「アウトローのカリスマ」の異名で知られる瓜田純士さんですが、関東連合との関係や実は弱いとの噂も話題です。
今回は瓜田純士さんの生い立ちや関東連合との関係、父や嫁などの家族、喧嘩が弱い噂と真相、現在をまとめました。
この記事の目次
瓜田純士のプロフィール
瓜田純士のプロフィール
生年月日:1979年12月4日
出身地:東京都新宿区歌舞伎町
身長:182cm
通称:アウトローのカリスマ、キングオブアウトロー
瓜田純士さんは、国内で最も有名なアウトローの1人で、「(元)アウトローのカリスマ」「キング・オブ・アウトロー」の通称で知られています。
小学生の時代から札付きの不良として暴れまわり、10代で暴力団に所属、その素行の悪さで数々の伝説を残しました。
覚せい剤取締法違反で逮捕され、実刑判決を受けて服役した際にカタギに戻り、出所後に作家デビューします。
自伝的小説や、元アウトローならではのノンフィクション作品を次々と発表して、話題になります。
その後、格闘家デビューするなど、積極的なメディア展開を行った事でその人気はさらに上昇。
現在も作家として執筆活動を続けつつ、YouTube、音楽活動、映画製作など、様々な分野で活躍しています。
瓜田純士の生い立ちと経歴① 関東連合メンバーとは幼馴染
そんな瓜田純士さんは、1979年に東京新宿の歌舞伎町に誕生しました。正確な時期は不明ながら両親は離婚しており、瓜田純士さんは母子家庭で育ちました。
小学生時代には既に不良少年として有名だった瓜田純士さん。
中学に進学すると学年の不良達をまとめ、他校との抗争を繰り返すなどし、そのあまりの素行の悪さから強制的に別の学校へと転校させられるという伝説を残しています。
関東連合メンバーらと交友を深める
新宿区の中学から杉並区の中学(高南中学校)に転校させられた瓜田純士さんは、それをきっかけに関東連合のOBとして有名になる、筋金入りの不良少年達と出会います。
1学年上には、後に関東連合のナンバー2となり、AV監督として大成功を収める松嶋重(松嶋クロス)さんがいました。
その繋がりから、後に関東連合の実質的統率者(リーダー)となる、現在「六本木クラブ襲撃事件」の主犯格として指名手配され逃亡中の見立真一さんとも知り合いになります。
その他にも、後に「いびつな絆 関東連合の真実」を出版する作家・工藤明男こと柴田大輔さんとも知り合っています。
また、長年に渡って関東連合との抗争を繰り広げる事になる伝説的不良・木村泰一郎さん、木村孔次郎さんの「木村兄弟」ともこの頃に親交を結び、親友と言える関係を築き上げます。
瓜田純士さんとこの木村兄弟の2人は、見立真一さんや柴田大輔さんら先輩達が東京の暴走族をまとめて「関東連合」として組織化する際に従わず、決別の道を選んでいます。
瓜田純士さんはその後ヤクザ者になったため揉め事には発展しませんでしたが、木村兄弟の2人はこれをきっかけにして関東連合との長年に渡る抗争を繰り広げる事になります。
この関東連合と木村兄弟の抗争の真相については、瓜田純士さんは後に自著「遺書」で詳細に語っています。
瓜田純士の生い立ちと経歴② 10代で暴力団に所属して若頭補佐に
瓜田純士さんは、中学卒業後に土建会社などで働いていましたが半年ほどで辞めています。
16歳の時に関東連合の傘下の暴走族「梅里スペクター」に組み入れられる事を拒み、17歳(16歳説も)で暴力団・極東会系の中核団体の一つである桜成会長谷川組に入っています。
瓜田純士さんは極道としても頭角を現し、覚せい剤を手がける闇ビジネスで成果を出して、18歳の若さで長谷川組の若頭補佐にまで出世しています。
同世代では1番の出世スピードで、組からの期待も大きかったようです。
暴力団時代の活躍
瓜田純士さんは暴力団員時代、厄介な揉め事や用心棒業などを請け負う組織「供攻社」を設立しています。
「供攻社」は、在日韓国人、中国人、日系ブラジル人らを中心とする60人以上の用心棒を抱えた武闘派組織で、後には劇画化もされています。
護衛の他、ストーカー被害やいじめなどの民間の厄介ごとに対しても、暴力を持って対応する集団として伝説化しています。
ガチンコファイトクラブ出演者をシメる
2000年頃、TOKIOがパーソナリティを務めるバラエティ番組「ガチンコ!」の大人気企画「ガチンコファイトクラブ」の第1期生だった3人を、瓜田純士さんがシメたと話題になりました。
この事件の発端は、瓜田純士さんが所属していた暴力団「長谷川組」が仕切るカラオケ店で、ガチンコファイトクラブ1期生の3人が騒いでいるのを瓜田純士さんが注意した事でした。
