「光市母子殺害事件」で最愛の妻と子供を殺害された本村洋さんのその後の活動が注目されています。
この記事では本村洋さんの生い立ちや大学などの学歴、命を奪われた家族、再婚相手や豪邸の噂、犯人死刑確定へのコメントや現在の活動などについてまとめました。
この記事の目次
- 本村洋は「光市母子殺害事件」で妻と子供を殺害された被害者遺族
- 本村洋(光市母子殺害事件の被害者遺族)の生い立ち
- 本村洋(光市母子殺害事件の被害者遺族)の学歴① 北九州工業高専
- 本村洋(光市母子殺害事件の被害者遺族)の学歴② 広島大学工学部に編入
- 本村洋(光市母子殺害事件の被害者遺族)の家族① 妻の弥生さん
- 本村洋(光市母子殺害事件の被害者遺族)の家族② 娘の夕夏ちゃん
- 本村洋(光市母子殺害事件の被害者遺族)の家族を殺害した犯人の福田孝行
- 本村洋(光市母子殺害事件の被害者遺族)の再婚相手は7歳年上の女性
- 本村洋(光市母子殺害事件の被害者遺族)が現在豪邸暮らしはデマ
- 本村洋(光市母子殺害事件の被害者遺族)が犯人の死刑確定にコメント
- 本村洋(光市母子殺害事件の被害者遺族)の現在
- まとめ
本村洋は「光市母子殺害事件」で妻と子供を殺害された被害者遺族
今回焦点を当てる本村洋さんは、1999年4月14日に山口県光市室積沖田で発生した「光市母子殺害事件」で殺害された弥生さん(当時23歳)の夫で、同じく殺害された当時生後11カ月の乳児だった夕夏ちゃんの父親です。
本村洋さんは、「光市母子殺害事件」の裁判が行われる中で、遺族感情として当時少年だった犯人の福田孝行(現在は養子縁組で大月に姓を改めている)への死刑判決を望むという意志をはっきりと主張し続けました。
この本村洋さんの訴えは社会に大きな波紋を起こし、少年法や死刑制度、司法のあり方などについて社会的関心が高まるきっかけとなりました。
本村洋さんはこの「光市母子殺害事件」の被害者遺族としての立場を通じて犯罪の被害者側の権利の確立を訴える運動にも取り組まれており、2004年12月8日に成立した「犯罪被害者等基本法」の成立にも尽力されました。
本村洋(光市母子殺害事件の被害者遺族)の生い立ち
本村洋さんの生い立ちについてはほとんど何も公開されていませんが、1976年3月19日の生まれで、出身地は大阪府堺市だと明かされています。
本村洋(光市母子殺害事件の被害者遺族)の学歴① 北九州工業高専
本村洋さんの学歴についてもわかっている範囲でまとめていきます。
本村洋さんは大阪府堺市の出身ですが、中学卒業後に福岡県北九州市の国立高等専門学校「北九州工業高専」へと進学されています。
北九州工業高専の最新の偏差値は「66」です。
本村洋(光市母子殺害事件の被害者遺族)の学歴② 広島大学工学部に編入
高等専門学校は5年制ですが、本村洋さんは途中で広島県の国立大学「広島大学工学部」に編入学されています。広島大学工学部の最新の偏差値は「55」となっています。
高専を経て国立大学の工学部への編入学という事で、本村洋さんはかなり学力優秀な学生だったのだろうと推測できます。
本村洋(光市母子殺害事件の被害者遺族)の家族① 妻の弥生さん
本村洋さんは「光市母子殺害事件」で最愛の家族を奪われました。
本村洋さんの家族についてわかっている事をまとめていきます。
本村洋さんは広島大学工学部に在学中、当時福岡県に住んでいた「光市母子殺害事件」の被害者の弥生さんと遠距離恋愛をしており、大学卒業前に弥生さんが妊娠した事で結婚を決意されています。
弥生さんは本村洋さんと同い年で、結婚当時は福岡県で会社員をされていました。結婚当時は共に21歳だったという事です。
本村洋さんと弥生さんは1997年11月3日の「文化の日」に結婚されています。この日に入籍された理由は、妻の弥生さんが「結婚記念日が祭日だったら毎年一緒に記念日を過ごせるよ」と言ってくれたからだったそうです。
本村洋(光市母子殺害事件の被害者遺族)の家族② 娘の夕夏ちゃん
本村洋さんは広島大学を卒業後に「新日本製鐵」に就職し、その1カ月後の1998年5月11日に長女の夕夏ちゃん(光市母子殺害事件の被害者)が誕生しています。
本村洋さんによれば、「夏の夕陽のように人を暖かく包む優しい人になって欲しい」との想いを込めて「夕夏」と命名されたという事でした。
