日本スポーツ界において、「モーグル」という競技の認知度上昇に多大なる貢献をした選手が上村愛子さんです。
元モーグル日本代表選手の上村愛子さんのプロフィールや経歴、若い頃のかわいい画像、子供の頃の心臓の病気、旦那の皆川賢太郎氏との結婚や馴れ初め、子供の有無、離婚原因と現在をまとめました。
この記事の目次
上村愛子は元モーグル日本代表選手
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上村愛子
生年月日:1979年12月9日
出身:長野県北安曇郡白馬村
身長:156cm
所属:元北野建設、スポーツビズ
活動:元モーグル選手、スキー指導者など
上村愛子さんは、元モーグル選手です。
フリースタイルスキー・モーグル選手として、1998年に長野オリンピックに出場して7位入賞、さらにのかわいらしいルックスと笑顔で人気になりました。
それまでは日本では「モーグル」という競技があることを知らなかった人も多かった中、上村愛子さんが人気になったことで、モーグルが日本中に知れ渡ることになり、モーグルの認知度に大きく貢献しました。
また、5大会連続冬季オリンピック出場・入賞という偉業を成し遂げ、長年にわたり、日本のモーグル界・冬季スポーツ界の第一線で活躍しました。
上村愛子の経歴
3歳からスキーを始める
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上村愛子さんは兵庫県伊丹市で生まれます。2歳の時に両親が長野県でペンションを開業したため、長野県に引っ越します。
そして、3歳の時にスキーを始めました。暗くなっても、両親から呼ばれるまでずっと滑っているような子供だったそうです。
スキーが面白くて、暗くなって親から呼ばれるまでずっと滑っているような子供でした。きっとのめり込むタイプなんでしょうね。その性格は今思えばアスリート向きだったのかもしれません。
子供の頃から大好きなスキーにのめり込むアスリートだったようです。
最初はアルペンスキーの選手
3歳からスキーを始めた上村愛子さんですが、最初からモーグルをしていたわけではありません。長野県北安曇郡白馬村に引越して、小学校に入学した時にはアルペンスキーをやっていました。
中学校に入ると、スキー部に入りますが、入部してすぐにいじめを受けたために退部し、個人的にアルペンスキーの練習を行っている状態でした。
上村愛子さんほどの選手が最初からモーグルをやっていたわけではないこと、また中学では個人的な練習しかしていなかったとは驚きです。
中学生の時にモーグル転向
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中学2年生の時に、カナダに旅行した時、モーグルの大会を観戦しました。その時にロシアのセルゲイ・シュプレツォフの滑走に感銘を受け、さらに同時期にお気に入りのスキー板が盗まれて代わりの板にモーグル用の板を進められたことがあり、アルペンスキーからモーグルに転向することになりました。
上村愛子さんにモーグル用の板を勧めたのは写真家の千安英彦氏でした。この千安氏は1998年の長野オリンピック強化プロジェクトに関わっていて、モーグルの女子選手を探していたため、上村愛子さんはスカウトされる形でモーグルに転向することになったのです。
1995年には全日本選手権で3位に入賞し、ナショナルチームメンバーに選抜されます。高校1年生の時にははワールドカップに参戦し、最終戦で3位に入賞しました。
オリンピック入賞
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高校3年生の時、1998年に長野オリンピックが開催されます。上村愛子さんはモーグルの日本代表に選出され、7位入賞という好成績を残しました。同大会では里谷多英選手が金メダルを獲得したこともあり、モーグルという競技が一気に脚光を浴びることになりました。
上村愛子さんは髪にビーズをつけるオシャレさと「愛子スマイル」で人気になり、冬季スポーツの代表的な選手として注目を集めるようになります。
その後、2002年のソルトレイクシティオリンピックでは6位入賞、2006年のトリノオリンピックでは5位入賞を成し遂げました。
しかし、3大会連続でメダル獲得に至らなかったことから、トリノオリンピックでの競技後のインタビューでは、「一体どうすればオリンピックの表彰台に乗れるのかが…ナゾです…」と涙を浮かべていました。
ワールドカップ年間総合女王
トリノオリンピックが終わると、フィンランドの元モーグル選手であるヤンネ・ラハテラをコーチに迎え、ターンの技術をお幅に向上させました。そして、2007年~2008年シーズンでは、日本人モーグル選手初のFISワールドカップ年間総合女王の座を掴みます。
また、翌2008年~2009年シーズンには世界選手権でシングルモーグルとデュアルモーグルで優勝し、日本人選手初の2冠に輝きました。
5大会連続入賞の快挙