この時、1期生の1人・藤野大作さんが先に突っかかり、それにキレた瓜田純士さんがビール瓶で藤野大作さんの頭部を殴打、続けて割れたビール瓶で腕や肩を刺し、大怪我を負わせました。
瓜田純士の生い立ちと経歴③ 覚せい剤で逮捕後カタギになり作家デビュー
上で紹介したように暴力団員として日々活動していた瓜田純士さんでしたが、2003年4月に覚せい剤取締法違反で逮捕されています。
瓜田純士さんは、覚せい剤の売人としてのシノギも手がけていたため、売り物の覚せい剤を自身で「味見」する必要があったそうです。
しかし、元々違法薬物に頼らないナチュラルパワーの信奉者で違法ドラッグ否定派だったため、決して覚せい剤には手を出さずにいたそうです。
ある時、組の上層部に強烈なヤキを入れられて骨が折れ、痛みでどうしようなくなったそうで、当時一緒に用心棒をしていた外国人の仲間が痛み止めとして覚せい剤を持ってきたんだとか。
瓜田純士さんはこの時初めて覚せい剤を使用したそうです。
そして、タイミング悪くその直後に銃刀法違反で逮捕。体に残っていた覚せい剤が検出され、覚せい剤取締法違反で、懲役3年4ヶ月の実刑判決を受けます。
刑務所内で作家を志しカタギに
刑務所に入った瓜田純士さんでしたが、服役中に刑務所内で開催された文芸コンクールに挑戦。「mother」という小説を発表し、見事大賞を獲得します。
瓜田純士さん曰く、この時にもらったのが人生初めての「賞状」で、これをきっかけにして文章を書く楽しさに目覚め、作家を志す事を決めたそうです。
服役中に暴力団組織を脱退し「カタギ」になった瓜田純士さんは、2007年2月に刑務所から出所し、本格手に作家としてのデビューを目指す事になります。
作家デビューし話題作を多数発表
2008年9月、瓜田純士さんは太田出版からデビュー作「ドブネズミのバラード」を発表します。
これは瓜田純士さんの自伝的小説で、それまでの波乱に満ちた人生が赤裸々に綴られています。
本作「ドブネズミのバラード」は2010年11月に俳優・松田悟志さん主演で映画化され、瓜田純士さん本人も出演されています。
2009年、同じく太田出版から第2作の小説「ピラニア〜雨の街、俺たちの絆〜」を発表。
2010年には、フォト&メッセージブック「泥だらけのありがとう」を発表しています。
ノンフィクション「遺書」がベストセラーに
作家として精力的に活動を続けていた瓜田純士さんは、2014年に関東連合と木村兄弟の抗争を中心に書かれた迫真のノンフィクション「遺書」を発表します。
この作品は、当時世間を賑わせていた「関東連合」の内情が詳細に書かれていたため、ベストセラーになります。
これをきっかけに、瓜田純士さんの名前は一般にも広く知られるようになりました。
瓜田純士さんはその後も、エッセイ「國殺 ~国が國を殺している~」や、自身の体験を元にしたオリジナル小説「熱帯夜」なども発表。
本物のアウトローならではの迫真の作品を次々と発表し、人気を集めています。
瓜田純士の家族① 父・瓜田吉寿は関東連合「ブラックエンペラー」元総長
出典:https://www.blackemperor.jp
瓜田純士さんの父は、関東連合の中核を成した、当時関東最強の暴走族「ブラックエンペラー」の2代目総長・瓜田吉寿(遠藤吉寿)さんです。
瓜田吉寿さんは、瓜田純士さんが誕生した頃、暴力団関係者としてアンダーグラウンドなビジネスを手がけていたようです。
瓜田吉寿さんは、ほとんど家に寄り付かなかったそうで、瓜田純士さんはほとんど遊んでもらった記憶がないのだそうです。
瓜田純士の父・瓜田吉寿は「関東連合」創始者
1973年、この瓜田吉寿さん率いる「ブラックエンペラー」や、世田谷区、杉並区の暴走族のメンバーらが「関東連合」を作りました。
その後、1980年頃にはこの関東連合は「有名無実化」していましたが、瓜田純士さんの1つ上の世代(昭和53年世代)が中心となって関東連合を復活させたという経緯があります。
この事から、瓜田純士さんの関東連合との関わりは父・瓜田吉寿さんにまつわる因縁であるとも言えるでしょう。
瓜田純士の家族② 現在の嫁は元アイドル・清久レイアの母・麗子
出典:https://news.infoseek.co.jp
瓜田純士さんの現在の嫁は、「アイドリング!!!」などで活躍した元アイドル・清久レイアさんの母・瓜田麗子さんです。
この嫁・瓜田麗子さんは、瓜田純士さんのインタビュー記事でも度々登場し、その愛妻家ぶりが伝わります。
