生番組の司会者としてギネス記録を持つみのもんたさんですが、最近は活躍の場が減り、顔色が悪いなど病気の噂も囁かれています。
今回はみのもんたさんの若い頃、しゃべらない&顔色が悪いなどの病気説、現在をまとめてみました。
この記事の目次
みのもんたのプロフィール
生年月日:1944年8月22日
出身地:東京都世田谷区祖師谷
身長:167cm
職業:タレント、司会者、会社社長
みのもんたさんは、フリーアナウンサー、タレント、司会者、ニュースキャスター、実業家で、自身の個人事務所である「株式会社ニッコク」の代表取締役社長でもあります。
本名は「御法川法男(みのりかわ のりお)」と言います。妻はスタイリストのようです。2004年、2005年の長者番付芸能人の部では第1位です。
交友関係は幅広く、芸能界やスポーツ界はもちろん、政財界などにも私生活で交流のある人物が多いのが特徴です。
政界の遠縁に自民党所属の議員がいる事などから、親戚には自民党関係者が多いと言われています。
第一次安倍内閣では、秘書官の井上義行氏と逗子市の居酒屋で情報交換を繰り返し、首相退陣の日には安倍首相自らがみのもんたさんに電話しているそうです。
みのもんたさんが、顔が黒いのは「日光浴でこうなった」と語っています。
2006年11月28日、「1週間で最も長時間、テレビの生番組に出演する司会者」としてギネス・ワールド・レコーズに認定されています。
度重なるスキャンダル
出典:http://www.officiallyjd.com/
2013年8月30日に放送されたTBS『みのもんたの朝ズバッ!』の生放送内のCM明け直後、隣に立つ吉田明世(当時TBSアナウンサー)の腰付近に手を伸ばした様子が一瞬画面に写りました。
これを見た視聴者から抗議が殺到、同年9月9日より夏休みを理由に、テレビ出演を休止しています。
しかしその休み中、当時日本テレビ社員だった次男が、泥酔し道で横たわっていた男性の鞄からキャッシュカードを盗み出し、現金を引き出そうとしたとして窃盗未遂容疑で逮捕されました。
同年10月8日付で日本テレビを諭旨解雇処分となったことで、みのもんたさんは『朝ズバッ!』と『サタデーずばッと』への出演を自粛することに。
その後、10月25日にTBSの全ての報道番組を降板させられ、以後、『秘密のケンミンSHOW』と ラジオ番組『みのもんたのウィークエンドをつかまえろ』への出演のみとなります。
みのもんたさんは、セクハラ疑惑に関しては、「(アシスタントやキャスターが)発言をとちることがあるので、『しっかりしろ』の気持ちで腰を叩いた。セクハラなどということは全くありません」と述べて、否定しています。
また色々あったことで、各方面に“謝罪行脚”もしていたようです。
みのもんたの若い頃の活躍まとめ
みのもんたさんは、大学卒業後に文化放送に入社すると、24歳の時、深夜ラジオ番組「セイ!ヤング」のパーソナリティーに抜擢され、一躍人気を博します。
これがのちの人気テレビ司会者、パーソナリティーとしての足がかりになっています。
しかし当時は、立場上社内ではあまり好評な人物ではなく、社内いじめに遭っていたそうです。
そして、28歳でラジオ番組は降板となっています。その後は営業部に回され、しばらく芸能界の下支えに奔走することになります。
知り合いには俳優の森繁久彌さんがおり、幼い頃に森繁さんは、みのさんの自宅の離れに下宿していたそうです。叔父が同じ芝居仲間だったそうですね。
そのため、森繁さんから映画のチケットをよく譲ってもらい、映画を観いくことがよくあったそうです。このことがきっかけで、映画やお芝居に興味を持ったと言われています。
やがて、立教大学硬式野球部で活躍していた「立教三羽烏」と呼ばれた長嶋茂雄さん、杉浦忠さん、本屋敷錦吾さんに憧れ、立教中学校(現・立教池袋中学校)に進学。
その後、立教高等学校(現・立教新座高等学校)、立教大学経済学部とエスカレーター式に進学する中で高校時代は演劇部、大学時代に放送研究会に所属し、ラジオドラマを自主制作します。
同じ放送研究会出身で、みのもんたさんよりも4年先輩にあたる徳光和夫さんがアナウンサーになったことを知り、大学仲間と日本テレビを訪問、直接徳光さんを訪ねます。
そこで徳光さんから『これからはテレビの時代だ』と言われたことに共感し、スタジオ見学に連れて行ってもらい、美空ひばりさんなど当時の大スターを間近で見ることになります。
大学卒業後文化放送に入社
しかしながら、当時は日本テレビは新入社員を採用していなかったので、1067年に大学を卒業すると、現フジテレビ系列の文化放送に入社します。
希望は元々TBS系列の東京放送でしたが、採用試験で不合格となっています。
