日活ロマンポルノでデビューした可愛かずみさんは若くして自殺しましたが、17年後に公開された遺書が話題です。
今回は可愛かずみさんの元彼氏・川崎憲次郎さんとの熱愛や破局、自殺までの経緯と公開された遺書をまとめました。
この記事の目次
可愛かずみのプロフィール
プロフィール
名前:可愛 かずみ(かわい かずみ)
本名:久我 知子(くが ともこ)
生年月日:1964年7月9日
没年月日:1997年5月9日(32歳没)
出生地:東京都杉並区
死没地:東京都新宿区
身長: 161 cm
血液型: A型
職業: 女優、歌手、グラビアアイドル
活動期間: 1982年 – 1997年
「ポルノ女優」のレッテルを剥がそうと懸命に頑張った生涯
可愛かずみさんは、女子高生時代にスカウトされて、日活ロマンポルノ映画「セーラー服色情飼育」に出演したのがきっかけで、芸能界入りを果たしました。
一度貼られた「ポルノ女優」のレッテルを剥がそうと懸命に頑張るうちに、いつしか様々なストレスを抱えていたと言われている可愛かずみさん。
そして、結婚目前と噂されたプロ野球選手・川崎憲次郎さんとの破局のショックなどが重なり、可愛かずみさんは川崎憲次郎さんの自宅マンションから飛び降り、帰らぬ人となりました…。
出典:https://oreno-trend.biz/
そんな可愛かずみさんの生い立ちと、その後生涯に渡って彼女を苦しめることになる「ポルノ女優」としての芸能界デビュー、川崎憲次郎さんとの熱愛と破局、そして自殺をまとめます。
可愛かずみの生い立ち~芸能界デビュー
可愛かずみさんの両親は幼少期に離婚しており、たった1年ほど母親と暮らした経験はあるものの、その後は父親に引き取られています。
その後、可愛かずみさんと母親の対面が叶ったのは、可愛かずみさんの通夜だったようです…。
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高校時代にモデルクラブにスカウトされる
元々は芸能界には興味がなく、美容師になるつもりだったという可愛かずみさん。しかし、高校時代にスカウトされたことをきっかけに、とあるモデルクラブに登録しました。
そして、日活の宣伝用ポスターの仕事が入り引き受けたのですが、後にヌードにならなければならない仕事であることがわかり、「話が違う!」と一旦は断ろうとしたそうです。
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しかし、仕事を持ってきた日活の担当者が、上司にこっぴどく叱られてるのを目の当たりにした可愛かずみさんは、そんな担当者に同情してしまい結局引き受けることに…。
芸能界デビューは日活ロマンポルノ「セーラー服色情飼育」
このポスターの仕事が映画監督の渡辺護さんの目に止まり、熱烈オファーを受けた可愛かずみさんは1992年、日活ロマンポルノ映画「セーラー服色情飼育」で芸能界デビューを果たします。
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もちろんこの映画はアダルト向けであるため、可愛かずみさんはさすがに引き受けるのをためらったそう。
ですが、事務所から「次の仕事につながるから」と説得を受けたこともあり、「際どいラブシーンはしない」という条件付きで出演を承諾したそうです。
ちなみに、“可愛かずみ”という芸名は、このデビュー作の監督である渡辺護さんにより付けられたそうです。その理由は単純に「可愛いから“可愛かずみ”にした」とのこと。
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結局、可愛かずみさんが出演したポルノ映画は、この「セーラー服色情飼育」1本きりでしたが、まだ幼さが残るあどけない顔立ちと抜群のスタイルで、その後大きな注目を集めました。
しかし、華々しい芸能界デビューと同時に、「日活ロマンポルノ出身女優」というレッテルが、生涯に渡って可愛かずみさんを苦しめることになろうとは…。
可愛かずみと彼氏・川崎憲次郎の熱愛発覚~破局まで
1995年に可愛かずみと川崎憲次郎の熱愛が発覚!
