ミュージシャンの小山田圭吾さんは過去のいじめ自慢インタビュー炎上事件で話題です。
この記事では小山田圭吾さんの実家の家族や若い頃の画像や経歴、高校や大学など学歴、身長、結婚や嫁、子供、自宅、いじめ自慢炎上事件では結局何したのかや現在の活動についてまとめました。
この記事の目次
- 小山田圭吾のプロフィール
- 小山田圭吾の実家は柳生家の家老筋の名家でお金持ち
- 小山田圭吾の実家の家族① 父親は歌手の三原さと志
- 小山田圭吾の実家の家族② 母親の伊都子は歌手の田辺靖雄の姉
- 小山田圭吾の実家の家族③ 母方の祖父は元NHKアナウンサー・田辺正晴
- 小山田圭吾の実家の家族④ 母方の叔父は歌手の田辺靖雄
- 小山田圭吾の実家の家族⑤ いとこは音楽プロデューサーの田辺晋太郎
- 小山田圭吾の実家の家族⑥ 義理の叔父は版画家の中林忠良
- 小山田圭吾の若い頃① フリッパーズ・ギターで小沢健二と共に人気者に
- 小山田圭吾の若い頃② フリッパーズ解散後はコーネリアスでソロ活動
- 小山田圭吾の学歴① 出身小学校は都内の私立「和光小学校」
- 小山田圭吾の学歴② 出身中学校は都内の私立「和光中学校」
- 小山田圭吾の学歴③ 出身高校は私立「和光高等学校」
- 小山田圭吾の学歴④ 大学ではなく美術学校「セツ・モードセミナー」へ
- 小山田圭吾の身長
- 小山田圭吾の結婚は2000年で元嫁は嶺川貴子(2012年離婚)
- 小山田圭吾と元嫁・嶺川貴子の離婚経緯
- 小山田圭吾と元嫁・嶺川貴子の子供は小山田米呂
- 小山田圭吾の自宅
- 小山田圭吾は炎上した過去のいじめ事件で結局何したのか
- 小山田圭吾の現在
- まとめ
小山田圭吾のプロフィール
小山田圭吾のプロフィール
生年月日:1969年1月27日
出身地 :東京都世田谷区
身長 :169cm
血液型 :B型(O型は誤情報)
小山田圭吾さんは、小沢健二さんとのバンド「フリッパーズ・ギター」でデビュー後、ソロユニット「Cornelius(コーネリアス)」で活動しているミュージシャンです。
小山田圭吾さんはコーネリアスにて、自身の音楽制作やライブ活動を展開する一方、国内外の様々な有名ミュージシャンおよび芸術家とのコラボも展開しています。
また、過去にはNHK Eテレの教育番組「デザインあ」の音楽の担当や、テレビCM音楽、映画やドラマ、アニメーションの音楽を担当するなど作曲家、アレンジャーとして幅広く活躍されている方です。
そんな小山田圭吾さんですが近年は、東京オリンピック・パラリンピックの開会式と閉会式の音楽を担当する事が発表されましたが、過去のインタビューで、小学生時代や中学生時代に知的障害のある同級生に対するいじめを行った事を面白おかしく語っていた事が注目され、これが大炎上に発展し、結局、東京オリンピック・パラリンピックでの音楽担当を辞任するという事件で注目されました。
ここではそんな小山田圭吾さんについて改めてまとめていきます。
小山田圭吾の実家は柳生家の家老筋の名家でお金持ち
小山田圭吾さんの実家については、小山田圭吾さん本人が2017年のインタビューの中で、小山田家が徳川幕府の剣術指南役を務めた柳生藩の柳生一族の家老を務めた家系だったと語っています。
小山田家の先祖は柳生一族の家老だったけど剣術が得意ではなく財政担当だったとか、曾お祖父ちゃんが東京に出てきて財を成したとか、岡本太郎も遠縁にいるらしいとか(笑)。
また、小山田圭吾さんの高校時代の同級生だという方が、小山田圭吾さんの実家がお金持ちとの内容を「週刊女性PRIME」で証言しています。
小山田君はバンドをやっていて、実家もお金持ちだったからいつもオシャレな私服を着ていました。
小山田圭吾さんの実家についてはこの程度の情報しかありませんが、小山田圭吾さんの実家の家族には各界で成功した大物が多く、お金持ちであるのは間違いなさそうです。小山田圭吾さんの実家の家族については次の見出しから紹介します。
小山田圭吾の実家の家族① 父親は歌手の三原さと志
小山田圭吾の父親・三原さと志のプロフィール
本名 :小山田晃
生年月日:1935年7月3日
没年月日:2006年9月30日(71歳没)
出身地 :中国・青島市(中華民国時代)
小山田圭吾さんの父親は、戦後の時代から平成にかけて活動した歌謡コーラスグループ「和田弘とマヒナスターズ」のリードボーカル・三原さと志さんです。