上村愛子さんは2008~2009年に世界選手権で優勝したことで、バンクーバーオリンピック代表に内定し、2010年のバンクーバーオリンピックに出場します。
バンクーバーオリンピックでは4位入賞。またもメダルを逃しますが、長期休養を経てソチオリンピックに34歳で出場します。ソチオリンピックでも4位入賞。冬季オリンピック5大会連続入賞という快挙を成し遂げますが、5大会共にあと一歩でメダルを逃すという結果になりました。
試合後のインタビューでは、メダルは逃したものの、すがすがしい思いを口にしていました。
「たぶん、今回が最後だなと思っている。自分としては五輪の思い出は、すごくいい思い出で終われるんじゃないかな。メダルはないんですけどね(笑い)。そこはもう、申し訳ないとしか言いようがないんですけど、頑張って良かったなと思っています」。
引用:上村愛子4位完全燃焼「今回最後だな…」 – FSスキー – ソチ五輪2014 : nikkansports.com
上村愛子さんは、ソチオリンピック後の2014年4月1日に現役を引退することを発表しました。
上村愛子の若い頃の画像がかわいい
上村愛子さんは、モーグル選手としての実績は申し分のない素晴らしいもので、長年にわたり日本のモーグル界・冬季スポーツ界を引っ張ってきた選手です。そして、モーグルの知名度に大きく貢献しました。
ただ、上村愛子さんがここまで人気になったのは長年トップの選手だったからという理由だけではありません。上村愛子さんは若い頃からとてもかわいい選手だったからという理由も大いにあるでしょう。
長野オリンピック直前から注目され、CMにも出演していました。また、長野オリンピック後は金メダルを獲得した里谷多英選手よりも人気がありました。
上村愛子さんは本当にかわいかったんです。若い頃のかわいい画像を見てみましょう。
出典:jiji.com
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笑顔がとてもかわいいですよね。上村愛子さんの太陽のような明るい笑顔は「愛子スマイル」と呼ばれました。
競技中はナチュラルメイクしかしていないはずです。それでも、これだけかわいいのですから、上村愛子さんはメイクとか関係なく、すっぴんでもかわいいタイプであることがわかります。
ちなみに、上村愛子さんは若い頃だけでなく、現在でもかわいいままです。
こちらは藤原紀香さんのYouTube動画に出演していた時のスクリーンショットです。
出典:youtube.com
40代半ばとは思えないほどかわいらしいですよね。笑顔も素敵で、「愛子スマイル」は健在のようです。
上村愛子は子供の頃に心臓の病気があった
出典:iza.ne.jp
上村愛子さんはトップアスリートですが、実は子供の頃には心臓に病気を持っていました。
上村愛子さんは生まれてすぐに先天性心室中隔欠損症という心臓の病気が発見されたのです。先天性心室中隔欠損症とは、生まれつき、心臓の右心室と左心室の壁に穴が開いている病気です。
生後すぐにこの先天性心室中隔欠損症が見つかっても自然に穴が閉じる子供も少なくありませんが、上村愛子さんは自然治癒せず、また小学生になるまで手術できないと医師から宣告されました。
だから、ご両親は上村愛子さんのために空気がきれいな長野県に引っ越すことを決めたのです。
ただ、長野に引越して以降、上村愛子さんの心臓の壁の穴は少しずつふさがり、自然治癒したとのことです。
生まれてまもなく先天性心室中隔欠損症と診断された。小学校に上がるまで手術できないと言われた。だから両親は上村が2歳の時、空気のきれいな長野への転居を決め、ペンション経営を始めた。
この転居がなければ、彼女は3歳でスキーを始めるようにはなっていない。
心臓に病気があったから、兵庫県から長野県に引っ越すことになり、長野県に引っ越したから3歳でスキーを始めました。心臓の病気がなかったら、スキーと出会っていなかったかもしれません。上村愛子さんがモーグル選手になり、5大会連続でオリンピックに出場したのは心臓の病気のおかげと言えるかもしれませんね。
上村愛子は皆川賢太郎と結婚
旦那の皆川賢太郎はアルペンスキー選手
出典:the-ans.jp
皆川賢太郎
生年月日:1977年5月17日
出身:新潟県南魚沼郡湯沢町
活動:元アルペンスキー選手
皆川賢太郎さんは、元アルペンスキー選手です。新潟県出身の皆川さんは、アルペンスキー(主に回転)で活躍していました。
1998年の長野オリンピック、2002年のソルトレークシティオリンピック、2006年トリノオリンピック、2010年のバンクーバーオリンピックと4大会連続で出場し、トリノオリンピックでは4位入賞を果たしています。
皆川賢太郎さんは日本のアルペンスキーを長年にわたり引っ張ってきましたが、2014年1月に現役を引退し、その後は地元にある苗場プリンスホテル内に飲食店をオープンさせたり、全日本スキー連盟常務理事や競技本部長に就任するなど、冬季スポーツや冬季産業の発展に尽力しています。
2009年に結婚
