「砂川市一家5人死傷事故」は、飲酒の上「公道レース」を共謀した2人の犯人が、猛スピードで赤信号を無視して交差点に侵入し、一家5人の乗る車に衝突し4人を死亡させ1人に重い後遺症を負わせた事故です。
犯人の古味竜一や谷越隆司の生い立ちや家族、裁判の判決やその後の現在についてまとめました。
この記事の目次
「砂川市一家5人死傷事故」とは
「砂川市一家5人死傷事故」とは、2015年6月6日22時半頃、北海道砂川市の西1条北22丁目の交差点で起きた、家族4人が死亡し、1人が一時重体となり、脳に重い後遺症を負った交通死傷事故です。
犯人・谷越隆司(当時26歳)の運転するBMW・X5は、時速100キロを超える猛スピードで赤信号を無視して事故現場となった交差点に突入、そこをちょうど走行中だった被害者一家の乗る軽ワゴン車の側面へと激突。軽ワゴン車は衝撃で約60メートルも真横方向へと飛ばされ、大破して炎上しました。
軽ワゴン車を運転していた永桶弘一さん(当時44歳)と助手席に座っていた妻・永桶文恵さん(当時44歳)が頭や胸を強く打って即死。後部座席に座っていた長女・永桶恵さん(当時17歳)は、衝撃でフロントガラスを突き破って車外へと投げ出され、大破した車体の一部が体に突き刺さって間も無く死亡。
さらに、後部の荷室で荷物の見張りをしていた長男の永桶昇太さん(当時16歳)も、衝撃で開いた後部ドアから外へ投げ出され、BMWと並走するように猛スピードで走行してきた、谷越隆司の友人であるもう1人の犯人・古味竜一(当時27歳)の運転するシボレー・アストロに轢かれて車体の下部に巻き込まれ、生きたまま約1.5キロも引きづられて窒息死したと見られています。
永桶昇太さんを轢いた古味竜一は、車体の下部に昇太さんを巻き込んだまま、蛇行しながら走行を続けたため、昇太さんの遺体は下半身の骨がむき出しになる程凄惨な状態だったようです。
また、被害者家族の中で唯一の生存者となった次女の永桶光さん(当時12歳)も車外に投げ出されて意識不明の重体となり、その後回復したものの、脳と脚に重い後遺症が残りました。
加害者2人は飲酒し「公道レース」を共謀
加害者の、谷越隆司と古味竜一の2人は、事故を起こす直前まで、砂川市内の行きつけの飲食店で19時頃から22時頃まで約3時間以上にわたってビールや焼酎を飲酒しており、ほぼ酩酊した状態のままで、互いの運転する車のスピードを競い合う「公道レース」を共謀したとされます。
その後の調べによれば、谷越隆司と古味竜一は、最大で時速170キロもの猛スピードで公道で車を走行させ、互いの車を抜き合うなどの無謀な運転をしながら、事故を起こした交差点へ赤信号を無視して侵入。そこをちょうど走行中であった、被害者家族の乗る軽ワゴン車の側面へ突っ込み、事故を起こしました。
また、犯人2人の運転する車には合計で3人の同乗者がおり、その全員も飲酒状態だった事も明らかになっています。
BMWも炎上し谷越隆司と同乗者が負傷
最初に事故を起こした古味竜一のBMW・X5も衝突後に炎上していますが、谷越隆司と同乗者2名の合計3名はいずれも軽症でした。その後、この3名は砂川市内の病院へと救急搬送され一時入院しています。
古味竜一は現場から逃走して証拠隠滅を図っている
一方の古味竜一は、運転するシボレー・アストロで、車外に投げ出された永桶昇太さんを撥ねて車体下部に巻き込み、引き摺ったまま約1.5キロも蛇行運転して昇太さんを振り落とし、そのまま現場から逃走しています。
古味竜一は、そのまま知人宅へと向かって一晩宿泊してアルコールを抜こうとし、事故を起こした車体の血痕を洗い落そうとするなどの証拠隠滅を図っています。
また、この友人が、証拠隠滅のためにナンバープレートを取り外したところ、古味竜一は出頭した時に不利になるから付けておいてくれと依頼した事なども明らかになったいます。さらにこの友人は「任意保険に入っておらず街路灯が弁償できないから逃走した事にすればいい」などと罪を軽くするためのアドバイスを送っていた事なども判明。
そして、古味竜一はこの知人の車を借りて、搬送された谷越隆司の見舞いのために病院を訪れています。この時の心境を裁判の時に問われた古味竜一は「被害者の事よりも友人である谷越隆司が心配だった」と言い放っています。