小山田圭吾さんは生まれたばかりの頃から、あのマヒナスターズの三原さと志の息子といった感じで当時の雑誌にも写真掲載されて紹介されていました。
出典:https://thumbnail.image.shashinkan.rakuten.co.jp/
ただ、その後すぐに三原さと志は離婚し、小山田圭吾さんは母親(伊都子さん)に引き取られて育ち、その後は父親および父方の親戚との交流は、三原さと志が2006年に死去するまでなかったとの事。
小山田圭吾の実家の家族② 母親の伊都子は歌手の田辺靖雄の姉
出典:https://image.space.rakuten.co.jp/
小山田圭吾さんの母親は、伊都子さんという方です。
この伊都子さんは、結婚前の旧姓は田辺さんで、当時人気のあったポップス歌手の田辺靖雄さんの実姉として知られていました。
そんな小山田圭吾さんの母親の伊都子さんは中学時代にコーラス部で指揮者を務め、応援団の団長もやり、短大卒業後は桑沢デザインスクールに通い、ハワイアンバンドを結成したりとかなりアクティブな女性だったそうです。
出典:https://image.space.rakuten.co.jp/
当時の芸能雑誌に、若い頃の伊都子さんと幼児期の小山田圭吾さんのスナップショットが確認できました。
出典:https://image.space.rakuten.co.jp/
上の写真は2歳の頃の小山田圭吾さんと母親の伊都子さんです。
小山田圭吾の実家の家族③ 母方の祖父は元NHKアナウンサー・田辺正晴
小山田圭吾さんの母親・伊都子さんの父親、つまり小山田圭吾さんの母方の祖父である田辺正晴さんは元NHKアナウンサーで、1951年の第1回紅白歌合戦と1952年の第2回紅白歌合戦の総合司会を担当された方です。
小山田圭吾の実家の家族④ 母方の叔父は歌手の田辺靖雄
小山田圭吾の叔父・田辺靖雄のプロフィール
生年月日:1945年4月5日
出身地 :東京都世田谷区
身長 :171cm
血液型 :O型
小山田圭吾さんの母親・伊都子さんの実弟、つまり小山田圭吾さんの母方の叔父にあたるのが、ポップス歌手の田辺靖雄さんです。
主に1960年代から1980年代にかけて活躍され、1963年と64年の紅白歌合戦にも出場されています。
嫁は人気女優の九重佑三子さんで1973年に結婚、子供にも恵まれ、長男はミュージシャンで音楽プロデューサーの田辺晋太郎さんです。つまり、田辺晋太郎さんは小山田圭吾さんのいとこにあたります。
小山田圭吾の実家の家族⑤ いとこは音楽プロデューサーの田辺晋太郎
小山田圭吾のいとこ・田辺晋太郎のプロフィール
生年月日:1978年11月5日
出身地 :東京都世田谷区
血液型 :A型
小山田圭吾さんのいとこ・田辺晋太郎さんですが音楽プロデューサーとして活動する傍ら、肉が好きすぎて収入の8割を肉に注ぎ込んでいる人物として知られています。
田辺晋太郎さんは、小山田圭吾さんの過去のいじめ自慢インタビュー炎上事件で小山田圭吾さんを擁護する投稿をSNSにして炎上し、その後謝罪をした事でも話題になりました。
田辺氏は「小山田辞任へ」のニュースを引用し「はーい、正義を振りかざす皆さんの願いが叶いました、良かったですねー!」と投稿。身内びいきととられかねない内容に批判のコメントが寄せられると、ツイートを削除し「先程は辞任の速報を受け、取り乱して不適切な投稿をしてしまいました。ご不快な思いをされた方に対し謹んでお詫びすると共に猛省しております。本当に申し訳ありませんでした」と謝罪した。
小山田圭吾の実家の家族⑥ 義理の叔父は版画家の中林忠良
小山田圭吾の義理の叔父・中林忠良のプロフィール
生年月日:1937年9月17日
出身地 :東京都品川区大井山中町
小山田圭吾さんの父親・三原さと志さんの妹の旦那さんが日本における銅版画の第一人者である
版画家の中林忠良さんです。つまり小山田圭吾さんの義理の叔父にあたります。
小山田圭吾さんが2017年にリリースしたアルバム「Mellow Waves」のジャケットのアートワークはこの中林忠良さんの作品だという事です。
「そうそう。ちなみに、ジャケットのアートワークは版画家の中林忠良さんの作品で、中林さんは僕の父の妹の夫、つまり僕の叔父さんにあたる人」
