大学の航空サークルや一般企業から、毎年数多くの挑戦者が出場し盛り上がる「鳥人間コンテスト」ですが、2007年に悲惨な事故が起き裁判にまで発展していた事が判明し話題になっています。
今回はこの鳥人間コンテスト事故の内容、被害者の川畑明菜さんの炎上騒動、裁判の結果やその後の現在などについてまとめました。
この記事の目次
鳥人間コンテストで2007年に発生した事故とは
1977年の開始以来、40年以上にわたって続いている人力飛行機の飛行距離や飛行時間を競う「鳥人間コンテスト」。毎年、大学の航空機サークルや一般企業などから数多くのチームが出場し熱い闘いを繰り広げています。
そんな「鳥人間コンテスト」の2007年大会(2007年7月29日開催)で、九州工業大学の鳥人間サークル「KITCUTS」の女性パイロットが、破損して墜落した人力飛行機から投げ出され、約10メートルの高さから水面に落下する事故が発生しました。
女性は大会からの帰宅後、体調が悪化したため病院で診察を受けた結果「脳脊髄液減少症」という症状が出ているとの診断を受けました。
「脳脊髄液減少症」は、脳脊髄液が漏れ、頭痛やめまい、耳鳴りなどの症状が起こる疾患で、この女性被害者は、この疾患が原因で日常生活もままならないほどの後遺症に苦しみ、この大会以降6年間にわたって地獄のような日々を送ったそうです。
この被害者女性はその後、大会主催者の読売テレビ、所属していた九州工業大学と当時の鳥人間サークル「KITCUTS」の顧問および、同サークルのリーダーや設計を担当した主要メンバーの元学生の5人らを相手取り、損害賠償金4305万8800円の支払いを求める訴訟を起こしました。
今回はこの、鳥人間コンテスト2007年大会で発生した事故の顛末について紹介します。
鳥人間コンテスト事故の被害者は九工大の女性パイロット・川畑明菜
鳥人間コンテスト2007年大会で事故の遭った被害者は、当時九州工業大学の学生だった川畑明菜さんという女性です。
2007年7月29日の鳥人間コンテスト大会当日、川畑明菜さんは、九州工業大学の鳥人間サークル「KITCUTS」が製作した人力飛行機にパイロットとして搭乗し、湖面上に作られたプラットホームから離陸しようとしました。
しかし、機体がプラットホーム上を滑空中、左の主翼が中央部あたりから折れ、バランスを崩した機体はプラットホームから離れた直後に左側に横転し、折れた左主翼の断裂面が水面に接触した衝撃で川畑明菜さんは機体から振り落とされ、背中から水面へと落下してしまいます。
事故後、救助隊に救出された川畑明菜さんはメディカルチェックを受けましたが、外傷が無かった事もあって、その日はそのまま帰宅させられました。
しかし、その翌日から川畑明菜さんは強いめまいなどの体調不良に襲われ、症状は次第に悪化し歩く事もままならず、ついには寝たきりのような状態になってしまったようです。
2007年10月頃、川畑明菜さんは「脳脊髄液減少症」の診断を受けそのまま入院します。「脳脊髄液減少症」は未だ解明されていない事が多く、治療は困難を極め、やっと退院した後も症状は改善せず、車椅子や松葉杖で病院に通う生活が続いたそうです。
「トイレに行くのも精一杯。間に合わなくて泣いてしまうこともありました……。退院後も症状は改善せず、車椅子や松葉杖での通院生活が続きました。いつもなら10分ほどしかかからなかった通学も1時間近くかかりました。校内で倒れたこともありました。何とか大学は卒業できたものの、大学院に進むために貯めていた200万円は治療のためあっという間になくなってしまいました……」
鳥人間コンテスト事故被害者・川畑明菜が読売テレビや九工大、サークルを相手取り提訴
鳥人間コンテスト事故の被害者・川畑明菜さんは2013年4月、鳥人間コンテストを主催する読売テレビ、九州工業大学、同大学の鳥人間サークル「KITCUTS」の顧問、および当時のリーダーや設計担当者らを相手取り、損害賠償4305万8800円の支払いを求める訴訟を起こしました。
事故の被害者・川畑明菜さんは、裁判を起こした理由について以下のようにコメントしています。
