井脇ノブ子さんと言えばおっさんのような性別不詳の風貌に奇抜なファッションで知られる政治家ですが、若い頃が壮絶すぎると話題です。
今回は井脇ノブ子さんの若い頃、兄の冤罪騒動、婚約者との破談理由、現在をまとめました。
この記事の目次
井脇ノブ子のプロフィール
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井脇 ノブ子(いわき のぶこ)
生年月日: 1946年2月11日
出身地: 大分県南海部郡鶴見町(現在の佐伯市)
最終学歴: 拓殖大学大学院経済学研究科卒業
ピンク色のスーツに短い髪の毛、一人称はワシで、ガハハハと豪快に笑う井脇ノブ子さんは、初めて見た人は、「おっさんなのか、おばさんなのか、性別が分からない」と困惑する方が続出。
井脇ノブ子さんの性別は女性なのですが、どちらとも取れる独特の雰囲気は、バラエティ番組に登場しても存在感があるとネットで話題を呼びました。
実は、男社会と呼ばれた時代において、学校法人を設立したり、政治家に身を投じた経歴は、若い頃の辛い経験が井脇ノブ子さんを駆り立てていたのです。
まずは、生い立ちや若い頃の壮絶なエピソードを見てみましょう。
井脇ノブ子の若い頃① 壮絶な生い立ち 【兄の冤罪事件で自殺未遂も】
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貧しい幼少期の中、水泳が特技に
漁師の父親の元に、9人兄弟の末っ子として大分県で誕生した井脇ノブ子さん。
勝気な性格ゆえに「金太郎」という愛称で親しまれてきました。
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かなり家計が苦しかったようで、毎日朝4時には海に潜ってアワビやサザエを採取しては市場で売るという生活が続いたのだそう。
おかげで水泳が特技になりました。18歳の時には100m自由形の選手として国民体育大会へ出場しています。
1969年に東京五輪が開催された際には、水泳選手達のマネージャーを務めています。
井脇ノブ子さんは、座右の銘を「人間やる気だ、ガッツだ、根性だ!」であると公表しているのですが、こうした過去の逆境を乗り越えるために自身を奮い立たせたのかもしれませんね。
兄に殺人容疑の冤罪がかかる
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決して楽な暮らしとは言えないものの、家族仲は至って良かったそうです。
しかし、井脇ノブ子さんが小学校4年生の頃に人生を大きく変える事件が勃発。この先の井脇ノブ子さんの人生に暗い闇をもたらすことになるのです。
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次兄は静岡県清水市に出稼ぎに出ていたのですが、現地で見知らぬ人が喧嘩をしているのを発見して仲裁に入り、当人達に蹴飛ばされて気絶してしまいました。
蹴られて気絶している間に、喧嘩をしていた人が何者かによって殺害されていたのです。次兄は真っ先に犯人に仕立て挙げられ、まさに冤罪という状況。
家族は、次兄の無罪を信じて財を投げ打って裁判に挑みました。しかし、なかなか無実を立証することができません。
次第に井脇ノブ子さんも、「殺人犯の妹」という目で見られるようになり、家族は近所から疎まれて村八状態に追い込まれることになりました。
差別に耐え切れず一家で自殺を図った
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小学校の教師に、「修学旅行に行くためのお金が無いので少し貸して欲しい」と母親と一緒に頭を下げに行きました。
教師からは「殺人犯の妹なんかにお金を貸せるわけねえだろ」と、その場で乱暴な言葉を吐きかけられて、更に地面に這いつくばっている母親と井脇ノブ子さんを教師は蹴り飛ばしたのです。
教師と思えぬ酷い対応に絶望した井脇ノブ子さん。これまで、涙を見せることなく、周囲からの仕打ちに黙って耐えてきたのですが、悔しさを我慢できずに泣き喚いたそう。
娘の様子を見た両親は、この先の未来を憂いて家族で一緒に自殺を遂げる決意を固めましたが、あっさり村人に見つかってしまい、未遂に終わりました。
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家族で自殺を図った井脇さん一家は、後少し発見が遅れたら命が助からなかったそう。我に返った一家は、助かった命を無駄にしてはいけないと生きる決意をします。
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両親は助かった命を差別なき世の中に捧げることを誓い、井脇ノブ子さんに「この苦しさは忘れてはいけない。大きくなったら、人を決して差別しない立派な大人になってな」と諭しました。
井脇ノブ子さんも、助かった命を無駄にしてはなるまいと、小学生ながらも並々ならぬ決意を抱きました。
兄の冤罪が晴れた
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自殺未遂から2年が経過した頃に、家族をどん底の絶望に陥れた事件は解決。真犯人が自首したことで、晴れて次兄は冤罪であることが証明できたのです。
冤罪が晴れたことに対して井脇ノブ子さんは、「人生であんなに嬉しかったことはない」と、当時を思い起こし、テレビで語っていました。
しかし、家族の執念のような思いは、いつしか井脇ノブ子さんに女性としての幸せを諦めさせる未来へと繋がることになったのです。
井脇ノブ子の若い頃② 政治家の秘書・教育者として活動
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井脇ノブ子さんは、家族の思いもあり、地元の別府大学文学部に進学。当時の大学では、学生紛争が盛んに行われてきた時代でもあります。
