「雨の御堂筋」、「ラヴ・イズ・オーヴァー」などの大ヒット曲で知られる歌手の欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー)さんの現在が話題です。
この記事では欧陽菲菲さんのヒット曲や身長、若い頃の経歴、結婚した旦那さんや息子や娘など子供、現在は病気や死因などの噂や生きてると話題な件についてまとめました。
この記事の目次
- 欧陽菲菲のプロフィール
- 欧陽菲菲のヒット曲① 雨の御堂筋
- 欧陽菲菲のヒット曲② 雨のエアポート
- 欧陽菲菲のヒット曲③ 恋の追跡(ラヴ・チェイス)
- 欧陽菲菲のヒット曲④ ラヴ・イズ・オーヴァー
- 欧陽菲菲の身長は161cm
- 欧陽菲菲の若い頃① 台湾のレストランシアター専属歌手から日本デビュー
- 欧陽菲菲の若い頃② 一時期低迷もラヴ・イズ・オーヴァーで再ブレイク
- 欧陽菲菲の若い頃③ アジアの歌姫としても不動の地位を確立
- 欧陽菲菲が結婚した旦那は元レーシングドライバーの式場壮吉
- 欧陽菲菲に息子や娘など子供はいないが姪っ子3人が芸能の世界で活躍
- 欧陽菲菲の現在① 病気や死因などが噂されているが事実無根
- 欧陽菲菲の現在② 音楽アワードでアカペラを披露など元気に生きてる
- 欧陽菲菲の現在③ 日本では大きな活動はしていない
- まとめ
欧陽菲菲のプロフィール
欧陽菲菲のプロフィール
生年月日:1949年9月10日
出身地 :中華民国(台湾)台湾省台北市
身長 :161cm
血液型 :B型(O型は誤情報)
欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー)さんは台湾出身の歌手で、17歳だった1967年に台北市のレストラン・シアター「中央酒店」で歌手デビューした後来日し、1971年9月に「雨の御堂筋」で東芝EMIより日本で歌手デビューしました。
同年11月、デビュー曲「雨の御堂筋」はオリコンチャートでアジア人初の9週連続1位をマークし、欧陽菲菲さんはその年の第13回レコード大賞新人賞、第4回レコード大賞有線放送の国際賞などに輝きました。
その後も「雨のエアポート」、「恋の追跡」などヒット曲を連発し、1972年の第23回NHK紅白歌合戦にも出場。NHK紅白歌合戦に外国籍歌手が出場したのは史上初の快挙でした。
1970年代半ばからは海外に活動の場を広げ、母国である台湾をはじめとして、香港やアメリカ・ラスベガスでも大規模コンサートを成功させるなどアジアを代表する歌姫として世界的な人気を確立。
1979年に「うわさのディスコ・クィーン」のカップリング曲として発表された「ラヴ・イズ・オーヴァー」が人気を呼び、1980年にシングルとして再リリースされると大ヒット曲となり、1983年の第25回日本レコード大賞で「ロングセラー賞」を受賞しました。
「ラヴ・イズ・オーヴァー」は現在も欧陽菲菲さんの代表的ヒット曲として知られています。
その後も欧陽菲菲さんは日本も含めて世界各地でアジアを代表する歌手として、現在も活躍を続けられています。
欧陽菲菲のヒット曲① 雨の御堂筋
出典:https://m.media-amazon.com/
欧陽菲菲さんの代表的ヒット曲を紹介していきます。
欧陽菲菲さんの日本でのデビュー曲が、1971年9月5日にリリースされた「雨の御堂筋」という楽曲です。この「雨の御堂筋」はザ・ベンチャーズのインストゥルメンタル曲で、それに歌詞をつけて欧陽菲菲さんがカバーして発表されました。
当時、日本で絶大な人気を誇ったザ・ベンチャーズとコラボレーションした楽曲という事で話題を呼び、当時のアジア人最長記録だったオリコンシングルチャート連続9週週間1位を獲得。レコード約136万枚売り上げの大ヒット曲となりました。
