半グレ集団「怒羅権(ドラゴン)」初代総長としてアウトロー界の伝説的存在である佐々木秀夫(ジャン・ロンシン)さんですが、YouTubeへの進出が話題です。
今回は佐々木秀夫さんの本名や年齢・身長、経歴やエピソードと逮捕歴、現在を紹介します。
この記事の目次
- 佐々木秀夫は怒羅権の伝説的初代総長 【本名・年齢・身長も紹介】
- 佐々木秀夫が初代総長を務めた「怒羅権」とは
- 佐々木秀夫(怒羅権の初代総長)の経歴・伝説エピソード① 浦安事件
- 佐々木秀夫(怒羅権の初代総長)の経歴・伝説エピソード② ヤクザと抗争
- 佐々木秀夫(怒羅権の初代総長)の経歴・伝説エピソード③ ヤクザと結託
- 佐々木秀夫(怒羅権の初代総長)の逮捕歴① 児童福祉法違反
- 佐々木秀夫(怒羅権の初代総長)の逮捕歴② 俳優・布施博への暴行
- 佐々木秀夫(怒羅権の初代総長)の逮捕歴③ 40代男性に傷害容疑
- 佐々木秀夫(怒羅権の初代総長)の逮捕歴④ 恐喝容疑
- 佐々木秀夫(怒羅権の初代総長)の逮捕歴⑤ 49歳男性に傷害容疑
- 佐々木秀夫は現在、YouTuberとして活動中
- まとめ
佐々木秀夫は怒羅権の伝説的初代総長 【本名・年齢・身長も紹介】
佐々木秀夫の本名
佐々木秀夫さんの名前は、 伝説的な暴走族「怒羅権」の初代総長として、関東一帯にその名が知れ渡っています。
この「怒羅権」という暴走族チームは、1988年に東京・葛西で結成されました。
メンバーのほとんどが中国残留孤児2世や3世で、佐々木秀夫さんも本名は、中国名で「ジャン・ロンシン」です。
漢字表記は「張栄興」のようですが、「栄」の字は日本漢字の当て字であり、本来は中国漢字で「草カンムリに、写の与が木」が正しいようです。
有名だった当時は中国籍であり、佐々木秀夫さんが現在日本に帰化しているかは不明です。
関東のアウトローの世界で「怒羅権」は生粋の武闘派として知られており、その残忍な喧嘩の仕方は凶暴極まりなく、他のグループから恐れられていたようです。
詳しくは後述しますが、「怒羅権」は日本社会の全てに怒りを持つ中国残留孤児で構成されていたため、警察やヤクザなども標的にし、死人が多く出るような抗争を続けてきました。
この凶悪な不良グループ「怒羅権」は地域ごとにさらにグループに分かれていて、「葛西グループ」の初代総長を務めたのが佐々木秀夫さんでした。
凶暴なメンバーを束ねていたリーダーということから、凶暴さに加えて人を掌握する賢さも持ち合わせていたのでしょう。
佐々木秀夫の年齢
佐々木秀夫さんは2019年4月に逮捕されています。
当時の報道で49歳と紹介されていたことから、その2年後である現在は51歳くらいだと思われます。
写真の風貌からして年相応という感じですが、修羅場をくぐってきたであろうオーラがハンパないですよね。
佐々木秀夫の身長
佐々木秀夫さんの身長については正確な情報が見つかりませんでしたが、逮捕時の写真や複数人で写っている写真などの印象からは、174センチ~178センチ程度だと思われます。
体格は中肉中背であり、年相応に肉がついているという印象です。
佐々木秀夫が初代総長を務めた「怒羅権」とは
佐々木秀夫が初代総長の 「怒羅権」とは?