小山田圭吾の若い頃① フリッパーズ・ギターで小沢健二と共に人気者に
小山田圭吾さんは、若い頃は小沢健二さんとのバンド「フリッパーズ・ギター」でデビューし、当時の若者の間で人気者になりました。
出典:https://soundofhumming.up.seesaa.net/
小山田圭吾さんと小沢健二さんは中学時代の同級生で、高校は別々の学校に進学したものの、高校卒業後に小山田圭吾さんのバンド「ロリポップ・ソニック」に小沢健二さんが加入し、その後このバンドが「フリッパーズ・ギター」と改名してメジャーデビューしました。
若い頃の小山田圭吾さんはこのフリッパーズ・ギターの小山田圭吾としてのイメージが強く、フリッパーズ・ギターがわずか2年半で解散した後も、しばらきは元フリッパーズの小山田圭吾と紹介される事が多くありました。
小山田圭吾の若い頃② フリッパーズ解散後はコーネリアスでソロ活動
小山田圭吾さんは1991年に小沢健二さんとのフリッパーズ・ギターを解散しました。
その後、小山田圭吾さんは約2年の充電期間を経て、1993年よりソロユニット「Cornelius(コーネリアス)」として音楽活動を再スタートしています。
1995年には森永のチョコレート菓子「小枝」のテレビCMに女装して出演し注目されました。
小山田圭吾の学歴① 出身小学校は都内の私立「和光小学校」
出典:https://jice.homemate-research.com/
小山田圭吾さんは、東京都世田谷区の私立「和光小学校」を卒業しています。
小山田圭吾さんの過去のいじめ自慢炎上事件では小学生時代のエピソードもピックアップされていました。
「月刊カドカワ」1991年9月号のインタビュー記事にて、若い頃の小山田圭吾さんは小学生時代のエピソードとして以下の内容を語っています。
小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、『小山田君の嫌なこと』とかいうタイトルで作文書かれてね(笑)。別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集は見せられなかった。ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)。
文集にわざわざ書かれるくらいなので、一部の同級生に小山田圭吾さんが嫌われていたのは間違いないようです。ただ、小山田圭吾さんはその後、この同級生に復讐をしたそうです。
みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部をかけて復讐した(笑)
小山田圭吾の学歴② 出身中学校は都内の私立「和光中学校」
小山田圭吾さんは和光小学校を卒業後は、エスカレーター式に「和光中学校」へ進んでいます。
後に「フリッパーズ・ギター」を結成する小沢健二さんとは中学時代の同級生でした。ただ、中学時代は小山田圭吾さんと小沢健二さんはあまり接点はなく、付き合い始めたのはそれぞれ別々の高校に進学した後だったそうです。小山田圭吾さんは若い頃のインタビュー記事で以下のように語られていました。
「(小沢と)知り合ったのは中学だよね。でもほとんど話さなかったけど。
で、高校が別々になった後、音楽の趣味が似ているってことで
レコード一緒に買いに行ったり、付き合い始めただんよね」
小山田圭吾さんは中学時代も同級生に対するいじめ的な行為を行なっていた事がわかっていて、本人も認めています。
はい、自分がやった記憶があります。中学生の時に、ロッカーに同級生を閉じ込めて蹴飛ばしたこと。
小山田圭吾の学歴③ 出身高校は私立「和光高等学校」
出典:https://www.school-data.com/
小山田圭吾さん高校もエスカレーター式に「和光高等学校」へと進学しています。
小山田圭吾さんは若い頃、雑誌のインタビュー記事で、高校の裏に養護学校があり、高校の同級生とその養護学校に通う障がいのある方を馬鹿にして面白がっていたというエピソードを披露しています。
小山田圭吾さんは小学校〜高校までの同級生に対するいじめ的行為を若い頃の雑誌インタビューで嬉しそうに語っており、これが東京五輪およびパラリンピックの音楽を担当する事が発表された事で表出(以前からネットではよく知られていたが、五輪がきっかけとなり炎上した)し、辞任に追い込まれる事件に発展しました。