欧陽菲菲のヒット曲② 雨のエアポート
「雨のエアポート」は、1971年12月20日にリリースされた欧陽菲菲さんの日本での2ndシングルです。
オリコンチャートでは週間最高4位でしたが、1972年度のオリコンチャート年間31位を記録してロングヒット曲となりました。
欧陽菲菲さんは同曲で第5回日本有線大賞を受賞しています。
欧陽菲菲のヒット曲③ 恋の追跡(ラヴ・チェイス)
「恋の追跡」(ラヴ・チェイス)は、1972年4月5日リリースの欧陽菲菲さんの3rdシングルです。
これまでの歌謡曲路線とは少し色合いを変えてロック色を強くしたアップテンポな作品で、オリコンチャート最高5位、登場20週のロングヒット曲となっています。
欧陽菲菲さんの圧倒的な歌唱力が再認識された曲にもなりました。
欧陽菲菲のヒット曲④ ラヴ・イズ・オーヴァー
欧陽菲菲さんの代表曲として知られているのが1979年にカップリング曲として初めて発表され、1980年にシングルとして再リリースされた「ラヴ・イズ・オーヴァー」です。
「ラヴ・イズ・オーヴァー」は、17枚目のシングル「うわさのディスコ・クィーン」のカップリング曲として発表されましたが、欧陽菲菲さんがコンサートやテレビ出演などで披露するうちに話題を呼びました。
これを受けて、「ラヴ・イズ・オーヴァー」は18枚目のシングルとして再リリースされ、1983年にジャケットを変更して再々リリースするとオリコンチャート1位を獲得し、28週にわたってチャートに登場するロングヒット曲になりました。
「ラヴ・イズ・オーヴァー」は多くの有名シンガーがカバーしていて、若い世代の方でも1度は耳にした事があるのではないかと思います。
欧陽菲菲の身長は161cm
欧陽菲菲さんの身長は「161cm」です。
いくつかのウェブサイトでは欧陽菲菲さんの身長は160cmと紹介されていますが、161cmが公称されている身長です。
欧陽菲菲の若い頃① 台湾のレストランシアター専属歌手から日本デビュー
出典:https://img.snowrecords.com/
欧陽菲菲さんの若い頃の経歴についてももう少し詳しくみていきます。
欧陽菲菲さんは、17歳であった1967年から台湾の首都・台北のレストランシアター「中央酒店」で専属シンガーとして活動していたところを、日本のレコード会社東芝EMIの関係者に見出されてスカウトを受けて来日。1971年に「雨の御堂筋」で日本デビューしました。
「雨の御堂筋」が9週連続オリコン1位の大ヒット曲となると、その後も「雨のエアポート」、「恋の追跡」、「恋の十字路」などのヒット曲を連発し、1972年に日本デビューし絶大な人気を獲得したアグネス・チャンさんと共にアジア圏の歌手の日本デビューブームを巻き起こしました。
欧陽菲菲の若い頃② 一時期低迷もラヴ・イズ・オーヴァーで再ブレイク
出典:https://baseec-img-mng.akamaized.net/
しかし、1970年代中盤になると一時期セールスが低迷し、1979年にはレコード会社をポリドール・レコードに移籍しています。
移籍後最初の発表曲となった通算17枚目のシングル「うわさのディスコクイーン」は、台湾や香港ではヒットしたものの日本ではあまり話題になりませんでした。
しかし、欧陽菲菲さんは「うわさのディスコクイーン」のカップリング曲である「ラヴ・イズ・オーヴァー」に魅力を感じており、この曲を何とか世に出したいとしてコンサートなどで積極的に披露。翌1980年7月に18枚目のシングルとして再リリースし、さらにアレンジャーを若草恵さんに変更してレコーディングをし直し、1982年に再々リリースをして1983年にジャケットを変更してプロモーションを続けた結果、ついにオリコンチャート1位を獲得する大ヒット曲になったのでした。