「怒羅権」は中国残留孤児2世・3世を中心に構成される、暴走族から成り上がった半グレ集団です。
半グレの他に、ストリートギャングや準暴力団とも呼ばれ、その反社会性はアウトロー業界でも飛び抜けており、人殺しもためらわないような凶暴なメンバーで構成されていたようです。
「怒羅権」の設立日など明確な日付はないようですが、1988年に中国残留孤児の一時入所施設である「常盤寮」に入所していた60人ほどのメンバーを中心に結成されています。
怒羅権は、暴力団対策法の適用外に当たる集団であるが、刃傷暴行・拳銃所持・殺人・強盗・覚醒剤密輸・危険ドラッグ密売・みかじめ料徴集などの凶悪犯罪が多い。90年代は暴走族から発祥したが、逮捕者には30代以上が多く、50代で逮捕されている者もいる。構成員らは蛇頭や東北系チャイニーズマフィア(東北幇)などと連携し国際犯罪とも関係している。
関東連合と並んで、暴力団対策法の適用外にあたる不良集団、いわゆる“半グレ”の顕著な例と言われる。警察庁の把握によれば首都圏の各地に複数のグループが存在し、総勢は数百名とも言われる。2013年に準暴力団に指定された。
引用:ウィキペディア 怒羅権
Wikipediaを見る限り、有名無名問わず中国残留孤児による不良グループが多数存在しており、中でも「怒羅権」 は日本で暗躍してきたチャイニーズマフィアとも結託してきたようです。
「怒羅権」は、抗争の際に必ず刃物を所持していたことから、他のグループから「包丁軍団」と呼ばれて恐れられていました。
そして、中華人民共和国の国旗である五星紅旗を掲げて暴走行為を繰り返し、交番やパトカーなどをも襲撃していました。
2019年に佐々木秀夫さんが葛西で逮捕されていることからも、活動拠点は発足当時から変わっていないようです。
なお、「常盤寮」は現在は中国残留孤児施設から障害者施設に変わっており、「江戸川区立障害者支援ハウス」という名前の施設になっています。
盟友・汪楠(ワンナン)が語った「怒羅権」
佐々木秀夫さんとともに「怒羅権」の創設メンバーであり、凶悪な武勇伝を持つ人物に、汪楠(ワンナン)さんがいます。
10億円以上を荒稼ぎした犯罪行為の末に逮捕され、13年の服役を終えて出所した汪楠さんは、現在は更生し、NPO法人「ほんにかえるプロジェクト」を立ち上げて社会貢献をしています。
自身が服役中に多くの読書をしたことで更生できたことから、汪楠さんは受刑者に本を贈る活動をスタートしました。
その汪楠さんは「怒羅権」について、以下のようにインタビューに答えています。
俺も含めて、みんな日本語はほとんど話せなかった。当時は不良全盛時代ですから、相当イジメられましたよ。「中国人」だとか「バカ」だとか言われて、毎日、殴られる。だんだん、俺らも自衛のために固まって行動するようになる。やがて反抗心の強い奴らが、不良にやり返すようになる。それが、怒羅権の始まりです。
「怒羅権」の創設メンバーは12人で、当時は固定のリーダーは存在しなかったようです。
初期の頃は「ドラゴン」とカタカナ表記だったようですが、メンバーほとんどは日本語ができなかったため、他の暴走族がするように壁に落書きをするたびに日本語を間違えていたそうです。
「トラコン」 などと間違えていては恥ずかしいため、漢字ならわかることから日本漢字の当て字で「怒羅権」と名乗り始めたということです。
佐々木秀夫(怒羅権の初代総長)の経歴・伝説エピソード① 浦安事件
「怒羅権」として象徴的な事件は、1989年に起きた「浦安事件」と呼ばれている抗争です。
暴走族として浦安まで遠征した帰り道に、「怒羅権」メンバー8人が地元の暴走族50人あまりに襲撃を受けて応戦しました。
前述の通り、「怒羅権」は当たり前のように包丁などの刃物を持ち歩いていたため、8人は刃物を振り回して50人の群衆に突っ込み、メンバーの1人が相手1人を刃物で刺し殺しています。
