敏腕音楽プロデューサーとして知られる川添象郎さんが2024年に亡くなられました。
今回は川添象郎さんの若い頃、元嫁・風吹ジュンさんとの馴れ初めや離婚理由、荻野目慶子さんとの不倫騒動、子供の有無、逮捕歴や死去した現在までをまとめました。
この記事の目次
川添象郎は1980年代を代表する音楽プロデューサー
出典:https://www.musicman.co.jp/
川添象郎さんは日本を代表する音楽プロデューサーとして活動されていた方です。
YMOや松任谷由実さん、内田裕也さん、青山テルマさんなど社会現象を巻き起こしたアーティストたちを世の中に送り出してきました。
川添象郎のプロフィール
出典:https://spice.eplus.jp/
川添象郎(かわぞえ しょうろう)
生年月日: 1941年1月27日
出身地: 東京都
血液型: B型
最終学歴: 和光高等学校
音楽分野以外にも、空間プロデューサーを務めるなど、マルチな才能を発揮していた川添象郎さん。
しかしその一方で、5回の結婚や不倫報道、薬物や監禁暴行での逮捕など、何かとお騒がせな人物としても知られていました。
川添象郎の華麗なる家族
出典:https://ameblo.jp/
川添象郎さんの先祖は、歴史上に名を遺した人物ばかりです。
この血筋があったからこそ、自身を枠にはめることなく新たなことに挑戦し続けられるのかもしれない、と川添象郎さん本人が明かしていました。
天下のならず者の血筋だと明かす
出典:https://www.apg-aiplan.com/
曾祖父は、幕末土佐藩士の後藤象二郎氏。明治維新後は、大阪知事や左院議長、参議などの要職に就いています。
さらにこの時代には珍しい欧州留学を経験し、逓信大臣や農商務大臣を歴任しました。
祖父は、日本人初の南洋群島を探索した後藤猛太郎氏。後に日活の前身となる日本活動フィルムの初代社長に就きました。
そんな祖父は「ならず者」を自称し、オランダに留学中にお金を使いすぎて勘当されていたのだとか。
象郎という名前は、維新の立役者と言われる「後藤象二郎を象(かたど)る、(写し取る)」ように、と願いを込めて名づけられました。
川添象郎さんは、インタビューでこの名前の由来について「おかげで破天荒な人生になっちゃった」と楽し気に語っています。
なかなか人が出来ないような人生の選択を重ねて、日本の音楽界を牽引した川添象郎さんの若い頃については、この後の章で紹介します。
父親はキャンティの創業者
出典:https://tabelog.com/
キャンティとは、主に都内で展開されているイタリアンレストランです。芸能界や著名人にキャンティの常連が多いことでも知られています。
そんなレストラン「キャンティ」の創業者こそが、父親の川添浩史さん。
若くしてパリに遊学し、帰国後はレオナルドダヴィンチ展を開催するなど、文化活動を行っていました。
1960年、麻布にキャンティの第1号店を開店。バジルを使ったパスタを売りに事業をスタートさせると、物珍しさやサロンのような雰囲気が人気を博したのです。
父親の死去後は、川添象郎さんの弟の川添光男さんが後を継ぎました。
川添象郎の若い頃① 舞台芸術家として活動
父親の一声で大学を免除
出典:https://plaza.rakuten.co.jp/
川添象郎さんは、慶應義塾幼稚舎を経て、エスカレーター式で高校まで進学。母親の意向で途中からラ・サール高校に転校し、最終的には和光高校を卒業しました。
父親から将来何をするつもりかと問われた川添象郎さんは、「音楽と映画が好きだから、その道に」と回答したそうです。
すると父親は「じゃあ大学に行く必要はないな」と告げました。川添象郎さんは勉強が嫌いだったので、内心「しめた」と思ったそう。
高校を卒業後の1959年から舞台技術勉強のために渡米し、ラスベガスで働き始めました。翌年からはニューヨークに移動し、フラメンコのギタリストに転身しています。
その頃から、舞台芸術家としても活動を開始し、ブロードウェイの舞台「六人を乗せた馬車」で楽器演奏を担当するようになりました。
ギターを弾いて実力をアピール
出典:https://www.rockin.co.jp/
その後、フラメンコの技術を高めるためにスペインに渡りました。
当時のフランスはフランコ独裁時代で、物々しい雰囲気だったそうです。
空港には自動小銃を構える兵隊が歩き回り、川添象郎さんは税関で呼び止められて「何をしているのか」と質問されたので、「フラメンコと音楽を学びに」と回答しました。
すると兵士は「嘘をつけ。中国人がフラメンコや音楽を勉強しないだろ」と言いがかりを付けてきたのだとか。
川添象郎さんは「俺は日本人だ!いいから聞け」と言い、その場でギターを弾き始めたところ、周囲にいた兵隊たちは呆気に取られていたそうです。
川添象郎の若い頃② 音楽プロデューサーとして活動