欧陽菲菲の若い頃③ アジアの歌姫としても不動の地位を確立
出典:https://is1-ssl.mzstatic.com/
「ラヴ・イズ・オーヴァー」で再ブレイクを果たした欧陽菲菲さんは、アジア各国でもさらに人気を上昇させ、1993年に母国台湾で発表したアルバム「擁抱(ユンパオ)」タイトル曲「擁抱」が国内チャート1位を記録。香港、シンガポール、マレーシアでも発売されアジア圏で話題のアルバムとして高評価を得ました。
1980年代に大ヒットしたNHK連続テレビ小説「おしん」が台湾で再放送された際、そのテーマ曲に欧陽菲菲さんの「感恩的心」が起用され、これがヒット曲となって台湾で国民的人気を獲得しています。
欧陽菲菲さんはその年、日本のレコード大賞にあたる、台湾・金鼎奬の「最優秀歌唱賞」受賞するなどして母国台湾でもトップ歌手として扱われるようになりました。
欧陽菲菲が結婚した旦那は元レーシングドライバーの式場壮吉
欧陽菲菲が結婚した旦那・式場壮吉のプロフィール
生年月日:1939年2月9日
没年月日:2016年5月16日(没年77歳)
出身地 :千葉県市川市
身長 :不明
欧陽菲菲さんは1978年4月、28歳の時に、元レーシングドライバーで自動車関連の実業家や評論家活動を行っていた式場壮吉さんと結婚されています。
欧陽菲菲さんの旦那さんの式場壮吉さんは成城大学文芸学部を1961年に卒業後、出版社で働きながらトヨタとワークスドライバー契約を結び、1963年の第1回日本グランプリ(鈴鹿)のC-Vクラスにトヨタコロナで出場し、見事優勝を飾りました。
翌1964年の第2回日本グランプリにはGT-2クラスにポルシェ904で個人エントリーし優勝。このレースでの生沢徹さんのプリンス・スカイラインGTとのデッドヒートは語り草となっています。
その後、欧陽菲菲さんの旦那さんの式場壮吉さんは1965年にレーサーを引退し、「シキバエンタープライズ」を設立して自動車関連のアクセサリーブランド「レーシングメイト (RACING MATE)」を立ち上げ、自動車雑誌「カーマガジン」の責任編集者としても活躍されました。
晩年は欧陽菲菲さんのコンサートにゲストとして出演もされていました。
欧陽菲菲と旦那・式場壮吉の馴れ初めと結婚経緯
欧陽菲菲さんと旦那さんの式場壮吉さんは、1976年8月に六本木で開かれた食事会で知り合っています。旦那さんの式場壮吉さんの友人の奥さんが台湾出身の方で欧陽菲菲さんの妹の友人であったのが縁となったそうです。
この馴れ初めの時、欧陽菲菲さんは式場壮吉さんがかつてレーサーとして活躍されていた事を知らず、式場壮吉さんも芸能界に興味がなかったため欧陽菲菲さんの事を詳しくは知らなかったそうです。
しかし、2人はなぜかとても気が合ったそうで食事会の後も交流が続き、1977年の秋頃に急接近して交際に発展して欧陽菲菲さんのマンションがあった青山でデートを重ねています。
その後、式場壮吉さんが台湾のゴルフ場を訪れた際に欧陽菲菲さんの両親と会い、欧陽菲菲さんも式場壮吉さんの実家に挨拶に訪れるなど結婚に向けて話がとんとん拍子に進んでいったそうです。
欧陽菲菲さんと式場壮吉さんの結婚を前提とした交際は、1978年1月に台湾のメディアが最初に報じました。
これを受けて欧陽菲菲さんは日本のメディアに向けても「ワタシの心はもう決めてます。私、彼と結婚します」と正式に結婚を発表。欧陽菲菲さんは日頃から「結婚相手は日本人でない方が上手くいく」と話していたため、当時のマネージャーもこの結婚宣言にはかなり驚いたのだとか。