そんな可愛かずみさんは、1995年に当時ヤクルトスワローズに在籍していたプロ野球選手・川崎憲次郎さんとの熱愛が発覚しています。
出典:https://www.asagei.com/
なんでも川崎憲次郎さんは元々、可愛かずみさんの大ファンだったらしく、マスコミ取材に対しても隠し立てすることなく、交際を認めていました。
また、熱愛が発覚した後も2人は順調に交際を続けており、結婚間近とも囁かれていました。
ちなみに可愛かずみさんの方が川崎憲次郎さんよりも6歳年上だったそうですが、ことプロ野球界では、姉さん女房の方が好まれる傾向があるようなので、何ら問題なかったようですね。
可愛かずみの彼氏だった川崎憲次郎のプロフィール
プロフィール
名前:川崎 憲次郎(かわさき けんじろう)
出身地:大分県佐伯市
生年月日:1971年1月8日
身長180 cm
ヤクルトスワローズ (1989-2000)
中日ドラゴンズ (2001-2004)
川崎憲次郎の故障がきっかけで2人は破局することに
ところがです!川崎憲次郎さんが故障した頃から、次第に可愛かずみさんとの間にすれ違いが生じてしまったようです。
結局、川崎憲次郎さんの「怪我の治療に専念したい」との理由で、2人は破局してしまうことに…。
プロ野球選手にとっては1年、1年がまさに正念場であり、土壇場でもあるので、「今は恋愛どころではない」って気持ちもよくわかります。
ですが、逆にそんな時こそ、彼氏を近くで支えたいと願うのが女心ってものですよねぇ…。その時に可愛かずみさんが感じたであろう無力感と辛さは計り知れません。
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結局、1995年に熱愛が発覚してから、一時は結婚秒読みか!ってところまで行っておきながら、1年半ほどで破局することになりました。
結婚を熱望していた可愛かずみさんの想いに、川崎憲次郎さんが応えられなかったのが原因だったとも言われていたようです。
可愛かずみのストレスが募った原因は川崎憲次郎との破局だけではなかった?
可愛かずみさんは熱愛発覚以前にも、仕事のストレスなどで精神的に不安定だったとの証言もあるようですが、川崎憲次郎さんと熱愛していた時期は、比較的落ち着いていたと言います。
しかし、川崎憲次郎さんとの破局によるショックからか、かなりのストレスが可愛かずみさんを襲っていたようです。
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「彼女のショックは相当なものだったようで、ストレスから過呼吸状態に陥る過換気症候群を患っていたといいます」(ワイドショー関係者)
引用:「昭和・平成」有名人の衝撃自死(10)止まらなかった可愛かずみの自傷行為 | アサ芸プラス https://www.asagei.com/
しかし、可愛かずみさんのストレスの原因となったのは、川崎憲次郎さんとの破局だけではありませんでした。
1996年3月に週刊誌によってすっぱ抜かれた、志村けんさんとのツーショット報道なども、可愛かずみさんを精神的にも肉体的にも追い込んでいったようです。
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そもそも可愛かずみさんは芸能界での友人が非常に多く、志村けんさんとは「志村けんのだいじょうぶだぁ」での共演によって親交があったようです。
とは言え、深い仲などではなく、時には親友の川上麻衣子さんと3人で酒を飲み、酔っ払った挙げ句に雑魚寝をするほどフランクな間柄だったのだとか。
しかし、この志村けんさんとのツーショット報道は、川崎憲次郎さんとの破局の直後のこと。
まるで可愛かずみさんが川崎憲次郎さんから志村けんさんに彼氏を乗り換えたかのように報じられたことが、精神的に相当堪えたとも言われています。
さらに極めつけが…ある大物女優からの厳しい罵倒も、可愛かずみさんを追い詰めたと言われています。
と言うのも、可愛かずみさんはあるドラマで何度もNGを出してしまい、共演していた大物女優から激しく罵倒されたのだとか。その大物女優とは、この人ではないかと言われています。
確かに、芸能界の毒舌ご意見番として知られていた加賀まりこさんですから、悪気のあるなしはともかく、共演者に対しても平気で厳しい言葉を投げつけちゃいそうです。
ただ、一説によると加賀まりこさんは、NGを連発する可愛かずみさんに対して「ポルノあがりのくせに!」と、彼女が最も傷付くであろう言葉を投げつけてしまったようなんですよね。
この一件によってかなりの精神的ダメージを受けた可愛かずみさんは、それ以降、強力な精神安定剤を常用するようになったと言われています。
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さらに、川崎憲次郎さんとの交際の関連で、次のような指摘もあるようなのですが、今となっては確認しようがありません。
