小島一朗の生い立ち&親と姉や祖母など家族情報!新幹線殺傷事件の犯人まとめ

走行中の新幹線車内で女性2人に刃物で重傷を負わせ、止めに入った男性を殺害する事件を起こした小島一朗。

 

今回は、その後の調べで明らかになった小島一朗の異常な生い立ちや、父親、母親、姉、祖母などの家族について、小島一朗の現在の様子についてまとめました。

 

小島一朗が起こした「新幹線のぞみ通り魔殺傷事件」とは

 

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小島一朗の起こした「新幹線のぞみ通り魔殺傷事件」とは、2018年6月9日、走行中の東海道新幹線「のぞみ」の車内で、当時22歳の小島一朗が、乗客の女性2人に重傷を負わせ、それを止めに入った当時38歳の会社員・梅田耕太郎さんの事を殺害した事件です。

 

 

新幹線のぞみ通り魔殺傷事件での小島一朗の犯行の様子

 

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事件の発生時に、小島一朗の座席と通路を挟んだ反対側の窓側の座席に座っていたという女性の証言によれば、事件はその日の21時45分頃、新幹線が新横浜駅を発車した直後に発生したようです。

 

通路側の座席に座っていた小島一朗は突然座席から立ち上がると、窓側の隣席に座っていた当時26歳の女性に向かって突然ナタを振り下ろしました。女性は頭部に傷を受け「痛い!」と叫んだようです。

 

続いて、小島一朗は通路を挟んで反対側の座席の通路側に座っていた女性に向かってもナタを振り回して左腕上部に重傷を負わせました。小島一朗はそのまま通路をナタを振り回しながら進んで行ったそうです。

 

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証言者の女性はそのタイミングで座席から飛び出し、小島一朗の向かった方向とは逆へ逃げますが、その2列後方の座席に座っていた、当時38歳の会社員・梅田耕太郎さんが小島一朗を止めようと向かっていくのとちょうどすれ違いになったそうです。

 

梅田耕太郎さんは、女性を刃物で切りつけようとしている小島一朗の背後に近づき、羽交い締めにして動きを封じようとしました。その隙に、狙われていた女性はすり抜けて逃げ出す事が出来たようです。

 

その後、小島一朗と梅田耕太郎さんはもみ合いになって転倒、小島一朗がすぐに立ち上がって次の女性を狙おうとしますが、梅田耕太郎さんもすぐに立ち上がって止めに入り女性を逃がします。

 

小島一朗は、止めに入った梅田耕太郎さんに向かっても刃物を振り回して切りつけ、倒れた梅田耕太郎さんに馬乗りになってさらに切りつけます。最初は抵抗していた梅田耕太郎さんでしたが、小島一朗に複数回切りつけられるうちに動かなくなります。

 

梅田耕太郎さんは、太ももと首に重傷を負い、その後病院に搬送されますが、そこで死亡が確認されています。

 

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騒動が発生してから約15分後の午後10時、新幹線は緊急停止し、そこに駆けつけた警察官によって小島一朗は取り押さえられ現行犯逮捕されました。小島一朗は警察官に対して抵抗するそぶりを見せず、無表情のままだったそうです。

 

現場は、床一面が血の海の惨状だったという事でした。

 

犯行発生時の新幹線車内の様子

 

小島一朗が突然刃物を振り回し、周囲の乗客を傷つけ始めると、車内は一気にパニック状態になり、乗客は隣の車両へと一斉に逃げ出し始めました。悲鳴が響きわたり、連結部分では乗客同士が押し合ってドミノ倒し状態になったという目撃証言も出ています。

 

 

 

小島一朗の身勝手な主張とは〜刑務所に行くために殺人を犯した?

 

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突然新幹線に暴れまわり、2人に重傷を負わせ1人を殺害した小島一朗の犯行動機は極めて身勝手なものでした。

 

小島一朗は逮捕後の取り調べで「無期懲役になるために無差別に人を襲った」「自分で考えて生きるのが面倒で刑務所に入りたかった」「特段申し訳ないとは思っていない」などと供述しています。

 

取り調べに当たった捜査関係者は怒りをあらわにし「反省の色は全く見られない」と唇を噛み、「生きるのが面倒で誰でもいいから殺そうと思った」と覇気なく身勝手な犯行動機を供述する様子に「まさに無気力という言葉が合う」と吐き捨てています。

 

 

 

小島一朗の生い立ち① 5歳で発達障害と診断される

 

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「自分で考えて生きるのが面倒だから刑務所に行きたい」という身勝手な動機で無差別に人を殺害した小島一朗は一体どんな人生を送っていたのでしょうか?

