2018年に発生した「新潟女児殺害事件」の犯人・小林遼の裁判員裁判の判決が出ました。
今回は、あまりにも残虐な犯行で当時小学2年生の少女を殺害した小林遼の生い立ちや、親や姉などの家族、自宅についてや、死刑が求刑された裁判についてをまとめました。
この記事の目次
小林遼の起こした「新潟女児殺害事件」とは
小林遼(こばやしはるか)について詳しく見て行く前に、この男が起こした「新潟女児殺害事件」について振り返っておきたいと思います。
わいせつ目的で小学2年生女児を車で轢く
事件が発生したのは2018年、ゴールデンウィークが明けたばかり5月7日の月曜日の事でした。事件現場となったのは新潟県新潟市で、その日の天候は雨でした。
小林遼はその日の15時20分頃、新潟市西区の路上を軽自動車で走行していました。小林遼は、前方を歩いていた当時小学2年生の大桃珠生さんに後方から軽自動車を衝突させ、転倒した大桃珠生さんを抱きかかえて、軽自動車の後部座席へと押し込み、頸部を圧迫して気絶させた後に軽自動車を発進。
大桃珠生さんを殺害しわいせつ行為に及ぶ
小林遼は、新潟市西区内の通称「なぎさのふれあい広場」の駐車場へと車を停車させ、15時28分頃〜59分頃までにかけて、大桃珠生さんの下半身に触れるなどしてわいせつな行為に及びました。すると、大桃珠生さんが目を覚ましたため、頸部を5分以上にわたって圧迫して殺害。
同日16時頃には、大桃珠生さんが帰宅しない事を心配した家族や学校が周辺の捜索を開始し、ほどなくして警察への捜索願いも出されています。
その頃、小林遼は大桃珠生さんを殺害した後も性欲が収まらず、アダルトショップへ立ち寄ってローションを購入、大桃珠生さんの遺体にわいせつな行為をしようとしますが、死後硬直が始まっている事に気がつき、お湯で温めれば硬直が解けて、再び性行為ができるのではないかと考え、18時30分頃にお湯を取りに一旦自宅へと戻っています。
水筒にお湯を入れ戻った小林遼は、再び車を発車させ、19時頃に西区内の通称「たこ公園」の駐車場に車を停め、後部座席において大桃珠生さんの下半身をお湯で温め、再びわいせつ行為に及びました。
遺体を電車に轢かせて首を切断
その後、小林遼は、22時25分頃に、遺体をJR東日本越後線の線路の上に大桃珠生さんの遺体を置き、約5分後に走行した線路に轢かせて首を切断しました。
列車に惹かれたことで大桃珠生さんの遺体はすぐに発見されますが、犯人については判明せず、警察の捜査が開始されます。
小林遼が逮捕される
小林遼が死体遺棄と死体損壊の容疑で逮捕されたのは、事件発生から1週間後の5月14日でした。
実は、小林遼はこの事件を起こす4ヶ月前の1月には「児童ポルノ法違」で、事件のひと月前の4月には、別の中学生女子を連れ回した事で「青少年健全育成条例違反」によって書類送検されており、早い段階から捜査線上に上がっていたようです。
また、被害者の大桃珠生さんは事件の当日の朝、学校の友人に「黒い服のサングラスのおじさんに追いかけられた」と話していた事も明らかになり、小林遼がその日の朝の段階から大桃珠生さんに目をつけ、狙っていた疑いなども浮上しました。
小林遼は、犯行にも使われた軽自動車に乗り新潟市の道の駅「新潟ふるさと村」にいたところを検挙されているのですが、この逮捕時に小林遼の車内から練炭と七輪が発見されており、捜査の手が及んだ事に絶望して自殺しようとしていたのではないか?との見方も出ています。
さらに、その後の裁判で明らかになったのですが、逮捕される2日前の5月12日、小林遼は出会い系サイトで知り合った別の女子児童に対して「お金を払うからセックスしよう」と持ちかけていたようです。
なお、この逮捕時に犯人小林遼について、逮捕時の年齢は23歳(2018年5月時点)の会社員と公表されています。
小林遼の生い立ち
これほどの猟奇的殺人事件を起こした小林遼とは、一体どんな生い立ちを持っているのでしょうか?小林遼の生い立ちについて詳しく見ていきましょう。
小林遼は、判明している年齢から逆算すると1995年か1996年の生まれだと考えられます。
その後の報道によれば、小林遼は被害女児の通っていた小針小学校の出身で、その後小針中学校を経て、新潟工業高校の電気科へと進学した事が明らかになっています。
