檜の風呂桶に大小26個のヘリウム入り風船をくくりつけた自作のゴンドラ「ファンタジー号」に乗って、遠くアメリカ大陸を目指すも2日後には消息を絶ってしまった風船おじさん(鈴木嘉和)が話題です。
今回は、「風船おじさん行方不明事件」の背景や真相、鈴木嘉和さんのその後と現在についてまとめました。
この記事の目次
風船おじさん(鈴木嘉和)のプロフィール
プロフィール
・名前: 鈴木 嘉和(すずき よしかず)
・本名: 石塚 嘉和(いしづか よしかず)
・愛称: 風船おじさん
・生年: 1940年
・出身地: 東京都
・失踪: 1992年11月
・出身校: 国立音楽大学附属高等学校
・職業: ピアノ調律師、経営者(自称冒険家)
風船おじさん(鈴木嘉和)の経歴
国立音楽大学附属高等学校を卒業後、ヤマハの契約社員となった風船おじさん(鈴木嘉和)は、東京都小金井市でピアノ調律業を営んでいました。
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1984年には、音楽教材販売会社「ミュージック・アンサンブル」を立ち上げ、ピアノ向けの音楽教材の販売を開始しています。
風船おじさん(鈴木嘉和)はその当時、借金苦に陥っていた…
1986年には銀座で音楽サロン「あんさんぶる」を開店、さらにコーヒーサロンや雀荘、パブレストランなどを経営するものの、いずれも上手くいかず、1990年には遂に「ミュージック・アンサンブル」が約5億円もの負債を抱えて倒産してしまうことに…。
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20人以上にも及んだ債権者には、いずれビニール風船を付けたゴンドラで太平洋横断に成功するので、それによるCM料で借金を返済すると語っていたと言います。
風船おじさん(鈴木嘉和)が起こした風船にまつわる2つの事件
風船おじさん(鈴木嘉和)と言えば、1992年11月、檜の風呂桶に大小の26個の風船をくくりつけた自作のゴンドラ「ファンタジー号」に乗って、遠くアメリカ大陸を目指すも、2日後には消息を絶ってしまった行方不明事件で一躍その名が知られる存在となりました。
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しかし、実は“風船おじさん”こと“鈴木嘉和さん”は、それ以前にも風船にまつわる事件を起こしていたんですよね。
無断で風船をつけた椅子で飛び立ち、民家の屋根に不時着する
風船おじさん(鈴木嘉和)は、1992年4月17日、東京都府中市の多摩川河川敷から、府中署の制止を無視して、自分が座った椅子に5mと2.5mのヘリウム風船2個を直接くくりつけ、千葉県の九十九里浜を目指して飛び立ちました。
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しかし、途中でおもりのための15kgの砂袋2個がはずれて急上昇し、高度400mの予定がが、なんと5,600mの高度に達したため、慌てて5mの主風船を切り離したところ、高度が徐々に下がっていきました。
約1時間飛行したところで、民家の屋根に不時着した風船おじさん(鈴木嘉和)は、左手に怪我をした程度で済んだのですが、民家は瓦が壊れ、テレビアンテナが曲がる被害を受けたものの、風船おじさんからの弁償はおろか挨拶すらなかったと言います。
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駆けつけた警察官からこっぴどく叱られるも、成功すれば次はハワイを目指す予定だったと語り、改めて再挑戦することを誓っていたそうです。
そして、その約7ヶ月後、風船おじさん(鈴木嘉和)は無謀にも、ハワイではなくアメリカ本土を目指して太平洋横断に挑戦するんですよね。
風船おじさん(鈴木嘉和)行方不明事件の詳しい経緯と真相
風船おじさん(鈴木嘉和)の冒険の目的とは?