小山田圭吾さんが当時、具体的に何したのかについては後述します。
小山田圭吾の学歴④ 大学ではなく美術学校「セツ・モードセミナー」へ
小山田圭吾さんは和光高校を卒業後は、大学へは進学せずに美術学校の「セツ・モードセミナー」へ進みました。
「セツ・モードセミナー」は、日本のファッション・イラストレーターの草分け的存在である長沢節さんが設立した美術学校で、画家やデザイナー、造形作家、漫画家、音楽、役者、モデルなど様々なジャンルのアーティスト、表現者を輩出した事で知られ、日本版「バウハウス」とも言われました。
小山田圭吾さんはこの「セツ・モードセミナー」に入学後、「PEE WEE 60’S」というバンドを結成し本格的に音楽活動をはじめ、その後このバンドが「ロリポップ・ソニック」と改名し、さらに小沢健二さんが加入後に「フリッパーズ・ギター」とバンド名を改めて、セツ・モードセミナーに在学中だった1989年にメジャーデビューしています。
小山田圭吾の身長
小山田圭吾さんの身長は「169cm」と言われています。
「フリッパーズ・ギター」を組んでいた小沢健二さんの身長は175cm〜180cmと言われていますが、上の画像では確かに小沢健二さんの身長の方が6cm〜10cmくらいは高いように見えます。
小山田圭吾の結婚は2000年で元嫁は嶺川貴子(2012年離婚)
嶺川貴子のプロフィール
生年月日:1969年6月3日
出身地 :東京都
血液型 :O型
小山田圭吾さんは2000年に結婚しています。ただし、2012年に離婚しており元嫁はミュージシャンの嶺川貴子さんです。
小山田圭吾さんの元嫁の嶺川貴子さんは、カヒミ・カリィとのユニット「Fancy Face Groovy Name」、バンド「L⇔R(エルアール)」などで活躍、その後はソロミュージシャンとして国内外で活躍されています。
小山田圭吾さんの元嫁である嶺川貴子さんは若い頃、1990年冬にフリッパーズ・ギターが監修したオムニバスアルバム「FAB GEAR」に「Fancy Face Groovy Name」で参加しており、小山田圭吾さんとはこの当時から親しい関係だったようです。
小山田圭吾さんの元嫁である嶺川貴子さんですが、若い頃は小沢健二さんと付き合っているとの噂がありました。そのため2000年に小山田圭吾さんとの結婚が発表された際には驚いた音楽関係者や音楽ファンも多かったようです。
「小山田と嶺川は00年に結婚した当時にも、『あの2人が付き合っていたのか』と話題となった経緯があります。嶺川はもともと、フリッパーズ・ギター時代に小山田の相棒だった小沢健二の彼女と言われていましたから、当時はそちらのほうが話題でした。もっとも、結婚後の2人は子ども連れで散策する姿もたびたび目撃されており、『渋谷系のプリンスもパパになり、すっかり丸くなった』とみられていました」(音楽雑誌編集者)
小山田圭吾と元嫁・嶺川貴子の離婚経緯
小山田圭吾さんと元嫁の嶺川貴子さんは2012年に離婚しています。
離婚理由について元嫁の嶺川貴子さんは「気持ちのスレ違いが重なった」と説明しています。
ただ、小山田圭吾さんと嶺川貴子さんは離婚の数年前から別居していて結婚生活は事実上破綻していた事などもわかっています。小山田圭吾さんが離婚成立前に彼女を作ってクラブで目撃されていたとの噂もあったようです。
しかし、表向きは結婚生活がうまくいっているように装い、子供(小山田米呂さん)の中学進学を機に離婚したと推測されています。
「周辺取材を進めると、実は数年前から別居生活を送っていたという情報も浮上しました。小山田に新たな恋人ができたとの見方もあり、ここ数年はクラブなどでの目撃談も出ています。しかし、坂本龍一のコンサートには毎年夫婦そろって楽屋口を訪れるなど、“公式”の場では仲睦まじい姿を演じていた、ということですね。長男の中学入学を待ち、離婚に踏み切ったものと見られます」
小山田圭吾と元嫁・嶺川貴子の子供は小山田米呂
小山田圭吾の子供・小山田米呂のプロフィール
生年月日:2000年11月2日
出身地 :東京都
身長 :170cm
小山田圭吾さんと元嫁の嶺川貴子さんの子供は、息子の小山田米呂(おやまだ・まいろ)さんです。
小山田圭吾さんの子供である小山田米呂さんは音楽やモデルとして活動しています。
