難色を示し、実質出禁状態だったのです。
前例があったのでNHKは警戒していた
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ヘソ出しで紅白に出場した山本リンダ
NHKがこうも頑なに中村晃子さんの出演を拒んでいたのは、前年の1967年の紅白初出場で物議を呼んだ、元祖ヘソ出しファッションの山本リンダさんにありました。
1966年にリリースしたシングル「困っちゃうナ」の爆発的なヒットで一躍国民的な歌姫になった山本リンダさんは、これまで前例のないヘソ出しファッションで歌うスタイルでした。
紅白歌合戦出場の際は、NHKから「ヘソ出しをしないように」と釘を刺され、渋々ながらも承知したといいます。
当日のリハーサルでは、衣装のブラウスを下でゆるく結び、踊りも控えめにするなどヘソが見えないようにし、本番ではリボンがほどけるほど激しくダンスをして、ヘソ出しに成功します。
当時は放送事故として問題になったそうで、これに懲りたNHKはますますセクシー路線の中村晃子さんの出場を渋っていたようです。
どうにか出場して親孝行を果たす
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中村晃子さんは女優からスタートしたので、個人的にはそこまで紅白歌合戦への執着はなかったようです。
しかし、元オペラ歌手の母親は、熱心にレッスンし続けてくれたそうで、1968年に紅白歌合戦への初出場が決まると、それは大変な喜びようだったといいます。
そして当日、会場に応援に駆け付けた両親の前で「虹色の湖」を披露した中村晃子さん。
始まる前は呼吸が苦しくなってしまうなど、かなり緊張していたそうですが、当時のことは今でも強く記憶に焼き付いているといいます。
家族に喜んでもらいたくて頑張る気持ちは、とても素敵ですよね。
中村晃子の若い頃の経歴⑦ 女優としても演技力が高く評価される
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ヒット曲を連発する人気歌手になった中村晃子さんですが、女優としても多くの作品に出演しています。
1982年放送開始の「影の軍団III」での十六夜のお鈴役では、僧侶に扮して単身敵地に乗り込み、命を散らすという役を演じ切り、時代劇もこなす女優として演技力が高く評価されました。
また1987年には、日活ポルノ映画「待ち濡れた女」に主演。大胆なラブシーンを披露し、女優魂を見せつけます。
また、1994年にヘアヌード写真集「FREE HAND」を発売し、絵コンテを自ら手掛けるというこだわりが話題になりました。
中村晃子の若い頃の経歴⑧ 映画の吹き替え声優としても活躍
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映画「天使にラブソングを…」のデロリス
中村晃子さんは、吹き替え声優としても活躍しています。
1976年から1981年にアメリカのABCネットワークで放送された「チャーリーズ・エンジェル」シリーズで、チャーリー探偵事務所に勤務するセクシーな探偵、ジル・マンローを担当。
1993年の大ヒット映画「天使にラブ・ソングを」では、修道院に改革の嵐を巻き起こしたヒロインのデロリスの声として出演しています。
中村晃子は婚約者・服部晴治を大竹しのぶに略奪されていた
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ここからは、中村晃子さんのプライベートについて紹介していきます。
若い頃、婚約者だった服部晴治さんを大竹しのぶさんと奪い合った過去は、芸能界では有名な話です。
まずは、服部晴治さん、大竹しのぶさんのプロフィールを見ていきましょう。
服部晴治はどんな人物?
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中村晃子と婚約中だった服部晴治
中村晃子さんがかつて交際していた服部晴治さんは、かつてTBSの辣腕ディレクターとして勤務していた人物です。
一般人であるため、出身地や出身大学、身長などの基本的なプロフィール情報はほとんど公表されていませんが、2度の離婚歴があるとのこと。
中村晃子さんとどのような馴れ初めがあったのかはがあったのか不明ですが、婚約を交わし同棲中だったと言われています。
その後、中村晃子さんと破局した服部晴治さんは、大竹しのぶさんと結婚し、幸せな家庭を築いていましたが、1987年にがん性腹膜炎を患って47歳の若さで死去しました。
大竹しのぶのプロフィール
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大竹 しのぶ(おおたけ しのぶ)
生年月日: 1957年7月17日
出身地: 東京都江戸川区
血液型: A型
身長: 158cm
大竹しのぶさんは、1973年に放送されたドラマ「ボクは女学生」で北公次さんの相手役オーディションに応募し、女優デビュー。
「憑依系女優」の異名を持つほどの高い演技力で、数々のドラマや映画、舞台に出演し、2011年には紫綬褒章を受賞し、その功績が認められています。
1982年に服部晴治さんと結婚するも、1987年に死別。1988年には、明石家さんまさんと再婚して1992年に離婚を発表しました。
その後は再婚はしていないようです。
中村晃子が婚約者・服部晴治の浮気を知ったきっかけ
張り込みで大竹しのぶとの浮気を確信
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中村晃子さんと服部晴治さんは、婚約を交わし、同棲までしていた仲だったのですが、ある時から服部晴治さんの行動がおかしいと疑問を抱いた中村晃子さん。
売れっ子ディレクターという立場柄、もともと女性関係は華やかだったそうですが、残念ながら、中村晃子さんの女の勘は当たってしまいます。
当初、中村晃子さんは服部晴治さんの浮気相手までは分かりませんでしたが、「きっと女性と現れるに違いない」と、赤坂にあるクラブの前で張り込みをしたそうです。
すると、その予感は的中し、服部晴治さんが大竹しのぶさんと一緒に赤坂のクラブに入っていったといいます。
実はこの時、関係者の送別会があったので、2人きりではなかったのですが、お開きになった後で大竹しのぶさんを自宅まで送り届け、車中でキスを交わしていたそうです。
この当時の大竹しのぶさんは、25歳の新進気鋭の若手女優で、キュートな小悪魔的な魅力から次々に共演する男性が恋に落ちてしまうため、「魔性の女」と呼ばれていました。
ちなみに、服部晴治さんが手がけた1980年10月放送のドラマ「恋人たち」に、大竹しのぶさんも出演したことで2人は知り合い、仲を深めたそうです。
スキャンダルが連日報道される
大竹しのぶさんとの不倫現場を目撃した中村晃子さんは、「強く反対していた母にせっかく了解をとり、婚約までしたのに。服部晴治さんとは別れます」と、周囲の親しい人物に破局を告白。
すると、あっという間に週刊誌やスポーツ新聞が不倫&破局情報をキャッチし、大々的に日本中に報道されました。
芸能リポーターから突撃取材を受けた中村晃子さんは、大竹しのぶさんを「泥棒猫」と罵り、その様子がワイドショーに取り上げられてさらに注目を集めました。
中村晃子の現在① 芸能界を引退した?