「怒羅権」は圧倒的な人数差で襲撃された側なので、正当防衛だと主張したものの、人を刺し殺してしまったのは明らかに過剰防衛であり、そのメンバーは逮捕されました。
この「浦安事件」をきっかけに、「怒羅権」は警察に強い不信感を抱きます。
そして、パトカーや警察を見ると襲撃をするようになり、江東区にある深川署に火炎瓶を投げ込んだり、バイクに火をつけて突っ込ませたりと暴力行為を繰り返すようになりました。
佐々木秀夫(怒羅権の初代総長)の経歴・伝説エピソード② ヤクザと抗争
出典:https://pixabay.com/
「浦安事件」以降、警察に対して過激な行動を繰り返していた「怒羅権」でしたが、次にヤクザにも手を出すようになります。
「浦安事件」の約1年後、汪楠さんが真面目に営業として働いていた職場の先輩と焼肉店で食事をしていた際、居合わせたヤクザと喧嘩になります。
大勢のヤクザに押しつぶされる形で汪楠さんの先輩が圧死してしまい、汪楠さんら「怒羅権」メンバーはヤクザに対して敵対心を持つようになりました。
それ以降、「怒羅権」は手当たり次第にヤクザの事務所を襲撃するようになり、多くのメンバーが命を落としたようです。
1990年頃は「怒羅権」の全盛期でした。その圧倒的な暴力性で地元の暴走族は全て制圧しており、周辺の八王子や府中も勢力下に置くなど、メンバーは800人ほどいたようです。
佐々木秀夫(怒羅権の初代総長)の経歴・伝説エピソード③ ヤクザと結託
出典:https://pixabay.com/
前述のように「怒羅権」はチャイニーズマフィアと結託するようになっていきますが、一方でヤクザのシノギを請け負うようになっていたようです。
まだセキュリティが甘かった1990年代初め頃には、パチンコ店に夜中に忍び込んでパチンコ台に細工をし、その日の朝にお店を訪れていイカサマ台で数百万を稼いだこともあったそう。
「怒羅権」は世代ごとでリーダーが変わっていますが、当時から現在までヤクザと結託して闇ビジネスで稼ぐという体制は変わっていないようです。
当然、佐々木秀夫さんもその闇ビジネスに関わっていたと思われます。
「怒羅権」自体が暴力団に転身することはなく、半グレ集団として活動してきましたが、2013年にはついに警視庁により、準暴力団に認定されています。
佐々木秀夫(怒羅権の初代総長)の逮捕歴① 児童福祉法違反
佐々木秀夫さんは1997年、児童福祉法違反の容疑で逮捕されています。
当時、佐々木秀夫さんは建設会社を経営しており、未成年の従業員に対して深夜まで過酷な労働を強要し、労働基準法に抵触したため、上記の罪状で逮捕されました。
佐々木秀夫さんはこの頃までに結婚し、2人の子供をもうけていました。また、高級ベンツを所有する裕福な生活を送っていたようです。
当時住んでいたマンションの住民が、佐々木秀夫さんについてインタビューに答えています。
それによると、普段から挨拶をする礼儀正しい人という印象がある一方、「怒羅権」メンバーがたびたび出入りしていたことから、普通の人ではない思っていたという声も聞かれたようです。
佐々木秀夫(怒羅権の初代総長)の逮捕歴② 俳優・布施博への暴行
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佐々木秀夫さんの悪名が広く知られるようになったのは、2000年4月に俳優の布施博さんへの暴行容疑での逮捕です。
1999年12月、江戸川区の路上を車で徐行していた布施博さんは、運悪く佐々木秀夫さんら「怒羅権」に目をつけられてしまいます。
佐々木秀夫さんらは、布施博さんの車のトランクを叩くなどの嫌がらせをしたため、布施博さんは車を降りて抗議したところ、口論が始まりました。
そして激昂した佐々木秀夫さんは、布施博さんを殴るなどの暴行を働き、その後逃走しましたが、周囲の人の目撃情報から逮捕されています。
なお、この頃は佐々木英夫さんは建設会社経営が失敗して廃業したのか、土木作業員だったようです。
佐々木秀夫(怒羅権の初代総長)の逮捕歴③ 40代男性に傷害容疑