小林遼の学生時代の同級生への取材も行われており、それによれば中学時代の小林遼は「みんなと仲良く楽しそうにやっていた」そうです。また、中学時代の同級生だったという女性は「クラスで浮いてもいないし友人もいた、変わった人という印象はなかった」と証言しています。
高校卒業後に電気関連の工事会社へ
小林遼は高校を卒業後に、電気関連を取り扱う地元の工事会社へと就職しています。仕事の態度は真面目だったようで評判は悪くなく、人付き合いもよく飲み会などにも欠かさず顔を出していたそうです。
小林遼がこの会社を選んだ理由は、電気工事が好きだからだそうで、仕事はビルの電気配線やスイッチの設置を担当していたようです。
この会社の役員男性は「大人しいタイプだが真面目で無断欠勤はない」「中堅になったという事でこれからに期待していた」と証言しています。
しかし、事件を起こした当日の朝は会社を無断欠勤しており、その後も欠勤が続いたため会社側も心配して何度も連絡を入れていたと証言しています。小林遼はこの会社に入って6年目に「新潟女児殺害事件」を起こしました。
小林遼の家族① 両親について
小林遼の家族についても見ていきたいと思います。まず小林遼は実家住まいで両親と同居していました。この両親についてもマスコミの取材である程度の情報が明らかになっています。
小林遼の父について
小林遼の父は50代から60代と推測されており、小林遼が容疑者として逮捕される前にはマスコミの取材にも応じ「不審な車両を見ていないか?」「家族構成について」などの質問に回答しています。
小林遼の父親はこうした質問に淡々と答えており、息子が犯人だとは思っていなかった様子でした。
この父親は小林遼の裁判でも証人として出席し尋問を受けています。その際には遺族に向けて謝罪の言葉を口にしています。
小林遼の母について
小林遼の母親も50代から60代と見られています。母親は小林遼が警察に任意同行で連行された際にインターホン越しにマスコミのインタビューに応じています。
「遼容疑者は今どこに?」という質問に「仕事だと思いますけど」と回答しますが、続けて「事件発生時にどこかに行っていたか?」という質問には沈黙しています。
まさか息子が犯人だとは思っておらず、事態の急展開に混乱していた可能性もあります。
この母親もまた、父親とともに法廷で証人席に出席し、遺族への謝罪を述べています。
小林遼の家族② 兄弟は姉と弟
小林遼には、姉と弟の2人の姉弟がいます。姉についての情報はほとんどありませんが、弟はマスコミの取材に応じています。弟へのインタビューは小林遼が警察に連行された後に行われたもので、映像ではモザイクをかけられ顔は見えませんでしたが、大学生ではないかと言われています。
弟はマスコミの「遼さんはいますか?」との質問に「まだ帰ってきていないです」と回答「どこにいますか?」の回答には「仕事だと思います」と回答しており、やはり兄が犯人だとは思っていなかったようです。
小林遼には小児性愛障害の可能性も
仲の良い友人にはロリコン趣味や美少女ゲーム好きを明かしていた
大人しいながらも普通に友人もいて、楽しく学校に通っていたという学生時代の印象や、就職後も人間関係にトラブルを起こさず、真面目な勤務態度が評価もあった小林遼ですが、一部の中の良い友人に対しては自分の少し特殊な性的願望を明かす事もあったようです。
中学生時代の小林遼は、一部の同級生に対して自身がロリコン趣味がある事を明かしており、同級生からは小林遼が幼児キャラが登場する美少女ゲームにハマっていたという証言も出ています。
また、別の中学時代の同級生からは、小学生時代は自分たちとよく遊んでいたのに、中学に上がる頃から自分たちとは遊ばなくなり、近所の小さな子供たちと遊ぶ事が多くなったという証言が出ています。
僕たちとは全然遊ばなくなって、代わりに、近所の小さい子たちと遊ぶことが多くなったんです。同時に“あいつ、ロリコンでやべえ”みたいな声も聞こえてきて、僕らはなおさら近づかなくなりました
小林遼がロリコンなのではないか?という噂は当時からあったようです。小林遼は近所の幼い子供たちと鬼ごっこやサッカーをして遊んでいたという事ですが、その後の犯行などを考えれば、幼い子供達と体を触れあわせるために、こうした遊びを選んでいたのではないかという推測ができます。