入社後同じフジサンケイグループの産業経済新聞社(産経新聞社)に通い、新聞原稿をラジオニュース用の原稿に書き換える仕事をします。
しかし、この仕事があまり合わなかったようで、「ニュースには向かない」と言われ、社内でよくいじめに遭っていたと言われています。
みのもんたさんは、やがて芸能を担当するようになり、深夜ラジオ放送「ゲリラでいこう」でレギュラー番組を持ち、この時の話術が巧みで人気になりました。
24歳の時には、「セイ!ヤング」の初代パーソナリティに抜擢されます。
同時間帯に放送されていた「オールナイトニッポン」や「パックインミュージック」と共に、当時の学生に支持される深夜放送全盛の時代を支える人気番組へと成長し、一時代を築きました。
その後、洋楽ランキング番組「オール・ジャパン・ポップ20」「みのもんたのワイドNo1」「ダイナミックレーダー~歌謡曲でいこう!~」など、次々とラジオ番組のパーソナリティーを務めます。
そして、フジテレビ「オールスター水泳大会」で司会を務め、やがてアナウンス部長まで登り詰めます。
文化放送退社からサラリーマン、司会者へ
しかしながら、1973年、番組編成が変更になると人事異動で営業部へ配置転換となります。
営業部では、ラジオのスポンサー企業の販売促進に協力するため、スーパーでの店頭販売をすることもあったそうです。
仕事に身が入らず、商品は全く売れずに営業成績の悪さを指摘され、人気アナウンサー時代の社内の妬みから、色々陰口を叩かれるようになります。
そして、34歳の1974年についに文化放送を退社しました。
以後、父親が経営する水道メーター製造販売会社「日国工業(ニッコク)」に入社、10年間は全国を営業で回るサラリーマン時代になります。
そのため、後に『今でもメーターを自分で組み立てられるし、図面も描ける。上場会社は楽に仕事をとっていくのに、こちらは頭下げてペコペコして悔しかった』と語っています。
当時は銀行にお金を借りるために逗子にあった自宅を担保に入れていたそうで、借金を返し終えた時の登記簿は、現在でも保管してあるそうです。
1980年、ついにフジテレビから声がかかり、「プロ野球ニュース」の週末版のキャスターとして出演が決定します。
そして、同番組の看板企画として定着した「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」が大人気になります。
ここからみのさんはTVキャスターの道を進み、「なるほど!ザ・ワールド」「オールナイトフジ」にも出演。
コミカルなサブ司会者として、知名度を上げ、45歳のときに人気番組、お昼の「午後は○○おもいッきりテレビ」の司会者に抜擢されていくことになります。
みのもんたの現在~「秘密のケンミンSHOW」でしゃべらないと話題に
喋らないのは寝ているから?
みのもんたさんは、「秘密のケンミンSHOW」でほとんどしゃべらないと話題になっています。
ニッポン放送の『土田晃之の日曜のへそ』で、久本雅美さんと土田晃之さんがこの件について、次のように語っています。
「視聴者の人にとってわかりやすいのは、久本さんをワンショットで抜いているとき。みのさん寝てますよね。普通は司会者2人のグループショットを取るわけだから。それなのに久本さん一人のワンショット(になっちゃう)」
また久本さんは、
「(番組中)みんなでご飯を食べてるときに(みのさんは)一人だけ座ってるときもある。まだ『どうだった?』『塩胡椒が効いてる』ってやってるのに普通に座ってる」
と語っていますね。さらには、
「もんたさんてすごいのは、『あれ? 聞いてないのかな』と思っても、(いきなり)パッと目を開けて、博識がすごいから『この県はこうだから』『このうどんはこうで』って(話を始める)。オヤジすげえなって思っちゃう」
と久本さんが語っているので、どうやらしゃべらないのは、年齢のせいである印象です。
さらに土田さんによれば、話に感心してみのさんを見た瞬間、また寝てしまっていることがしばしばあるそう。
よく寝るみのさんの代わりに謝る久本さんは、「もう慣れっこですから」とラジオ番組内で土田さんに語っています。
また、「秘密のケンミンSHOW」以外にも、2014年の日テレ特番でテリー伊藤さんの熱弁中にみのさんは居眠りをしたそうで、浜田雅功さんがツッコミを入れて笑いを誘ったエピソードも。
現在74歳のみのさんは、しゃべらないというよりも、深夜にも及ぶ収録で眠気に勝てず、居眠りが多くて本番中でも寝ることが多いというのが真相のようです。
みのもんたの病気説とその真相① 顔色が悪い
みのもんたさんは大の酒好きで知られ、銀座に週末や度々出かけては、飲み歩くのが常だったそうで、やはりあの年齢では、肝臓が疲弊しているため顔色もあまり良くないみたいですね。
