前田吟さんは「男はつらいよ」シリーズなどで知られる役者ですが、再婚と離婚の時期が話題です。
今回は前田吟さんの生い立ちや若い頃の経歴、結婚した嫁や子供(息子4人)、再婚相手との馴れ初め、自宅や現在の活動もまとめました。
この記事の目次
- 前田吟のプロフィール:役者として幅広い作品に出演・司会や歌手業も
- 前田吟の生い立ち① 父親が原爆で消息不明となり、養子に出される
- 前田吟の生い立ち② 通信教育で高校卒業資格を取得・役者を目指し上京
- 前田吟の若い頃の経歴① 役者として活躍し「男はつらいよ」全作に出演
- 前田吟の若い頃の経歴② バイプレイヤーとして幅広い作品に出演
- 前田吟の若い頃の経歴③ 司会業に歌手デビューとマルチな才能の持ち主
- 前田吟と結婚した元嫁は2学年年上・2021年にすい臓がんで死去していた
- 前田吟は元嫁の闘病生活を支えていた
- 前田吟も病気を経験・病気をするたびに元気に?
- 前田吟が再婚していた・お互い離婚ではなく死別を経ての再スタート
- 前田吟の再婚相手・箱崎幸子のプロフィール
- 前田吟と嫁・箱崎幸子の初デートは山手線一周?料理も引き受ける
- 前田吟の子供は息子が4人
- 前田吟の子供① 長男はテレビ東京で勤務するアナウンサー?
- 前田吟の子供② 次男は役者の前田淳・金八先生や2時間ドラマにも出演
- 前田吟の子供③ 四男は社交ダンスの選手・前田亨で、業界では有名人
- 前田吟の自宅は東京都世田谷区の一軒家との噂・再婚で転居の可能性も?
- 前田吟の現在① 役者として現役で活動中だが仕事量はセーブしている?
- 前田吟の現在② 再婚相手・箱崎幸子とのデュエットソングを発売
- まとめ
前田吟のプロフィール:役者として幅広い作品に出演・司会や歌手業も
生年月日:1944年2月21日
出身地:山口県
所属事務所:ティー・アーティスト
前田吟さんは役者で、かつては本名の「前田信明」としても活動していました。
代表作には映画「男はつらいよ」シリーズ、ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」シリーズなどが挙げられます。
特に、男はつらいよシリーズでは、主人公である寅次郎の妹・さくらの夫として全48作に出演しました。
そのほかにも、やくざ映画や往年のアイドル・山口百恵さんが主演を務めたドラマ「赤い」シリーズなど、幅広い作品に出演。
さらには、テレビ東京系列のクイズバラエティ番組「和風総本家」で司会を務めたり、過去には歌手としても活動していたりと、マルチな才能を見せています。
前田吟の生い立ち① 父親が原爆で消息不明となり、養子に出される
前田吟さんは同盟通信(現在の共同通信)の記者である父親と、タイプライターだった母親の間に誕生しました。
しかし1945年、父親が広島市を訪れている際に原爆が投下され、そのまま消息不明に。
母親は乳飲み子を抱えたまま生活に困窮し、困った末に生後100日だった前田吟さんを、親戚の子がいない老夫婦の元へと養子に出します。
しかし、養父母がともに高齢であったことから、4歳のときに養母が、12歳のときに養父が亡くなってしまったそう。
その後、親戚をたらい回しにされる日々が続き、一時は電気の通っていないような村で生活を送っていたといいます。
山奥の開拓村でランプの生活でしたが、勉強すると成績が上がってね。男の中で1番になることもありました。おじさんは中卒で働かせるわけにはいかないって、実母の親類に交渉してくれました。それで実母の姉のところに預けられて山口県立防府高校に進学したけど、1年で中退して、独り大阪へ出たんです。
中学校を卒業後、親族の進言のおかげでなんとか高校に進学できた前田吟さんでしたが、学費を出してくれていた実母が再婚すると、途端に送金が止まってしまったそう。
