「フォーリーブス」は個性溢れるメンバー4人が魅力的なグループで、解散理由や現在の活動にも注目が集まっています。
今回はフォーリーブスのデビューや活躍、メンバー4人のプロフィール、解散理由、現在の活動をまとめました。
フォーリーブスとは
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フォーリーブスは、ジャニーズ事務所で初代ジャニーズに次いで2組目にデビューした男性アイドルグループです。
1967年4月1日に結成され、1968年9月5日にデビューして一世を風靡するも、1978年8月31日に解散を迎えました。
初期のジャニーズ事務所を代表するグループであり、解散から数十年を経た今も語り継がれる人気アイドルグループです。
そのフォーリーブスの歴史を、メンバーのプロフィールや解散理由も含めて詳しくご紹介していきます。
フォーリーブス結成・デビュー
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1967年4月1日、初代ジャニーズの曲「太陽のあいつ」のバックダンサーとして4人組ユニットが結成されました。
結成から2ヶ月後、大阪フェスティバルホールで開催された初代ジャニーズ主演のミュージカル「いつかどこかで~フォーリーブス物語」に出演しました。
この時はまだグループ名は無く、ジャニーズJr.として出演しています。
同年8月「第33回日劇ウエスタンカーニバル」に初出演した際、グループ名が正式に「フォーリーブス」に決定。
グループ名のフォーリーブスは「Four Leaves(4枚の葉)」という意味が込められていると言われています。
しかし実際は、ジャニー喜多川氏が脚本を担当した前述のミュージカルの劇中に登場するグループ名から取ったもので、「別れる、去る、出発する」という意味の「leave」が由来です。
1968年9月5日、シングル「オリビアの調べ」でレコードデビューを果たしました。
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レーベルはCBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)で、国内で初めて契約した第1号アーティストとして話題になりました。
デビュー後、着実に人気を獲得していったフォーリーブスは、1970年に数々の人気男性歌手を押さえて、その年のブロマイド売上・男性歌手部門の1位に輝きました。
人気が下降気味だった御三家、グループ・サウンズのザ・タイガースに代わるように、トップアイドルの座に就き、新御三家が登場するまで、日本を代表するアイドルとして活躍しています。
レコードは最高でもオリコン10位と、大ヒットには恵まれなかったものの、コンスタントにヒットを重ね、1970年から7年連続でNHK紅白歌合戦に出場しています。
フォーリーブスの活動はテレビ出演はもちろん、ミュージカルにも積極的に出演してきました。
ジャニー喜多川氏はテレビよりも舞台を重視するタイプで、現在のジャニーズ事務所も毎年多くの舞台やミュージカルが上演されています。
中にはフォーリーブスの曲をカバーしたり、フォーリーブスの活動が紹介されるコーナーもあったりと、今でもフォーリーブスとジャニーズ事務所は切っても切れない縁で繋がっています。
フォーリーブスのメンバー4人のプロフィールと現在【北公次・青山孝史・江木俊夫・おりも政夫】
初期のジャニーズ事務所を支えたフォーリーブス。
フォーリーブスは「メンバー全員がスター」とのポリシーを掲げて、センターばかりが輝きがちな他の人気グループと違い、ユニゾンダンスやフォーメーションを重視するグループでした。
そのため、メンバーそれぞれに突出した魅力があり、4人が揃ってステージに立った時のバランスの良さがグループの持ち味でもあります。
そんなフォーリーブスのメンバー4人を、1人ずつ紹介していきます。
北公次(きた こうじ)
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本名:松下公次(まつした こうじ)
愛称:コーちゃん
生年月日:1949年1月20日
没年月日:2012年2月22日(63歳没)
出身地:和歌山県田辺市
フォーリーブスのリーダーであり、ダイナミックなアクロバットでステージを華やかにする北公次。
中学時代は学校一の才能と評判の体操選手で、将来はオリンピック選手も期待されるほどの身のこなしを持っていました。