 

ここからは小島一郎の生い立ちに焦点を当てていきます。

 

小島一朗は、愛知県一宮市で家族と共に暮らしていましたが、5歳の頃に発達障害と診断され、幼少期から周囲とうまくコミュニケーションが取れずに苦しむ日々を送っていたようです。

 

次第に家族、特に父親との関係が悪化していったとされます。

 

 

発達障害だから凶悪犯罪を犯したわけではない

 

誤解を与えないための補足になりますが、小島一朗が「発達障害」であるから事件を起こしたというわけではありません。「発達障害」によって社会にうまく適応できずに苦しい日々を送った経験が、遠因として事件につながった可能性が考えられるのです。

 

 

 

小島一朗の生い立ち② 中学を不登校に〜言い訳して逃げる事を繰り返す

 

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父親によれば、小島一朗は中学3年生の頃に「友達がいない」「授業についていけない」という理由で不登校になったそうです。

 

中学2年生までは剣道部に所属し、検定を受けて1級を取得するなどしていますが、その合格直後に「部活をやめていいか」と家族に聞いてきたそうです。父親は「3年生までやるのが部活だ」と退部を認めなかったようですが、それから小島一朗は部活の練習に遅刻するようになります。

 

部活の顧問から自宅へと連絡がきたため家族が小島一朗に問いただすと、「誰も練習日を教えてくれないから」と言い訳のような事を口にし、最終的には部活の練習にも行かなくなったとされます。

 

そして中学3年生で不登校となり、卒業式にも欠席したようです。

 

 

中学時代には両親に刃物を投げつけた事も

 

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小島一朗は中学2年生に進級したとき時に、両親に新しい水筒が欲しいとねだった事があったようです。この時、小島一朗の姉に新しい水筒が与えられ、小島一朗には姉のおさがりの水筒が与えられる事になったのだそうです。

 

その日の夜、小島一朗は両親の部屋へと飛び込むと「何で自分だけお古の水筒なんだ!」と怒り狂い、金槌や包丁を両親に向かって投げつけた事があったようです。

 

また、不登校になった後の小島一朗は、自室へ引きこもってずっとインターネットをしたりテレビを見ていたりしたとの情報も出ています。

 

 

 

小島一朗の生い立ち③ 中学卒業後に自立支援施設に入所〜定時制高校へ

 

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その後、中学を卒業した小島一朗は、母親の勤めていた自立支援施設へと通う事になり、父親との確執を避けるために実家を出てその施設に暮らすようになったようです。

 

小島一朗はこの自立支援施設から定時制高校へと進学しています。高校時代の成績はオール5とかなり優秀であり、本来4年間通うはずが3年で卒業し職業訓練校へと進んだという事でした。

 

小島一朗が通っていた自立支援施設の代表によれば、「高校と職業訓練校時代の計4年住んでいた間にトラブルは1度も無かった」「非常に優秀で人を傷つけるような子では無かった」と証言しています。母親もこの施設で働いていた事もあって、その支援あったようです。

 

 

 

小島一朗の生い立ち④ 高校卒業後に職業訓練校を経て機械メンテナンス会社へ就職

 

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小島一朗はその後、定時制高校から職業訓練校へと進み、そこで取得した資格を活かして、2015年4月から機械メンテナンスを扱う会社へと就職し働き始めています。その会社の社長によれば、小島一朗は「仕事はできる方で、同期の社員にも教えていた」といいます。

 

入社した年の8月に愛媛県に配属され引っ越しますが、9月頃、家族の法事に顔を出しに地元愛知県一宮へと戻った際には「給料で服や時計を買った」と嬉しそうに話すなど充実した様子を見せていたと言います。

 