そもそも風船おじさん(鈴木嘉和)が「ファンタジー号」でアメリカを目指す目的は、破滅の危機に瀕している米ネバダ州の鳴き砂保護を訴えるためだったそうで、元々は、日本でも鳴き砂現象が見られる島根県邇摩郡仁摩町から出発する予定でした。
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実際、島根県邇摩郡仁摩町の町長に2度に渡って接触し、経済援助も要請していたようですが、同年4月の東京での非行失敗のため、日本の運輸省やアメリカ連邦航空局の許可が下りず、仁摩町は要請を断っていました。
そこで風船おじさん(鈴木嘉和)は、1992年11月23日、大小26個のヘリウム風船を付けたゴンドラ「ファンタジー号」の試験飛行を琵琶湖畔で行うことにしたのです。
風船おじさん(鈴木嘉和)は周囲の制止を振り切ってアメリカへ旅立った…
当日、現地には鳴き砂保護の第一人者である同志社大学の三輪茂雄教授と、同大学の学生7名、さらに支援者数名と密着取材をしていたフジテレビ「おはよう!ナイスデイ」のテレビクルー、朝新聞近江八幡支局の記者らが集まっていました。
ただ、この日の目的はあくまで、ファンタジー号の300m上昇実験という名目だったんですよね。
が、しかし!120mまで上昇したファンタジー号は一旦地上に着陸すると、16時20分頃、風船おじさん(鈴木嘉和)は「行ってきます」と言うなり、周囲の制止を振り切って、係留していたロープを外したのです。
驚いた三輪教授が発した「どこへ行くんだ」との質問に、風船おじさん(鈴木嘉和)は「アメリカですよ」と当然のことのように返しました。みるみる空に舞い上がるファンタジー号に対して、三輪教授は次のように言い放ったと言います。
「バカモン。上昇しないといったじゃないか。ウソツキ」
「成功すれば冒険家だが、失敗すればバカモンだ。俺は知らんぞ」
引用:鈴木嘉和 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/
かねてより三輪教授は、風船おじさん(鈴木嘉和)に対して、無線免許を取得することと、鳴き砂がある仁摩町をスタート地点にしなければ意味がないと諭していたそうです。
風船おじさん(鈴木嘉和)の計画は当初から無謀だった…
風船おじさん(鈴木嘉和)の「ファンタジー号」の飛行計画は次の通りです。
出典:https://middle-edge.jp/
「ヘリウムガスを詰めた風船で高度1万メートルにまで上昇すれば、ジェット気流に乗って約40時間でサンフランシスコに行けるはず」
しかし、風船おじさん(鈴木嘉和)の自作のゴンドラには、そんな機能も耐久性もなく、また彼がゴンドラに積み込んでいた装備も、およそ過酷な飛行に耐えうるものでは無かったと言います。
実際、出発直後の「ファンタジー号」の様子を見ていた地元のタクシー運転手は、次のように証言しています。
「風船は重りを積み過ぎていたのか、あまり高く上がらなかったね。荷物を少し落下させて高度を上げたけど、ずっと低空飛行のまま猪子山の方に飛んでいった。風船もパンパンではなく、ちょっとたるんだ感じになっていたから、アメリカはちょっとなあ……って。あの山を越えたらもう落ちてると思ってましたよ」
引用:北緯53度・東経160度に到達か!? 20年前に消息不明「風船おじさん」の足取りを追った! https://news.infoseek.co.jp/
出典:https://middle-edge.jp/
そう、風船おじさん(鈴木嘉和)の計画には決定的な欠点があったのです。それは、アメリカへ行くには最低でも高度6,000m以上上空を流れるジェット気流に乗らなければならないにもかかわらず、「ファンタジー号」には5,000mすら上昇する能力も耐久性もなかったからです。
実際、ホテルにいる家族には、その日の夜10時頃から携帯電話で連絡があり、その後も1時間ごとに電話がかかってきたそうですが、その際、風船の様子がおかしいこと、思ったより高度があがらないことなどを家族に語っていたと言います。
風船おじさん(鈴木嘉和)の消息が途絶える
そして、翌朝6時に「素晴らしい朝焼けだ!綺麗だよ」と妻に伝えると、その次の電話で「行けるところまで行くから心配しないでね」が最後の言葉となり、以降、携帯電話は不通になりました。
