世界で最も有名な未解決事件のひとつとして知られる「ヒンターカイフェック事件」が話題です。
ここでは「ヒンターカイフェック事件」の概要を残された当時の写真とともに紹介し、現在語られている真相や犯人や、この事件をモチーフにした2本の映画などについてまとめました。
この記事の目次
ヒンターカイフェック事件とは
「ヒンターカイフェック事件」は、第一次世界大戦が終わって間もない1922年に、ドイツ南部のバイエルン州にあったヒンターカイフェック農場で発生した一家5人とメイド1人が何者かによって惨殺された事件です。
事件の真相や犯人は2020年9月の現在においても未だ判明しておらず、「ドイツ史上最も謎の多い事件」と呼ばれ、「切り裂きジャック事件」と並ぶ、世界で最も有名な未解決事件の一つに数えられています。
ヒンターカイフェック事件の概要と写真① 近隣住人が一家の遺体を発見
ヒンターカイフェック農場の写真
ヒンターカイフェック事件が発生したのは1922年3月31日の夕方から翌4月1日の朝方にかけてだと見られていますが、事件が発覚したのはそれから数日が経過した4月4日でした。
事件現場は、ドイツバイエルン州・オーバーバイエルン・ノイブルク=シュローベンハウゼン郡のヴァイトホーフェン・グレーベルン地区にあった「ヒンターカイフェック農場」。
この農場の南には「魔女の森」と呼ばれる森があり、その森を挟んで南に1キロほど行くと「カイフェック」という小さな集落がありました。農場は人里から森を1つ挟み、周囲に民家はなく孤立しており、それが事件発覚を遅らせました。
事件発覚までの経緯
1922年4月1日(土曜日)、当時7歳の小学生だったツェツィーリアが学校を欠席しました。同日昼頃、注文を受けていたコーヒーの行商人が農場を訪れますが、全ての出入り口は施錠されており、いくらドアを叩いて呼びかけても応答はありませんでした。
4月2日(日曜日)、グルーバーの一家は日曜日に教会のミサに通うのが習慣でしたが、その日は欠席。娘のヴィクトリアは、教会の聖歌隊のリードシンガーを務めており、ミサを欠席する事は非常に珍しい事でした。
4月3日(月曜日)、朝に新聞配達人(郵便配達人を兼ねる)が新聞を届けた際、いつもは台所の窓から遊んでいるのが見える2歳のヨーゼフの姿が見えない事を不思議がっています。また、この時、この配達人は、1日土曜日に自分が配達した郵便物がそのまま残されている事を不審に思っています。
4月4日(火曜日)、農機具のエンジンの修理を依頼されていた当時19歳の修理工が農場を訪れますが、いくら呼んでも反応がなかったため、勝手にエンジンの修理を終えます。修理工は、農場から500メートルほど離れた最寄りの民家に行き、その家の娘に「誰もいなくて修理完了が報告できないから、会った時に伝えておいてほしい」と頼んでいます。
この家の娘らが父親にその話をしたところ、父親は数日前にもコーヒーの行商人が、農場で呼びかけたが応答がなかったという話をしていたのを思い出して不審に思い、何人かの近隣住人と共に様子を見にヒンターカイフェック農場を訪れました。
農場の扉は全て施錠されており、一家が無理心中を図ったのではないかと疑った彼らは、戸板を蹴破って納屋の中に進入します。
遺体発見現場の写真
彼らは、薄暗い納屋の内部、畜舎へと続く小さな扉のすぐ近くに藁が小山のように積み上げられた中から人間の足がのぞいているのを発見。
引っ張り出してみると、それは家主のアンドレアス・グルーバーの遺体でした。彼らがさらにその藁の山を掘り返すと、妻のツェツィーリア、娘のヴィクトリア、その長女で当時7歳のツェツィーリアの遺体が次々と発見されました。
彼らはその後、母屋の中を捜索し、娘のヴィクトリアの寝室から当時2歳の長男・ヨーゼフの遺体を、使用人部屋から、メイドのマリア・バウムガルトナーの遺体を発見しました。
ヒンターカイフェック事件の概要と写真② 被害者一家についてや遺体の状況
被害者一家だと言われている写真
ドイツのニュースサイトなどで被害者の一家だと紹介されている写真です。
あくまでも被害者一家では?と言われている写真で確定しているわけではありません。
被害者の6人
「ヒンターカイフェック事件」の被害者は下の6人です。
アンドレアス・グルーバー(当時63歳)「ヒンターカイフェック農場」を経営する家主。
