KANさんと言えば代表作「愛は勝つ」があまりにも有名ですが、ヒットし過ぎてしまったせいか「一発屋」のイメージも持たれていたようです。
今回はKANさんの経歴や結婚、本当に一発屋なのかを検証、そして、がん公表から亡くなった現在までについてをまとめました。
この記事の目次
KANのプロフィール
プロフィール
・名前: KAN(かん)
・本名: 木村 和(きむら かん)
・生年月日: 1962年9月24日
・出身地: 福岡県福岡市
・学歴: 法政大学社会学部卒
・職業: シンガーソングライター、作曲家
・ジャンル: J-POP
・担当楽器: ボーカル、ピアノ
・活動期間: 1983年 –
・レーベル:
ポリドール(1987年 – 1995年)
マーキュリー(1996年 – 1997年)
ワーナーミュージック(1997年 – 1999年)
BMGファンハウス(2000年 – 2001年)
zetima(2006年 – )
・事務所:
ジェイピィールーム( – 2022年)
アップフロントクリエイト(2023年)
KANの若い頃の経歴 【幼少期からピアノの英才教育を受けていた】
幼少期からピアノを習っていたKAN
幼稚園時代から近くのヤマハ音楽教室でピアノを習い始めたKANさんは、小学生の頃には本格的にクラシックピアノを習い始めていたといいます。
その当時は団地住まいだったにもかかわらず、自宅にピアノを2台も設置していたそうで、「将来はピアニストに」というご両親の期待はかなり高かったようです。
洋楽に目覚め始めた中学生時代
しかし、子供というものは親の思い通りにいかないもので、中学に入学する頃には独学でギターを触り始めたKANさん。
出典:https://www.kimurakan.com/
そして中学2年の秋には、“受験勉強”を理由に幼少期からレッスンを受けていたクラシックピアノを辞めてしまうんですよね。
もちろん本当の理由は勉強などではなく、ビートルズなどのUKロックにどっぷりハマっていたKANさん。
1977年、中学3年生の時にはビートルズのコピーバンド「ミートルズ」を結成しています。
高校時代に聴いたビリージョエルに衝撃!再びピアノに回帰すべく…
さらに高校生になると、友達から借りたビリージョエルのアルバム「ニューヨーク52番街」に衝撃を受けたKANさんは、ピアノロックに目覚めることに…。
出典:http://www.110107.com/
1981年には、法政大学社会学部に入学するも、ピアノを買うために大学にはほとんど通わず、アルバイトに明け暮れる毎日を過ごしていたそうです。
そのため、2年生の時には留年も…。
大学時代にコンテストで受賞したことをきっかけに芸能事務所と契約
そんなKANさんは1984年、ヤマハ主催のアマチュアバンドのコンテスト「East West ’84」で優秀賞、集英社ヤングジャンプ主催の「Sound Contest ’84」でヤングジャンプ奨励賞を受賞。
これをきっかけに芸能事務所「ライトリンクスコーポレーション」(1988年に現在の「アップフロントプロモーション」に吸収合併)と契約。
出典:https://eiga.com/
1986年には、大林宣彦監督の映画「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群」の音楽担当に抜擢されたKANさん。
翌1987年4月には、「テレビの中に」でレコードデビューを果たしています。
さらに、1990年7月にリリースしたアルバム「野球選手が夢だった。」の収録曲「愛は勝つ」が、クイズ番組「クイズおもしろTV」のエンディングテーマに採用されます。
ですが…この時はそれほど大きな話題にはならず、ヒットには繋がりませんでした。
出典:https://www.universal-music.co.jp/
KANの代表曲「愛は勝つ」が大ヒットしたきっかけとは?
ところがです!
翌1991年1月、「愛は勝つ」が当時の大人気バラエティ番組「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」のオープニングテーマに採用されたことで人気は急上昇!
シングルは200万枚を超える大ヒットとなり、オリコンチャートイン52週のロングヒットを記録しました。
また、「愛は勝つ」は第33回日本レコード大賞を受賞するとともに、KANさんはその年の第42回NHK紅白歌合戦にも初出場を果たしています。
KANはコンサートツアーで共演したバイオリニストと結婚
KANと嫁・早稲田桜子さんの馴れ初めは?