出典:https://twitter.com/
そして、出発から40時間後の11月25日午前8時30分、風船おじさんの「ファンタジー号」はアメリカではなく、宮城県金華山沖800㎞、高度2,500m地点を漂っているところを、海上保安庁第三管区海上保安本部の探索機ファルコン900が確認しています。
しかし、風船おじさん(鈴木嘉和)は救助の要請をせず、飛行継続の意思を示したそうです。
しかし鈴木は捜索機に向かって手を振ったり座りこんだりして、SOS信号をやめた。ファンタジー号の高度は2,500メートルで、高いときには4,000メートルに達した。約3時間の監視したが、手を振っていたこと、ゴンドラの中のものを落下させて高度を上げたこと、遭難信号も消えたために飛行継続の意思があると判断して11時半に捜索機は追跡を打ち切った。
引用:鈴木嘉和 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/
この知らせを聞いた妻は「あぁ、良かった」と繰り返し、3人の娘たちは「もうとっくにアメリカまで行ってると思ったのに、なんだまだ宮城県沖なの」と笑い合ったと言います…。
風船おじさん(鈴木嘉和)のその後と現在について
風船おじさん(鈴木嘉和)は現在も行方不明のまま
しかし、その後の風船おじさん(鈴木嘉和)の消息はようとして知れず、現在までその行方はわかっていません。
出典:https://tokyojapan3939.com/
一部には、カムチャッカ半島付近の海上で着水し、そのまま親潮に乗って東北の三陸海岸や千葉県の九十九里海岸に流れ着いている可能性も指摘されているようですが、一切の物証や情報もなく、単なる推測に過ぎません。
また、かつて風船おじさんの遺体がアラスカで発見されたとのニュースがネットを賑わせたこともありましたが、結局、事実無根のデマであることが判明しています。
フジテレビの責任を追及する声も
1992年12月17日号の「週刊文春」が、当時密着取材をしており、出発時の様子も撮影していたフジテレビの姿勢を「風船おじさん(鈴木嘉和)を煽ったのでは?」との疑惑を報じています。
出典:https://bunshun.jp/
また、「ファンタジー号」が思った以上に上昇できなかった原因の一つに、「空から見える風景を撮ってきて欲しい」と離陸直前にフジテレビスタッフが「ファンタジー号」に積み込んだカメラ機材が重かったのでは?との噂も出ているようです。
さらに、当時のマスコミ報道によれば、風船おじさん(鈴木嘉和)が試験飛行の最中に、その場にいた皆を欺くようにいきなり飛んでいったと報じていましたが、それはまっ赤なウソで、その場にいた多くの人が風船おじさんがアメリカへ旅立とうとしていることを知っていたとの証言も…
かなり前から取材を進めていた朝日新聞やフジTVが、「彼をあおったのではないか」という誤解をされないために、彼一人の無謀にすがったのだ。当時の現場は明らかに彼がアメリカに行くという雰囲気が漂っており、穴の開いた風船をガムテープでふさぐという大らかさに、誰もが「あんなんでホンマに行けるんかい」と心配したほどだったという。
引用:北緯53度・東経160度に到達か!? 20年前に消息不明「風船おじさん」の足取りを追った! https://news.infoseek.co.jp/
当時の風船おじさん(鈴木嘉和)と言えば、多額の借金でクビが回らなかった状態だったわけで、そこにフジテレビのスタッフが「風船で太平洋横断に成功すれば、CMなどのオファーがバンバンくるので借金なんて一度に返せちゃいますよ!」なんて耳打ちしたとすれば…
まとめ
いかがでしたでしょうか。
“風船おじさん”こと鈴木嘉和さんの経歴と、「ファンタジー号」でアメリカを目指して旅立ったまま消息を絶った、行方不明事件の背景や真相、風船おじさんのその後と現在についてまとめてみました。
風船おじさん行方不明事件は、冒険と呼ぶにはあまりに無謀な行為であり、見方によっては多額の借金を苦にして、自ら命を絶っただけ…といった見方もあるようですが、実は、どこかでちゃっかり生きていた!なんてことになれば、それはそれでファンタジーですよね!