ステージで初めてバック転を披露したアイドル歌手であり、現在まで続く「ジャニーズ=バック転」のイメージの礎を築いた人です。
レッスンではダンスビデオを繰り返し見ながら練習するほど熱心で、その真面目な姿勢が評価されて、フォーリーブスの中でも常に高い人気を誇っていました。
2012年2月22日、肝臓ガンのため都内の病院で死去、現在は亡くなっています。
青山孝史(あおやま たかし)
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本名:城下孝行(しろした たかゆき)
生年月日:1951年8月10日
没年月日:2009年1月28日(57歳没)
出身地:佐賀県佐賀市高木瀬町
抜群の歌唱力と音楽センスを持ち、フォーリーブスの音楽面でのリーダー的存在だった青山孝史。
渡辺プロダクションの次世代スター育成機関「東京音楽学院」の特待生で、その中でも特に優秀な生徒が選抜される「スクールメイツ」のメンバーに選ばれるほど高い才能を誇りました。
歌唱力が高いだけでなく、作曲・編曲も自ら行い、自室をスタジオに改造して楽器演奏をする姿も多く見られたといいます。
コンサートでは、他のメンバーのリクエストに応えて楽曲のアレンジやコーラスなど譜面の書き替えも任されていました。
日本大学芸術学部に通う大学生でもあり、学業と芸能活動の両立をしていたため、ソロ活動は少ないメンバーです。
しかしその人気は高く、雑誌の表紙などではメンバーの中で一番大きく扱われる存在で、北公次と二分する人気を獲得していました。
2009年1月16日、「肝臓がん」である事を公式発表、公式発表の僅か12日後の2009年1月28日午前7時、肝がんで死去。現在は亡くなっています。
江木俊夫(えぎ としお)
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本名:亀田学(かめだ まなぶ)
愛称:トシ坊
生年月日:1952年6月4日
出身地:東京都武蔵野市
フォーリーブスの中で最も芸歴が長く、卓越した演技力と三枚目キャラクターで人気を得た江木俊夫。
3歳の頃から子役として芸能活動を開始し、日活映画を中心に出演して石原裕次郎や小林旭など数々の日活スターと共演してきました。
子供らしくてキュートなルックスと、子供とは思えない演技力で1960年代を代表する名子役として知られています。
1963年に黒澤明監督の映画「天国と地獄」に出演、1966年に特撮ドラマ「マグマ大使」で主演・マモル少年を務めるなど、大作映画から特撮まで幅広く活躍しました。
フォーリーブスのメンバーとなってからは、ジャニー喜多川氏の指示で三枚目キャラクターを担当しています。
コントやバラエティで率先して笑いを取りに行く役割で、お笑いに関してはグループ随一の存在です。
2017年3月25日に公式フェイスブックをオープンしたことで話題になり、当時のファンを沸かせました。現在の江木俊夫が気になる方は、ぜひフェイスブックをチェックしてみてください。
おりも政夫(おりも まさお)
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本名:織茂 政男(おりも まさお)
生年月日:1953年7月4日
出身地:東京都江東区亀戸
グループ最年少でありながら、メンバーをまとめるMC役としてトークや司会進行を担当する、お喋り上手なおりも政夫。
のんびりとしたキャラクターながら進行能力は高く、飄々としたイメージを武器にバラエティやコントで気味の悪い怪物や道化を演じて人気を集めました。
リアクションも上手いため、フォーリーブスの中ではバラエティ担当と言われています。
その一方で、歌唱力、パフォーマンス、演技力、どれも一定の水準に達している器用さを持ち、何か1つの能力に特化したメンバーと違ってマルチプレイヤーとしても活躍しました。
フォーリーブスが解散した後もメンバーの中で最も安定した芸能活動を続けており、現在も精力的に活動しているメンバーです。
2016年9月より明治座公演「歌手生活30周年 坂本冬美 特別公演」に出演予定だったものの、急性虫垂炎を発症したため初日から休演、10月18日に復帰しています。
現在も舞台に立ち続けているおりも政夫の活躍に注目です。
フォーリーブスの解散理由とは
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1968年にデビューしてから、日本のトップアイドルとして活躍したフォーリーブス。