野球選手との交際を快く思わなかった人からの嫌がらせ行為で精神的に相当追い詰められていたのが自殺の原因だったみたいね。
引用:マンションから飛び降りた可愛かずみさんが、父親に宛てた遺書の内容 : ザ・ミステリー体験 http://kowasugiru.blog.jp/
熱狂的なプロ野球ファンは少なくないので、こんなこともあったのかも知れませんね。
可愛かずみが川崎憲次郎の自宅から飛び降り自殺
以上、可愛かずみさんを精神的に追い詰めた要因として考えられているのは…
・川崎憲次郎さんとの結婚への道が絶たれたこと
・志村けんさんとのツーショットを週刊誌にスクープされたこと
・大物女優からNGを罵倒されたこと
このうちのどれか1つではなく、これらの複合的な要因が、可愛かずみさんに一度にのしかかったことで、やがてそのストレスは限界に達することに…。
そして、1996年12月から翌年の1月にかけて、リストカットを繰り返した可愛かずみさんは、1997年5月9日の午前中、3度目のリストカットによる自殺未遂を図りました。
その時は幸い発見が早く、その後病院で手当てを受けて、食事として出されたドリアも完食していたのだとか。それを見た周囲の人がほっと胸をなで下ろした矢先のことでした…。
その日の午後6時30分頃、留守番をしていた女性に「咳が出るから病院に行く」と言って家を後にしている可愛かずみさん。
その約40分後である午後7時10分頃、川崎憲次郎さんが住んでいた目黒区駒場にあるマンションの7階から飛び降り自殺を図り、遂に自ら命を絶ってしまったのです。
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可愛かずみさんが飛び降り自殺を図った4分後には、マンション前に倒れているところを通行人に発見され、すぐに119番通報がされたようです。
しかし救急隊が駆けつけた頃には、可愛かずみさんはすでに心肺停止の状態だったと言います。
その後、新宿の東京医科大学病院に救急搬送された可愛かずみさんですが、午後7時59分に死亡が確認されています。
当初は事故の可能性も視野に調査されるも、すぐに自殺と断定される
もちろん当初は事故としても調査されていたようですが、すぐに可愛かずみさんの死因は自殺によるものだと断定されました。
というのも、可愛かずみさんが飛び降りたと見られるマンション7階には、きちんと揃えられた靴と免許証、現金10万円が入った財布などが置かれていたからです。
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その後の検証によれば、可愛かずみさんは自宅を出た後、真っ直ぐに川崎憲次郎さんが住んでいたマンションに向かったようで、家を出た時には既に自殺の意を決していたとされています。
また、自殺現場を目撃した人の証言によると、マンション前に倒れていた可愛かずみさんの死に顔は、自殺した人とは思えないほど安らかなものだったとも…。
可愛かずみの通夜には生き別れになっていた母親も参列
可愛かずみさんの通夜には、多くの芸能人が駆けつけています。
生前から親交のあった川上麻衣子さんや渡辺美奈代さんなど、「もっと相談に乗ってあげれば良かった…」などと口々に後悔の念を語っていたと言います。
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そして、可愛かずみさんの通夜には、幼少期に両親が離婚してからずっと生き別れになっていた母親も参列していたそうです。
そして、可愛かずみさんの告別式には、2年前に撮影された写真が使用されたのだとか。
実は、約2ヶ月後の七夕には結婚も控えていた可愛かずみ
そんな可愛かずみさんは当時、都内で自動車販売店を経営していた青年実業家と婚約しており、2ヶ月後にはその男性と結婚する予定だったことが、亡くなった翌日に明らかになっています。
なんでも、本来は可愛かずみさんの誕生日である7月9日を入籍日にしたかったそうですが、その年はその日が仏滅だったことから、その2日前の七夕に入籍が決まっていたのだとか。
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なぜ、亡くなった翌日にそんな話が急に浮上したのかと言うと…実は、その結婚式で着る予定だったウェディングドレスが、可愛かずみさんの棺にかけられていたからのようです。
ただ、この可愛かずみさんの結婚予定に関して、ネット掲示板には次のような指摘もありました。
うつ病の人は婚約とか結婚の予定だとか環境が変わるようなことしたら、例えそれが喜ぶべき事でも、知らぬ間にストレスになるからしちゃダメなのは基本なのになぁ。
引用:マンションから飛び降りた可愛かずみさんが、父親に宛てた遺書の内容 : ザ・ミステリー体験 http://kowasugiru.blog.jp/
婚約者とうまくいっていなかったとの噂も
