2010年に発生した「市川海老蔵暴行事件」は、歌舞伎界の人気者、市川海老蔵さんのスキャンダラスな事件として社会を騒然とさせました。
今回は「市川海老蔵暴行事件」の真相を振り返り、犯人・伊藤リオンや事件現場のビルの場所、モデル・藤井リナとの関係、土下座謝罪や事件後の判決などについてまとめました。
この記事の目次
- 市川海老蔵暴行事件とは
- 市川海老蔵暴行事件の真相① 事件の発端は関東連合OBグループとの飲食
- 市川海老蔵暴行事件の真相② 海老蔵が店内で暴れ石元太一にも絡み始める
- 市川海老蔵暴行事件の真相③ 石元太一が呼んだ後輩・伊藤リオンに暴行され事件に
- 市川海老蔵暴行事件の真相④ 市川海老蔵は会見で一部報道を否定
- 市川海老蔵暴行事件の真相⑤ 市川海老蔵が藤井リナを口説いたのが事件の発端だった?
- 市川海老蔵暴行事件の真相⑥ 市川海老蔵がパンツを脱がされ土下座の証言も
- 市川海老蔵暴行事件があった場所は現在「海老蔵ビル」と呼ばれている
- 市川海老蔵暴行事件のその後① 犯人・伊藤リオンには実刑判決
- 市川海老蔵暴行事件のその後② 海老蔵サイドは現在も事件についてはNG
- まとめ
市川海老蔵暴行事件とは
「市川海老蔵暴行事件」とは、2010年11月25日に、歌舞伎役者の11代目市川海老蔵さんが、元関東連合の男・伊藤リオンから暴行を受け、頭部を中心に全治2ヶ月の重傷を負わされた事件です。
その後の報道では、市川海老蔵さんが酒に酔って周囲に絡んで「俺は人間国宝だ!(この発言については海老蔵さんは否定)」などの暴言を吐いて暴れた事や、同席していた関東連合OBでリーダー格の1人、石元太一に灰皿に注いだテキーラを飲ませようとしたり、髪を掴んで頭を持ち上げるなどしたため、激怒した石元の後輩の伊藤リオンに暴行された事などが明かされました。
こうしたスキャンダラスな事件の経緯が明かされた事によって、歌舞伎界きっての人気役者である市川海老蔵さんが起こした不祥事事件として、週刊誌やスポーツ紙、ワイドショーなどのメディアで大いに騒がれる事になったのです。
今回はこの「市川海老蔵暴行事件」についてみていきたいと思います。
被害者・市川海老蔵のプロフィール
出典:https://www.nikkan-gendai.com/
本名 :堀越寶世(ほりこしたかとし)
生年月日:1977年12月6日
出身地 :東京都
身長 :176cm
血液型 :AB型
「市川海老蔵暴行事件」で暴行を受けた被害者・市川海老蔵さんは、現代、もっとも人気の高い歌舞伎役者の1人です。
1977年、江戸時代から続く歌舞伎の屋号「成田屋」宗家の歌舞伎名跡「10代目市川海老蔵(後の12代目市川團十郎)」の長男として誕生しました。
1983年、歌舞伎座「源氏物語」で初お目見えし、1985年に7代目市川新之助を襲名後、数々の舞台を踏みます。2004年に「11代目市川海老蔵」を襲名してからは、古典の大役を演じて高評価を集めるなど、現在の歌舞伎界を背負って立つ存在です。
また、テレビドラマや映画俳優としても人気があり、2003年のNHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」で主役の宮本武蔵を演じたのをはじめとし、2006年公開の映画「出口のない海」、2011年公開映画「一命」、2013年公開映画「利休にたずねよ」、2014年公開映画「喰女-クイメ-」など、数々の映画で主演を務めています。
犯人・伊藤リオンのプロフィール
「市川海老蔵暴行事件」の犯人・伊藤リオンについても本題に入る前に簡単に紹介しておきます。