YMOをプロデュース
出典:https://www.pinterest.jp/
帰国した川添象郎さんは、1970年から音楽プロデューサーとしての活動をスタートさせます。
1977年には、村井邦彦さんと「アルファレコード」を立ち上げ、YMO、荒井由実(後の松任谷由実)、カシオペア、尾崎豊などをプロデュース。
社会現象を巻き起こしたのです。
川添象郎は青山テルマの仕掛け人
出典:https://sirabee.com/
「そばにいるね」が大ヒットした青山テルマ
川添象郎さんが音楽プロデューサーとして一時代を築いたのは、1970年代後半から1980年代です。
その後、青山テルマさんの名プロデュースぶりで知られることになりました。
青山テルマさんの代表曲「そばにいるね」は、これまでにない手法を用いて大ヒットへと導きました。
川添象郎さんは、男性ミュージシャン・SoulJaさんの楽曲「ここにいるよ」を「feat.青山テルマ」としてプロデュース。
当時はまだ無名だった青山テルマさんの知名度が、これをきっかけに一気に上がりました。
「ここにいるよ」は、男性視点で描かれる遠距離恋愛を描いた楽曲です。翌年にはアンサーソング「そばにいるね」を青山テルマさんがリリース。
アンサーソング「そばにいるね」は女性目線で描かれています。「ここにいるよ」を知っている人は2倍楽しめるような仕組みになっているのです。
また、ちょうど「そばにいるね」が発売された2008年は、携帯の着ウタが大流行していました。
「そばにいるね」もCDリリース前に着ウタで先行配信したところ、あれよあれよとダウンロード数が伸び、注目を事前に集めたことでCDの売り上げは目標の20万枚をクリアしました。
最終的にCDは55万枚、配信は合計850万ダウンロードという驚異的なヒットを記録したのです。
川添象郎が結婚した3人目の元嫁は女優・風吹ジュン 【馴れ初めも紹介】
出典:https://www.mbs.jp/
ここからは川添象郎さんの私生活を見ていきましょう。
川添象郎さんは5回の結婚歴があり、どうやらとてもモテていたようです。
5人の嫁の中でも有名なのは、女優の風吹ジュンさんです。風吹ジュンさんと結婚した時点で、川添象郎さんは当時バツ2でした。
1人目の嫁は歌手をしていた沢村美司子さんという女性のようですが、2人の嫁については情報が出ていないことから一般人なのかもしれません。
風吹ジュンさんとはどのような馴れ初めで結婚し、その後離婚に至ったのでしょうか。
風吹ジュンのプロフィール
出典:https://news.yahoo.co.jp/
風吹 ジュン(ふぶき じゅん)
生年月日: 1952年5月12日
出身地: 富山県
血液型: B型
身長: 157cm
風吹ジュンさんと言えば、年齢を重ねても可愛らしさを失わない女優として知られていますね。
優しい母親役を演じることが多かったのですが、近年は祖母役を演じることも。
プライベートでは、登山やお茶など多趣味なようです。
風吹ジュンとの馴れ初めは?
出典:https://ourage.jp/
風吹ジュンさんとの馴れ初めを調査しましたが、双方公開していないようでした。
風吹さんは「はっきり言ってタイプの男性ではありません。気障で粋がって、見せびらかすタイプ。なのに音楽や美術の造形に富み、気になってしまった」と惹かれた理由を明かしています。
川添象郎と元嫁・風吹ジュンの離婚理由は不倫
出典:https://oggi.jp/
2人が結婚したのは1981年。この時の川添象郎さんの年齢は40歳で、風吹ジュンさんは11歳下の29歳でした。
2人が離婚したのは1992年なので、結婚後11年で破局し、川添象郎さんはバツ3に。
元々女性関係が華やかな川添象郎さん。風吹ジュンさんとの離婚原因は不倫でした。
報道によると、女子大生と交際し妊娠が発覚したことで、風吹ジュンさんから三行半を突きつけられる形で離婚になったようです。
実は、この愛人こそが4人目の嫁となる小出明子さんだったのです。
川添象郎が結婚した4人目の元嫁は小出明子 【馴れ初めも紹介】
出典:https://ameblo.jp/
若い頃の小出明子
不倫が原因で風吹ジュンさんと離婚が成立した川添象郎さんは、その後、その不倫相手と結婚しました。
4人目の嫁となったのは小出明子さんという女性で、小説のモデルにもなったことでも知られています。
『アッコちゃんの時代』から馴れ初めを読み解く
出典:https://84225797.at.webry.info/
林真理子の著書「アッコちゃんの時代」
4人目の嫁の小出明子さんは、かつて最上興産の社長を務めていた早坂太吉さんの愛人だったことで有名な女性です。
どのような馴れ初めで川添象郎さんが小出明子さんと交際に発展したのかは、本人達は明かしていません。