井脇ノブ子さんも、学園正常化を掲げて理想の社会のために立ち上がる気骨のある大学生でした。別府大学を卒業すると、拓殖大学院経済学研究科に院生として進みました。
中曽根康弘の秘書として働き始める
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当時、拓殖大学の理事兼名誉総長をしていた中曽根康弘さんの秘書として仕事を開始。
後年、中曽根康弘さんは、1970年以降から防衛庁長官や通商産業大臣、内閣幹事長を経て1982年に第71代総理大臣に就任した人物です。
中曽根康弘さんの秘書として何か学びがあったのでしょうか。後述しますが、井脇ノブ子さんも1970年以降から、少しずつ政治家を目指すようになるのです。
大学を卒業後、青少年に向けた教育プログラムを考案
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大学を卒業した井脇ノブ子さんは、青少年育成を目的とした財団法人の設立や学校法人の設立に尽力。しかし、これらの活動は必ずしも順調とは言い切れるものではありませんでした。
教育者としての井脇ノブ子さんの経歴を見てみましょう。
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大学院修了後の1971年、「第1回少年の船」を実施。この活動は、青少年が船や海外での生活を通して団体生活における協調性を養うという趣旨のプログラム。
受講者からは、賛否両論に分かれていたようで「もう思い出したくない」「良い経験になった」と対照的なコメントが寄せられています。
プログラムの根底には、根性論や宗教ががかった考え方があったそう。人によって合う、合わないがありそうですね。
その後は、財団法人少年の船協会を設立して理事、1981年には国際ボランティア協会会長へと各種在団の理事として就任しました。
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さらに、1985年4月に学校法人国際開洋学園を静岡県に設立して理事として就任。
経営に手を広げて、1987年には国際開洋カナダハイスクール、和歌山県には国際開洋第二高等学校設立と、矢次早に立ち上げています。
海外にも目を向けた学校経営は当時はまだ少なかったこともあり、日本カナダ文化交流協会の会長にも任命される忙しさでした。
その後も手を緩めることなく、タイに病院や小学校を建てて、まさに国際的に名の知れる教育者としての人生を邁進していました。
井脇ノブ子の若い頃③ 婚約破棄した理由とは? 【おっさんファッションで年齢不詳に】
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井脇ノブ子さんは、初めからおっさんにもおばさんにも見える性別不詳な外見ではありませんでした。
実は、意図してこのようなファッションをしているようで、深い事情があったのです。
婚約者を失ったことがきっかけに
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若い頃の井脇ノブ子
井脇ノブ子さんの若い頃の写真を見てみましょう。溌溂とした曇りのない笑顔が素敵ですね。一緒にいる相手をホッと和ませるような母性を醸し出しています。
そんな井脇ノブ子さんは、28歳の時に初めて彼氏ができたのです。彼氏と将来の約束をして、幸せ一杯の状態で家族に結婚を報告。
すると、家族からは、「結婚して何人かの子供を育てるよりも、日本の多数いる子供の教育を救うべきだ」という説得を受け、反論できなかったそう。
結局、井脇ノブ子さんは教育者として生きる道を選び、彼氏に別れを告げました。
婚約破棄後にファッションを変えた
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教育者として生きる決意を固めた井脇ノブ子さんは、思い切って自身のファッションをガラリと変えることにしたのです。
これまで好んで履いていたフレアスカートやヒールのパンプスのような女性らしい服を捨てて、男性が着用するようなスーツを着用し、髪の毛も短くしてオールバックに。
これこそが、性別不詳と呼ばれる井脇ノブ子さんの原点となるファッションだったのです。
もし、過去に殺人犯の家族と罵られるような苦しい思いをしていなかったら、結婚を反対した家族の対応は変わっていたのでしょうか。
ちなみに、旦那となるはずだった男性は別の女性と結婚し、後に政治家になったことを明かしていますが、名前については不明なままです。
井脇ノブ子のこれまでの政治活動
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井脇ノブ子さんが議員になるまでに、約30年という長い年月が必要でした。
ですが、政治家として辣腕を振るっていたのは、2005年から2009年までと、さほど長い期間ではありません。
7回目の出馬で初当選
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初めて立候補したのは、1972年に行われた第33回衆議院総選挙のこと。無所属で旧大分1区から出馬するも、7人の候補者の中の最下位で選挙を終えました。
それから約20年が経過した1995年、第41回参議院通常選挙において和歌山県選挙区で奮闘。当選まであと2万票まで迫りましたが、惜しくも落選。
その後も1998年、2000年、2001年と挑戦を続けますが、落選。
2005年に行われた第44回衆議院議員総選挙にも大阪11区で出馬し落選しましたが、隠し玉がありました。重複立候補をしていた比例近畿ブロックで当選を果たしています。
