中森明菜さんの「金屏風事件」は当時大騒ぎになりましたが、それ以前の自殺騒動や事件の真相やデマも注目されています。
今回は中森明菜さんの自殺未遂の経緯、近藤真彦さんとの関係、「金屏風事件」の詳細、デマと真相を紹介します。
この記事の目次
「金屏風事件」とは
近藤真彦・ジャニーズが中森明菜をハメたと言われた事件!
平成元年7月、当時人気絶頂期だった歌姫・中森明菜さんは、当時の恋人だった近藤真彦さんの自宅の風呂場で自殺未遂をしました。
そしてその年の12月31日に、多くのマスコミ関係者を集めた緊急記者会見が行われますが、あまりに異様な雰囲気や光景から「金屏風事件」と呼ばれ、未だに語り継がれています。
この「金屏風事件」は、80年代アイドルたちが当たり年と言われた全盛期の中、一時代を築いてきた中森明菜さんの精神を破壊するほど、痛めつけた記者会見とも言われています。
中森明菜さんが現在でも精神不安定と言われている原因が、まさしくこの「金屏風事件」なのです。
この事件には、恋人だった近藤真彦さんが所属していたジャニーズ事務所も深く関係していると言われています。
今回は、永遠の歌姫・中森明菜さんを未だに苦しめている「金屏風事件」の真相を追求していきましょう!
金屏風事件の概要
平成元年12月31日に行われた、当時人気絶頂だった中森明菜さんの緊急記者会見が行われました。
この記者会見では 、「金屏風(結婚式やお祝い事などで用いられる屏風)」が会場に用意されていました。
また、当時熱愛交際が囁かれていたジャニーズの近藤真彦さんも同席するとの事で、集まったマスコミ関係者は皆、「結婚するのだろう」と思ったと言います。
「この金屏風事件は異様な光景だった…」
しかし、会見が始まり中森明菜さんから出てきた言葉は、結婚報告とは真逆の言葉でした。
つまり、近藤真彦さんとの交際の全否定と、近藤真彦さんの自宅で自殺未遂をしたことで迷惑をかけてしまった事、自身のファンと世間にも心配をさせてしまった事への謝罪だったのです。
熱愛相手だった近藤真彦さんも同席する中、結婚式や祝い事で使用する金屏風の前での涙ながらの謝罪会見は、集まったマスコミ関係者の目には、とても異様な光景に映ったそうです。
そしてこの金屏風事件の記者会見以降、中森明菜さんは精神を病んでしまい、しばらく芸能界から姿を消すことになります。
この金屏風事件には、ジャニーズ事務所も深く関わっているという噂もあり、未だに中森明菜さんが芸能界に完全復帰ができない状態に陥ってしまったのだと言われています。
中森明菜の自殺未遂騒動とは?
なぜ、自殺未遂した?
80年代と言えば、小泉今日子さんや堀ちえみさん、松本伊代さんやシブがき隊など、数多くの人気アイドル達を生み出してきたアイドル全盛期で、「花の82年組」とも呼ばれています。
その中でも、抜群の歌唱力とミステリアスな美貌から、同期から妬まれるほどの圧倒的人気を誇った中森明菜さん。仲間からの中傷や妬みなどが酷い中、中森明菜さんはいつも笑顔でした。
アイドルの恋愛禁止が「暗黙の了解」だった当時、熱愛が噂されていた近藤真彦さんとの仲を、中森明菜さんは口にしませんでしたが、マスコミ関係者は確信を持って追いかけていたそう。
そんな最中、熱愛交際が順調だと思われていた中森明菜さんが自殺未遂をしたのです。
当時の恋人・近藤真彦宅で自殺未遂
6時間に及ぶ手術の末に一命を取り留めた!