学歴については、父親の小山田圭吾さんと同じように和光小学校・中学校を卒業後、和光高校へと進みましたが、高校の途中でロサンゼルスの高校に編入しています。高校卒業後はロサンゼルスの大学へ進学していますが、中退し2021年に帰国されています。
そんな小山田圭吾さんの子供・小山田米呂さんですが、2024年の現在は主に音楽系のライター業や作曲やライブなどの音楽活動を中心に活躍されています。
小山田圭吾の自宅
小山田圭吾さんの自宅は公開されていません。
ただ、1998年に雑誌「Olive」にて、当時の小山田圭吾さんの自宅の内部が紹介されています。
記事で紹介されている内容を読む限り、かなり広くておしゃれな自宅で家具や内装にもこだわっていたようです。
現在の小山田圭吾さんの自宅は不明ですが、東京都港区六本木にある某高級マンション(6億円級)ではないかとの噂があるようです。こちらは真偽不明の情報なのでマンション名の明記は避けます。
小山田圭吾は炎上した過去のいじめ事件で結局何したのか
小山田圭吾さんは過去のいじめ炎上事件でかなり注目されました。
ただ、具体的に小山田圭吾さんが何したのかを把握していない人も多いようで、ネット上では現在も、「なんか騒動になったみたいだけど結局小山田圭吾は何したの?」という声が目立つようです。
小山田圭吾さんが何したのかについては、本人の過去の雑誌インタビューでかなり詳しく語っているので当時の記事をそのままいくつか引用しつつ紹介していきます。
小山田圭吾は何したのか① 同級生に全裸でオナニーさせうんこを食わせてバックドロップ
出典:https://img-cdn.jg.jugem.jp/
下は、音楽雑誌「ロッキング・オン・ジャパン」(1994年1月号)の小山田圭吾さんの2万字インタビューの一部です。
小山田圭吾さんは自分はいじめる方だったと認めた後、そのいじめ内容として、同級生を全裸にして紐でぐるぐる巻きにし、うんこを食べさせてバックドロップをしていたと語っています。
「うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを喰わした上にバックドロップしたりさ」
引用:「ロッキング・オン・ジャパン」(1994年1月号)
ただし、これについては小山田圭吾さんは複数のエピソードが混ぜ合わされており、雑誌側が編集して1つの話にしてしまったと説明し、自分自身が行なった事でもないと否定しています。
小山田圭吾は何したのか② 知的障害者を段ボールに閉じ込め黒板消しの粉をかける
小山田圭吾さんはサブカル雑誌「クイック・ジャパン」(1995年vol.3号)でも同級生へのいじめについて語っていました。
それによると、小山田圭吾さんは小学生の頃、知的障害を持った同級生を段ボール箱に閉じ込めて、黒板消しの粉をかけるなどしていたそうです
段ボール箱とかがあって、そん中に沢田を入れて、全部グルグルにガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)、「おい、沢田、大丈夫か?」とか言うと、「ダイジョブ…」とか言ってんの(笑)そこに黒板消しとかで、「毒ガス攻撃だ!」ってパタパタやって、しばらく放っといたりして、時間経ってくると、何にも反応しなくなったりとかして、「ヤバいね」「どうしようか」とか言って、「じゃ、ここでガムテープだけ外して、部屋の側から見ていよう」って外して見てたら、いきなりバリバリ出てきて、何て言ったのかな…?何かすごく面白いこと言ったんですよ。……超ワケ分かんない、「おかあさ~ん」とかなんか、そんなこと言ったんですよ(笑)それでみんな大爆笑とかしたりして。」
引用:「クイック・ジャパン」(1995年vol.3号)
小山田圭吾は何したのか③ ロッカーに閉じ込めてガンガン蹴る
小山田圭吾さんは「クイック・ジャパン」(1995年vol.3号)では、中学進学後に別の同級生に対して、掃除用のロッカーに閉じ込めて扉側を下にして床に倒して出られなくし、それをみんなでガンガン蹴飛ばしていたエピソードも披露しています。
段ボールの中に閉じ込めることの進化形で、掃除ロッカーの中に入れて、ふたを下にして倒すと出られないんですよ。そいつなんかはすぐ泣くからさ、『アア~!』とか言ってガンガンガンガンとかいってやるの(笑)。そうするとうるさいからさ、みんなでロッカーをガンガン蹴飛ばすんですよ。それはでも、小学校の時の実験精神が生かされてて。密室ものとして。あと黒板消しはやっぱ必需品として
