メンバー全員が18歳の若さで武道館ライブを成功させた伝説のビジュアル系バンド「Raphael」のリーダーでギタリストの華月さんが話題です。
この記事では華月さんの身長と本名や生い立ち、実家と家族、出身中学と高校、突然の死の死因などについてまとめました。
この記事の目次
華月(Raphael)の身長と本名などプロフィール
華月(Raphael)のプロフィール
本名 :渡辺和樹
生年月日:1981年4月7日
没年月日:2000年10月31日(19歳没)
出身地 :東京都渋谷区
身長 :175cm
血液型 :B型
華月さんは、ヴィジュアル系メタルバンド「Raphael(ラファエル)」のギタリストで、コンセプトリーダーでしたが、2000年10月31日に19歳という若さでこの世を去っています。
華月さんは、自ら「総合芸術家」と称するほどの完璧主義者で、「Raphael」の全楽曲のうちの8割以上の作曲、全ての作詞とアレンジを手がけた他、バンドメンバーの衣装やライブステージセット、CDジャケットデザイン、ツアーグッズデザインなども担当していました。
華月さんの本名は「渡辺和樹」です。
ヴィジュアル系メタルバンド「Raphael」とは
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華月さんのバンド「Raphael」は、1997年に当時中学生だったメンバー4人(YUKI、YUKITO、HIRO、華月)で結成されたヴィジュアル系メタルバンドです。
バンド結成初期のインディーズ時代から、バンドのイメージコンセプトの中心は華月さんで、そしてそれは非常に完成度の高いものだったため、「レベッカ」のプロデュースなどで知られる音楽プロデューサー・平井光一さんにその才能を認められ、そのプロデュースを受ける事になります。
その後、すぐに人気を上昇させたRaphaelは、結成からわずか2年弱の1999年7月にシングル「花咲く命ある限り」でメジャーデビューを果たしました。
代表曲は、メジャーデビューシングル「花咲く命ある限り」(オリコン最高順位25位)の他、インディーズ時代の1stシングル「White Love Story」(オリコン最高順位22位)、6thシングル「eternal wish〜届かぬ君へ〜」(オリコン最高順位28位)、9thシングル「Evergreen」(オリコン最高28位)など。
Raphaelは、日本武道館ライブを成功させるなど、メジャーシーンでも人気を上昇させましたが、2000年10月にバンドの中心人物だった華月さんが亡くなった事を受けて、2001年に活動を休止します。
2012年には復活ライブが行われ、2015年から2016年にかけて活動した後、2016年11月に解散しています。
華月(Raphael)の生い立ち① 実家や家族
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華月さんは、自身の生い立ちについてはほとんど何も明かしていませんでした。
家族や実家などの情報も東京都渋谷区の出身である事以外は何も明かしていません。ただ、華月さんが亡くなったのは東京都内の自宅の自室で、第一発見者は家族だったと報じられているので、亡くなったのは実家であった可能性があります。
一方で、華月さんと家族の関係などは不明なものの、父親と確執があり高校生の頃に家を出ていて、一人暮らしの友人の家に居候していたとの情報もあるようです。
RaphaelのボーカリストのYUKIさん(櫻井有紀さん)は、華月さんの死後も、華月さんの家族と連絡をとっている事を自身のブログで書いていました。華月さんの分の印税や、ライブで使用した衣装や楽器、機材などは、YUKIさんを通じて家族に返却されたようです。
華月(Raphael)の生い立ち② 小学生時代
華月さんの幼い頃のエピソードなどもあまり明かされていませんが、小学校の頃に「X JAPAN」のギター・hideさんに憧れ、1992年4月7日、11歳の誕生日祝いにギターを買ってもらい音楽を始めた事などが明かされています。
また、過去に発売された写真集「大好き、かじゅりん」には。華月さんの小学校時代を含む、子供時代の写真や作文などが掲載されているとの事です。
華月(Raphael)の生い立ち③ 出身中学は国士舘中学校
華月さんは、1994年4月に私立の名門校「国士舘中学校」へと進学しています。
この国士舘中学時代に共通の友人を通じて、RaphaelのベースのYUKITOさん(本田之人さん)と出会い、バンドを結成し、THE BLUE HEARTSやラモーンズなどをコピーしていたそうです。