平成元年7月11日、近藤真彦さんが自宅を留守にしている間に、中森明菜さんが近藤真彦さんの自宅の風呂場で、左手の肘内側を十字に深く切り裂き自殺を図ったのです。
中森明菜さんが切り裂いた左手の肘内側は、かなり深くまで達していたそうで、血管や神経を切断していたようです。
その血管と神経をつなぐ緊急手術が行われ、6時間以上にも及ぶ大手術となり、生命も危うい状態で多くの人が心配しました。
幸い命は取り留めましたが、当時人気絶頂の歌姫の自殺未遂報道は、ファンのみならず世間にも激震が走りました。
中森明菜の自殺未遂の原因は近藤真彦? 【黒い噂2つ紹介】
中森明菜さんの自殺未遂の原因を探ると、次々に近藤真彦さんの不穏な噂が関係者から出てくるようになりました。
近藤真彦が1億円を趣味のレースの資金につぎ込んだ…
近藤真彦さんに手渡したお金は数億円にもなる?
中森明菜さんは、当時人気絶頂の歌姫であり、リリースする楽曲すべてが大ヒットし、寝る暇もないほど多忙を極めていました。
そんな中森明菜さんは近藤真彦さんとの結婚を強く望まれていて、2人が結婚後に住む新居や家具の資金に当てようと、お金を貯めていました。
そして結婚間近と思われたとき、近藤真彦さんから「結婚後の新居と家具などの購入の準備をしよう」と言われたため、8000万円を近藤真彦さんに手渡しました。
しかし、その8000万円は、近藤真彦さんが芸能活動よりも熱中していた “F1レースの資金に全て注ぎ込まれていた” と言われています。
近藤真彦さんと言えば、1984年に「富士フレシュマン」でカーレースデビューもしていて、中森明菜さんの自殺未遂の頃は “F3レース” に参戦していたそうです。
また、中森明菜さんが近藤真彦さんに手渡したお金は 、この結婚資金だった8000万円の他にも、”数億円ある”とも言われていました。
近藤真彦がニューヨークで松田聖子と密会していた?
フライデーにスクープされた!
1989年2月に、週刊誌「フライデー」によって、近藤真彦さんと人気アイドル・松田聖子さんの「ニューヨークでの密会キス写真」がスクープされてしまいました。
当時、松田聖子さんは神田正輝さんと結婚していて、出産を終えて芸能界復帰後にアメリカ進出を望んでいて、アメリカへの行き来が多くなった最中の「密会スクープ」でした。
ニューヨークの高級ホテルの一角にて、近藤真彦さんと松田聖子さんが仲良く体を寄せ合う姿やキス写真がスクープされ、ワイドショーでも近藤真彦さんの二股交際疑惑が流されていました。
この 密会”を知った中森明菜さんは、度重なるショックに混乱し、鬱になってしまったため、近藤真彦さんの自宅で自殺を図ったと言われています。
「金屏風事件」での中森明菜の様子がおかしいと話題に 【近藤真彦も同席】
そして、金屏風事件が起きた…
自殺未遂をした中森明菜さんは、約1ヶ月近く「面会謝絶」となり、所属事務所・研音の関係者でも会えなかったそう。退院後には1年間の活動休止を表明し、その身を隠してしまいました。
このような時期でも「事件後、中森明菜さんと近藤真彦さんはどうなったのか?」と記者が2人の関係場所に張り付いていたそうです。
そして、 “自殺未遂後も近藤真彦さんが新しく引っ越た新居で2人で同棲をしている”という報道が流されたりし、2人の交際は続いているものだと世間には認識されていました。
そして活動休止中の12月31日、約半年間の休養を経て、恋人だった近藤真彦さん同席の下、金屏風が用意された会場で、後に「金屏風事件」と呼ばれる緊急記者会見を行う事となるのです。
半年ぶりに中森明菜さんが公の場に姿を現すということもあり、たくさんの記者やマスコミ関係者、そして多くのファンが見守る中、会見が始まったのです。
中森明菜は涙ながらに今回の騒動を謝罪