引用:「クイック・ジャパン」(1995年vol.3号)
この段ボールとロッカーの件については小山田圭吾さんは事実だと認めています。
はい、自分がやった記憶があります。中学生の時に、ロッカーに同級生を閉じ込めて蹴飛ばしたこと。そして小学生の頃に、知的障がいを持った同級生に対して、段ボールの中に入れて、黒板消しの粉を振りかけてしまったことがあったのは事実です。相手の2人には、本当に申し訳ないと思っています
小山田圭吾は何したのか④ 知的障害のある同級生から届いた年賀状を馬鹿にする
「クイック・ジャパン」(1995年vol.3号)では小山田圭吾さんは、自分がいじめていた知的障害のある同級生から毎年年賀状が届いた事をあかし、その年賀状を晒した上で、馬鹿にするような発言をしています。
それで、年賀状とか来たんですよ、毎年。あんまりこいつ、人に年賀状とか出さないんだけど、僕のところには何か出すんですよ(笑)。で、僕は出してなかったんだけど、でも来ると、ハガキに何かお母さんが、こう、線を定規で引いて、、そこに「明けましておめでとう」とか「今年もよろしく」とか鉛筆で書いてあって、スゲェ汚い字で(笑)。
引用:「クイック・ジャパン」(1995年vol.3号)
小山田圭吾の現在
出典:https://c.media-amazon.com/
小山田圭吾さんは過去のいじめ自慢インタビューなどが大炎上し、東京オリンピック・パラリンピックの開会式と閉会式の音楽担当を辞任するという事件後、一時的に活動休止していますが、その後は音楽活動を再開しています。
現在も音楽活動を精力的に行なっており、2024年8月21日にはコーネリアスとしてアナログ12インチシングル「BAD ADVICE / MIND TRAIN」をリリースしています。
また、炎上した過去のいじめ自慢インタビュー事件に関連する書籍『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』(ノンフィクション作家・中原一歩さん著)が2024年7月24日に発売されました。
小山田圭吾さんの過去のいじめ自慢インタビュー炎上事件の裏側や真相について詳しく書かれていて、この事件の色々な問題点も浮き彫りにされています。
まとめ
今回は、「Cornelius(コーネリアス)」として活動するミュージシャンの小山田圭吾さんについてまとめてみました。
小山田圭吾さんの実家の家族は音楽や芸術領域の大物が多く、柳生家の家老を務めた名家である事が明かされています。
小山田圭吾さんは若い頃は小沢健二さんと「フリッパーズ・ギター」で人気となり、当時流行した渋谷系のアイコンのような存在でした。
小山田圭吾さんの学歴は小学校から高校までは都内の私立「和光学園」に通い、高校卒業後は大学ではなく多くの芸術家を輩出した美術学校「セツ・モードセミナー」へ進んでいます。この頃にデビューしたのが「フリッパーズ・ギター」でした。
小山田圭吾さんの身長は「169cm」と言われています。
小山田圭吾さんは2000年にミュージシャンの嶺川貴子さんと結婚するも2012年に離婚しています。
小山田圭吾さんは元嫁の嶺川貴子さんとの間に子供が1人生まれています。小山田圭吾さんの子供は息子の小山田米呂さんで、自身でも音楽活動をしつつ音楽系のライターやモデルとしても活躍されているようです。
小山田圭吾さんの自宅は公開されていませんが、東京都港区六本木にある某高級マンションだと言われています。
小山田圭吾さんは2021年開催の東京オリンピック・パラリンピックの開会式、閉会式の音楽を担当する事が決まっていましたが、若い頃の雑誌インタビューで知的障害者を含む小・中学校時代の同級生に対するいじめを面白おかしく語っていた事が大炎上し、辞任するという大事件となりました。
ネットでは小山田圭吾さんは何したのかも話題となり、同級生を全裸にして縛ってうんこを食べさせてバックドロップしたり、段ボールに閉じ込めて黒板消しの粉をかけたり、ロッカーに閉じ込めて蹴ったりした事が判明(一部は小山田圭吾さんが否定)し、さらなる炎上となりました。
現在、小山田圭吾さんは音楽活動を再開しています。