伊藤リオンは、中南米系(パナマ人)の父を持つハーフで、1983年生まれ、東京都杉並区の出身です。身長は175cmでがっしりした体格で、少年時代は抜群の身体能力を活かしてサッカーに明け暮れ、川崎ヴェルディ(現在の東京ヴェルディ)のジュニアユースチームに所属し東京都選抜に選ばれるなど、将来を嘱望されていました。
しかし、中学を卒業したあたりから、次第に不良仲間とつるむようになって関東連合系の暴走族にも参加。その喧嘩の強さから「黒い狂犬」の異名で呼ばれるようになり、関東でも有名な不良の1人になります。
2000年に発生した「トーヨーボール殺人事件」でも犯人側の少年グループの1人として暴行に加わるなど、凶悪な不良として恐れられました。
その後は、指定暴力団・山口組の構成員となりますが破門され、2017年から2018年にかけて、沖縄で地元ヤクザとの揉め事を起こして話題になるなどしています。
市川海老蔵暴行事件の真相① 事件の発端は関東連合OBグループとの飲食
「市川海老蔵暴行事件」が発生する前日、2010年11月24日の午後11時頃、市川海老蔵さんは、歌舞伎仲間らと飲食し、日付が変わる頃に一部の仲間らと別れた後、東京西麻布の商業ビル「バルビゾン27」11階にある会員制カラオケバー「マーキス」へと移動しています。へと移動します。
日付が変わって11月25日になり、連れの歌舞伎仲間らが帰宅した後も市川海老蔵さんは1人同店で飲み続けていたところへ、関東連合OBのリーダー格・石元太一らのグループが来店。市川海老蔵さんは彼らと合流して一緒に飲み始めたようです。
石元太一のプロフィール
生年月日:1981年12月13日
出身地 :東京都世田谷区
この日、市川海老蔵さんと飲食したという関東連合OBでリーダー格・石元太一は、かつて関東連合に所属した暴走族「千歳代ブラックエンペラー」の16代目総長です。
石元太一は、2000年に発生した「トーヨーボール殺人事件」の首謀者の1人として、逮捕されており、2012年の「六本木クラブ襲撃事件」でも首謀者の1人として逮捕され懲役15年の実刑判決を受け現在(2020年4月時点)も服役中です。
なお、市川海老蔵さんは、関東連合OBの石元太一さんらとは、この日初めて知り合ったと主張していますが、石元太一側の関係者は「数年前からの知り合い」とそれぞれの主張が食い違っています。
市川海老蔵暴行事件の真相② 海老蔵が店内で暴れ石元太一にも絡み始める
2010年11月25日午前3時頃、石元太一らと飲んで盛り上がっていた市川海老蔵さんは、同ビル6階にある会員制ダーツバー「フィオレット」へと移動します。この時、既に市川海老蔵さんは泥酔状態だったようです。
市川海老蔵さんは当時、酒癖が悪い事で有名でしたが、この時にも大声を出して暴れるなどしたため、店内にいた他の客は全員帰ってしまったと言われています。その客の中に偶然、人気モデルの藤井リナさんがいたとも報じられました。
その後の報道によれば、市川海老蔵さんが暴れたのは、この藤井リナさんを口説いたが、断られたため不機嫌になり、その腹いせに店内で「俺は人間国宝だ!」などの大声を出して暴れ、石元太一にも絡み始めたという事でした。
この時現場を目撃した関係者からは、市川海老蔵さんが、石元太一に灰皿に注いだテキーラを飲ませようとし、髪を掴んで頭を持ち上げようとするなどの暴力的な行為にも及んでいたとの証言が出ています。
市川海老蔵暴行事件の真相③ 石元太一が呼んだ後輩・伊藤リオンに暴行され事件に
泥酔した市川海老蔵さんの行動により不穏な空気になったその後も、市川海老蔵さんと石元太一は一緒に飲み続けており、石元太一は後輩3人を呼び出して合流させています。
市川海老蔵はその後も石元太一に絡み続け、見下した態度で暴言を吐いたり、頭から酒を浴びせかけたりと、手のつけようがない状態だったようです。