また、父親が帰り際の駅で小遣いとして5000円を渡すと、「ありがとう」と素直に受け取ったという事で、この時点では上手くいっている様子を見せていたようです。

 

 

 

小島一朗の生い立ち⑤ 人間関係悪化で会社を退職し祖母と養子縁組

 

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就職した機械メンテナンス会社でそれなりに充実した様子を見せていた小島一朗でしたが、入社から11ヶ月後にこの会社を退職してしまいます。

 

退職の理由は「ホームレスになりたかった」「人間関係のトラブル」「小島一朗が人間関係に不満を持った」などとされていますが、詳細は明らかになっていません。

 

会社退職後、愛知県一宮市へと戻った小島一朗は、アパートを借りて一人暮らしを始めたようですが、半年で貯金が尽き、父親によれば「最後は電気もガスも止められた」のだそうです。

 

この時、小島一朗は父親に「僕は寝る場所があって、ご飯を食べられればそれでいい」と吐露していたといいますが、それ以外にはコミュニケーションを取れなかったようです。

 

 

祖母宅に同居

 

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一人暮らし先のアパートを出された小島一朗は、その後おそらく家族の支援の下、愛知県岡崎市の祖母宅の近くにアパートを借りる方向に決まったそうです。しかし、小島一朗はそれに納得せず、祖母の家に一緒に住む事を希望し、要求を通すためか家出してしまいます。

 

そして、結局その祖母との同居の希望が通る事になり、2016年10月から小島一朗は祖母宅に同居する事になったようです。祖母宅には母親の兄にあたる小島一朗の叔父夫婦も住んでおり、4人での同居となりました。

 

 

祖母と養子縁組

 

小島一朗は自殺願望をほのめかしたり、気に入らない事があると激昂して暴れまわったりと精神的に不安定なところがあったためか、何度か精神病院への入院をしています。2017年9月、入院先の精神病院から両親の元へ手紙が届いたようです。

 

両親によれば「助けてください、といった内容」との事ですが、その後に両親は小島一朗を戸籍から除外し、祖母との養子縁組を進めています。手紙の内容が明かされていない以上、何故そうなったのか意味がわかりません。

 

 

小島一朗の生い立ち⑥ 家出を繰り返すようになり、その後犯行に及ぶ

 

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小島一朗と同居する事になった叔父は、自分勝手な言動を繰り返す小島一朗を快く思っていなかった様子で「出て行け!」などと怒る事もあったようです。

 

また、祖母との養子縁組に関しても、叔父は一切知らない間に話が進んでいたようで、この事についても怒りを覚えたようで「祖母が死んだらどうするのか?自分は絶対に面倒は見ない」との意思を示していたようです。

 

一方、小島一朗の方も、「両親が実家に連れ戻そうとした」事を理由に2017年1月に2度目の家出、同年8月に「叔父に態度を注意された」という理由で3度目の家出と、上手くいかない事があるたびに家出を繰り返すようになります。

 

そして2017年末、小島一朗は「自殺する」などと言い残して4度目の家出をし、ホームレス生活をしながら長野県内を転々としていたようです。そして、翌2018年6月9日に「新幹線のぞみ通り魔殺傷事件」での凶行に及ぶ事になります。

 

 

 

小島一朗の家族① 父親

 

出典:https://twitter.com

 

身勝手な理由で凶行に及んだ小島一朗でしたが、その犯行に走らせたのは、その家族関係も関係しているのではないか?という見方が一部から出ています。

 

ここからは、小島一朗の家族について見ていきます。

 

小島一郎の父親はメディアのインタビューに「一朗君とは今は家族ではない」と戸籍を外した実の息子を「一朗君」と呼んでいます。どう贔屓目にみてもこれでは無責任すぎます。

 

さらに、自分の息子である小島一朗を「幼い頃から人の言う事を理解できない変わった子」と述べるなどし、小島一朗が高校生の時に2度目の発達障害の診断が下された時に初めてその病名を知らされ「それってなんて言う病気なの?」と妻に聞くなどしています。

 

つまり、実の息子が5歳の時に一度発達障害の診断が下されているにも関わらず、その息子が高校生になるまで発達障害である事を聞かされておらず、病名を聞かされた時にもほとんど興味を示していないように見えます。