上村愛子さんは2009年にアルペンスキー選手の皆川賢太郎氏と結婚しました。
上村愛子さんは現役のモーグル選手、皆川賢太郎氏も現役のアルペンスキー選手で、2人とも長野・ソルトレーク・トリノオリンピックに出場し、上村愛子さんは5位入賞、旦那の皆川賢太郎氏は4位入賞という世界レベルの成績を残している夫婦で、大きな話題になりました。
しかも、夫婦そろってトップアスリートというだけでなく、2人とも美男美女だったことから「お似合い!」「理想の夫婦」と祝福されました。
上村選手と皆川選手はカジュアルな服装で区役所を訪れた。仲良く並んで書類を記入するなど、晴れやかな笑みを浮かべながら手続きを行った。11日午後に東京都内でそろって記者会見する。
入籍後の2009年6月11日には2人揃って結婚会見を行い、結婚の報告と夫婦そろってバンクーバーを目指す決意を話していました。プロポーズはクリスマスに皆川氏からだったそうです。
プロポーズは2008年の12月25日のクリスマス。東京タワーの見える夜景のきれいな場所で、皆川から「結婚してください」と言われたという。
上村愛子さんは結婚して皆川姓に代わりましたが、競技は「上村愛子」のままで行うことも公表しました。
結婚式はバンクーバーオリンピックが終わった2010年9月に長野県軽井沢町で行われ、松任谷由実さんや各界の著名人らが参列して御盛大に行われました。
上村愛子と旦那の皆川賢太郎の馴れ初め
上村愛子さんと旦那の皆川賢太郎氏の馴れ初めは、トリノオリンピック後の2006年3月に行われた全日本スキー連盟のイベントです。上村愛子さんも皆川賢太郎氏もトリノオリンピックで入賞していたこともあり、スキー連盟のイベントで同席することになりました。
もともと、上村愛子さんはアルペンスキーをやっていたので、皆川賢太郎氏のことは「雲の上の存在」としてよく知っていたし、国際大会などでは挨拶を交わすくらいの交流はありましたが、「怖そうな人」という印象を持っていました。
しかし、このイベントでじっくり話す機会があり、同じ競技者として尊敬でき、勉強になることなどが多く、しかも優しかったとのこと。
私ももともとはアルペンスキーをやっていたので、その世界では大先輩ですし、あこがれの人だったので、雲の上の存在だとは思っていたんですけど、実際に話をしてみるとすごくやさしい人でいろんなことを教えてくれる方です。
以来、しばしば接する中で、皆川の競技に対する考え方を知り、トレーニングへの姿勢も知ることになった。強化すべき点とそれに沿った練習を自ら考え、日々ストイックにこなす姿は、大きな刺激になった。
引用:モーグルの新女王・上村愛子 「人は出会いで強くなれる」 ~特集:バンクーバーに挑む~(4/5) – フリースタイルスキー – Number Web – ナンバー
そこから自然に交際するようになり、2008年12月にプロポーズ、2009年6月に入籍することになりました。
上村愛子と皆川賢太郎に子供はいない
上村愛子さんと皆川賢太郎氏は2009年6月に結婚しましたが、子供はいません。
上村愛子さんは2014年のソチオリンピックが終わるまで現役を続けていたということもあるかもしれませんが、子供がいない理由は明かされていません。
上村愛子と皆川賢太郎は離婚を発表
2024年10月2日に、上村愛子さんは皆川賢太郎氏と離婚していたことをSNSで公表しました。
連名の長文のメッセージを添え、「私事になりますが、本日は改めてご報告がありお知らせさせていただきます。昨年の2023年12月9日、皆川賢太郎と上村愛子は婚姻関係を解消致しました」と報告した。
離婚が成立したのは2023年12月9日でしたが、発表したのは翌年の10月2日になりました。離婚発表が遅れた理由について、上村愛子さんは次のように話しています。
・世の中いろいろなニュースがあるので、わざわざ発表すべきなのか
・そんなに明るいニュースではないから
・何かあったら報告できれば
確かに、上村愛子さんと皆川賢太郎さんはすでに現役を引退していますし、タレント活動をメインにしているわけでもありません。となると、わざわざ自分たちから世間の人たちに「離婚しました!」と公表する必要もないですよね。
ただ、離婚を発表をした翌日には、離婚を発表できてほっとしたとSNSで報告していました。
然し乍ら個人的にはようやく発表ができた事に今は安堵感を覚えています
(中略)
だいぶ時間は経ってしまいましたが、新たな冬シーズンが始まる前にきちんとお知らせする事ができて本当に良かったです。
引用:Facebook
上村愛子さんは2009年に結婚しましたので、結婚生活は15年で終止符を打ったことになります。
円満離婚を強調
上村愛子さんと皆川賢太郎氏は離婚していますが、円満離婚であることを強調しています。離婚後も連絡を取り合っているそうですし、離婚発表の文書も一緒に時々笑い合いながら作成していたことを公表していました。
お互いに憎しみあっての離婚ではなく、あくまでも前向きに人生を歩んでいくための円満離婚のようです。
上村愛子と皆川賢太郎の離婚原因は不妊?不倫?すれ違い?