会見冒頭、「元気になった姿をぜひ、みんなにみてもらいたい。との希望で」と、 “自殺未遂をした事による謝罪会見である”旨を取材陣に伝えられると、会場内がどよめきました。
このように紹介された中森明菜さんは、明らかに憔悴しきっていて、緊張が隠せないほどにキョロキョロと目を動かし、口元はブツブツと何かを繰り返し呟いていました。
誰から見ても、中森明菜さんが覚悟を決めて会見が行われた様子では無いことが伝わりました。
明らかに元気になった姿ではない…
と、たどたどしく話し始めると…
と、自身がとても悩んでいた事を明かし、そして、それに耐えきれずに自殺未遂をしてしまったと述べました。
また、「自分の勝手な、わがままな行動で…」と、心配や迷惑をかけたことを謝罪し、「大切な私のファンのみなさん…ごめんなさい…」と涙ながらに語ったのです。
この緊急記者会見については、「わがままを言って開いてもらった」と語り、関係者に感謝の言葉を送った後、近藤真彦さんへの思いを語り出しました。
近藤真彦さんに謝罪と感謝の言葉を、今にも消え入りそうな儚い声、そして涙ながらに語る中森明菜さんは、今にも心が潰れてしまうのではないかと思うほどに悲しい姿だったそうです…。
「金屏風事件」の真相① ジャニーズ事務所が中森明菜をハメたと言われる理由2つ
① NHKの裏番組での記者会見を設定したのはジャニーズ事務所
ジャニーズ事務所が企んだ記者会見だった
当日、中森明菜さんの緊急記者会見の裏番組では、「NHK紅白歌合戦」が流れていました。
関係者の話によれば、人気アイドルだった中森明菜さんに 「休養からの復帰はぜひ紅白で」とNHK側から申込みがあったそう。しかし、体調が万全ではないことを理由に断ったようです。
そんな復帰の舞台を用意してくれたNHK側の申し出を断り、そのNHKの年末の一大イベントである紅白歌合戦の裏側で、緊急記者会見を開いた中森明菜さん。
これは、NHKに対する嫌がらせと取られても仕方のない行動でした。
しかし、この緊急記者会見は、全てジャニーズ事務所側が”中森明菜さんを芸能界から消滅させよう”と画策したのではないか、と言われています。
この緊急記者会見の主催はレコード会社で、記者会見の流れをすべて裏で仕切っていたのはジャニーズ事務所でした。
NHKの一大イベントの邪魔をしたことで、中森明菜さんがNHKから干されるように仕向けたのではないかと言われています。
② メリー喜多川が中森明菜に脅しをかけた?
そして、なぜこの緊急記者会見が金屏風事件と言われるのか?という疑問が残りますが、それはジャニーズ事務所が中森明菜さんを騙し、会場まで引っ張り出したとの噂もあるからでした。
中森明菜を騙して、会場まで呼んだ…
会見当日まで、中森明菜さんには「近藤真彦さんとの結婚記者会見を行う」と伝えていたそう。
そして金屏風を用意し、中森明菜さんを連れ出すことに成功したジャニーズ事務所は、会見直前に「自分のやった事と近藤真彦は全く関係ないと言え」と中森明菜さんに指示したそうです。
メリー喜多川氏が主犯格?
金屏風前の会見で、メリー喜多川氏から「近藤さんとは関係なかったと言いなさい」と指示された中森は、涙ながらに近藤との関係を否定。近藤も白々しく中森の身体を心配する様子を見せたのだった。
ジャニーズ側に「結婚会見を行う」とか「関係ないと言え」と言われたとされるのは、あくまでも関係者の証言であって、本当にそのやり取りがあったのか確証はありません。
しかし、会場に集められたマスコミ関係者一同は、会場に 「金屏風」が用意されていた事で、皆が「結婚記者会見だろう」と思ったそうです。
「金屏風事件」の真相② 中森明菜が自殺未遂をした本当の理由を語る
関係者が語る「金屏風事件」の真相とは?