そんなKANさんは、1997年の自身のコンサートツアーで共演したバイオリニストの早稲田桜子さんと意気投合し、交際に発展。その約2年後の1999年4月に結婚しています。
その当時、“飲んだくれ”だったKANさんですが、結婚を機に色々と生活リズムが改善されたそうです。
KANの嫁・早稲田桜子さんのプロフィール
プロフィール
・名前: 早稲田桜子(わせだ さくらこ)
・生年月日: 1970年8月14日
・出身地: 神奈川県
・血液型: O型
・学歴: 東京芸術大学音楽学部卒業
・職業: 昭和音楽大学講師、バイオリニスト
・好きな音楽家: パブロ・カザルス
4歳よりヴァイオリンを始め12歳より国内外で様々な演奏活動を行う。 大学在学中度々渡仏し、フランス音楽を学び、卒業後はジャンルを超えた音楽を求め米国バークリー音楽院に留学。 2002年から2年半パリに暮らし、イヴリー・ギトリス氏に出会い、以後親交を深める。 ポップス、ジャズ、和楽器、ダンス、映像等、他ジャンルのアーティストとのコラボレーションも多数。
引用:#早稲田桜子 Instagram posts – Gramho.com https://gramho.com/
出典:https://www.youtube.com/
KANは代表曲「愛は勝つ」だけの一発屋だった?
KANは多くのアーティストに影響を与えている
その後も魅力的な楽曲を次々とリリースしていたKANさんですが、「愛は勝つ」がヒットし過ぎてしまったせいか、どうしても「一発屋」のイメージを持っていた人が少なくないようです。
出典:https://aucfan.com/
しかし、KANさんのソングライティング能力は業界内では高く評価されているんですよね。
そのことは平井堅さんやハロプロ関連アイドル、スキマスイッチなど、様々な人気アーティストに楽曲を提供していることからもわかるかと。
さらには、みんな知ってるこの曲も、実はKANさんが作っているんですよね!
そうかー。
— かんたろ (@kancharo) May 23, 2016
くまモンの歌はKANが作詞作曲してるのか。
どうりで…天才的な脳にこびりつくメロディ。
ミスチル・桜井和寿もKANの才能に心酔
また、「Mr.Children」の桜井和寿さんも、KANさんの才能に心酔しているアーティストの1人で、それぞれのライブにゲスト出演するなどの交友関係は広く知られていました。
出典:https://www.mercari.com/
中でも「世界でいちばん好きな人」が好きな桜井は、KANと組んだユニット“パイロットとスチュワーデス”のイベントの打ち合わせで、「<世界でいちばん好きな人>を絶対やりたい。この曲をメインに構成したい」と提案したというエピソードも。
引用:一発屋だと思っている人はただの知ったかぶり!あの桜井和寿も魅了されたKANの才能 https://www.m-on-music.jp/
「世界でいちばん好きな人」は、2006年に発表したKANの隠れた名曲と言われており、同年に発売されたアルバム「遥かなるまわり道の向こうで」からシングル・カットされた楽曲です。
サビの部分の歌詞がこちら。
世界でいちばん好きな人
それはあなただと言い切れる
この思いがまっすぐに伝わるようにと手を繋ぐ
日本がずっと平和なまま
続いてゆくとは限らない
だから今この普通の日々を大切に生きる
KANのその後と現在~メッケル憩室がんにより2023年に死去
パリの音楽院に中途入学
その後のKANさんは、「フランス人になりたい」という野望を叶えるべく、2002年2月に住居をフランス・パリに移します。
そしてクラシックピアノを基礎から学び直すため、エコール・ノルマル音楽院のピアノ科へ中途入学しています。
出典:https://t.pia.jp/
翌2003年6月に同科を終了後、2004年7月に帰国しています。
シングルやアルバムをリリース
KANさんは2005年から再び日本での音楽活動を始めると、弾き語りソロツアー「弾き語りばったり#1」をスタート!