こうした情報から、専門家からは「小林遼には小児性愛障害の可能性がある」との指摘が出ています。
事実、小林遼は「新潟女児殺害事件」を起こす前にも、「児童ポルノ法違反」や中学生少女を連れ回したことによる「青少年健全育成条例違反」などのわいせつ行為で書類送検されています。何らかの性的倒錯を持っていた事は間違い無いと思われます。
アニメオタクを安易に犯罪者と重ねる報道には批判も
小林遼がロリコン趣味、美少女ゲーム好きを友人に明かしていた事などが明らかになると、一部のメディアではこの情報を拡大解釈し、小林遼がアニメオタクだったと大げさに報じ、あたかもそれが凶悪犯罪につながったかのような報道がされました。
これに対し、ネット上で「アニメオタク=犯罪者予備軍」と安易に結びつけるような偏向報道だとして批判が起こり、炎上騒動にも発展しています。
新潟小2女児遺体遺棄事件の犯人「小林遼」はアニメオタクでロリコンだった。
— 尾花ミキオ(来年も宜しくお願い致します) (@MICKUNXYZ) November 22, 2019
って、言葉が目立つ。
やっぱりアニメオタクは危ないとか騒ぐけど、楽器好きなのもオタク、映画コレクターってのもオタクでしょ。
アニメ、漫画を観て育った癖に偏見で趣味否定してるだけじゃないのかな。 https://t.co/WjTD5glyPk pic.twitter.com/in8w10aATt
事件後被害者宅にマスコミが殺到し批判される
出典:https://www.news-postseven.com
また、「新潟女児殺害事件」が発生すると小林遼が犯人が特定される前から被害者の大桃珠生さん宅にはマスコミ報道陣が殺到、被害者家族や近隣住人の生活に支障をきたすほどの事態となります。
テレビでは被害者宅をモザイクで隠す事もなく放映し、被害者家族のプライバシー保護もひったくれもありませんでした。
大桃珠生さんの遺体が発見された場所を中心に、マスコミは連日ヘリコプターを飛ばし、その騒音で近隣住人は多大な迷惑を被ったとされます。
さらには、遺体発見場所に死を悼むためにたくさんの花が手向けられているすぐそばで、タバコをふかしながら談笑するマスコミ関係者の姿も目撃されており、こうしたマスコミの不謹慎な報道姿勢には多くの批判が集まりました。
この事件で被害者の家は映すわ
— オカシラ太郎 (@daidenjin) May 14, 2018
名前は出すわでやりたい放題だな
マスコミは・・
しかし何故に両親は映像に出てこないのだろうか?
特殊な事情があるんだろうか??#新潟女児殺害
新潟女児殺害、今の時点で女児の自宅前にマスコミが集まっているけど、
— デシャン (@nanimonaindaked) May 14, 2018
そこにどんな意味があるのか?
ご家族の事を考えそっとして挙げるべき。マスコミはプライバシーの侵害もほどほどにしてほしい。#新潟女児殺害
小林遼の自宅は被害者宅のすぐ近所だった
「新潟女児殺害事件」は、犯人の小林遼の自宅が被害者の大桃珠生さんの自宅のすぐ近くだった事でも注目を集めました。
小林遼の自宅と、大桃珠生さんの自宅の距離はなんと100mほどしか離れていない近所で、少なくとも大桃珠生さんが誕生した頃には小林遼はそこに住んでいたという情報も明らかになっています。
つまり、小林遼はかなり早い段階で大桃珠生さんを知っていた可能性が高く、ターゲットとして狙っていた可能性も浮上しました。
小林遼が近所の小さい子供とよく遊んでいたという証言もある事から、もしかしたらお互いに顔見知りだった可能性もあるでしょう。
小林遼はその後の裁判で大桃珠生さんにイタズラをしようとしただけで殺害の意図はなかったと陳述していますが、100mほどしか離れていない近所に住んでいたのであれば、大桃珠生さんが被害にあった事を親などに話せば、すぐに自分が捕まってしまうと考えるのが自然で、そうした点を考え含めれば、やはり小林遼は最初から大桃珠生さんを殺害する意図を持って犯行に及んだと考えるのが妥当では無いでしょうか?
小林遼の家族は既に自宅から引っ越している?