古味竜一は、事故の翌日に逃げきれないと悟り警察署に出頭したところをひき逃げの容疑で逮捕されています。
「砂川市一家5人死傷事故」の犯人・谷越隆司の生い立ちや家族
「砂川市一家5人死傷事故」の犯人・谷越隆司の生い立ちや家族について、判明している限りの情報をまとめていきたいと思います。
谷越隆司に関する情報はあまり出ておらず、断片的な情報しかありません。母は谷越隆司を産んだ後にすぐ離婚し、地元の暴力団関係者と再婚してすぐにまた離婚、その後再び元夫とよりを戻したという情報が出ています。
また、谷越隆司は古味竜一とは幼馴染で、「砂川市一家5人死傷事故」の事故時に車に同乗していた他の3人とも子供の頃からの友人関係だったようです。
また谷越隆司のFacebookによれば「北海道砂川高等学校」を卒業しており、結婚していて長女、長男、次男の3人の子供がいる事も判明しています。谷越隆司はFacebookに、子供を改造バイクに乗せた写真と共に「10年後は決まり」などのコメントも投稿しており、子供を自分と同じような非行少年に育てたいとでも言っているかのような信じ難い人間性が見られます。
身勝手で無謀な暴走運転によって、子供2人を含む4人を死に至らしめ、生き残った1人にも重い後遺症を負わせるような人間である谷越隆司が、どのような子育てをしていたのかを想像すると暗澹たる気持ちになります。
「砂川市一家5人死傷事故」の犯人・古味竜一の生い立ちや家族
「砂川市一家5人死傷事故」の犯人・古味竜一の生い立ちや家族についても、判明している範囲でまとめていきます。
両親が幼くして離婚し、その後父親が自殺
古味竜一は幼い頃に両親が離婚しており、歳の近い姉と共に父親に引き取られて、父親の実家のある砂川市へと越してきたようです。
しかし、その後父親は離婚した妻(古味竜一にとっては母親)に未練があり、よりを戻したいと説得しに行ったがうまく行かず、なんとそのまま元妻を道連れに無理心中をしてしまったようです。これが古味竜一が10歳くらいの事だそうです。両親を亡くして古味竜一は、そのまま父親方の祖母の手で育てられたようです。
子供時代の古味竜一にはその後も不幸が続き、心中した父親の弟にあたる叔父が突然、古味竜一と姉、祖母の住む実家へと転がり込んできたそうです。この叔父がロクでもない人物で、働きもせずに毎日酒浸りの生活を送り、古味竜一や姉に暴力を振るう事もあったようです。
そして、さらに悪いことにそれから3年ほどした後に育ての祖母が亡くなり、酒浸りの叔父と古味竜一と姉がその家に残される事になりました。この叔父はさらにアルコール中毒が悪化し、古味竜一や姉に対しての暴力も激しくなりました。
その後谷越龍司の家に引き取られたとの情報も
そんな頃に、姉が結婚する事になり、古味竜一もこの姉の新生活に付いていったという情報と、その後、幼馴染の谷越隆司の家に引き取られたという情報が出ていますが、時系列ははっきりしていません。
少なくとも古味竜一が、子供時代に保護者を次々と失った事は事実のようで、そんな古味竜一が実の母親のように慕っていたのが、谷越隆司の母親だったという事なので、古味竜一と谷越隆司は家族ぐるみの付き合いの中で兄弟のように育ったのでしょう。
こうした過酷な生い立ちもあってか古味竜一は、異常なほど気が強く、喧嘩に勝つためなら手段を選ばないタイプだったようです。中学時代から地元では有名な札付きの不良で、この頃からバイクや車をいじって無免許で乗り回していたとの証言があります。
実の兄と慕う谷村隆司すら見捨てる冷酷さ
また、古味竜一は幼馴染の谷越隆司を兄のように慕っていたそうですが、「砂川市一家5人死傷事故」の事故を起こした谷越隆司のBMWが大破炎上した際、救助に当たる事もなくその場から逃走しています。こうした点からも、ごく親しい仲間への思いやりにすら欠ける冷酷な人間性も推測されます。
こうした生い立ちを持つ古味竜一は、大人になってからも、酒を飲んで車を暴走させるのは日常茶飯事だったようで周囲の関係者の間では「いつか事故を起こす」などといわれていたようです。