2011年に『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)に29年ぶりに出演した際、今でも飲んでるのか?というタモリさんの質問に、みのさんは次のように答えています。
「飲んでる。だいたい夜11時くらいまで飲んで、湘南の家に帰るという生活。(以前に比べて)早くなりました。3時に起きるのが習性になっちゃったから、0時にはベッドに入って」
出典:https://contents.oricon.co.jp/
また、ある番組では、みのもんたさんは自分のお酒の飲み方についても語っています。
まず飲み始めは巨大なブランデーグラス(直径18センチほど)に、クラッシュアイスを満杯にして、そこにウィスキーを注いで飲むのが好きだったそう。
そして、深夜遅くまでブランデー、ウィスキーを交互に飲んでいたそうです。
そういったクラブ通いで、ホステスから色々な情報を得ることも多く、それがまたお昼の番組での話題作りにも活かせていたそうです。
ちなみに、みのさんは看板番組だった『午後は○○おもいッきりテレビ』の司会者の頃は、CM中にセットの後ろでお菓子やサンドイッチ、ミネラルウォーターなど、食事をしていたそう。
「秘密のケンミンSHOW」でも同じで、収録が深夜に至る場合は、スタジオセットの裏にはお酒も用意されていたようですね。
本人も、酒を飲む方が気合が入るそうで、根っからの酒好きが講じて、肝臓も加齢と共に弱って来ているのでしょう。
みのもんたの病気説とその真相② 糖尿病
みのもんたさんは前述の通り、無類のお酒好きのため、若干のアルコール中毒症で、一時期、血糖値はHbA1cが8%を超えていたと言われています。
さらに、40歳を過ぎた頃に診断されて以来、かれこれ30年以上の持病が糖尿病です。
そのため、自分でしている工夫として、みのさんは次のように語っています。
「野菜スティックが好きなので、食事の前にドレッシングなしでちょっと多めに食べるようにしたりしています。お寿司を食べに行った時は、最初から握りを食べるのではなく、まずはお刺身を作ってもらう。体を動かすのは元々好きでジムに通っていましたし、銀座でハシゴ酒する時も、2軒目の店まで走って移動したりしていたね」
昔は”羊羹をアテに日本酒を飲む”という甘党だったようで、40歳を過ぎても続けていたそうです。
最近では、「目がおかしい」とも言われていますが、70歳を超えた後期高齢者ともなれば、当然、皮膚はたるみ、まぶたも同様にゆるんで落ちてきます。
実際、ある番組では原稿を読む際に老眼鏡をかけており、すでに視力は落ちているのは明白です。
バリバリ働いていた頃と同じように、ハキハキしたみのさんを期待する方が無理があるでしょう。よく頑張っていると思います。
みのもんたの病気説とその真相③ うつ病?
みのもんたさんは、最近になって「目がおかしい」「しゃべらない」という理由から、うつ病なのではないかと噂になっているようです。
ですが、これも根拠不明の憶測の域を出ない話ですね。
そもそも、みのさんは現在70歳を超える年齢です。若い頃ならまだしも、長い芸能生活のみのさんですから、うつ病になるくらいなら、自ら芸能界を引退して隠居生活をしているはずです。
「秘密のケンミンSHOW」では、好奇心丸出しで各地の珍味に「これ、ホントにおいしいの?」と突っ込みを入れたり、美人ゲストが出るたびにニヤニヤするキャラクターでした。
今はすっかり「いい感じのシニア」で、40代のときのようなギラツキ感はなくとも、顔の艶よりも赤味を帯びた血色の良さが目立つようになっています。
みのもんたさんは、番組中はほとんど腕組みをして上を向き、時折ゲストたちのコメントに大笑いしたり、自分がやりたいように番組内で立ち振舞をしている”おじいちゃんキャラ”です。
各地のグルメを様々な世代のゲストたちと試食する場面でも、サブ司会者の久本さんにいじられて喜んでみせたりと、うつ病を感じさせるものはありません。
セクハラ疑惑や身内の不祥事でしんどい時期もあったことは間違いありませんが、現在地上波のキー局番組は「秘密のケンミンSHOW」のみですし、久本さんに華を持たせている感じです。
また、ネットでは『みのもんたのよるバズ!』を続けており、こちらでは現在でもみのもんたさんらしい、滑舌の良い番組進行を継続しています。
以上のことを総合しても、うつ病というのは単なる憶測でしょう。
まとめ
みのもんたさんも、もうすぐ後期高齢者ですから、それでも番組出演を続けているのは、ある意味、凄いですよね。
ネット番組では結構、以前と同様に元気ですし、まだまだ心配はいらないでしょう。