上村愛子さんと皆川賢太郎氏の離婚原因は、ネット上の噂などを含めると、次の3つが考えらえます。
・不妊
・不倫
この3つの離婚原因を詳しく見ていきましょう。
すれ違い
上村愛子さんの離婚原因の1つ目はすれ違いです。
離婚報告の文書の中で、上村愛子さんは離婚について次のように述べていました。
上村愛子さんは白馬を拠点にして生活をしていて、皆川氏は東京や苗場を拠点に置いて仕事・生活をしていたことから、すれ違いが生まれてしまったのかもしれません。
出産願望を明かしていたが・・・
出典:tenki.jp
上村愛子さんが離婚した原因は不妊ではないかという噂もあります。
現役を引退した時、出産願望を語っていました。
3月27日の全日本選手権(白馬)限りで現役を退き、今後は社員として北野建設に残るが、出産願望があることを明らかにした。
「子供は授かり物。できたらうれしい」
結婚して15年経ちますが、子供はいません。
不妊から夫婦にすれ違いが生じて離婚に至るケースは少なくありません。上村愛子さんと皆川賢太郎さんがそうなのかどうかはわかりませんが、可能性としてはゼロではないでしょう。
一部報道では皆川賢太郎の不倫を疑う記事あり
写真週刊誌のFLASHでは、上村愛子さんの離婚原因は皆川賢太郎氏の女性関係が原因ではないか?という記事を掲載しました。
皆川賢太郎氏が女性秘書と怪しいという噂があるというものです。
ただ、この件に関しては直撃取材をされた上村愛子さんが否定していますし、皆川賢太郎氏も女性関係が原因で離婚したことを否定しています。
双方がはっきり否定したということは、この不倫が離婚原因の可能性はゼロ。つまり、デマと言えるでしょう。
双方、円満離婚を強調していますので、やはり生活をする中ですれ違いが出てきて、お互いに新たな人生を歩み始めたことが原因の離婚だった可能性が高いのではないでしょうか。
上村愛子の現在:自宅は白馬で母親と生活
自然の中で過ごしている
出典:tenki.jp
上村愛子さんは現在、長野県白馬村を拠点に活動しています。自宅も白馬村にあり、母親が近くに住んでいて、母親と一緒にいることが多いようです。
自然環境保護活動をしながら、田舎暮らしをしているようです。
私が自然環境の近くで穏やかに過ごす事を大切にしている理由は、もちろん自然環境から与えられる喜びやその美しさに触れ、学びたいからと言うのもありますが、喜びだけでなく憂いさえも、様々な感情に感動出来るスペースを脳や心に空けておきたいからだと感じています。
引用:【全文】上村愛子さん離婚発表終え心境明かす「今は安堵感」すっぴん麦わら帽子姿の写真添え – スポーツ : 日刊スポーツ
藤原紀香さんのYouTube動画の中では、「スキーに出会ったのも長野、選手を始めたのも長野なので、元々自分を育ててもらった場所に帰った」と話していました。
田舎暮らしが上村愛子さんには合っているんですね。
スキーには携わっている
出典:excite.co.jp
上村愛子さんは、現在はモーグルではなくバックカントリーのスキーをやっているそうです。
バックカントリーとは、山を登って滑り降りてくるウィンタースポーツです。整備されたゲレンデではなく、自然そのままの山の中でスキーをするスポーツなので、危険はありますが、上村愛子さんのスキルがあるとそのくらいが楽しいのでしょう。
2024年には日本のスキー用品ブランドのVECTOR GLIDEのVECTOR GLIDE FAMILYになったと報告していました。
上村愛子のまとめ
元モーグル選手の上村愛子さんのプロフィールや経歴、若い頃のかわいい画像、子供の頃の心臓の病気、皆川賢太郎氏との結婚や馴れ初め、子供の有無、旦那との離婚原因について、現在の自宅などをまとめました。
上村愛子さんは今後、さらに自然環境を大切にしながら、モーグル選手の育成と自然環境の保護、バックカントリーなどの活動を行っていくものと思われます。