結婚当時は本村洋さんが広島在住、妻の弥生さんが福岡県在住と遠距離で暮らしていましたが、娘の夕夏ちゃんの誕生後の1998年7月に、山口県光市の「新日本製鐵」の社宅アパートにて家族3人での生活をスタートされています。
そんな幸せな家族での生活がスタートしてから、わずか9カ月後の1999年4月14日に本村洋さんの妻の弥生さんと、生後11カ月の娘の夕夏ちゃんは、突然強姦目的で家に押し入った当時18歳の犯人・福田孝行によって命を奪われました。
弥生さんの遺体を最初に発見したのはその日の22時頃に残業を終えて帰宅した本村洋さんでした。長女の夕夏ちゃんの遺体は押し入れの上の天袋に隠蔽されておりその後警察によって発見されました。
本村洋さんは最愛の家族をあまりにも理不尽な形で奪われました。家族3人で過ごせた時間はたったの9カ月でした。
本村洋さんは事件後に発表された手記の中で「もっと妻と会話をすれば良か った」、「もっと娘と遊んであげれば良かった」、「もっと家族を大切にすれば良かった」と後悔の念ばかりを綴られていました。
本村洋(光市母子殺害事件の被害者遺族)の家族を殺害した犯人の福田孝行
「光市母子殺害事件」の犯人・福田孝行は、本村洋さんら家族の自宅の近所に住んでいた男で、「美人な奥さんと無理矢理にでもセックスをしたい(犯人の供述)」と、排水検査の作業員を装って本村洋さんの家族が住むアパートへと侵入し、弥生さんに襲いかかって首を絞めて殺害し、その後性行為に及びました。
さらに犯人の福田孝行は、長女の夕夏ちゃんが泣き叫んだ事から事件の発覚を恐れ、所持していた紐で首を絞めて殺害。
犯人の福田孝行は、弥生さんの遺体を押し入れの下段に押し込み、夕夏ちゃんの遺体を押し入れ上の天袋に投げ入れて隠蔽し、さらには弥生さんの財布(現金と地域振興券が入っていた)を盗んで逃走しています。この男はその盗んだ金や地域振興券で、カードゲームや菓子などを購入しています。
犯人の福田孝行は、「光市母子殺害事件」発生の4日後の4月18日に山口県警によって逮捕されています。
その後、犯人の福田孝行は少年審判を経て、殺人・強姦致死・窃盗の罪状で起訴され刑事裁判が始まりました。
福田孝行や主任弁護士は殺人は故意ではなかったと主張し、犯人の福田孝行は裁判で「長女の遺体を天袋に入れたのはドラえもんに助けてもらおうとしたから」、「死後に姦淫をしたのは『魔界転生』の復活の儀式で生き返らせようとしたから」などと訳のわからない供述を繰り返しました。
裁判では1審で「無期懲役」の判決が下されましたが、その判決直後に犯人の本村洋は知人に宛てて手紙を書いており、そこには全く事件を起こした事を反省しているようには見えない以下のような内容が書かれていました。
その判決のあとに、拘置所から送った手紙には、こうした文言が躍っていたのだった。 【犬がある日かわいい犬と出合った。そのまま「やっちゃった」、これは罪でしょうか】 【だが、もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ】【ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君】
この手紙の内容はその後の裁判で検察側が犯人が反省をしていない証拠として提出されています。
その後の控訴審でも再び「無期懲役」の判決が下されましたが、最高裁でこれらの判決が差し戻され、2008年の差し戻し審で広島高裁は「死刑」を言い渡しました。犯人の福田孝行と弁護人はこの死刑判決を不服として上告しますが、最高裁はこれを棄却し、2012年に犯人・福田孝行の死刑判決が下されました。
これは、犯行当時史上最年少(18歳1カ月)での死刑判決確定となりました。
なお、その後弁護側は再審を請求をしていましたが、2020年12月に最高裁判所はこれを棄却し、再審開始を認めない判断が確定しています。
本村洋(光市母子殺害事件の被害者遺族)の再婚相手は7歳年上の女性
あまりにも理不尽に最愛の家族2人を奪われた本村洋さんですが、犯人の福田孝行の死刑判決が確定した2012年の2年ほど前に再婚していた事が明かされています。
本村洋さんの再婚相手は、現在本村さんが勤められている会社の同僚で7歳年上の方だという事でした。
そんな本村さんは、2年ほど前に再婚して、光市から少し離れたところに新居を構えて新たな生活をスタートさせているという。
「奥さんは7才年上の同じ会社の同僚だそうです。趣味のテニスを通じて仲良くなったそうですよ」(本村さんの知人)