 

こうしたエピソードから、この父親は、小島一朗に対してほとんど興味を持っていなかった事が推測されます。

 

さらに、この父親は小島一朗の養子縁組について聞かれ以下の回答をしています。

 

「助けてください、といった内容です。だから私たちは養子縁組に踏み切った。一朗が逃げずに堂々と生活できるようにするにはそれしかなかった。一朗も喜んでいた」

 

引用:《新幹線殺人》両親・祖母・伯父への徹底取材で見えた「小島一朗」ができるまで

 

さらに、小島一朗は警察の取り調べ時に家族から虐待を受けたといった供述をしています。これに関して警察から両親に問い合わせがあったそうで、父親はこの件に以下のコメントをしています。

 

虐待された、ごはんを食べさせてもらえなかった、鳥小屋に住まわされたなど、今までの恨みつらみを話しているようです。言い訳ばかりです。妻も供述内容を聞いて“母親を放棄したい”と呟いています

 

引用:「私たちが加害者みたい」新幹線殺傷の容疑者の供述に両親は

 

さらにこの父親は取材記者にメールで以下の文面を送信しているようです。

 

一朗が署で言った内容の問い合わせに心が痛みます。私達夫婦が加害者みたいになります

 

引用:「私たちが加害者みたい」新幹線殺傷の容疑者の供述に両親は

 

いかがでしょうか?こうした一連の発言からは、被害者の事も、自分の息子である加害者・小島一朗の事も一切考えない、自己保身しか考えていない父親像が浮かび上がっては来ないでしょうか?

 

小島一朗を擁護するつもりは毛頭ありませんが、これでは発達障害云々ではなく父親との関係がうまくいかないのも当たり前だと感じてしまいます。

 

 

 

小島一朗の家族② 母親

 

出典:https://headlines.yahoo.co.jp

 

小島一朗の母親は、小島一郎が自立支援施設に入所した際に、その職員としてサポートを行っていたようですが、自らが生んだ息子・小島一朗が事件を起こした後の取材に対してまるで他人事のような発言を繰り返していると批判を集めています。

 

母親もコメントで「自殺することはあっても、まさか他殺するなんて思いも及びませんでした」「テレビの映像を見て本当にショックで、いまだに精神状態が良くありません」と、自分本位なコメントをした。異様で特異な親子関係だったといってもいいのかもしれない。

 

引用:新幹線殺傷事件、過去の青少年凶悪犯罪の加害者との共通点は

 

この母親もまた、父親と同様に自分の事ばかりを主張しています。まるで自分が被害者だと言っているかのような物言いです。小島一朗はおそらく、両親からの愛情を感じておらず、自己肯定感を一切持たないままに成長したと推測されます。

 

 

 

小島一朗の家族③ 姉

 

小島一郎には姉が1人いる事が明らかになっています。先ほども紹介したように、小島一朗が中学2年に進級する際に、姉だけが新しい水筒をもらって、小島一朗は姉のおさがりしかもらえなかったと言うエピソードがあります。

 

このエピソードだけではわかりませんが、小島一朗の両親は健常者である姉を大切にし、発達障害を持つ小島一朗を軽んじていた可能性が感じられます。

 

両親、姉の中にあって、小島一朗は強い疎外感があったのではないかと想像されます。

 

また、この姉は小島一朗が通っていた自立支援施設の代表に「弟はこの施設にいる時が一番幸せだった」と話したそうです。姉のこの言葉は家族とうまくいかずに苦しむ弟を気遣うニュアンスが感じられます。

 

 

 

小島一朗の家族④ 祖母

 

出典:https://www.fnn.jp

 

小島一朗が家族の中で唯一心を開いていたのではないか?と感じ取れるのがこの祖母です。

 

小島一朗は仕事を辞めて愛知県へと戻った際に、この祖母との同居を強く望んだとされます。祖母も小島一朗を大変かわいがっていたようで、自身の年金が入金される通帳などを渡して好きに使わせていたようです。

 

これについては、甘やかしすぎではないかとの意見もありますが、自らの養子として小島一朗を自宅へ引き取った事なども合わせ、ただ1人この祖母だけが小島一朗に対して家族としての無償の愛情を注いでいたように見えます。

