船木和喜さんはスキージャンプ選手で金メダリストですが、その現在が注目されています。
今回は船木和喜さんの身長などプロフィール、これまでの経歴と大会記録、結婚した嫁や子供情報、アップルパイを販売や引退していない現在をまとめてみました。
この記事の目次
船木和喜の身長などプロフィール
出典:https://www.ehealthyrecipe.com/
生年月日: 1975年4月27日
出身地:北海道余市郡余市町
身長:175cm
体重:62kg
船木和喜さんはスキージャンプ選手で、金メダリストです。身長は175cmであり、日本人男性の平均よりやや高いくらいです。
40代の今も現役のスキージャンプ選手でありながら、会社経営を行なうなど、多方面で活躍を見せています。
オリンピック出場時代はイケメンぶりも話題に
オリンピック出場時代は、くっきりとした二重や彫りの深さもあり、イケメンであるとスポーツ選手の中でも人気の高かった船木和喜さん。
現在も、当時の面影そのままにイケメンであると話題です。
また、当時から細目に整えられた眉毛が特徴であり、今もそのトレードマークは残されています。
2016年に船木和喜さんを取材した真面目な記事でも、眉毛について触れられていました。
北海道江別市に位置するその山の斜面で、眉を細く整えた男性が、スコップで周囲の雪をかき集めては積み上げ、踏み固めていた。
原田雅彦選手の「フナキィ~」という掛け声が話題に
船木和喜さんも出場した1998年の「長野オリンピック」の名シーンの1つ、「スキージャンプ団体ラージヒル」。
船木和喜さんがジャンプを成功させて金メダルを獲得したこの試合では、メンバーの原田雅彦選手の「フナキィ~」という嗚咽交じりの悲鳴のようなエールが話題になりました。
原田雅彦選手は船木和喜さんの前に滑っており、運悪く前がほとんど見えない雪の中で行われました。そのため、滑りも悪く助走速度も下がってしまい記録が伸びませんでした。
そこで、金メダルがとれるかどうかが船木和喜さんのジャンプにかかっており、この瀬戸際の感情の高ぶりからきたものだとされています。
船木和喜の経歴
出典:https://blog.akairibon.net/
船木和喜さんは、一体どのような経歴の持ち主なのでしょうか。船木和喜さんのこれまでの経歴について、調べてみました。
学生時代
船木和喜さんは、10歳からスキージャンプ競技を始めます。
中学生時代である1991年には、「第28回全国中学校スキー大会ノルディックスキー・スペシャルジャンプ」で優勝。
高校生となった翌年の1992年に「スキージャンプ・ワールドカップ(W杯)札幌大会ラージヒル」に開催国枠で出場し、27位となりました。
ちなみに、船木和喜さんで検索すると「明治大学」というワードが出てきます。しかし、ご本人は大学には進学していません。
おそらく、近年明治大学のスキー部が活躍していることから、「船木和喜さんも明治大学出身では?」と予想した人が多いのではないでしょうか。
プロ時代(デサント入社~)
船木和喜さんは高校卒業後、「デサント」に所属します。
デサントは大阪に本社をもつスポーツウェアメーカーで、「マンシングウェア」をはじめ、「アディダス」「FILA」などのスポーツブランドの日本での総販売代理店でもあります。
所属後の成績も好調で、1994~1995年シーズンの「W杯プラニツァ大会ノーマルヒル」では初出場・初優勝しています。
また、バッケンレコード(そのジャンプ台を使用して記録された最長不倒飛行距離)を記録しました。
以降もほとんどの試合でトップ10入りしています。
翌シーズンの1995年~1996年は、最高位が7位に終わり、総合でも33位と成績は振るいませんでした。しかし、さらに翌シーズンとなる1996~1997年には再度好成績を収めはじめます。
さらに、1997~1998年のシーズンには、「スキージャンプ週間」で日本人初の総合優勝を達成しました。
1998年の「長野オリンピック」では、個人ラージヒル・団体ラージヒルで金メダルを1つずつ取得し、さらには、個人ノーマルヒルで銀メダル1つと、合計で3つのメダルを獲得しました。
同オリンピックでは、船木和喜さんのジャンプに対してオリンピック史上初めて「審判全員が飛形点20点」をつけたことが話題となりました。
それゆえに「世界一美しいジャンプフォーム」であったと評されることが多々あります。