2人は2014年頃に結婚したとされますが、付き合い始めた当初は、瓜田純士さんは女性を全く信用しておらず、瓜田麗子さんにもかなり冷たく当たっていたそうです。
女は大抵うたう(密告する)し裏切るんで、冷めた目で見ちゃってました。内側を見せたくないし内側に入れたくない。恋愛ごっこもたまにはしたけど、俺はいつでも仮面をかぶった状態。女が寄ってくると、すべてがハニートラップに思えちゃう。気が抜けない。勘ぐってピリピリしちゃうんです。
しかし、瓜田麗子さんがそんな瓜田純士さんに粘り強く愛情を注いだ事で、次第に瓜田純士さんは心を開くようになったようです。
結婚後、1度だけ暴力を振るったそうですが、それでも自分の元を去らなかった麗子さんに心を動かされ、「責任を取らなきゃ。こいつと一緒の墓に入るんだ」と決心したそうです。
「怖いからさよなら」と言わずに、彼女は逃げずについてきてくれた。だから俺もその気持ちに応えて、まともな人間になるべく、努力するようになりました。で、こうして今も2人で一緒にいるから、ほとんど「戦友」みたいな感覚ですね。彼女とだけは、深い絆的なものを感じるんですよ。
出典:https://doragonsashin.blogspot.com
実は、瓜田純士さんは現在の嫁である麗子さんと結婚する前、3度の離婚を経験されています。
当時を振り返って瓜田純士さんは、「相手を人間と思っていなかった」と語っています。
それまでの壮絶な人生から染み付いた人間不信が原因だったようですが、そんな瓜田純士さんの頑なな心を解きほぐしたのが現在の嫁・麗子さんだったのです。
瓜田純士は格闘家デビューも連戦連敗で「弱い」と噂に
瓜田純士さんは、作家としての活動と並行して格闘家としてもデビューしており、地下格闘技の世界で活躍されています。
瓜田純士さんの格闘家デビューは2008年3月、元人気プロレスラー・前田日明さんが主催する格闘技イベント「THE OUTSIDER」の初大会への出場でした。
「“新宿のカリスマ”瓜田純士」として「”東京ストリートウルフ”aym-jet」と対戦し、1RTKO勝ちを収めています。
初戦を見事勝利で飾った瓜田純士さんでしたが、同年7月の「THE OUTSIDER 第弐戦」では、大谷匡弘さんと対戦して1Rでレフェリーストップによる敗北を喫します。
同年12月26日には、地下格闘技イベント「喧王」に参戦、チョコボール金山さんと激戦を繰り広げますが、判定負けを喫しています。
2009年4月、「喧王」での2戦目としてジャックナイフ林さんと対戦しますが、これもKO負けでした。
2010年には、「KICK the ROOTS in 宇都宮」に参戦し智也さんと対戦するも1RKO負け。
2012年1月にも、地下格闘技大会「BERSERKER」にて内藤裕さんとの引退試合を行い、地下格闘技の世界から引退しています。
以上のように、初戦以外連戦連敗を喫した瓜田純士さんが実は「弱い」のではないか?との噂がネットで広がっています。
特に格闘技ファンからは、「いかにもヤクザ者の喧嘩」「弱いと言わざるを得ない」といった酷評を受けてしまいました。
その後、2018年4月には約10年ぶりに「THE OUTSIDER」のリングに立ち、「瓜田純士に勝ったら10万円」の企画もつけられるスペシャルゲスト扱いでした。
しかし、1RTKO負けを喫してしまった事で、「弱い」というイメージをさらに強めてしまいました。
瓜田純士さんの戦績をまとめると以下の通りです。アマチュア総合格闘技では8試合に出場して2勝4敗、引き分け1回、無効試合1回となってます。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%93%9C%E7%94%B0%E7%B4%94%E5%A3%AB#%E6%88%A6%E7%B8%BE
瓜田純士の現在① 日刊サイゾーで定期的にインタビューを受けている
そんな瓜田純士さんは、現在も「アウトローのカリスマ」としての活動を精力的に続けられています。
特に、ネットメディア「日刊サイゾー」では毎月瓜田純士さんのインタビュー記事が掲載されており、毎回興味深くユーモアに溢れた内容が掲載され、絶大な人気を集めています。
例えば、2019年11月の記事では、覚せい剤所持の疑いで5度目の逮捕となったタレントの田代まさしさんに対して「去勢」を勧めています。
一見、無茶苦茶な意見に見えながらも、自身の経験を踏まえた非常に論理的なもので、瓜田純士さんだからこそ言える非常に濃い内容です。
また、この日刊サイゾーのインタビュー連載の中で「麻薬」や「裏社会」の話以外で人気を集めているのが、嫁の麗子さんとのやり取りの形式をとったインタビューです。