そのため、わずか1年で高校を中退することに。その後、前田吟さんは「有名になってやる」と大阪へ移住。生活のために家具屋へ奉公に出ました。
前田吟の生い立ち② 通信教育で高校卒業資格を取得・役者を目指し上京
前田吟さんは当時、有名になる手段としてボクサーか歌手、役者のいずれかを目指そうと考えていたそうですが、1949年公開の映画「野良犬」や1954年公開の映画「七人の侍」を観て感動。
役者を志すようになり、演劇研究所「シャトル・アントンス」へ通い始めます。
その後、同研究所はつぶれてしまいますが、講師であった倉橋仙太郎さんの俳優教室へと入り直し、高校卒業の資格を取るために通信教育の高校にも入学。
その間、結婚式場の下働きや、時にはポン引きなど、様々な仕事をして食いつないでいたのだとか。
そして、苦労の末に高校卒業資格を取得した前田吟さんは、役者になるべく上京。
「東京芸術座研究所」の第1期生・「劇団俳優座養成所」の15期生として活動します。
特に、劇団俳優座養成所の15期生には、役者の地井武男さんや原田芳雄さんといった豪華な顔ぶれがそろっており、”花の15期”とも呼ばれていたそうです。
前田と同期の15期生は、夏八木勲、地井武男、大地貴和子、村井国夫、林隆三、原田芳雄…と、実力派ぞろい。演劇青年の中で、前田だけは浮いた存在だったという。「その芝居、公演したらいくら取れるの?」演劇論よりも、生活が優先の苦労時代だった、と振り返る。
夢を追いつつも、生活を第一に考えていた前田吟さん。恐らくではありますが、幼少期からの苦労があるからこそ、シビアな考えを持っていたのかもしれません。
前田吟さんはそんな環境で切磋琢磨しつつ、歌声喫茶のボーイや工事現場などで働きながらデビューを夢見ていたといいます。
前田吟の若い頃の経歴① 役者として活躍し「男はつらいよ」全作に出演
前田吟さんは本名である「前田信明」名義で役者としての活動を開始し、1967年頃より芸名を「前田吟」と改めています。
そんな前田吟さんは1964年放送のテレビ朝日系列のドラマ「判決」第1シリーズの第105話でデビュー。
また、映画の端役などを経て、ついに1965年放送の朝日放送のドラマ「純愛物語」で初主演を務めました。
その後、1968年公開の映画「ドレイ工場」に出演したことを機に、映画監督・山田洋二さんの目にとまり、「男はつらいよ」シリーズへの出演が決定。
1969年に公開されたシリーズ第1作「男はつらいよ」に出演して以来、シリーズ全50作すべてに出演しています。
初の大役が24歳のときの映画「ドレイ工場」(山本薩夫監督)。試写を見た山田監督にその演技が注目され、山田監督の脚本、渥美清主演でテレビ放映されていた「泣いてたまるか」最終回に運転手の助手役で出演、見事「男はつらいよ」の博役を射止めた。「博と同じように、僕が苦労して俳優になったところに山田監督は共感を覚えられたんじゃないでしょうか」。
前田吟さんは同シリーズで、主人公の寅次郎の妹に惚れ、のちに夫となる諏訪博役を演じました。
シリーズ第1作から“寅さん”の妹・さくらの夫、諏訪博役で出演している俳優の前田吟さん(75)は、「1作から50作まで全て出演でき、あらためて俳優を続けていてよかったな、と思いました。ほかの映画にも数多く出ていますが、全国的に名前を知られるようになったのはこの映画のおかげ。この作品でバイプレーヤー(脇役)の生き方を教わりました」と感慨深げに話す。
また、同作を機に監督から「何かの動作をしながらセリフを話すとリアルな生活感が出る」と教えられた前田吟さん。
以降、すべての作品で動きをつけながらセリフを言うように心がけてみたそうです。
例えば、NHK「となりの芝生」で演じたサラリーマンでは翌朝の髪型が崩れないようにヘアネットをかぶりながらセリフを言い、刑事役では手帳にメモを取りながらしゃべった。そんな山田監督流の自然な演技を心掛けるようになって30歳を過ぎたころ、ある演技で山田監督から「あ、いいんじゃない」と言われた。そのときに「これで俺は役者で飯を食えるな、と思いました」と振り返る。