国士舘中学3年生だった1996年に、華月さんはYUKITOさんの通っていた中学校の文化祭を見に行き、その時にYUKITOさんから本格的にバンドをやりたいとの想いを聞かされたそうです。
そして、国士舘中学を卒業する直前の1997年3月に、YUKITOさんや、ボーカルのYUKIさんらと共にヴィジュアル系メタルバンド「Raphael」を結成しています。
華月(Raphael)の生い立ち④ 出身高校は都立中野工業高校か
華月さんは国士舘中学を卒業後、附属高校である国士舘高校への進学の道もありましたが、髪が自由に伸ばせないなどの理由から、都立高校へと進学しています。
華月さんの進学した高校は「都立中野高校」と言われていますが、そんな名称の高校は存在しないので、可能性としては「東京都立中野工業高校」かも知れません。
中野工業高校の偏差値は「38」とあまり学力レベルは高くありませんが、一応校則では髪型が規制されているものの、実質自由だったという卒業生の書き込みもあるので、華月さんが髪型を自由にできるこの高校を選んだ可能性もありそうです。
華月(Raphael)の生い立ち⑤ 高校を中退後Raphaelはメジャーデビュー
華月さんは、Raphaelでの音楽活動に専念するためこの都立高校を1998年春に中退し、1999年7月23日に、「Raphael」として、シングル曲「花咲く命ある限り」をリリースしてメジャーデビューを果たしています。(レコード会社はフォーライフ・レコード)
インディーズ時代から人気の高かったRaphaelは、メジャーデビュー後さらに人気を上昇させ、デビューからわずか半年後の2000年3月には、メンバー全員18歳という若さで日本武道館ライブを成功させています。この日本武道館ライブでは、メンバーらが高校を中退してしまったため出席できなかった卒業式も行われて、ファンに感動を与えました。
それからわずか、7ヶ月後の2000年10月31日に華月さんは突然亡くなりました。
バンド「Raphael」は、この華月さんの死を受けて、翌2001年3月で活動休止となりました。
華月(Raphael)の死因は薬物(市販の鎮静剤)の過剰摂取
華月さんの死はあまりに突然で年齢も19歳と若かった事から、死因は自殺との噂も流れましたが、所属事務所からは死因は鎮静剤の大量摂取による薬物中毒死とだけ発表されました。
華月さんが大量摂取したという薬物は、違法薬物などではなく、市販されている通常の鎮静剤だったという事です。華月さんはその繊細な性格からRaphaelでの音楽活動でどうしても溜めてしまうストレスを解消するために、鎮静剤を日常的に用いていたという事でした。
この突然の死の数ヶ月前の2000年1月に、華月さんの熱心なファンだったという1人の女性が病気で亡くなっており、華月さんはそのファンの女性が亡くなった後にその女性の友人からその事実を知り、強く心を痛めていた事を明かしていました。
華月さんはこの亡くなったファンの女性のためにイメージした曲「雪の人形」を書き下ろし、その音源が2000年3月の武道館ライブで観客に配布されました。一部の心ないファンが「ひいきだ」、「ずるい」、「こんな事をしてはわざと死ぬファンが出る」、「ファンが死んだら絶対に葬式にくのか」などとこれに反発し、華月さんはこのことにも心を痛めていたようです。
こうした経緯があったため、華月さんが突然薬物の過剰摂取をしたのにこの事が関係しているのではと考えてしまうファンも多く、それが華月さんの死因が自殺という噂に繋がった部分もありそうです。
生前、華月さんは自殺には反対の姿勢を示しており、また、亡くなった時に書き置きなども残しておらず、少なくとも華月さんは自ら命を絶とうとしたわけではなく、過度な精神的なストレスから鎮静剤を大量に服用してしまい、結果として死に至った可能性の方が高いのではないかと思います。
まとめ
今回は、ヴィジュアル系メタルバンド「Raphael」のコンセプトリーダー、ギタリストで、19歳の若さでこの世を去った華月さんについてまとめてみました。
華月さんは本名を渡辺和樹さんといい、小学生時代にX JAPANのhideさんに憧れて誕生日にギターを買ってもらい、中学時代に「Raphael」を結成し、高校生時代にインディーズバンドとして人気を得て、高校中退後にメジャーデビューを果たした生い立ちを持ちます。
華月さんの出身中学は「私立国士舘中学校」、出身高校は「都立中野工業高校」のようです。
「Raphael」のメンバーの中でも特に人気が高かった華月さんでしたが、武道館ライブを成功させてからわずか半年後の2000年10月31日に19歳という若さで突然この世をさりました。
死因は以前から服用していたという、市販の鎮静剤の大量摂取による薬物中毒だと発表されています。