いくら不幸な生い立ちで育ったとはいえ、それを理由にして何の落ち度もない4人を死に至らしめ一つの家族の平穏な生活を奪って良い事にはなりません。こうした身勝手な人間が野放しにならないためにもさらなる法整備が望まれるところです。
「砂川市一家5人死傷事故」の裁判や判決
「砂川市一家5人死傷事故」の裁判は、谷越隆司が、危険運転致死傷罪(共謀)、道路交通法違反(酒気帯び)。古味竜一が、危険運転致死傷罪(共謀)、道路交通法違反(ひき逃げ)で起訴され、2016年10月17日、札幌地裁にて裁判員裁判として開廷されました。
犯人達は身勝手な主張を繰り返した
谷越隆司と古味竜一は、裁判でそれぞれ、罪の重い「危険運転致死傷罪」ではなく罪の軽い「過失運転致死傷罪」だったと主張。走行速度も時速100キロは出ていない、信号も赤ではなく青だったなどの、提示された証拠から見ても明らかに虚偽とわかる主張を繰り返しました。
谷越隆司に至っては、その後も、運転中にサングラスを落としたため拾おうとして数秒ほど目を離した間に赤信号を見落とした、飲酒についてもビールを一口と焼酎を1杯しか飲んでいないなど、提示された証拠や証人の証言と明らかに矛盾する言い訳のような主張を繰り返しています。
一方の古味竜一も、谷越隆司の起こした事故に巻き込まれただけだとして「無罪」を主張。永桶昇太さんを轢いた後、現場から逃走した「ひき逃げ」についても、何かを轢いた感触はわかったが、人を轢いた認識はなかったとしてひき逃げにはあたらないなどと主張しています。
第一審判決は「懲役23年」
2016年11月10日、札幌地裁は検察側の主張がほぼ全て認められ、谷越隆司と古味竜一それぞれに、求刑通りの「懲役23年」の判決が言いわたされました。
これは、起訴された内容からすれば満額回答となる判決ですが、現場から逃走し証拠隠滅を図っている古味竜一については「発覚免脱罪」での起訴も可能だったと思われ、それについても起訴されていれば、最大で懲役30年までの求刑が可能でした。
あまりにも身勝手で無謀な運転によって、何の落ち度もない一家4人の命を奪い、残された1人にも重い後遺症を負わせた上に大切な家族を突然奪い去った事は、ほとんど故意の「殺人事件」であると言っても過言ではないでしょう。その点を考えれば、「懲役23年」というのはあまりにも軽い判決だと考えざるを得ません。
犯人らは判決を不服として控訴
あまりにも軽い判決だという印象を受けますが、古味竜一と谷越隆司は、この判決を不服として控訴しています。
札幌高等裁判所は、一審判決を支持して被告らの控訴を棄却。谷越隆司は上告せず、2017年4月24日に「懲役23年」の実刑判決が確定しました。
古味竜一は控訴審判決を不服として上告しましたが、2018年10月23日、最高裁判所は古味竜一の上告を棄却し、古味竜一の「懲役23年」の実刑判決も確定しています。
「砂川市一家5人死傷事故」の現在
谷越隆司、古味竜一の2人の犯人は現在既に刑務所に服役しています。
被害者家族の中で唯一生き残った次女の永桶光さんは事故後に重い後遺症を置い、病院でリハビリを続けていたそうですが、その後の現在については明らかにされていません。永桶光さんには祖母がいるため、おそらくこの祖母と一緒に生活されていると推測されます。
あまりにも悲惨で理不尽な被害にあった永桶光さんは、身体だけでなく心にも深い傷を負ったと想像されますが、せめて身体が回復し、今後幸せな人生を歩めるように祈りたいと思います。
まとめ
「砂川市一家5人死傷事故」は、谷越隆司、古味竜一の2人が、飲酒の上無謀な「公道レース」を共謀し、赤信号の交差点に猛スピードで侵入して走行中だった軽ワゴン車に衝突、一家4人が死亡、生き残った1人にも重度の後遺症を負わせるという、あまりにも凄惨で許しがたい事故でした。
谷村隆司と古味竜一には裁判で「懲役23年」の判決が下されましたが、ほとんど故意の「殺人」だと言っても過言ではないこの事故内容を考えれば、あまりにも軽い判決だと言わざるを得ません。
こうした許しがたい暴走運転事故の再発を防ぐためにも、身勝手な飲酒運転や無謀運転に対しての、さらなる厳罰化が求められるところです。