前田吟の若い頃の経歴② バイプレイヤーとして幅広い作品に出演
前田吟さんはその後も、1977年公開の「八甲田山」や1978放送のTBS系列のドラマ「赤い激突」などに出演。
また、脚本家の橋田壽賀子さんや石井ふく子さんの作品に数多く出演していることでも知られています。
その中でも有名なのが橋田壽賀子さんが脚本、宇津井健さんが主演を務めた1980年放送のTBS系列のドラマ「心」で演じた、主人公の妹と駆け落ちする男性・宮寺順一役です。
さらに「赤いシリーズ」などの大映ドラマでは悪役を演じ、1973年公開の映画「仁義なき戦い・広島死闘篇」をはじめとするやくざ映画にも出演するなど幅広く活躍。
そのほかにも、TBS系列のドラマ「渡るお世間は鬼ばかり」シリーズでは長女の夫役を、2006年放送の大河ドラマ「功名が辻」では忠臣役を演じており、様々な役柄を演じ分けています。
前田吟の若い頃の経歴③ 司会業に歌手デビューとマルチな才能の持ち主
前田吟さんは役者としてだけではなく、司会としても活躍。
2002年には、テレビ朝日系列の情報番組「スーパーモーニング」で司会を担当していました。
また、2019年から2020年まではテレビ東京系列の情報クイズ番組「二代目 和風総本家」で、ナレーション&司会を務めています。
2008年4月に「日本っていいな」をテーマに、和に関するさまざまな物事を取り上げ、日本の素晴らしさを伝えようと始まったバラエティー番組「和風総本家」。12年6月に亡くなった地井武男さん、萬田久子(61)、東貴博(50)の3人でスタート。18年に「二代目 和風総本家」としてリニューアルし、鈴木福(15)が加わり、昨年5月から前田吟(76)がナレーションを務めていた。
また、歌手としてもデビューしており、これまでにシングルレコード3枚、シングルCDを1枚リリース。滝里美さんとのデュエットで「男と女のラブゲーム」のカバー曲も発売しました。
バラエティ番組やトーク番組にも度々出演しており、マルチな才能の持ち主であることがうかがえます。
前田吟と結婚した元嫁は2学年年上・2021年にすい臓がんで死去していた
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前田吟さんは早くに結婚しており、1964年に2学年年上の女性と結婚。その後、長男が誕生しています。
嫁は2021年8月に79歳で亡くなっており、死因はすい臓がんだったそう。同年2月に診断され、わずか半年で亡くなってしまったといいます。
前田吟は元嫁の闘病生活を支えていた
前田吟さんの元嫁は、すい臓がんとなったことで入退院を繰り返していたそう。
新型コロナウィルス感染拡大の影響もあり、時には見舞いもままならなかったといいます。
急に『胃がもたれる』と言い出して、かかりつけ医に診てもらったら『すぐに大病院へかかってください』といわれ、翌日、大病院の診察を受けたらすい臓がんだ、と。すい臓がんは発見が難しく、見つかったときにはかなり進行してしまっているらしく、しかも女房の場合、手術ができない場所にがんができていました。入退院を繰り返し、抗がん剤治療を受け、一時は良くなったのですが……
病院を訪れるも建物に入れない…といった状況の中、病院の駐車場に停めた車の中から携帯電話で容態を確認するなどしていたのだとか。
最後はそばで見送ることができたものの、2人きりの別れとなってしまったといいます。
また、元嫁は亡くなる15年ほど前からパニック障害や更年期障害に悩まされていたそう。
前田吟さんはそんな元嫁を支え、仕事をしながら車での送迎や食事の用意など、身の回りのサポートをしていました。
前田吟も病気を経験・病気をするたびに元気に?