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2011年7月、佐々木秀夫さんは江戸川区の飲食店で40代の男性客に暴行した容疑で逮捕されています。
この日、佐々木秀夫さんは飲食店内で店員と口論になるトラブルを起こしていましたが、それを見かねて止めに入った男性客に激昂し、グラスや酒瓶などで殴るなど暴行しました。
なお、当時の佐々木秀夫さんは覚醒剤取締法違反の容疑で逮捕されたことによる保釈中であり、罪の上塗りをしてしまいました。
佐々木秀夫(怒羅権の初代総長)の逮捕歴④ 恐喝容疑
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2014年11月に、佐々木秀夫さんは恐喝罪で逮捕されています。
東京都江東区門前仲町にあるパブを経営していた女性経営者に対して、佐々木秀夫さんは「この町は俺たちが仕切る。分かっているだろうな?」と脅迫。
2013年9月以降、この店からみかじめ料を徴収するようになり、この女性経営者から1回あたり5万円、総額70万円を徴収していました。
佐々木秀夫(怒羅権の初代総長)の逮捕歴⑤ 49歳男性に傷害容疑
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2019年4月29日、佐々木秀夫さんは江戸川区の路上で内装業の49歳男性を殴ってけがをさせた傷害容疑で逮捕されました。
佐々木秀夫さんのほかに、「怒羅権」のメンバーがもう1人逮捕されており、2人は前日28日午前0時頃、路上を歩いていた男性に、肩がぶつかったと因縁をつけて顔などを殴っています。
2人は事件直前に近くの飲食店で飲んでいたと見られ、酒を飲んでいたことを理由に覚えていないと容疑を否認していました。
佐々木秀夫は現在、YouTuberとして活動中
半グレ・佐々木秀夫はYouTuberに転身
佐々木秀夫さんは、2021年1月にYouTubeチャンネル「ロンシンロンシン」を開設し、話題となりました。
この「ロンシンロンシン」は、主に佐々木秀夫さんの日常を伝える動画チャンネルのようです。
「怒羅権」の初代リーダーの日常がのぞけるということで、アウトローな世界に興味がある人に人気のようで、チャンネル登録者数は2021年7月時点で1万人に迫る勢いです。
「怒羅権」の初代リーダーの日常が分かるYouTubeチャンネルはこちら
↓
さらに4月には、「正統版 怒羅権列伝初代佐々木秀夫公式チャンネル」も開設。「怒羅権」の正確な歴史を伝えること、そして今後の自叙伝出版も視野に動画を配信しています。
「怒羅権」の初代リーダーが「怒羅権」を語るYouTubeチャンネルはこちら
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こちらはチャンネル登録者数が3万人を突破しています。
まだ2チャンネルとも開設したばかりであり、佐々木秀夫さんの両チャンネルはこれからも登録者数を伸ばしていくことでしょう。
まとめ
凶悪で「包丁軍団」とも呼ばれて恐れられた半グレ集団「怒羅権」。その初代総長を務めた、佐々木秀夫さんの経歴や逮捕歴、現在までについてまとめてきました。
「怒羅権」はもともと差別と暴力から自分たちの身を守るために結成した組織であり、刃物を持ち歩いていたのも凶悪性を強調するためではなく、自己防衛だったと言われています。
ただ、数々の暴行行為や闇ビジネスに関わってきたことを見ると、自己防衛の範囲に到底収まりきらない凶悪なグループだったことは間違いありません。
その初代総長を務めた佐々木秀夫さんは、「怒羅権」の土台を作ったとも言える人物です。
そんな伝説的な佐々木秀夫さんは現在、YouTuberとして活動しています。
かつては素行不良が目立った佐々木秀夫さんだからこそ、YouTubeを通して、道を踏み外そうとしている若者たちを正しく導いてくれることを願いたいですね。