中森明菜さんと近藤真彦さんが臨んだ謝罪会見の動画は、これまでに悪意のある編集がされていて、真相の部分についてはカットして、近藤真彦さんが悪く見えるような編集がされています。
ですが、当時、タイムリーに謝罪会見を見てきたネットユーザーの話からすると、中森明菜さんと近藤真彦さんの語った内容は以下のようなものだったそうです。
・近藤真彦の部屋で自殺を図った理由は、最も信頼をしている人に一番に見つけて欲しかったから。
・謝罪会見に臨むまでの間、近藤真彦がずっと励まし続けてくれたと語った。
・近藤真彦は、今後も中森明菜が必要とするまで支えていくことを語った。
・2人は、婚約や結婚の予定は無いことを明かした。
・これからはお互いに世間にオープンにできる恋愛をしたいと語った。
そして、中森明菜さんが自殺を図った本当の理由を、1995年に発刊された雑誌雑誌「マルコポーロ」1995年1月号の中で、「中森明菜激白」というインタビュー記事で明かしていました。
そんな一方で、家族は私に内緒で事務所から毎月お金をもらったりしていた。
変な話だけど、事務所と家族はどんどん絆が強くなってゆくのに、私と家族の気持ちは離れてゆく一方だったんです。
近藤さんのことは私はもう何とも思ってません。
・・・(中略)・・。
五年前の騒動のときは、自分が今まで生きてきたのは一体何だったのだろう?
そんな絶望感でいっぱいで・・・。会社に対しても、家族に対しても、とにかく人間が誰も彼も信用できなくなったんです。私が一生懸命にやってきたのは一体何だったのか?ってそう思ったときには、もう、正直、恋愛どころじゃなかったです。
もう少し真剣な恋愛してたり、結婚とか中身の濃い何かがある相手がいたら、あんなふうにはならず、どうにかなったのかもしれないけれど、私はもう独りぼっちだった。
だから、あんなことも出来たんだろうし。
そして、中森明菜さんは、自殺未遂騒動から数ヵ月後に近藤真彦さんと別れたことを語っていますが、全く未練は無かったそうで、以降は芸能界と距離を置くようになったと語っています。
また、中森明菜さんは、女性週刊誌が面白おかしく脚色して書いていることも皮肉っていたそうです。
「金屏風事件」の真相③ 記者会見の金屏風はホテル側が勝手に準備した
金屏風は中森明菜の復帰を祝い、ホテルが準備したものだった?
週刊誌やマスコミは、金屏風が立てられていたことから結婚会見だと勘違いしました。
また、会見で中森明菜さんが近藤真彦さんとの関係を否定し、婚約も結婚の予定も無いと語ったことから、破局会見とも言われていました。
しかし、金屏風が立てられていたのは中森明菜さんが自殺未遂から復帰したことを祝うためにホテル側が準備したとも言われています。
また、近藤真彦さんは当初会見に出席する予定はありませんでしたが、会見前に中森明菜さんが挨拶に来たため、近藤真彦さんは責任から同席することを決めました。
ジャニーズ事務所は記者会見に関わっていなかった?
もはや真相は闇の中…
中森明菜さんの謝罪・復帰会見は、ジャニーズ事務所が仕組んだものではなく、メリー喜多川さんらも関わっていなかったという説も出ているようですが、真相は不明のままです。
ネット上では、「金屏風事件」が捏造されたデマだと訴えているブログや、デマだと訴えるためだけのTwitterも投稿されています。
復帰会見後共演したMステ
— midoriko (@midorikori) 9 Eanáir 2018
1991年4月26日
「金屏風事件まとめサイト」のソースは2ちゃんねる
信憑性がないのは明らかだろう。
復帰後の2人は共演NGではない。
普通に歌番組で一緒に出演していた。
出演者 Mi-Ke PRINCESS PRINCESS たま 近藤真彦
光GENJI 中森明菜&関口誠人 pic.twitter.com/SHlJ2iEDa1
https://platform.twitter.com/widgets.js
しかし、「どう考えてもこっちのほうがデマだと思う」「この人アカウント幾つも作っていろんなところに同じ内容送りまくっていて、相当悪質。」との意見もあるようでした。
「金屏風事件」の真相④ 中森明菜の後見人・木村恵子の暴露本はデマ
木村恵子は中森明菜に訴えられて敗訴した!