長らく続いた闘病生活も、「女房に合わせて、暮らしてやらなきゃケンカになりますから(笑)」と自身の宿命として受け入れていた前田吟さん。
その後、再婚していますが、再婚相手のことも最後まで面倒を見る心づもりだといます。ただ、再婚相手より先に自身が亡くなってしまったら…という不安はあるそう。
しかし、これまでに様々な困難を乗り越えてきたといい、40歳の頃から10年おきに十二指腸潰瘍・翼状片・鼠径ヘルニア・帯状疱疹などを経験してきたのだとか。
翼状片は白目(結膜)の組織が黒目(角膜)の中央に向かって進入する病気です。
鼻側に生じることが多いですが、耳側や上下に生じることもあります。結膜の組織が進入した際の形状が鳥の翼に似ていることから「翼状片」といわれるようになりました。
そんな病歴ながらも、「病気をするたびに元気になる気がして、死ぬなんて気が全然しないんですよ(笑)」と明るく語っています。
ただ、2018年には番組内で睡眠時無呼吸症候群が発覚し、「いつ死んでもおかしくない」と忠告された場面も。
俳優の前田吟さん(74)が、26日放送のTBS系の医療バラエティー「名医のTHE太鼓判!」(月曜午後7時)に出演。肺年齢を測定したところ、実年齢より7歳上の「81歳」と判明。さらに番組で密着したところ、睡眠中に最長で1分40秒という「睡眠時無呼吸症候群」の症状が見受けられたほか、寝ている間に自覚症状のないまま進行する肺炎だったことが分かり、医師から「いつ突然死してもおかしくない」と指摘される。
睡眠時無呼吸症候群は放置してしまうと、心臓の血管の病気や心筋梗塞、脳卒中の確率が上がるとのことで、治療に有効なCPAPの導入を勧められていました。
前田吟が再婚していた・お互い離婚ではなく死別を経ての再スタート
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前田吟さんは2022年6月に再婚。お相手は歌手の箱崎幸子さんです。
出会ってすぐに付き合いはじめ、半年ほどで再婚に至ったのだとか。
コロナになってから暇だし、家で1人で飲んでもつまらないでしょ。2022年1月の成人式の日に、20年ぐらい行っていなかったスナックに『たまには行ってみるか』と入ったんです。そうしたら、たまたま入った荻窪の店に、彼女もたまたま来ていて出会いました。3月に初めて2人きりで会って付き合い始め、入籍もしました。区役所へ行ったら、『え、あの前田吟さんですか?』なんて驚かれちゃいました(笑)。
前田吟の再婚相手・箱崎幸子のプロフィール
前田吟さんの再婚相手は、4歳年下の歌手・箱崎幸子さん。
高校を卒業後、常盤ハワイアンセンター(現在のスパリゾートハワイアンズ)に入社。18歳の時に新聞社が主催した「ミスいわき」に選出された経歴を持ちます。
その後、化粧品販売員に転職したのちに、22歳で結婚。元夫は1969年に発売された「熱海の夜」が大ヒットした歌手・箱崎晋一郎さんです。
箱崎晋一郎さんとの間には1男2女と3人の子供も誕生していますが、その後死別。歌手活動をしつつ、ふるさとである福島県でラウンジを経営していたのだとか。
前田吟さんはスナックで出会った際に箱崎幸子さんからCDをもらったそうで、その歌声が交際を申し出るきっかけとなったとも語っています。
別れ際に、彼女の『惜別』という歌のCDをいただいたんです。家に帰ってそれを聴いていたら、胸にジーンとくるものがありましてね。それで、人づてに彼女の連絡先を教えてもらい、『付き合いましょう』と電話をかけました。
前田吟と嫁・箱崎幸子の初デートは山手線一周?料理も引き受ける
前田吟さんと箱崎幸子さんの初デートは意外にも渋谷だったのだとか。ハチ公前で待ち合わせ、いろいろな話をしながら山手線を一周したそう。
2022年12月の「NEWSポストセブン」のインタビューでは、「知り合って間もないから、まだ気を遣いながら暮らしています」と語っていた前田吟さん。