映画「ジョーカー」を一緒に鑑賞した際、瓜田純士さんがずっと感動して泣いていた事に対して麗子さんがドン引きしたエピソードなど、微笑ましい夫婦エピソードが多数公開されています。
麗子 鑑賞中、純士がずっと横で泣いてるから、「はぁ、純士の頭の中は、やっぱこうなんや……」と再確認すると同時に、付き合い始めの頃の自分の苦労を思い出してウンザリしたわ。
純士 俺をメンヘラ扱いかよ……。
この他にも、瓜田純士さんが嫁の麗子さんとのノロケ話を披露したりもしており、強面のアウトローイメージとのギャップにファンになってしまう読者も多いようです。
嫁が、俺に向かって笑顔でこう言ったんです。「好きやで」と。やっぱ家でゴロゴロしてる無能亭主より、表で戦ってる旦那のほうが好きみたい。ノロケみたいですいませんが、それが今日イチのうれしい出来事ですね。
瓜田純士の現在② ブログやインスタ、YouTubeで情報発信中
瓜田純士さんは、ブログやインスタグラムなどのSNSも積極的に活用し情報を発信しています。
YouTubeチャンネル「瓜田夫婦」が大人気に
瓜田純士さんの公式ブログでは最新情報の他、YouTubeチャンネル「瓜田夫婦」で公開している動画の紹介が行われています。
このYouTubeチャンネル「瓜田夫婦」に投稿される動画は、主に瓜田純士さんが街を歩きながら、裏社会の事情や未解決事件を、経験と直感を駆使して解説するという内容になっています。
瓜田純士さんのトークスキルが極めて高く、ところどころに上質なコメディ要素を組み入れるなど、かなりクオリティの高い動画が続々と発信されています。
2018年9月に開設されたばかりのチャンネルでありながら、早くも登録者数4万人を突破しています。
瓜田純士&麗子でインスタグラム開設
瓜田純士さんは「瓜田純士&麗子」としてインスタグラムアカウントを開設、日々カッコ良過ぎるアウトローな写真が投稿されています。
瓜田純士さんのインスタグラムには、妻の麗子さんとのラブラブなツーショットも多数投稿され人気を集めています。
瓜田純士の現在③ ラッパーとして歌手デビューしていた
瓜田純士さんは、2019年4月にラッパーとして歌手デビューも果たしています。
名義は「瓜田夫婦」で嫁の麗子さんとの夫婦ユニットで、ここでも夫婦のラブラブぶりを見せつけています。
デビュー曲の「recollection」はネットで「かっこよすぎ」「心の琴線に触れた」「鳥肌が立つ」など絶賛を集めています。
瓜田純士さんはこれまでに音楽活動を行った事はありませんでしたが、自身のYouTubeチャンネルの人気が上昇したため、エンディングテーマを独自の楽曲で作りたいと考えたそうです。
そこで、独自に「日本語ラッパーの現状」についてを徹底リサーチしたところ、大した不良でもない連中がラッパーとして「悪さ自慢」をしている事が「鼻についた」のだそうです。
そこで、瓜田純士さんは本物の不良である自身の自叙伝的なリリックを投下したらどうなるんだろう?という実験的な欲求が高まり、本格的にラッパーデビューをする方向に決めたようです。
2019年7月には、早くも第2弾の楽曲「Alba della Sicilia」を発表しています。
本作のミュージックビデオには瓜田純士さんの他、嫁の瓜田麗子さんも登場して話題になりました。
まとめ
今回は「アウトローのカリスマ」として知られる、伝説的不良で作家の瓜田純士さんについてまとめてみました。
瓜田純士さんは、関東連合の中核をなした伝説の暴走族「ブラックエンペラー」の2代目総長・瓜田吉寿さんを父に持つ、不良のサラブレッドともいうべき人物です。
小学生時代から札付きのワルとして知られ、中学時代には後に関東連合OBとして世間を騒がせる、見立真一容疑者、松嶋十さん、柴田大輔さんらと知り合い、共に非行に明け暮れています。
その後、暴力団に所属したりとアウトローの手本のような人生を送りますが、覚せい剤取締法違反で逮捕され服役したのをきっかけに作家を志してカタギになり、出所後に作家デビュー。
関東連合の真実に深く切り込んだ「遺書」は、ベストセラーになるなど、作家として成功を収めます。
現在は作家活動の傍ら、アウトロー的キャラクターながらも妻の麗子さんと共に夫婦仲睦じい生活をSNSなどを通じて発信し、「瓜田夫婦」の名義で歌手デビューも果たしています。
アウトローなキャラクターと、愛妻家でギャグセンスにも溢れる実体とのギャップで絶大な人気を獲得している瓜田純士さんが、今後どんな活躍を見せてくれるのか非常に楽しみです。