翌2006年2月には、4年ぶりのシングル「カレーライス」をリリースしています。
出典:https://www.amazon.co.jp/
そして、同年8月には5年ぶりとなるアルバム「遙かなるまわり道の向こうで」をリリース。
出典:https://www.amazon.co.jp/
2010年3月には、アルバム「カンチガイもハナハダしい私の人生」をリリース。
同アルバムの収録曲「予定どおりに偶然に (with ASKA)」では、KANさんが尊敬するアーティスト・ASKAさんとのコラボレーションが実現しています。
出典:https://www.amazon.co.jp/
2016年2月にはアルバム「6×9=53」をリリースしました。
出典:https://www.amazon.co.jp/
2017年~2018年にかけては、次の2枚のセルフカバーアルバムをリリースしています。
そして、2020年2月には、5年ぶりとなるシングル「ポップミュージック」が発売され、話題になりました。
出典:https://suikaorange7373.com/
メッケル憩室がんを公表
順調に音楽活動を続けていたKANさんですが、2023年3月に公式サイトで「どうにも洒落にならない御報告」として「メッケル憩室がん」という病気を患っていることを公表しました。
「突然ですが、どうにも洒落にならない御報告です。『がん』が見つかりました」と報告。見つかった経緯について「昨年秋に発症した腹痛が数週間継続したので病院に行き、検査を繰り返すうちにだんだん深刻な雰囲気になり、大きな病院に移って、更に多様な検査の後、組織摘出手術を行い、病理検査の結果、『メッケル憩室癌』と診断されました」と説明した。
レギュラーを務めていたラジオ番組「KANと要のWabi-Sabiナイト」でもがんが見つかったことを報告。2022年秋に腹痛がひどくなりクリニックで検診したとことろ、ポリープ3つは良性だったものの、大きな病院で腹腔鏡手術を受け腫瘍を切って病理検査に出した結果、メッケル憩室がんであることが判明したとのことです。
KANさんは「恋の病かなと思った」などと冗談もまじえながら明るく報告していましたが、「メッケル憩室がん」という聞きなれない病気の公表にファンからは多くの心配の声が寄せられていました。
メッケル憩室がんは非常に珍しい病気で、報告は年間100例以下だといいます。
◆メッケル憩室 憩室と呼ばれる内臓の外側に飛び出た袋状の突起物が、小腸の壁の一部にできたもの。出産の際に胎児と母体を結んでいる卵黄管が出産後に残り、吸収されずに残ってできる。メッケル憩室のある人は人口の1~2%程度。男性に多く、ほとんどの人は無症状という。「メッケル」は発見した19世紀ドイツの解剖学者の名に由来する。
がんを公表したKANさんは、治療最優先の生活を送るため、2023年4月に予定されていたツアーを中止することを発表。しかし、パーソナリティーを務めるラジオ番組「KANと要のWabi-Sabiナイト」と「KANのロックボンソワ」の出演は続けていくとしていました。
「演奏活動は当面休止ではありますが、今後ともよろしくおつきあいいただければ幸いです」と呼びかけ、「私KANの音楽活動を応援してくださる皆さまには、どうか、心配ではなく、どうぞ、楽観していただければと思います。皆さまに楽観していただけることが、きっと大きなエネルギーになる、そんな気がしています。この件をサラッと洒落にしながら演奏する日を常にイメージします」と心境を記した。
2023年に61歳で死去
メッケル憩室がんであることを公表してから8ヶ月後の2023年11月、KANさんが亡くなったことが明らかになりました。KANさんは、メッケル憩室がんの治療のため入退院を繰り返しながら音楽活動の再開を目指していたといいます。
亡くなる前月には、留学したこともある想い出の地フランス・パリを妻と共に訪れていたといいますが、帰国後体調を崩し、2023年11月12日に61歳で亡くなったとのことです。
「弊社所属アーティスト KAN(本名 木村 和)儀、かねてより病気療養中のところ、令和5年11月12日午後6時29分に永眠いたしました。享年61歳。ここに生前のご厚誼を深謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます。
引用:『愛は勝つ』KANさん死去 10月には想い出の地フランス・パリ訪問…「最後まで復帰への想い」 所属事務所の発表全文
葬儀はKANさん自身のプロデュースにより近親者のみで執り行われましたが、遺影に夏目漱石の肖像を模した写真を使用するなど、ユーモアとホスピタリティーに溢れたKANさんらしい葬儀となったようです。
近親者のみで行われた葬儀・告別式では、文豪・夏目漱石の肖像を模した遺影が祭壇に飾られた。これはKANさんのアーティスト写真で、本人の意向で選ばれたものだという。そして、お通夜の参列者に配られたのは、カラフルなパッケージのポップコーン。ドラマーの清水淳は自身のSNSで《葬儀の服装とバランス悪い》《最高だね》と投稿した。
KANさんは亡くなった翌月には、第65回日本レコード大賞の特別功労賞を受賞。また、同月に、KANさんをリスペクトするアーティストが歌い繋いだ「KANのChristmas Song 2023」も発表されており、才能に溢れたKANさんがいかに多くの人に慕われ愛されてきたかがうかがえます。
『KANのChristmas Song 2023/KAN with His Friends 』
<参加アーティスト>
Aiko/トータス松本(ウルフルズ)/スキマスイッチ/根本要(スターダスト☆レビュー)/秦 基博/馬場俊英/槇原敬之
引用:KANさんの名曲「KANのChristmas Song」を、彼をリスペクトするアーティストが歌い繋いだ「KANのChristmas Song 2023」に参加!
まとめ
いかがでしたでしょうか。
1990年代前半に代表曲「愛は勝つ」で大ブレイクしたKANさんの経歴や、「愛は勝つ」が大ヒットした経緯と結婚、そして現在までのKANさんの活動状況や死去についてまとめてみました。
溢れる音楽的才能は言うに及ばず、ファンはもちろん周りのアーティストですらあの手この手で楽しませようとしていたKANさん。61歳という若さでこの世を去ってしまったことが残念でなりません。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。