また、もう1つ気になるのが、可愛かずみさんが自殺した当時、婚約していた青年実業家との不仲の噂なんですよね。
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結婚を間近に控えていた可愛かずみさんですが、どんな小さなことを決めるにも、婚約者に報告しなければならず、また事あるごとにクレームを付けられて悩んでいた…とも言われています。
可愛かずみさんは当時、精神安定剤を常用する程、精神が不安定だったと言われていますが、さらに婚約者との不仲は、可愛かずみさんにとってはかなり辛かったと言わざるを得ません。
可愛かずみが遺書の内容が話題に
可愛かずみさんが亡くなった当時、遺書は見つかっていないと報じられていました。
しかし、可愛かずみさんの死後17年が経過した、2014年4月11日に、父親の久我竹三郎さんに宛てたメモが残っていたことが、父親本人により明らかにされました。
出典:https://twitter.com/
2014年4月11に放送された「爆報THEフライデー」では、生前可愛かずみさんと親友関係だった川上麻衣子さんが、可愛かずみさんの父親である久我竹三郎さんと久しぶりに対面しました。
ちなみに可愛かずみさんと川上麻衣子さんは、1984~1986年に放送された深夜帯ドラマ「トライアングル・ブルー」で共演して以来の友人だったそう。
生前の可愛かずみさんは、川上麻衣子さんのことを、“芸能界で唯一親友と呼べる人”と語っていたほど仲良しだったようです。
出典:https://twitter.com/
そして、番組の中で可愛かずみさんの父・久我竹三郎さんが、川上麻衣子さんに「実は、私宛にメモがあったんです」と打ち明けます。
そして、当時の可愛かずみさんの状況や遺書(メモ)の内容について、とつとつと語り始めたのです…。
自殺する5年ほど前からうつ病に苦しんでいた可愛かずみ
それによると、可愛かずみさんは自殺する5年ほど前から重いうつ病に苦しんでおり、過呼吸症の治療として処方されていた精神安定剤や抗うつ剤を、普段から大量に常用していたそうです。
出典:http://kowasugiru.blog.jp/
そして、可愛かずみさんが父親の遺した遺書(メモ)の内容は次の通りです。
メモ(遺書)には、「体調と気分が良いので、パパにメモを残します」と記され、メモの大半は、親友の川上のことで埋め尽くされていたという。
「麻衣ちゃんがいてくれたおかげで、楽しかった」
「麻衣ちゃんと話してるだけで、楽しかった」
メモの最後には、「パパ 麻衣ちゃんをよろしくね」と書かれていたという。
引用:可愛かずみさん遺書があった 父明かす/芸能/デイリースポーツ online https://www.daily.co.jp/
と言うように、遺書の内容の大半は、親友である川上麻衣子さんに宛てた内容だったんですよねぇ…。
出典:https://www.pinterest.jp/
父・久我竹三郎さんから、可愛かずみさんの最期の言葉を聞かされた川上麻衣子さんは、感極まって号泣してしまいました。
と言うのも、実は川上麻衣子さんは以前、可愛かずみさんと同じマンションで暮らしていたそう。
しかし、薬物依存状態となっていった可愛かずみさんを支えきることができず、その後、別のマンションに移っていたんですよね。
川上麻衣子さんには「あの時、自分にもっとできることがあったのではないか…」そんな想いをずっと抱えて生きてきたのではないでしょうか。
出典:https://www.oricon.co.jp/
また、川上麻衣子さんは、自殺の前日に可愛かずみさんから留守電に「麻衣ちゃん元気?忙しいの?」とのメッセージが残っていたことも、この番組の中で明らかにしています。
「かずみちゃんの想いを感じながら生きるしかない」
川上麻衣子さんは、こう力なく語ることしかできませんでした…。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回の記事をまとめると…
・女優の可愛かずみさんは1997年5月9日、交際していた元プロ野球選手・川崎憲次郎さんが住んでいた自宅マンションから飛び降り自殺をした。
・自殺の原因は、川崎憲次郎さんとの破局や志村けんさんとのツーショット報道、大物女優からの厳しい罵倒など複合的な要因が考えられている。
・可愛かずみさんの父親・久我竹三郎さんが2014年4月、テレビ番組で可愛かずみさんの遺書の内容を公開。遺書の大半が親友だった川上麻衣子さん宛てだった。
出典:https://twitter.com/
「ポルノ女優」という本意ではない形で芸能界に入り、一度貼られた「ポルノ女優」というレッテルに苦しみ続けたと言われている可愛かずみさん。
人一倍繊細で、努力家、そして真面目だったことから、やがて自分を必要以上に追い込んでしまったのかも知れませんね。
可愛かずみさんのご冥福を心よりお祈りいたします。