雑誌の人気投票で、グループとしても個人としても上位にランクインすることが多かった彼らですが、1970年代中期になると後輩アイドルグループが台頭し、人気が低迷していきました。
特に、「新御三家」と呼ばれる郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎がデビューした1973年以降は、人気がそちらに移って、人気投票の上位から落ちていきました。
後進のアイドルが人気に拍車をかけるごとにフォーリーブスの雑誌掲載も少なくなり、テレビ番組のレギュラーも1975年には降板することに。
コンサートの公演数も減少し、ジャニーズ事務所の後輩やジャニーズJr.との合同公演になるなど、その人気の下落はファンでなくとも見て取れるものでした。
さらに、新御三家の人気があまりにも凄まじく、他のアイドルグループの人気も低迷。
世間的にもアイドルへの関心が薄れていき、新御三家を除いた男性アイドルは氷河期と呼ばれる時代に突入していきます。
フォーリーブスのメンバーも個人で活動することが多くなり、方向性も変わっていったことから、グループよりもソロでのタレント活動が増えていきました。
バラエティ番組で重宝されてレギュラー番組も複数抱えていたおりも政夫以外は、芸能活動が好調とは言えず、メンバーの年齢も20代後半に突入し、アイドルとしての旬は過ぎていきます。
1977年には青山孝史が女性タレントで元ミスユニバース日本代表の嶋田じゅんと結婚し、アイドルとしての活動は徐々に終焉に向かっていきました。
1978年7月21日、最後のシングルとなる「THE END-思いがけず出会ったら-/夢のかけら」をリリースし、約1ヶ月にわたって全国を回るラストツアーを開催。
同年8月31日に新宿の東京厚生年金会館で行われたラストステージを最後に、フォーリーブスは解散しました。
現在の男性アイドル界は、年齢を重ねても活動を続ける息が長いものになりましたが、フォーリーブスが活動していた時代はアイドルと言えば若い頃だけのもの、というのが普通でした。
人気が低迷し、メンバーが年齢を重ね、後輩グループが台頭してきたことがフォーリーブスの解散理由となったのです。
しかし、フォーリーブスの解散コンサートはテレビ放送され、レギュラーを務めた「レッツゴーヤング」でも解散ライブが行われるなど、最後まで注目を集めた人気アイドルクループでした。
フォーリーブスの現在
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1978年に解散してから20年以上が経った2001年2月、Yahoo!が調査した「再結成してほしいグループ」のアンケートで1位を獲得したのをきっかけに、フォーリーブスが再結成しました。
メンバーの中で誰よりも解散を惜しみ、再結成を望み続けていた青山孝史の念願が叶った瞬間です。
2002年1月29日に中野サンプラザで再結成コンサートが行われ、同年8月22日にシングル「it’s more 愛(いつも愛)」をリリースしました。
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さらに2008年11月には、「NHK歌謡コンサート」において、今も後輩ジャニーズに歌い継がれている「ブルドッグ」を歌い、年齢を重ねても衰えない存在感を示しました。
しかし、「NHK歌謡コンサート」出演から約2ヶ月後の2009年1月28日、誰よりもフォーリーブス再結成を願っていた青山孝史が肝臓がんにより死去。
それを受けて、同年3月29日に東京厚生年金会館で行われたコンサートを最後に、フォーリーブスは再び活動休止となりました。
その3年後の2012年2月22日、北公次も肝臓がんで死去し、フォーリーブスの人気を牽引した2人がこの世を去りました。
2014年以降は、江木俊夫とおりも政夫がタッグを組み、フォーリーブス名義でコンサートを行っています。
2016年1月27日には、大阪・新歌舞伎座で「フォーリーブス コンサート~永遠の絆~結成50周年記念」を開催、今も熱心に応援を続けるファンの前で健在ぶりをアピールしました。
まとめ
フォーリーブスの解散理由、メンバーのプロフィールと現在の活動を紹介しました。
初期のジャニーズを支え、一世を風靡し、現在のジャニーズを形作る礎を築いてきたフォーリーブス。
解散から何年経っても色褪せない青春を作ったフォーリーブスを、これからも応援していきましょう。