欧陽菲菲さんと旦那さんの式場壮吉さんの婚約式が1978年2月14日に台湾の台北のホテルで開かれ、欧陽菲菲さんは多くの報道陣の前で2.5カラットのダイヤの婚約指輪を指に嬉し涙を見せていました。
式場壮吉さんの父親は「日本の女性より日本的で古風なくらいのいい娘さんです」とマスコミに対してコメントされています。
結婚式はその年の4月16日に都内の教会で挙げられ、披露宴には多くの人々が出席しました。
欧陽菲菲の旦那・式場壮吉は2016年に死去
結婚後、ずっと夫婦円満であったという欧陽菲菲さんと旦那さんの式場壮吉さんでしたが、2016年5月16日に式場壮吉さんが77歳で亡くなり死別されています。
葬儀の喪主は欧陽菲菲さんが務められました。
モータースポーツ草創期の名ドライバーだった式場壮吉(しきば・そうきち)さんが16日に亡くなっていたことが19日、分かった。77歳だった。告別式は22日、東京都内の斎場で行われる。喪主は妻の欧陽菲菲さん。
式場壮吉さんの死因は「肝不全」と発表されています。
欧陽菲菲に息子や娘など子供はいないが姪っ子3人が芸能の世界で活躍
出典:https://images.chinatimes.com/
欧陽菲菲さんと旦那さんの式場壮吉さんとの間には子供はいませんでした。
欧陽菲菲さんには息子も娘もいませんが、姪っ子達が芸能活動をされていて有名です。
欧陽菲菲さんの弟の欧陽龍さんは元俳優で台北市議会議員を務められています。その妻で女優の傅娟さんとの間に生まれた3姉妹(つまり、欧陽菲菲さんの姪)が台湾で美人3姉妹として大変な人気となっています。
欧陽菲菲さんの姪っ子3姉妹のうち長女は女優でタレントの欧陽妮妮さん、次女がチェリストの欧陽娜娜さんで12歳で台湾のチェロコンテストで優勝、13歳でアメリカの「カーティス音楽院」に合格し最年少入学して天才チェロ奏者として日本でも話題になりました。
欧陽娜娜さんは美貌も話題で、2014年の中国映画「北京愛情故事」にも出演しています。
さらに、三女の欧陽娣娣さんも芸能活動をしていて、2024年2月に中国のサバイバルオーディション番組「CHUANG ASIA(チュアンアジア)」にアイドルを目指す練習生として出場し、その美貌が大きな話題を呼んでいます。
実はDIDIは、中国で絶大な人気を誇る天才チェリスト兼女優であるオーヤン・ナナの妹。さらに叔母はなんと、日本でも知られている歌手のオーヤン・フィフィ(欧陽菲菲)なのだ。
欧陽菲菲の現在① 病気や死因などが噂されているが事実無根
欧陽菲菲さんの現在について、病気で闘病中の噂やすでに死去していて死因の噂などが流れていますが、それらは全て事実無根のでま情報です。
現在も欧陽菲菲さんは病気でも死去されているわけでもなく元気に活動されています。
欧陽菲菲の検索サジェストに死因って出るの何。
— ルビコニアン織旗 (@fumin__pe) April 25, 2022
欧陽菲菲の現在② 音楽アワードでアカペラを披露など元気に生きてる
出典:https://prcdn.freetls.fastly.net/
欧陽菲菲さんが病気やら死因やらの噂がネットで流れていましたが、2023年7月1日に台湾台北で開催された台湾最大の音楽アワード「第34回ゴールデン・メロディー・アワード」にて、欧陽菲菲さんが「特別貢献賞」を受賞しました。
この式典に欧陽菲菲さんが若い頃と全く変わらない抜群のスタイルでの若々しい姿で登場し、日本のネット上では「欧陽菲菲 生きてる」がトレンド入りするなど話題になりました。