「裁判になってしまったのは非常に残念です。ただ提訴の期限が迫っていたため、決意しました。訴える前には、テレビ局の方ともお会いしました。しかし『裁判をするとお互いのためにならないよ』などと言うばかり。今後の安全対策についてなど、私が満足するの話し合いはできませんでした。私は、なぜこんな事故が起きてしまったのかを知りたかった。それに今後、二度と同じことが起こらないようにしたいと思ったんです」
鳥人間コンテスト事故被害者・川畑明菜にネットで批判が集まり炎上
鳥人間コンテストにパイロットとして出場し、事故にあって後遺症を負ったという事で、100パーセント被害者に見える川畑明菜さんですが、インターネット上では批判炎上騒動も起こっているようです。
川畑明菜さんが批判炎上した理由は、川畑明菜さん本人が綴っていたTwitterやブログなどのSNSに書かれた内容にあったようです。
川畑明菜さんはTwitterやブログには、事故後に上京してからの日常が綴られていたのですが、その内容が、スナックでホステスをしながら、コスプレをしたり、カラオケをしたりと楽しく過ごしているといった内容だった事から、「寝たきりで生活すらままならないんじゃなかったの?」といったツッコミが入り、炎上に発展したのです。
さらに、川畑明菜さんはこうしたSNSにて、「歌手にならない?とスカウトされた」、「よくナンパされる」、「写真を撮らせてほしいと言われた」、「結婚してほしいと言われた」など、自分がいかにモテているかをアピールする内容が数多く綴られていたため、これも反発を呼ぶ事に繋がりました。
これ以外にも、自分は国立大出身のエリートで、周りを見下したように感じられる内容も多く綴られていたようです。
例えば、川畑明菜さんが事故後に寝たきりで辛いと友人に相談したところ、その友人は気を利かせて「寝たきりでもできる仕事をしたらどうか?」「テープ起こしなどは時給もいいらしい」と提案してくれたそうなのですが、川畑明菜さんはこの友人の好意に対して「こっちからしたらナメてんの?としか思わない内容」「わざわざ国立大の工学部出てテープ起こす仕事?バカなの?」という感想を持ったようで、それをブログに書いていたようなのです。
これが事実だとすれば、この川畑明菜さんの感覚は少しおかしいのではないか?との感想を抱かざるを得ません。
また、川畑明菜さんのSNSの内容によれば、自分が国立大出のエリートである事をアピールし、経営コンサルタントを自称していたものの、実際には就職活動がうまくいかず、「もう死ぬ」「自殺する」といったつぶやきを繰り返しており、こうした投稿からも、多くの人々が「かまってちゃん」「精神的にバランスを崩している」といった印象を抱いたようです。
さらに、川畑明菜さんのSNSの過去ログからは、パイロットを務めるに当たっての筋力トレーニングの結果、体重が想定していたよりも8キログラムもオーバーしてしまい、しかもそれをチームに伝えたのが大会の3日前だった事なども判明します。
それによって人力飛行機の設計変更が間に合わず、事故につながった可能性が指摘されてしまいました。さらに、川畑愛希なさんは自宅の体重計が壊れていたにも関わらず面倒臭がって買い替えず、それが原因で体重増加に気がつかなかった事なども判明。
この情報もまた、川畑明菜さんが、長い時間をかけて「鳥人間コンテスト」に向けて機体を製作してきたチームメンバーの信頼を裏切る行為をしたという印象を抱かせ、批判炎上へとつながりました。
こうした川畑明菜さんのTwitterやブログに書かれた一連の内容から、ほとんどの人が川畑明菜さんが読売テレビや九州工業大学、当時の航空サークルの仲間たちなどを訴えたのは、自分を正当化して難癖をつけているだけなのではないか?という印象を抱いてしまったのです。
結果として、被害者として裁判に訴え出た川畑明菜さんの味方をする人はほとんど現れず、世間の空気としては、厄介なクレーマーが理不尽な裁判を起こしたかのような雰囲気が作り上げられました。
鳥人間コンテスト事故の裁判の判決は?