また、長野オリンピック後も良い成績を収め続けました。
プロ時代(有限会社F.I.T設立~)
長野オリンピック後の1999年に、船木和喜さんは所属していたデサントから独立します。そして、有限会社F.I.T(設立時はフィット表記)を設立しました。
しかし、以降は大きな成績不振に陥ります。
その原因は競技におけるルール変更であったとされ、多くの日本ジャンプ陣がこのルール変更に悩まされていました。
そのルールとは、「身長によってスキー板の長さに制限がかけられる」といったもので、日本ジャンプ陣全体が、ジャンプ技術の変革に乗り遅れていました。
その後、2002年の「ソルトレークシティーオリンピック」をはじめとするシーズンでは成績を持ち直し、同オリンピックに出場し、旗手を務めましたがメダルの獲得はなりませんでした。
翌シーズンからはまた成績が落ち込み、2004年~2005年シーズンにおいては「W杯札幌大会」で優勝するものの、翌2006年の「トリノオリンピック」には出場できませんでした。
その後、成績は向上し、完全復活・オリンピック再出場が期待されていましたが、2010年の「バンクーバーオリンピック」への出場も叶いませんでした。
プロ時代(食品卸売会社えにし設立~)
船木和喜さんは2008年頃、スキージャンプ選手と並行して食品卸会社「えにし」を設立します。
同社では、各地の物産展を中心にコロッケ・ドーナツ・アップルパイなどを販売しており、その収益は少年・少女ジャンパーの育成に充てているそうです。
同社を立ち上げた理由について、金メダリストでありながら次の世代の育成に携われていないという恥ずかしさからくるものだと述べています。
また、会社の経営をしつつもスキージャンプ選手として感覚を鈍らせないため、大会の規模関わらず出場し続けています。
その後、2010年「名寄ピヤシリジャンプ大会」での優勝、2011年の「アルマトイ冬季アジア大会」で選手団主将を務めるなど、スキージャンプ選手としても活躍し続けます。
2013年には「北海道メディカル・スポーツ専門学校」の副校長に就任し、スキージャンプの現役選手でありながら、経営者そして専門学校の副校長と多岐にわたって活動しています。
船木和喜のオリンピック出場歴
オリンピックで3つのメダルを獲得し、さらにはワールドカップ通算16勝という、日本最多勝利数を誇る船木和喜さん。そんな船木和喜さんのオリンピックでの記録について紹介します。
船木和喜さんは、これまでにオリンピックに2回出場し、3つのメダルを獲得しています。
1998年「長野オリンピック」
- 個人ノーマルヒル 銀メダル
- 個人ラージヒル 金メダル
- 団体ラージヒル 金メダル
※岡部孝信、斉藤浩哉、原田雅彦、船木和喜で出場
2002年「ソルトレイクシティオリンピック」
- 個人ノーマルヒル 7位
- 個人ラージヒル 9位
- 団体ラージヒル 5位
※宮平秀治、山田大起、原田雅彦、船木和喜で出場
船木和喜の現在① まだ引退していない…宮根誠司が炎上した理由とは
船木和喜さんは現在も引退宣言をしておらず、現役のスキージャンプ選手として活動しています。
しかしながら、長らくオリンピックなどに出場しておらず、経営者や指導者として活動していることからも「引退した」と勘違いしている人も多いようです。
そんな中、船木和喜さんの現在の状況について、間違えてはならない人が間違えてしまったと話題になりました。
それが、情報番組「ミヤネ屋」で司会を務める宮根誠司さんです。
2014年に放送された同番組では、当時41歳でありながら「ソチオリンピック」でメダルを獲得した葛西紀明選手を取り上げており、船木和喜さんもゲスト出演していました。
その際、宮根誠司さんはとある失言をしてしまいます。
宮根誠司さんは葛西紀明選手の活躍を受けて、船木和喜さんに「葛西紀明選手はピョンチャンオリンピックも目指しているがどうか?」と問いかけます。
これに対して、船木和喜さんは「僕も行きたいです」と回答しました。
船木和喜さんは現役スキージャンプ選手であるため、至極当然の回答ではありますが、それに対する宮根誠司さんの発言にスタジオは凍り付きます。
「現役復帰したらどうですか?船木さん。41歳の葛西さんができるなら船木さん行けるんちゃいます?」