小林遼の両親や姉弟は、自宅が被害者宅のすぐ近所ということで、事件後もその場所に住むことは難しいと思われます。
現在は既に別の場所に引っ越していると言われていますが、何処へ引っ越したかなどの情報は明らかになっていません。
ただ、これまでと同じように生活していく事は困難になっている事は間違い無いでしょう。小林遼は自身の家族の人生にも多大な影響を及ぼした事になります。
小林遼の裁判は?死刑を望む声もあったが第一審も第二審も無期懲役判決
小林遼の裁判は新潟地方裁判所で行われ、2019年12月4日に無期懲役の第一審判決が下りました。小林遼はこれを不服として控訴しており、第二審が東京高等裁判所で行われる事になります。
検察側は死刑を求刑していましたが、裁判長は無期懲役の判決を下しました。
裁判全体としては小林遼に殺意があったかを焦点に争われ、検察側は明確な殺意があったとし「生命軽視の度合いは甚だしい」と死刑を求刑したのに対し、弁護側は大桃珠生さんの首を絞めたのは、失神させるためで殺害する意図はなかったとし殺人罪ではなく「傷害致死罪」にあたると主張。重くても懲役10年が妥当であると主張していました。
12月4日の判決では山崎威裁判長は「気絶させる目的だったとしても、首を絞める行為は人が死ぬ危険性が高いと(小林遼は)認識していた」として殺意を認定しています。
その上で「殺害の計画性が認められない」「同様の事件と比べて際立って残虐とは言えない」という理由を述べ、無期懲役が妥当との判決を下しました。
抵抗できない弱者を狙った無差別的な事件で結果は重大だが殺害の計画性は認められない。同様の事件と比べて際立って残虐とは言えず死刑を選択するのにやむをえないとは言えない
判決を聞いた小林遼の反応は?
無期懲役の判決を言い渡された小林遼は、表情を変える事なく裁判長の方向を見つめ、淡々とした様子で判決を聞いていたという事です。
判決を言い渡した後山崎裁判長は、小林遼に向けて反省を促す言葉をかけています。
残念ながらこれまでの裁判では、反省の態度がご遺族や裁判官にも伝わらなかった。(中略)1日に1回被害者のために手を合わせていると言っていたが、1回と言わず何度も何度も手を合わせ、土下座してほしい。生きて罪を償うことになった以上、命が尽きるその瞬間まで、謝罪の気持ちを忘れず、いつか更生の出発点に立って、少しずつ立ち直ってほしい
この言葉にも小林遼は表情を変えず、身動きする事もなく、まっすぐに裁判長の方を見つめていたようです。
遺族からは怒りのコメント
無期懲役の判決を受け、大桃珠生さんの遺族は弁護士を通じて怒りのコメントを発表しています。
被告が娘に対してしたことは決して許されることではなく、娘の命を奪った以上、命をもって罪を償うのが当然で、死刑でも足りないと思っています。被告がこれからもずっと生きていく理不尽は納得できません
幼い子供の命を自分の欲望のためだけに奪った小林遼に対して、遺族が死刑を望むのは当然のことでしょう。
ネットでもこの判決に怒りの声が
小林遼無期懲役の判決にはネットでも怒りの声が上がっています。
こんな鬼畜のキチガイなんか死刑以外に無いやろ‼️💢
— もぐんぷ😈 (@msiw0813) December 4, 2019
親に復讐の権利を与えてほしい。
山崎 威 裁判長は泣きながら判決文を読んだ
— 茶畑の健ちゃん (@tyabaken114) December 4, 2019
およそ法曹者の資格ない
ヘタレだし無責任の極み
犯人小林遼の極悪は事実で明白
何ら証拠ない嘘の被告を
庇う弁護士のセカンドレイプ
小林遼が死刑にならないのは
司法の死
検察官は必ず控訴する
高裁は矜持を示さなければならぬhttps://t.co/8dmQsjXRdp
小林遼はこの判決に不服として控訴しており、東京高裁で審理が続きます。そして、第二審でも2022年3月17日に「無期懲役」判決となっています。
新潟市西区で2018年5月、当時7歳の女児を殺害したなどとして殺人や強制わいせつ致死などの罪に問われた小林遼被告(27)の控訴審判決が17日、東京高裁(大善文男裁判長)であった。判決は、無期懲役とした一審判決を支持し、検察側と弁護側の双方の控訴を棄却した。
まとめ
出典:https://friday.kodansha.co.jp
今回は「新潟女児殺害事件」の犯人・小林遼についてまとめてみました。
小林遼は、2018年5月、自分の性欲を満たすためだけに近所に住む当時小学2年生の大桃珠生さんを殺害し、わいせつな行為をし、さらにその遺体を線路上において列車に轢かせ首を切断させるという残虐な犯行を犯しました。
その後小林遼は逮捕され、新潟地方裁判所で裁判が開かれましたが、第一審判決は死刑の求刑に対して「無期懲役」でした。
この判決には遺族や世間からの批判が起きています。被告側も重くとも懲役10年を主張しており、この判決を不服として控訴していましたが、東京高裁での第二審も「無期懲役」判決となっています。
次は最高裁に進むと思われますが、今後も注目です。