また、本村洋さんは再婚相手との間に2人の子供にも恵まれているという事でした。
この再婚については、ごく一部の人々から、本村洋さんがこんなに早く再婚して失望したなどといった心無い声も出ていましたが、最愛の家族を理不尽に奪われて長く辛い日々を送ってきた本村洋さんには新しい幸せを掴んでほしいと再婚を祝福する声がほとんどのようです。
本村洋(光市母子殺害事件の被害者遺族)が現在豪邸暮らしはデマ
再婚を批判する声があるように、どういうわけか本村洋さんには一定数のアンチが存在しており、本村洋さんが「光市母子殺害事件」の後に出版した本の印税や講演会などで大儲けしており、現在は豪邸で贅沢な暮らしをしているという噂が流布されています。
本村洋さんが豪邸で贅沢な暮らしをしているという噂の根拠などは示されておらず、デマ情報でしょう。
本村洋(光市母子殺害事件の被害者遺族)が犯人の死刑確定にコメント
本村洋さんは自分の最愛の家族の命を奪った犯人・福田孝行の死刑を望んでいると繰り返し訴えれていました。
2012年に犯人の死刑判決が確定したときには「死刑判決が出て満足している」とコメントする一方で「喜びとかうれしいという感情はない」との気持ちも話されていました。
山口県光市母子殺害事件で妻と長女を奪われた本村洋さん(35)は20日の判決後、東京・霞が関の司法クラブで記者会見した。「死刑判決が出て満足している」と話す一方、硬い表情で「(被告には)胸を張って死刑という刑罰を受け止めてほしい」と語った。
本村洋さんは命を奪われた家族2人を守れなかったという後悔の念を抱かれていたという事で、その罪滅ぼしの意味でも、被害者の権利を確立する運動に力を注がれていたという事で、この死刑判決確定についても「区切りではないが、重大なけじめ」と硬い表情で話されていました。
この判決確定後に、再婚相手と2人で、妻の弥生さんと娘の夕夏ちゃんの墓参りをして死刑確定の報告をされたという事も明かされていました。
凄惨な事件と裁判での非常識な弁護も気持ち悪いものでしたが、その後、被害者の夫、本村洋氏の再婚が報じられた際に、その再婚がまるで悪いことのように扱った一部のワイドショーなどのメディア、それに乗じて本村氏を叩いた人々が多くいたことにも吐き気を覚えましたね。日本人ではないのでしょうが。
— asagiri はツィ社の言論封殺に抗議します! (@Japan_Rebirth) March 21, 2021
本村洋(光市母子殺害事件の被害者遺族)の現在
本村洋さんは2021年4月の現在は45歳になられています。
「光市母子殺害事件」の被害者遺族として注目された本村洋さんでしたが、2012年に犯人の死刑判決確定後も、被害者側の権利を守るための活動に関わり「全国犯罪被害者の会(あすの会)」を同様に妻を殺害された過去を持つ元日本弁護士連合会副会長さん岡村勲さんと共に設立し活動されていました。
しかし、この「全国犯罪被害者の会(あすの会)」は、2018年6月3日に解散しています。
本村洋さんは現在は一般企業で会社員として働かれているようです。
まとめ
今回は「光市母子殺害事件」で最愛の家族2人(妻の弥生さんと娘の夕夏ちゃん)を殺害された被害者遺族・本村洋さんについてまとめてみました。
本村洋さんの生い立ちは詳しくは明かされていませんが、1976年3月19日に大阪府堺市で生まれた事が明かされています。その後は北九州工業高専を経て、国立の広島大学工学部に編入学された学歴を持ちます。
大学在学中に弥生さんと結婚され、卒業後に「新日本製鐵」に就職して1カ月目に娘の夕夏ちゃんが誕生しています。そして、家族3人での幸せな暮らしをスタートさせてからわずか9カ月後に犯人の福田孝行によって最愛の家族2人の命を奪われました。
本村洋さんは犯人の死刑を強く望んでいると主張して社会に大きな波紋を起こし、被害者側の権利確立に向けて社会に大きな動きを生み出しました。その後犯人の死刑も確定しています。
本村洋さんは犯人の死刑確定の約2年ほど前に再婚されており、2人の子供にも恵まれているそうです。一部では本村洋さんがこの事件について書いた書籍や講演会などで儲けて豪邸に住んでいるとの噂も流れましたが、証拠は示されておらずデマと見られています。
現在、本村洋さんは一般企業で会社員として働きながら、再婚相手や子供と共にごく普通の生活を送られているようです。