そんな初々しさをも楽しんでいるといいます。また、料理が好きではないという箱崎幸子さんのために、外食を楽しみつつ、自炊はお互いの負担が半々となるよう分担しているそう。
料理ができない男性も多い年代のため意外な印象を持ちますが、料理や家事を苦に思わないのは生い立ちや幼少期の環境が影響しているようです。
僕は養父母に育てられたのですが、養母は僕が4歳のときに、養父は僕が中学生のときに亡くなりました。養父が亡くなるまでの1か月、僕が病院の隅の七輪でおかゆさんを作ったり、めざしを焼いたりして食べさせ、ベッドの下に寝起きして看病していました。だから、家事をするのも、身の回りの世話をするのも全然、平気なんですよ。
前田吟の子供は息子が4人
前田吟さんと最初の嫁との間には、4人の子供がおり、全員が息子さんです。また、孫が5人、ひ孫が2人も誕生しているといいます。
ちなみに、2人はそれぞれ連れ子を伴っての再婚だったのだとか。次男で役者として活動している前田淳さんは実は元嫁の連れ子でしたが、嫁の希望でこれまで公表してこなかったそう。
みんなに『似てないね』と言われても、前の女房の希望で明かせなくて、これまで本当に心苦しかった。僕はおしゃべりするのも好きだから、言えないことがあると胃が痛くなっちゃってね。
前田吟の子供① 長男はテレビ東京で勤務するアナウンサー?
生年月日:不明
出身地:不明
職業:不明
所属:テレビ東京
前田吟さんの長男は、テレビ東京にて勤務しているようです。
職種や役職は明らかにされておらず、営業職やアナウンサーではないかという噂もあります。
しかし、過去をさかのぼっても「前田」という名前のアナウンサーは同局で見当たらず、おそらく裏方で働いているものと見られます。
また、テレビ東京にも地味ながら俳優・前田吟の長男が入社したり、一世を風靡した海老一染之助の息子が報道局に在籍している。
前田吟の子供② 次男は役者の前田淳・金八先生や2時間ドラマにも出演
生年月日:1966年3月16日
出身地:東京都
職業:役者
所属事務所:C&Oプロダクション
前田淳さんは役者で、2時間ドラマなどを中心に活躍しています。
映画においては1995年公開の「男はつらいよ 寅次郎紅の花」や、2002年公開の「たそがれ清兵衛」などに出演。
朝の連続テレビ小説や大河ドラマ、「暴れん坊将軍」シリーズなどの名作にも出演しています。
特に、1995年放送のドラマ「3年B組金八先生」第4シリーズで3年A組副担任・阿部一智役や、1998年放送のドラマ「HOTEL」第5シリーズのベルボーイ、テディ・ニシダ役が有名です。
また、海外ドラマの吹き替えや声優なども務めています。
前田吟の子供③ 四男は社交ダンスの選手・前田亨で、業界では有名人
生年月日:不明
出身地:不明
職業:ダンサー
所属:不明
前田吟さんの三男は一般人のようでほとんど情報がありませんが、一部では建築関係の職に就いているとの噂です。
四男の前田亨さんは大学時代に社交ダンスの道に足を踏み入れ、1年生の時になんと全日本学生大会でチャンピオンになったそう。
その後も社交ダンスの道を究め、プロの道へ。「統一全日本ダンス選手権」のファイナリストでもあるそうです。また、嫁もプロの社交ダンサーだといいます。
統一全日本ダンス選手権(バルカーカップ)は、一般社団法人NDCJ(ナショナル・ダンス・カウンシル・オブ・ジャパン)が主催する日本最高峰の社交ダンス選手権です。その名の通り、日本一のプロダンサーを決める大切な大会となっています。
そんな前田亨さんは、原宿で社交ダンス教室「前田ボールルームダンス」を運営。
スタジオ貸し切りの完全プライベートレッスンが売りで、全国へ出張レッスンも行っているそうです。
前田吟の自宅は東京都世田谷区の一軒家との噂・再婚で転居の可能性も?