石元太一が呼んだ後輩の1人、中南米系のハーフで、関東では有名な不良・伊藤リオンという男が、この市川海老蔵さんの態度についに激怒し、再び移動した同ビル11階の会員制バー「マーキス」で海老蔵さんに対して、シャンパンボトルで頭を殴り、拳で顔面を3発殴る暴行を加えました。
伊藤リオンによる激しい暴行に命の危険を感じたという市川海老蔵さんは、非常階段(外階段)を使って逃亡、そのままタクシーに乗り自宅へと逃げ帰っています。
顔を腫らし、血だらけの状態で帰宅した海老蔵さんの様子に驚いた妻の小林麻央さんはすぐに救急と警察に通報した事で事件が発覚。翌日から「市川海老蔵暴行事件」として連日報じられる事となります。
市川海老蔵は全治2ヶ月の重傷
なお、市川海老蔵さんは伊藤リオンからの暴行により、左頬の陥没骨折、前歯の損傷、鼻の腫れなど顔面全体に全治2ヶ月とも言われる重傷を負い、同年11月29日には顔面整復手術を受けています。
不幸中の幸いというべきか、脳機能などに異常はなく、その後は後遺症もなく復帰されています。
市川海老蔵暴行事件の真相④ 市川海老蔵は会見で一部報道を否定
2010年12月7日、市川海老蔵さんは事件に関しての記者会見を開きました。
この会見の席で事件後はじめて公の場に姿を現した市川海老蔵さんでしたが、怪我の影響から左目が真っ赤に充血した痛々しい姿だった事も話題になりました。
会見ではまず、同席した松竹株式会社社長の迫本淳一さんから、市川海老蔵さんの今後の歌舞伎公演の取りやめと、無期限の謹慎処分が発表されました。
続いて、神妙な面持ちの市川海老蔵さんはまず事件について謝罪し、無期限謹慎処分についても「自分の浅はかな行動に対して当然だと思います」と反省の言葉を口にしました。
怪我については、顔にしびれや違和感が残っていて、体重が3キロ痩せた事などを明かし、妻の小林麻央さんが、辛い思いを表情に出さずに付きっ切りで看病してくれた事などにも触れ、妻に向けて「謝っても謝りきれない」と謝罪の言葉も口にしています。
事件報道の内容については一部否定
その後の記者からの質疑応答では、暴行事件の真相についての質問が集中しましたが、自分が暴走族元リーダー(石元太一)に対して暴力を振るったという報道に関しては完全に否定するコメントを発表しています。
海老蔵さんが酔いつぶれた暴走族の元リーダーに、灰皿でテキーラを飲ませようとしたり、髪をひっぱったりしたことなどが暴行の原因となったのでは、という報道もあるが、そうした事実はないと否定。自ら暴力を奮ったかという点についても「そのようなことは一切ございません」と否定した。
また、市川海老蔵さんは、同席して一緒に飲んでいたと報じられた相手(石元太一や伊藤リオンら関東連合OB)とは、面識はなく、その日はじめてあったと説明しています。
一緒に飲んでいた相手については「どなたも面識はなかった。その日に初めて会った」と語った。
さらに、市川海老蔵さんは、警察の事情聴取に対し、自身は暴行はしておらず、酔っ払った知人を介抱していたら、突然知らない男に殴られたと説明していた事も明らかになっています。
海老蔵さんは捜査1課などの聴取に「具合の悪くなった知人を介抱したら『お前のせいで酔っぱらった』と言われ、色の黒い知らない男に殴られた」と説明。
このように、メディアの報道と市川海老蔵さんの説明は至る所で食い違っていました。
しかしその後、犯人の伊藤リオンの裁判では「被害者の行動が犯行を誘引した事も否定出来ない」と、市川海老蔵さんの落ち度が一部認められており、海老蔵さんが泥酔して報道されているような行動をとった事はある程度事実であろうとの見方が有力となっています。
市川海老蔵暴行事件の真相⑤ 市川海老蔵が藤井リナを口説いたのが事件の発端だった?