ツェツィーリア・ グルーバー(当時72歳)アンドレアスの妻。
ヴィクトリア・ガブリエル(当時35歳)グルーバー夫妻の娘。(第一次大戦で夫が戦死)
ツェツィーリア・ガブリエル(当時7歳)ヴィクトリアの長女で小学校に通っていた。
ヨーゼフ・ガブリエル(当時2歳)ヴィクトリアの長男。
マリア・バウムガルトナー(当時44歳)メイド。
被害者一家は変わり者と見られ周囲から距離を置かれていた
「ヒンターカイフェック事件」で殺害された被害者一家は、近隣住人から変わり者と見られ距離を置かれていました。
事件から7年前の1915年に、アンドレアス・グルーバーと娘のヴィクトリアが近親相姦で有罪判決を受け、アンドレアスが1年、ヴィクトリアが1ヶ月の刑を受けたという記録が残されており、近隣住人の多くはその後も2人が近親相姦を続けていると信じていて、ヴィクトリアの長男のヨーゼフがアンドレアスとの子供ではないかと疑っていたのです。
疑われるのも無理からぬ事で、ヴィクトリアの夫のカール・ガブリエルは第一次大戦でドイツ軍の兵士として戦い、1914年12月にフランス北部で戦士しているのです。1915年生まれの長女・ツェツィーリアはギリギリ夫との子供だと考える事ができますが、1920年に生まれた長男のヨーゼフの父親は一体誰なのだ?という話になったわけです。
これは、当時働いていたメイドが2人の近親相姦の現場を目撃したという証言なども出ている事から真実だと言われています。
また、彼らは第一次大戦の敗戦で疲弊困窮するドイツにあって。家畜を飼い、繁忙期には人を雇えるほどの財を貯め込んでおり、しかも非常にケチであったという事から、周りの住人達からはあまりよく思われていなかったようです。
警察の捜査で明らかになった遺体や現場の状況
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屋根裏から発見された凶器
事件後の警察の捜査によって、6人全員の遺体に頭部や顔面を重量のある物体で殴打され、それによって死亡した事が判明し、監察医によって、凶器として使われた可能性が最も高いのはツルハシとの見解が示されました。
また、遺体の傷跡には様々なバリエーションがあり、犯人はツルハシだけでなく数種類の凶器を用いて被疑者らを殺害したとの見解が示されました。
さらに、少なくとも長女のツェツィーリア・ガブリエルは、襲撃を受けた後数時間は生存していたと見られ、遺体には自分の頭髪を掴み引き抜いた痕跡が見つかりました。
警察が納屋の屋根裏を調べところそこには藁が敷き詰められ、足音を消そうとした跡や、寝床にしていたと思われる場所が見つかっており、他にも屋根裏の瓦が少しづらされて外の出入りを監視できるような細工がしてあり、何者かがそこに潜伏していた形跡がはっきりと残されていました。
ヒンターカイフェック農場は、事件から1年後に取り壊されていますが、その際に屋根裏部屋の床下から、大量の血と人間の毛髪が付着した大型のツルハシが発見され、納屋からもナイフなどが発見されており、これらが凶器として使われたと見られています。
警察が被害者の頭部を切断し霊媒師に送って霊視を依頼している
驚くべき事に、当時の警察は遺体の検死が終わった後被害者の首を切断して標本化し、ニュルンベルクの霊媒師に送って霊視を依頼しています。当時、ミュンヘン警察は霊視捜査を採用していたという事ですが、これは何の成果も得られなかったという事です。
事件数日前〜前日にかけて、犯人が起こしたと思われる不審な出来事が多数あった
さらに、その後の捜査により、事件の数日前〜前日にかけて、ヒンターカイフェック農場では犯人が起こしていたと思われる不審な出来事が数多く起こっていた事が明らかにされました。
まず、事件発生の約半年前の1921年8月〜9月頃、当時のメイドが「屋根裏から足音や声が聞こえる」、「この農場は何かに取り憑かれている」などと怯えてと突然辞めてしまったという出来事が起こっています。
さらに、数日前〜前日にかけては、「農場のいくつかの鍵が紛失」、「誰も心当たりのないミュンヘンの新聞が農場内で見つかる」、「発動機の置いてある小屋に何者かが侵入した形跡が見つかる」、「納屋に侵入を試みた形跡が見つかる」、「畜舎にいた牛の紐が解かれていた」など、不審な出来事が立て続けに起こっていたようです。