前田吟さんの自宅は、東京都世田谷区にある一軒家だと言われています。
具体的な場所や間取りなどは不明ですが、同地区の戸建ての一般的な売却価格は9000万円近いそう。
前田吟さんがどのような形で自宅を購入したかにもよりますが、億単位の支払いがあったのは間違いなさそうです。
4人の息子たちも手が離れ、再婚相手・箱崎幸子さんとの新しい生活をスタートさせているそうですから、もしかするとすでに自宅を手放し、新たな環境で暮らしているかもしれませんね。
前田吟の現在① 役者として現役で活動中だが仕事量はセーブしている?
前田吟さんは現在も、役者として現役で活躍しています。
近年の出演作は、2016年公開の映画「フローレンスは眠る」や、2017年公開の映画「3月のライオン」など。
ドラマにおいては、2017年にNHK BSで放送された「全力疾走」第2話や、2022年にNHKで放送された「正直不動産」第7話などに出演しています。
また、2021年はサントリー「BOSS」のCMにも出演。同CMはオーケストラがテーマで、新型コロナウィルス感染拡大に伴い、練習がままならぬ様子からスタート。
ラストでは屋上で距離を取りつつ、久しぶりに全員そろっての練習が実現するというもの。
前田吟さんはコンサートバスドラムらしきものを演奏していますが、前田吟さんをはじめとする全出演者が実際に演奏しているというのだから驚きです。
役所さんのタクトのもと、演奏されるのは「ドラゴンクエストI」のオープニングで流れる、すぎやまこういちさん作曲の「序曲」。神木さん、杉咲さん、ジョーンズさんのほか、前田吟さん、戸田恵子さん、もう中学生さんの顔も見えます。
とはいえ、全盛期に比べると出演作がだいぶ減っている様子の前田吟さん。しかし、前の嫁の闘病生活や年齢を考えると、自然な流れと言えるのではないでしょうか。
さらに、近年はトーク番組やメディアのインタビューに応じる機会が増えており、生い立ちや過去の経歴について語ることで、よりパーソナルな部分が明らかになりつつあります。
前田吟の現在② 再婚相手・箱崎幸子とのデュエットソングを発売
前田吟さんは歌手としても活動していた時期があり、再婚相手の箱崎幸子さんも歌手。
そのため、最初のデートでは「レコード会社からデュエットソングを出さないか、という話がきてるんだけど、一緒にどうですか」と冗談めいて口説いていたそう。
実際にそんな話はなかったそうですが、その後その嘘が実現。2人の再婚を機に、2023年2月15日にデュエットソング「凪の風景」が発売されることとなりました。
同じ事務所に所属する役者・烏丸せつこさんの夫が音楽プロデューサーだったことから、「のどの調子が良いうちに」とお願いしたことで発売が実現した同曲。
2人は今後、夫婦で老人ホームや故郷のホールをボランティアでまわり、同曲やトークで盛り上げていきたいと考えているそうです。
まとめ
前田吟さんは役者で、「男はつらいよ」シリーズ全作に出演しています。
父親を亡くしたことを機に生後わずか100日で老夫婦の元に養子に出されるも、養父母が相次いで亡くなり親族をたらい回しにされたそう。
中学卒業後はなんとか高校へと進学しますが、預けられていた母親の姉の再婚をきっかけに学費が滞り、1年生ほどで中退せざるをえませんでした。
中退後は働きつつ、役者の道を目指して養成所などに通い、さらに通信教育で高校卒業資格を取得した努力家です。
役者デビュー後は端役を経験しつつ、1965年放送の朝日放送のドラマ「純愛物語」で初主演。
そして、山田洋二監督にその才能を見出され、「男はつらいよ」シリーズの諏訪博役でブレイクを果たしました。
以降、様々な作品で幅広い役柄を演じ、バイプレイヤーとしての地位を確立。
プライベートでは若くして結婚した嫁と4人の息子と生活していましたが、嫁を2021年にすい臓がんで亡くしています。
また、闘病前から嫁のパニック障害・更年期障害に寄り添う生活を送っていたのだとか。
その後、2022年に歌手・箱崎幸子さんと再婚。新生活をスタートさせているそう。
今後も、役者として活躍しつつ、幸せな毎日を過ごしてほしいものですね。