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2022年8月現在、中村晃子さんの年齢は77歳になりました。
一般人であれば、70代後半は第2の人生を悠々自適に過ごしている方も多いですが、中村晃子さんも近年はテレビでは見かけず、すでに引退してしまったという噂が浮上しています。
現在はショーがメイン
Wikipediaに掲載されている所属事務所「ベルグコーポレーション」のホームページを確認したところ、すでに中村晃子さんの名前は削除されていました。
シングルは1990年の「だからタンゴで…」が最後、最新アルバムも2017年に発売された「特選・歌カラベスト3 中村晃子」で、新曲をリリースをしている様子はありません。
テレビにも出演している様子はなく、公の場に登場したのは2017年に出版された「アサヒ芸能」のインタビューくらいです。
そのため、「引退してしまったのでは?」と考える人も多いですが、現在は主に地方でのショーをメインに活動しています。
中村晃子さんは「若い頃はへっちゃらだったバス移動も、このトシになるとさすがにこたえる」と語っています。
このインタビューから見ても、あまり頻繁に活動しているわけではなさそうですが、無理せず自身のペースで仕事を受けていると思われます。
中村晃子の現在② 弟の家族と豪邸に住んでいる
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中村晃子さんは、弟の家族と共に千葉県習志野市に住んでいます。
2002年に放送された「ジャスト」の人気企画「ミスターちんの珍邸豪邸お宅訪問」に登場した中村晃子さんの自宅は、敷地は300坪超、建坪は90坪というかなりの広さ。
また、9匹もの犬も飼っていて、自宅にはエレベーターがある豪邸であることが明かされました。
一般家屋にエレベータを設置する場合、300万円~600万円かかり、電気代やメンテナンスなどのランニングコストも必要です。
こういった金額をポンと出せる中村晃子さんには、かなりの資産が手元にあることがうかがえます。
中村晃子の現在③ 結婚は諦めていない?
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煌びやかな芸能界に身を置き、セクシー系の歌手&女優として知られている中村晃子さんですが、2022年現在まで結婚報告はなく、独身であると考えていいでしょう。
恋愛スキャンダルもこれまでほとんどなく、元婚約者の服部晴治さんと大竹しのぶさんの略奪愛以外は、西郷輝彦さんとのドライブデートが報じられた程度です。
一部からは、服部晴治さんに裏切られたことがトラウマになり、結婚することが怖くなったのではないかという意見も聞かれます。
しかし2008年1月に掲載されたインタビューで「結婚はまだ諦めてないわよ。ただ、籍なんてもうどうでもいい。ワタシの心をわしづかみにしてくれる男性と一緒にいたいの」と語りました。
結婚という形式的なことにはこだわらなくても、本当に好きな男性と傍にいるだけで心が安らぐ、ということかもしれませんね。
まとめ
中村晃子さんは、若い頃に女優デビューを果たし、一時期は田村正和さんとセットで売り出されていたものの、数年間鳴かず飛ばずの日々でした。
しかし、歌手としてリリースした7枚目のシングル「虹色の湖」が80万枚の大ヒットとなり、紅白歌合戦にも出場。
その後は女優や声優として数々の作品に出演したり、ヌード写真集を出版したりなど、幅広く活動しました。
プライベートでは、婚約者でテレビ局のプロデューサーだった服部晴治さんを女優の大竹しのぶさんに略奪されたことが、ワイドショーを連日賑わせました。
現在は、弟の家族と共に、千葉県習志野市の300坪を超える広い自宅に住んでいることが判明。今も独身ですが、結婚に対しては前向きなことをインタビューで明かしています。
現在77歳の中村晃子さんはすでに芸能事務所を退所し、個人的に地方でショー開催しているようです。
元気な限り、歌を続けてもらいたいですよね。これからも中村晃子さんを応援していきましょう。