中森明菜さんは、1992年4月~1993年5月までの約1年間、木村恵子さんというディレクターを母親と慕い、後見人とも言われていました。
しかし、木村恵子さんは中森明菜さんと喧嘩別れしたそう。
その後、「金屏風事件」を受けての暴露本を出版し、1994年に「哀しい性」、1995年に「中森明菜 激しさと寂しさの果ての狂気」という2冊を書いています。
しかし、中森明菜さんはデタラメとし、訴訟を起こして勝訴しました。
木村恵子さんが中森明菜さんと親しかったのは1992年4月の約1年間で、中森明菜さんの自殺未遂はそれより前の1989年7月という事を考えると、木村恵子さんが内部事情を詳しく書けるはずがありません。
しかし、木村恵子さんが本にしたことで、中森明菜さんに関するデマは、週刊誌にとっては格好の材料となってしまい、さらに捏造が加えられて現在までに伝えられてきたのです。
「金屏風事件」の真相⑤ 近藤真彦が自殺未遂事件の真相を語る
当時の中森明菜には近藤真彦の存在が不可欠だった?
当時の中森明菜さんは、家族との関係が最悪で、仕事の関係者からも裏切りを受け続けたことにより、誰も信用できなくなり、唯一心から信頼できるのは近藤真彦さんだけだったそうです。
そんな近藤真彦さんは、1990年~91年に雑誌「明星」で連載していたエッセー「もう一杯分話そうか」の中で、中森明菜さんの自殺未遂事件を語り、実は男気ある対応をしていたことが明らかになっています。
事件があったのは僕の部屋だという事は間違いないし、その点は何を言われても仕方ない。
当時、彼女は精神的にも肉体的にも弱り切っていて、その頃頼れるのは僕しかなかっただろうと思う。
彼女があそこまで追い詰められてるっていうことは想像できなかった。
それが残念だった。
女の子っていうのは想像する以上にもろくて折れやすいもんだと知った。
救急車を呼んだ時は、これでマスコミに騒がれるという事は冷静に判断できたけど、
マスコミうんぬんよりとにかく彼女の事が心配だった。
彼女の姿を見て、僕はこの子を白紙の状態、何事もなかったように元のままの状態に戻してあげなきゃと思った。
あの事件に関しては、非常に微妙な問題だから加害者も被害者もない。
ただ僕は彼女に元気な元の姿に戻って欲しいと思っただけ。
近藤真彦さんは、誠心誠意、中森明菜さんを大切にしてきたにも関わらず、週刊誌をはじめとした外野が、捏造記事などではやし立て、”最低男”に仕立て上げられてしまったのだそうです。
近藤真彦さんは上記のエッセーの中で、報道の恐ろしさは知っていたものの、事件の内容を好き勝手に捏造されていたことについては、心の底から呆れていたことを明かしていました。
まとめ
・中森明菜さんと近藤真彦さんは、平成元年大みそかに金屏風の前で記者会見を開いたことから、「金屏風事件」と呼ばれている
・「金屏風事件」は、マスコミや周辺人物によって捏造されたデマ説もある
・「金屏風事件」以降、中森明菜は芸能活動から完全に干された状態になってしまった
平成元年に世間を騒がせた、「金屏風事件」のデマと真相について総まとめしました!
「金屏風事件」は、まさに週刊誌やマスコミの怖さというものが分かった事件でしたが、令和元年を迎えた現在もなお、中森明菜さんの芸能界復帰はファンによって強く願われています。
しかし、中森明菜さん自身が、ディナーショーなどでは芸能界に本格復帰したい気持ちがあるようですが、テレビ局からのオファーが無いと自虐していたようです。
オファーが無いわけでは無いと思いますので、今後も中森明菜さんがテレビで姿を見せる日がくることに期待したいですね!