これと言った親族の後押しや、地元での基盤を持たない井脇ノブ子さんにとって、選挙活動はかなりの難易度の高さだったはずです。
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諦めずに粘り続けた結果、「小泉チルドレン」の1人と称され、政治活動をしながら教育者としてパワフルに邁進。
しかしその後、衆議院選挙に2回出馬していますが当選することが叶わないまま、2014年に政界を引退すると発表しました。
井脇ノブ子は金銭トラブルで学校理事を退任している
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学校を設立後は、かなり順調な経営状態でしたが、少子化と共に経営が苦しくなっていきました。
学校設立にあたり、8億3千万の借り入れがあったのですが、2002年から返済ができなくなった事実を週刊文春にスクープされています。
訴訟問題に発展した
誌面によると、財務諸表上において負債総額は8億円が計上されており、井脇ノブ子さんによると「毎月210万円を返済できていれば問題はないはず」と強気な回答をしています。
しかし、この210万円という返済額を作るためには、在校生徒が360人いるという前提の計算であり、実情としては120人強程度しかいなかったそう。
やがて、住宅金融公庫からの借用分の返済が滞ると、連帯保証人に返済が求められるようになりました。
これに対し、連帯保証人の子供が不服申し立てをし、井脇ノブ子さんに負債を返済するように東京地裁へ訴訟を起こしたのです。
連帯保証人の男性は、財団法人沖縄協会の専務理事を務めていましたが、訴訟当時、既に他界していた上、遺族側からは「連帯保証の契約書自体が偽物である」という物言いも入りました。
しかし、契約書には実印もあり偽造された確証も無かったことから、事無きを得たのですが、その他の融資先とも金銭トラブルが起こっています。
こうしたトラブルが多発したことで、井脇ノブ子さんは責任を取り、理事を辞任。2年後に学校は民事再生手続きの開始を申し立てました。
井脇ノブ子の現在① ホームレス疑惑を否定
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国会議員は裕福というイメージが付き纏っていますが、自民党の竹下亘さんは、議員年金制度が廃止されたことで、ホームレスになる元議員がいると警鐘を鳴らしています。
2019年に議員年金復活の議論がなされたことで、ホームレスの元議員という言葉が脚光を浴びました。
そして、このホームレスになった元議員は、井脇ノブ子さんではないかと話題を攫ったのです。
井脇ノブ子さんは2020年現在、74歳になりました。既に政界の第一線からは足を洗っていますが、どのようにして生活しているのでしょうか。
元支援者の家に身を寄せている
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週刊現代の取材に応じた井脇ノブ子さんは、現在の様子を明かしています。
井脇ノブ子さんは生活について問われると、「お金、全くないねん。持ち家ももちろんない」と現状を詳細に語っています。
国民年金のみが収入源で、その中から3万円を元支援者の女性に支払い、アパートに居候していると明かしています。
生活がギリギリの様子で、取材にあたり着用したスーツは、以前の教え子に貰ったものだそう。
ホームレス疑惑は晴れたものの、豊かな暮らしというわけではなさそうですね。
ネットでは「おっさん化が進んでいる」「元議員なのに」と見た目だけではなく、暮らしぶりについても同情の声が集まりました。
井脇ノブ子の現在② 政治家の裏方として活動
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井脇ノブ子さんは、2014年に政治家の前線から退いていますが、かつて2000年代に活躍した元政治家が集結した懇談会に参加しています。
二階堂氏を囲む会を結成
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2020年7月6日、自民党の二階堂俊博幹事長を囲む会が東京都内の日本料理屋で開催されました。
ここに参加したのは、井脇ノブ子さんや松浪健四郎氏を始めとした新進党、保守党、保守新党、などのかつて二階堂俊博幹事長と肩を並べたメンバー20人。
小池百合子都知事も出席する予定でしたが、コロナウィルス対策のために参加を断念しています。
この会合については、各メディアが注目してニュースとして取り上げられています。
まとめ
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井脇ノブ子さんは、漁師の家族の9人兄弟末っ子として誕生。幼少期から家計が苦しく、朝4時から海に潜って海女として家計を助ける日々が続いたのです。
小学生の時に兄が殺人容疑者に仕立て上げられると、家族の生活は一変。自殺を図るも間一髪のところで助けられてからは、差別の無い社会を作ると心に誓った井脇ノブ子さん。
大学を卒業すると学校を設立したり、「小泉チルドレン」と呼ばれる議員生活を送りました。
しかし、ピンクのスーツであるにも関わらず、おっさんのような雰囲気を纏い、性別不詳の独特な雰囲気が話題に。
若い頃、婚約者との結婚を家族に反対されたことが原因で婚約破棄。
それまで女性らしい恰好が好きだった井脇ノブ子さんですが、髪を切り、スカートやパンプスを捨てて男性のような恰好に切り替えて、教育に邁進することを決意した結果だったのです。
現在は、政治家から引退して元支援者とシェア生活を送っています。表舞台には出ないものの、二階堂氏を囲む会など裏方としての支援を行っています。
今後も何らかの形で教育や政治に関わるのでしょうか。これからの井脇ノブ子さんに注目が集まっています。