2023年7月1日に台湾の台北アリーナにて開催された国内最大の音楽アワード「第34回ゴールデン・メロディー・アワード(金曲奨)」にて、株式会社アクア(本社:東京都港区、代表:藤田早苗)所属のアーティスト 欧陽菲菲が「特別貢献賞」受賞、アワード式典に登場しました。
出典:https://prcdn.freetls.fastly.net/
欧陽菲菲さんは受賞に感謝のスピーチをした後、台湾での大ヒット曲「感恩的心」のワンフレーズをアカペラでパワフルに歌い、若い頃とまったく変わらない姿を印象付けています。
約3分間のスピーチでは、この賞をもらった事への感謝を伝え、「歌を歌うこと、ステージに立ち続ける事はずっと私の夢でした。できれば私は歌い続けて、決して諦めません。」と話し、締めくくりに大ヒットソング「感恩的心」のワンフレーズをアカペラで歌い、国と時代を超え活躍するスーパースターの登場にアリーナが湧きました。
この「ゴールデン・メロディー・アワード」への出席当時、欧陽菲菲さんは73歳でしたが、とてもその年齢に見えないような元気な姿とパワフルな歌唱を見せていました。2024年2月現在の欧陽菲菲さんの年齢は74歳ですが現在も元気に活躍されているようです。
欧陽菲菲さんの登場も驚いたな〜😱
— 奈央さん (@naomillon5282) July 2, 2023
70代と思えないくらい若々しかったー👩
ヒット曲は昭和の日本の歌謡曲に彩りをしてくれたレジェンドです。
欧陽菲菲の現在③ 日本では大きな活動はしていない
出典:https://fashionsnap-assets.com/
欧陽菲菲さんは現在も窓口として日本の芸能事務所に登録していますが、日本国内での大きな活動はされていません。
欧陽菲菲さんの日本での活動は、2012年が最後でシンガポールの写真家のレスリー・キーさんの東日本大震災チャリティープロジェクト写真集「ANTEPRIMA THE COLOR OF HOPE」への参加と、表参道ヒルズ「THE COLOR OF HOPE」での同写真集のレセプションパーティーでのライブ出演が最後となっています。
まとめ
今回は、日本では1970年代から1980年代にかけて活躍し、「雨の御堂筋」、「雨のエアポート」、「恋の追跡」、「ラブ・イズ・オーヴァー」などのヒット曲で知られる台湾出身の歌手の欧陽菲菲さんについてまとめてみました。
欧陽菲菲さんの身長は161cmで、若い頃はスタイリッシュなルックスでアジアを代表するシンガーとしてヒット曲を多数リリースし世界的な評価を確立しました。
欧陽菲菲さんは1978年4月に元レーシングドライバーで自動車関連の実業家や評論家活動を行っていた式場壮吉さんと結婚。旦那さんの式場壮吉さんとは共通の知人の食事会で知り合い意気投合して約1年後に交際をスタートさせ、その数ヶ月後に結婚されています。
欧陽菲菲さんと旦那さんの式場壮吉さんは夫婦円満で、2016年に式場壮吉さんが死去するまで仲睦まじい様子だったようです。
欧陽菲菲さんと旦那さんの式場壮吉さんの間には子供はいませんが、欧陽菲菲さんの姪っ子3人が全員芸能活動をしていて中国圏内で美人3姉妹として非常に高い人気となっています。
欧陽菲菲さんの現在については、なぜかネット上で「病気」や「死因」などのワードが関連づけられるなど不穏な噂が流れていますが、全て事実無根の噂で、現在も欧陽菲菲さんは健在で、公の場にもとても70代とは思えない若々しい姿で登場しています。
2023年には台湾最大の音楽アワード「第34回ゴールデン・メロディー・アワード」に登場し、アカペラまで披露して健在ぶりを見せつけています。これを受けて日本でも「欧陽菲菲 生きてる」がトレンド入りするなど話題になっていました。