2011年5月、「市川海老蔵暴行事件」の当事者の1人、関東連合OBの石元太一が、新宿歌舞伎町の路上で知人男性に暴行を働き負傷させたとして傷害容疑で逮捕されました。
この時、石元太一が警察に身柄を確保された場所というのが、「市川海老蔵暴行事件」の現場ビル6階のダーツバーで客として偶然居合わせたという人気モデル・藤井リナさんの自宅だったというのです。
この情報から石元太一と藤井リナさんが交際していたという疑惑が浮上し、それによって「市川海老蔵事件」の真相として新説が浮上する事になりました。
その新説とは、「市川海老蔵暴行事件」の当日、石元太一が好意を寄せていた藤井リナさんを、既婚者である市川海老蔵さんが口説いた事に石元が怒り、その意を汲んで伊藤リオンが暴行を働いたのではないかというものでした。
海老蔵が6階で暴れたのは藤井に振られた腹いせ、という報道もありましたが、ちょっと事情が違う。要は当時、石元容疑者はそれまで何度か一緒に飲んだ藤井に好意を持っていたが、事件当日そんな藤井にちょっかいを出した既婚者の海老蔵にぶち切れていた。伊藤被告もそんな海老蔵の”ご乱行”を把握しており、さらに先輩に当たる石元容疑者に失礼な態度をとった海老蔵に我慢できず殴ってしまったようだ
これはある程度信ぴょう性が高そうな説で、別の筋からは、藤井リナさんを口説いていた市川海老蔵さんに、その場に同席していた男が「既婚者なのに口説くのは違うのではないか?」とたしなめたところ、それに逆上した海老蔵さんが暴れ始めたとの証言が出ています。
つまり、この時海老蔵さんをたしなめたのが石元太一であり、それこそが「市川海老蔵暴行事件」の本当の原因だったのではないか?というわけです。
市川海老蔵暴行事件の真相⑥ 市川海老蔵がパンツを脱がされ土下座の証言も
この他にも「市川海老蔵暴行事件」の衝撃の新情報が事件後に次々と出ています。
中でも、市川海老蔵さんが、伊藤リオンらに暴行を受けた後、パンツを脱がされて土下座謝罪する様子がリオンらによって携帯電話のカメラで撮影されていたとの目撃証言は衝撃的です。
目撃者によると、海老蔵は事件が起きた先月25日未明、ビル11階のカラオケバーで男にシャンパンボトルで頭を殴られ、拳で3発顔面を殴打された。その後、ズボンとパンツを脱ぎ、土下座。その姿を男らに携帯電話で撮影されたという。海老蔵が紛失したとしている自身の携帯電話でも撮られた可能性がある。
また、この土下座謝罪の証言を裏付けるように、事件後の早朝、現場付近路上をシャツは血だらけ、下半身はステテコパンツの姿で歩く市川海老蔵さんを、近くを偶然歩いていた男性が目撃しているという事です。
事件後の同日早朝、現場付近の裏道を歩く海老蔵を目撃した男性は「シャツは血まみれで下はステテコだった」と話した。海老蔵が逃げる際もズボンをはいていなかったことを示す証言だ。
さらには、市川海老蔵さんはこの事件以前、2〜3年前と、4〜5年前の2度、関東連合関係者とトラブルになり、同じく土下座謝罪させられていたとの情報も出ています。
関係者によると、海老蔵は2~3年前と4~5年前の2回、男がかつて属した暴走族とトラブルになったことがあり、いずれも海老蔵の知り合いが仲介し解決。それらの際も土下座して謝罪したとされる。
この市川海老蔵さんの土下座の真偽については不明ですが、大手スポーツ新聞が報じている事もあり、かなり信ぴょう性が高いとみられているようです。
市川海老蔵暴行事件があった場所は現在「海老蔵ビル」と呼ばれている
実は「市川海老蔵暴行事件」があった場所についても話題になっています。