恐らく、宮根誠司さんは船木和喜さんがすでに現役引退しているものと勘違いしてしまったのでしょう。
これに対して、船木和喜さんは苦笑しながらもまだ現役であることを伝えます。
しかし、宮根誠司さんは誤りを謝罪することなく、以下のように続けました。
「オリンピック目指すって言いはったら?平昌行く、言うて。」
これに対してまたも、「もう目指している」と回答した船木和喜さん。激怒してもおかしくはないこの発言にも、怒ることなく真摯に対応していました。
ネット上では、とても失礼な間違いを犯したにも関わらず謝罪しなかった宮根誠司さんに対して、怒りの声が多く挙がっていました。
船木和喜の現在② 結婚した嫁・子供とは
出典:https://pixabay.com/
船木和喜さんはプライベートについて積極的に発信していないようで、結婚や家族に関する情報はあまり見つけることができませんでした。
しかし、2007年に結婚し、長女が誕生しているという噂があります。
出典:https://isle-songforyou-51.com/wp-content/uploads/2014/02/WS000588.jpg
長女がいるという話は明確な情報ではありませんが、2007年の結婚については同年に撮影された結婚式の写真がネット上で見つかることから、恐らく正しい可能性が高いでしょう。
船木和喜の現在③ スキージャンプ選手・アップルパイ販売の経営者・指導者として活躍
出典:https://kdaimaru.exblog.jp/
船木和喜さんは現在、現役のスキージャンプ選手・経営者・指導者として活躍しています。
現役のスキージャンプ選手として
2018年の記事によると、スキージャンプとしての現在のスポンサー契約は17社にも上るといいます。中には、飛込営業で獲得したスポンサーもいるそうです。
多くの企業が成績ではなく頑張っている姿を見せてくれれば良いと述べているようで、船木和喜さんは「少しでも良い結果を出してスポンサーを宣伝したい」と語っています。
今も五輪出場は念頭にあると言い、引退に関しては「スポンサーさんがいなくなったら」と語っています。
しかし、それはあくまでプロとしての話で、その後もアマチュアとして続けていくつもりなのだそうです。
現役スキージャンプ選手としてコメントや解説を求められることも多く、その発言にもかなり高い評価が集まっているようです。
「モーニングバード!」にスキーのジャンプでゲスト出演している船木和喜は、無口に近いが喋る内容に無駄がない。この日はジャンプ団体の銅メダル獲得で、選手でなければわからない内容を話した。
経営者として
袁術の通り、自身のマネジメント会社「F.I.T」以外にも、食品卸会社「えにし」を経営する船木和喜さん。
特に、えにしの中でも話題となっているのが「王様の工房」です。
船木和喜さんの故郷である北海道余市町に工房があり、地元のリンゴを使用したアップルパイが人気となっています。1ホール1200円で販売されており、金メダルと同じ重さなのだそうです。
また、この収益はスキージャンプに取り組む子供たちに贈る道具の購入などにも使用されており、これまでにスキー板やシャツなど、9000点以上を贈ってきたといいます。
そんな次世代のスキージャンプ選手にも貢献できるアップルパイなどは、各地で行われる物産展でも購入できます。
物産展情報は船木和喜さんのTwitter(@funaki_fit)などで発信されているようです。
指導者として
2013年に「北海道メディカル・スポーツ専門学校」の副校長に就任した船木和喜さん。
同校には、2015年に女子スキージャンプ選手の勢藤優花選手が入学しており、勢藤優花選手へのスキージャンプの指導も行っています。
尚、勢藤優花選手は2018年に「ピョンチャンオリンピック」に出場しています。
まとめ
船木和喜さんは経営者や指導者として活躍しており、中には現役を引退したのではと勘違いしてしまう人も多いようですが、今もなお現役のスキージャンプ選手として活動しています。
今もスキージャンプ選手として五輪出場を目指し、大会に出場し続ける船木和喜さん。2018年の国体では9位を獲得しています。
今後については、五輪を目指しつつ、まずは国内での表彰台を目標としているそうです。
自身の夢を追いかけつつ、次世代の夢を支援するという金メダリストとしての素晴らしい活動にこれからも期待がかかります。