こうして世間を味方につけられないまま裁判を戦うことになった川畑明菜さんでしたが、その裁判の判決はどうなったのでしょうか?
この鳥人間コンテスト事故については、科学ライターで、自身も過去に鳥人間コンテストに出場した経験があるという大貫剛さんが詳しく取材をされています。
大貫剛さんは、事故の当事者達や被害者の川畑明菜さん本人にも丁寧な取材をした上で、事故の内容についてかなり詳しく調査されているのですが、この事故の裁判の判決については詳細な情報は得られていないようで、以下のツイートをされています。
TLに鳥人間コンテストの話題が出てくるので、思い出して書く。たまに「そういえば裁判ってどうなったの?」と聞かれるけど、結論としては「どうも何らかの手打ちをして終わったらしい」です。
— 大貫剛 (@ohnuki_tsuyoshi) April 2, 2019
曖昧な書き方なのは、原告から「何も言えなくなった」とだけ聞かされたから。民事裁判で、公判準備整理はしたけど公判もせず、取り下げもしない(してたら公表される)ってことは、一般的には和解したうえで「公表しない」ことを和解の条件のひとつにしたパターンだろう、と。
— 大貫剛 (@ohnuki_tsuyoshi) April 2, 2019
なので、和解はしたのだろうけどどういう条件なのかといったことについては僕は一切知らないです。なお僕は原告に協力はしたけど当事者ではないので、和解条件に縛られはしませんが、そもそも和解したかどうかさえ知らされてないという立場。
— 大貫剛 (@ohnuki_tsuyoshi) April 2, 2019
これによれば、大貫剛さんは川畑明菜さんから「何も言えなくなった」と聞かされたという事なので、裁判の判決についても言えないという取り決めがされたという事のようです。
この鳥人間コンテストの事故の裁判を注目して見ていた人々にとっては、なんともスッキリしない結末だと言えますが、残念ながらその判決を知る事は難しそうです。
鳥人間コンテスト事故の現在
「鳥人間コンテスト事故」の現在についても見てきます。
まず、被害者の川畑明菜さんの現在についてですが、川畑さんは裁判後、TwitterやブログなどのSNSの類は全て閉鎖し、以降、情報の発信はされていません。
そのため、被害者の川畑明菜さんが現在どのように過ごされているのかは一切不明です。
また、事故を起こした九州工業大学は2010年大会を最後に「鳥人間コンテスト選手権大会」には出場していません。また、九州工業大学の鳥人間サークル「KITCUTS」も現在は活動を停止している様子です。
「鳥人間コンテスト選手権大会」については、現在も変わらず開催が続けられていますが、2020年度の大会については新型コロナウイルスの影響で中止が発表されています。
まとめ
今回は、2007年に開催された「鳥人間コンテスト選手権大会」で発生した事故についてまとめてみました。
事故は、2007年に鳥人間コンテストに出場した九州工業大学の鳥人間サークル「KITCUTS」の製作した人力飛行機が墜落してパイロットの川畑明菜さんが水面に落下し、その後「脳脊髄液減少症」という重い後遺症をおったというものでした。
2013年、被害者の川畑明菜さんは、主催者の読売テレビや、当時所属していた九州工業大学および、鳥人間サークル「KITCUTS」の顧問、リーダーや設計者などの元学生らを相手取り、損害賠償金4305万8800円の支払いを求める訴訟を起こしました。
しかし、川畑明菜さんの綴っていたTwitterやブログなどSNSの内容などから、被害者である川畑さんへの批判炎上騒動が巻き起こってしまいます。
現在、この鳥人間事故の裁判は終結しているようですが、判決は公開されておらず、どうやらなんらかの形で和解に至ったようですが、その内容については口外できないという条件がつけられていると見られています。
なんとも後味の悪い結末ですが、何はともあれ、こうした事故を教訓として、「鳥人間コンテスト」で悲惨な事故が2度と起こらぬよう最新の注意を払って運営してもらいたいと思います。