事件発生日の前日と推定される1922年3月30日の早朝には、アンドレアス・グルーバーは、外の雪上に、魔女の森から農場へと向かってきて、戻っていった形跡のない不審な足跡を発見し、それを近隣の農家に話しています。
また、その翌日、事件発生日と見られている3月31日、アンドレアスが娘のヴィクトリアと近隣の町「シュローベンハウゼン」に買い物に出かけていますが、その際に「昨晩、屋根裏部屋を何者かが歩き回る音が一晩中聞こえて、屋根裏に上がってみたが何も見つからなかった」と話しています。
そして、おそらくその日の夜に一家は何者かによって惨殺される事になったのです。
ヒンターカイフェック事件の概要と写真③ 被害者の遺体発見現場の写真
ヒンターカイフェック事件発覚時の農場の様子
上の画像の赤い数字はそれぞれ、
「1」がグルーバー夫婦の寝室。(この写真奥側の使用人室がメイドのマリアの遺体発見場所)
「2」がその娘のヴィクトリア・ガブリエルの寝室。(長男・ヨーゼフの遺体発見場所)
「3」は牛や豚などの家畜の畜舎
「4」が4人の遺体が発見されたあたり(納屋と畜舎をつなぐ扉付近)
メイドのマリア・バウムガルトナーの遺体が発見された使用人部屋は、「1」のグルーバー夫婦の寝室写真奥側に位置しています。
4人の遺体が発見された納屋の写真
納屋の中で4人の遺体が発見された現場の写真です。中央部に見えるのが畜舎に通じる扉です。
2歳の長男・ヨーゼフの遺体発見現場の写真
当時2歳の長男・ヨーゼフの遺体は、母のヴィクトリア・ガブリエルの寝室に置かれた乳母車の上で発見されています。
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マリア・バウムガルトナーの遺体発見現場の写真
メイドのマリア・バウムガルトナーの遺体はキッチンに扉で隣接する使用人部屋で発見されました。
ヒンターカイフェック事件の真相と犯人
「ヒンターカイフェック事件」は多くの謎が残されており、真相や犯人などは一切明らかになっていません。
当初は強盗殺人が疑われましたが、農場には金目のものがそのまま多く残されており、その可能性は低いと見られています。
また、犯人が一家を殺害後、数日間農場に滞在していた形跡がありました。犯人が台所で調理や飲食をした痕跡があり、家畜に飼料を与え牛から搾乳した形跡なども残されていました。
他にも、一家が既に殺害されていたはずのタイミングで、農場の煙突から煙が上がっているのを目撃したとの証言も出ています。
こうした不可解な状況から捜査は混乱し、犯人の動機についても、物取り説、怨恨説、農場を乗っ取るための陰謀説など様々な説が浮上し、100名超える容疑者が捜査対象とされましたが、真相につながる有力な証拠は一切発見されませんでした。
2007年、ドイツの警察学校の生徒らが「ヒンターカイフェック事件」の分析と真相解明を試み、1人の重要容疑者を特定するに至ったというニュースが報じられました。
しかし、現在も生きているこの人物の親類や縁者などの名誉などを考慮し、容疑者の名前の公表は差し控えられています。
ヒンターカイフェック事件をモチーフにした映画2本
「ヒンターカイフェック事件」をモチーフにしたドイツ映画「Hinter Kaifeck」が2009年に公開されています。DVDがリリースされており、Amazonなどでの評価が非常に高いのですが、残念ながら日本語字幕版や吹き替え版はリリースされていません。
また、「ヒンターカイフェック事件」をモチーフにし他作品で、2007年にドイツミステリ大賞を受賞した小説「凍える森」が同じく2009年に映画化されています。
原題である「Tannöd」がタイトルでDVD化もされていますが、こちらも残念ながら日本語字幕版、吹き替え版はリリースされていません。
まとめ
今回は、世界で最も有名な未解決事件の一つに数えられる「ヒンターカイフェック事件」についてまとめてみました。
ヒンターカイフェック事件は、1922年にドイツのある農場で起きた殺人事件で、家族5人とメイド1人が何者かによって惨殺されました。
多くの謎が残されており現在でもその真相を解明しようという試みが盛んに行われていますが、未だ解明には至っていません。
ヒンターカイフェック事件は、映画化や小説化などもされているため興味のある方は触れてみてはいかがでしょうか。