「市川海老蔵暴行事件」があった場所はすでに述べたとおり、東京西麻布にある「Barbizon27(バルビゾン27)」という雑居ビルです。住所は「東京都港区西麻布2丁目25-23」で、現在は「海老蔵ビル」と呼ばれ、東京の新名所として人気を集めているようです。
いまやスカイツリーより有名な東京の新名所になっている(?)のが、西麻布にある14階建ての雑居ビル「バルビゾンビル27」。11月25日に11階の「M」というバーで市川海老蔵(33)が殴られて大ケガを負ったことから、現場を訪れる“観光客”が増えているという。入居している店の従業員はこう話している。
「血痕があった非常階段を携帯のカメラで撮っていく人たちをよく見かけますよ」
市川海老蔵暴行事件のその後① 犯人・伊藤リオンには実刑判決
「市川海老蔵暴行事件」の犯人・伊藤リオンは、2010年12月10日に傷害容疑で逮捕されています。その後、12月28日に市川海老蔵さんと伊藤リオンとの示談が成立しますが、関東連合をマークしている警察は、刑事事件としてそのまま伊藤リオンを起訴しています。
伊藤リオンの裁判は、2011年2月にはじまりました。伊藤リオン側はこの裁判で、市川海老蔵さんが先に石元太一に対して頭突きをしてきたため、それに対応しただけと「過剰防衛」を主張します。
裁判所は「被害者の行動が犯行を誘引した事は否定出来ない」としつつも、「状況からして被害者(海老蔵さん)の頭突きを認める事は困難」として、伊藤リオン側の主張を退け、暴行度合いについても「場合によっては死亡していた可能性もある危険な犯行」とし、懲役1年4ヶ月の実刑判決を言い渡しています。
伊藤リオン側はこの判決を不服として控訴しましたが、その後控訴を取り下げ、この判決が確定しています。
市川海老蔵暴行事件のその後② 海老蔵サイドは現在も事件についてはNG
「市川海老蔵暴行事件」は市川海老蔵さんにとっては現在もNGにされているようです。
2020年2月、市川海老蔵さんは、自身の「13代目市川團十郎白猿」襲名の披露興行の演目発表の記者会見を行いました。
実はこの会見に先立ち、松竹株式会社からマスコミ各社に向けて「市川海老蔵暴行事件」に関係するある通達が出されています。
それは「市川海老蔵暴行事件」での記者会見時の、市川海老蔵さんの写真は使用NGという通達でした。
「会見前に松竹側が報道陣にペーパーを配りました。そのなかには、この日の会見を報道する際に“過去のこの写真は使うな”と規定が書かれていました」(テレビ局関係者)
使用NGとされた写真のなかでも目を引いたのが、2010年11月に海老蔵が元暴走族の男に暴行された事件に関する記者会見の写真だった。
どうやら現在でも、市川海老蔵さんにとって「市川海老蔵暴行事件」は消したい過去になっているようです。
まとめ
今回は、2010年に発生し、大人気歌舞伎役者・市川海老蔵さんのスキャンダラスな事件として社会が大騒ぎになった事件「市川海老蔵暴行事件」についてまとめてみました。
「市川海老蔵暴行事件」は、泥酔した市川海老蔵さんが、関東連合OBでリーダー格の石元太一に暴言や暴力的な行為を働き、それに激怒した石元の後輩の伊藤リオンが海老蔵さんを暴行し、顔面を中心に全治2ヶ月もの大怪我を負わせたという衝撃的事件でした。
その後の報道で、事件の原因は市川海老蔵さんが石元太一に灰皿でテキーラを飲ませようとした事や、既婚であるにも関わらず、その場に居合わせたモデルの藤井リナさんを口説き断られた腹いせに暴れた事であるとの真相が次々と暴露され、海老蔵さんのイメージは急落してしまいました。
現在、市川海老蔵さんは歌舞伎役者として復帰しその人気も再び上昇しています。今後はこのような不祥事を起こす事なく、歌舞伎界を背負って立つ存在として活躍し続けて欲しいと思います。