ですが、林真理子さんの小説「アッコちゃんの時代」のヒロイン・五十嵐厚子のモデルが、小出明子さんだと判明しているので、小説からおおよその馴れ初めを知ることができます。
あらすじによると、ヒロイン・五十嵐厚子はキャバクラでアルバイトをしている女子大生。勤務先で、父親がレストランを経営している御曹司と出会います。
御曹司に嫁がいることを知りながらも、五十嵐厚子は体の関係を持ち妊娠。嫁と別れた御曹司と結婚した五十嵐厚子でしたが、御曹司は新しい愛人を作り、2人は離婚しています。
この御曹司は川添象郎さんがモデルと言われており、川添象郎さんと小出明子さんはキャバクラで出会った可能性があります。
川添象郎と元嫁・小出明子の離婚理由は荻野目慶子との不倫
出典:https://eiga.com/
不倫報道で話題になった荻野目慶子
小出明子さんと結婚した川添象郎さんでしたが、実際の生活も小説と同じような道を辿ります。
結婚後、川添象郎さんと女優・荻野目慶子さんとの不倫が報道されたことをきっかけに、別居。その後離婚しています。
離婚した時期は定かではありませんが、2007年に整体師をしている陽子さんという女性と結婚していますので、結婚生活は15年ほどだったと思われます。
川添象郎の子供は3人 【もっと多い可能性も】
出典:https://windy-windy.net/
川添象郎さんには、分かっているだけで子供が3人誕生しています。
3人目の嫁である風吹ジュンさんが1984年に長女、1986年に長男を出産。
その後に結婚した小出明子さんも息子を出産しています。
1人目と2人目の元嫁については明かされていないので、実際は他にも子供がいる可能性も十分ありますね。
川添象郎には薬物や監禁暴行での逮捕歴も
出典:https://ntmg.net/
川添象郎さんは結婚歴だけでなく逮捕歴が多いことでも知られていました。
1970年に、プロデューサーを務めるミュージカルのメンバーらとマリファナパーティーを開き逮捕。その翌年には、元俳優から大麻を譲り受けて使用したとして大麻取締法違反容疑で逮捕されています。
1982年には大麻取締法違反と覚せい剤取締法で逮捕されました。
1997年には、自社の元社員を20時間も監禁し、顔面をエアガンで撃ち全身を木刀で殴打するなどして重傷を負わせ監禁暴行の容疑で全国に指名手配された後に逮捕されています。
この事件では懲役3年執行猶予5年の有罪判決を受けましたが、執行猶予期間中の1999年に覚せい剤取締法違反の現行犯で逮捕され、懲役1年6か月の実刑判決を受けました。
2013年には、コンビニで万引きをして逮捕。この時、尿検査をした結果覚せい剤の陽性反応が出たことで、覚せい剤取締法違反でも逮捕されています。
保釈中にも大麻取締法違反で逮捕され、懲役2年の実刑判決を受けました。
29歳から72歳までの間に主に薬物で何度も逮捕されており、薬物を絶つことの難しさを感じずにはいられませんね。
川添象郎の現在~2024年に83歳で死去
出典:https://m.sohu.com/n/
川添象郎さんは2024年9月8日に急性心不全のため亡くなっています。83歳でした。
川添象郎さんの死後、川添象郎さんと小出明子さんの子供である音楽プロデューサーの川添大嗣(ひろつぐ)さんが、父親の晩年や最期について語りました。
大嗣さんによると、川添象郎さんは40代の時に心筋梗塞を起こし心臓と血管の持病を患い、50代の時には脳梗塞を起こしたこともあったようです。
それでも精力的に活動を続け、晩年は毎日のように「キャンティ」に通っていたとのことですが、2024年2月に倒れ半年ほど入院生活を送っていたといいます。
9月上旬に退院して自宅療養をしながら音楽活動の再開を模索していましたが、退院からわずか1週間ほどで亡くなってしまったとのことです。
川添象郎さんは5人目の嫁である陽子さんの実家がある福島県で生活していたようで、福島県内にある自宅で最期を迎えました。
葬儀は、2024年9月18日に家族葬で執り行われたとのことです。
まとめ
出典:https://www.pinterest.jp/
川添象郎さんは、父親が「キャンティ」を経営、祖父は日本初の南洋群島を探索した後藤猛太郎氏など、華麗なる一族の1人として知られています。
高校卒業後、フラメンコと音楽の勉強のために海外留学をしています。ブロードウェイで音楽を担当したこともあったそうです。
帰国後は、YMOや松任谷由実さん、青山テルマさんなど有名なアーティストを世に送り出す敏腕音楽プロデューサーとして活躍。
プライベートでは5人の女性と結婚しています。3人目の嫁は風吹ジュンさん、4人目の嫁は小説「アッコの時代」のモデルになった小出明子さんです。
薬物や監禁暴行での逮捕歴もあり、まさに波乱万丈な人生を歩んできた川添象郎さんですが、2024年にその人生の幕を閉じています。ご冥福をお祈り申し上げます。