 

事件後のインタビューでこの祖母は以下の発言をしています。

 

私には一朗のことしかない。82歳だから、一朗が帰ってくるまで生きなくちゃ。人生100年だと思ってるよ

 

引用:「私たちが加害者みたい」新幹線殺傷の容疑者の供述に両親は

 

また、両親と祖母の3人が小島一朗の面会に訪れた時、小島一朗が面会室の扉を閉めて面会を拒否する様子を見せた時のことについて、祖母は以下のコメントを残しています。

 

あんなことをしちゃったから会わせる顔がなかったんだと、私は思っている。拒んだことが一朗の良心だったんじゃないかなと思う

 

引用:「私たちが加害者みたい」新幹線殺傷の容疑者の供述に両親は

 

なんの罪もない人間を殺害し傷つけた小島一朗を擁護するようなコメントには批判もあるかと思いますが、少なくとも両親とは違い、この祖母がまっすぐな愛情を孫の小島一朗に注いでいた事は伝わります。

 

 

 

小島一朗の家族⑤ 叔父

 

出典:https://www.jprime.jp

 

小島一朗が祖母宅に同居する事が決まりましたが、祖母宅には小島一朗の母親の兄にあたる叔父が住んでいたので、その叔父夫婦とも同居しています。

 

この叔父は、言うことを聞かない小島一朗に厳しくあたるなどしていますが、これは関心を持っている裏返しでしょう。

 

その証拠に、この叔父は小島一朗に「お前、将来どうしたいんだ、やりたいことはないのか」と声をかけたり、「人を殺して刑務所に行きたい。働かなくても行きていけるのが刑務所」などとのたまう小島一朗に対して「お前死にたいんじゃなくて生きたいんじゃん」と話しかけるなどしています。

 

こうした発言からは、少なくとも両親よりはこの叔父が小島一朗の事を親身になって考えていたように感じられます。

 

この叔父は、事件の後に受けたインタビューで小島一朗の両親を批判するようなコメントを出しています。

 

私が知らない間に、母(一朗の祖母)と養子縁組をされていました。母が死んだら、一朗はどうする。俺は絶対に面倒はみないと言ったんです。妹(容疑者の母)も父親も無関心で、愛情がないんです

 

引用:《新幹線殺人》両親・祖母・伯父への徹底取材で見えた「小島一朗」ができるまで

 

家族として、身近に小島一朗と両親の関係を見てきたこの叔父のこのコメントこそが、小島一朗と両親との関係を最も的確に表しているのではないでしょうか?

 

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小島一朗の現在~無期懲役の判決

 

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2019年12月9日、横浜地裁小田原支部で論告求刑公判が開かれ、検察側は無期懲役を求刑しました。対する弁護側は「過剰に重い刑を科すべきではない」と主張していますが、小島一朗本人は裁判でも無期懲役になりたいと訴え続けています。

 

裁判では犯行時について淡々と「私は無期懲役刑になるために無差別殺人をしました」と述べ「頭を狙った」「一撃で殺せると思ったが全然死にませんでした」などと陳述しています。

 

犯行から1年以上が経過した現在も反省は全くしておらず「もしも有期刑になり出所したらまた必ず人を殺す」「無期刑になれば仮出所にならないように全力を尽くす」などとも発言しています。

 

そして、第一審判決が2019年12月18日に下され、小島一朗に「無期懲役」の判決が下されました。

 

 

まとめ

 

「新幹線のぞみ通り魔殺傷事件」を引き起こした小島一朗についてまとめてみました。

 

小島一朗は、走行中の新幹線の中でナタやナイフを振り回して暴れ周り、20代の女性客2名に重傷を負わせ、それを止めに入った30代の男性の太ももを切りつけ首を刺すなどして殺害しました。

 

小島一朗は発達障害を持っていた事などが明らかになり、また、事件後にその両親との異常な関係も明らかになるにつれ、両親への批判も高まりました。

 

小島一朗は犯行動機として「刑務所に行って無期懲役になりたかった」などと述べており、その判決は「無期懲役」となりました。今後の展開に注目していきたいと思います。

 

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