伝説のヒット曲「女のみち」などでまさに昭和歌謡界の一時代を築いた宮史郎さんですが、かつら疑惑や死因も注目を集めています。
今回は宮史郎さんの経歴やヒット曲、独特の髪型やかつら疑惑、死因や患っていた病気をまとめました。
この記事の目次
宮史郎のプロフィール
プロフィール
・名前: 宮 史郎
・出生名: 宮崎芳郎
・生年月日: 1943年1月17日
・没年月日: 2012年11月19日(69歳没)
・出身地: 兵庫県加西市広原町
・血液型: A型
・職業: 歌手、漫才師
・活動期間: 1959年 – 2012年
・レーベル: 日本コロムビア
・共同作業者: 宮五郎、並木ひろし
・トリオ: ぴんからトリオ
・ 活動期間: 1963年 – 1973年
・ メンバー: 並木ひろし、宮史郎、宮五郎
・デュオ: ぴんから兄弟
・ 活動期間: 1973年 – 1983年
・ メンバー: 宮史郎、宮五郎
宮史郎の大ヒット曲は「女のみち」 【実は自主制作したレコードだった】
兵庫県加西市出身の宮史郎さんは、1959年、地元近くの繁華街だった姫路市のキャバレーで働きながら、自主制作で「男の花道」を発売するのですが…こちらはサッパリ売れず。
出典:https://www.youtube.com/
1961年には、拠点を大阪に移し、当時大流行していたボーイズ形態の音曲漫才「スパローボーイズ」を結成するも…やっぱりダメ。
そして1963年、実兄である宮五郎さん、並木ひろしさんと共に、音曲漫才「ぴんからトリオ」を結成するに至りました。
ちなみにグループ名の由来は、「ピンからトリを!」からきているのだとか。
出典:https://www.nikkansports.com/
それから約9年後の1972年、「ぴんからトリオ」が大阪梅田の演芸場「トップホットシアター」に出演していた時期のこと。
自主制作したレコード「女のみち」が、地道な営業が実って有線放送に流れ始めると、たちまち人気に火が点き、ヒットチャートを駆け上がっていったんですよね!
その後、なんと総計325.6万枚を売り上げ、あの昭和の伝説の大ヒット曲「およげ!たいやきくん」に次ぐ、オリコンシングルランキング歴代2位という空前の大ヒットを記録しています。
宮史郎のヒット曲「女のみち」の歌詞
せっかくなので、宮史郎さんが作詞したという、“これぞ昭和の女!”って感じの「女のみち」の歌詞を紹介しておきましょう。
出典:https://www.youtube.com/
私がささげた その人に
あなただけよと すがって泣いた
うぶな私が いけないの
二度としないわ 恋なんか
これが 女のみちならば
ぬれたひとみに またうかぶ
捨てたあなたの 面影が
どうしてこんなに いじめるの
二度と来ないで つらいから
これが 女のみちならば
暗い坂道 一筋に
行けば 心の灯がともる
きっとつかむわ 幸せを
二度とあかりを けさないで
これが 女のみちならば
引用:宮史郎とぴんからトリオ 女のみち 歌詞 – 歌ネット https://www.uta-net.com/
昭和チックなけなげな女心を、口ひげをたくわえた変な髪型のおっちゃんが、浪曲士のような味のあるだみ声で、こぶしをコロコロ転がして歌うという独特の歌唱法が大ウケしたんですよね。
ついでに、次の動画も宮史郎さんの「女のみち」をテーマにした動画なのですが、映像の選び方がとっても秀逸なのでネタとして見てみてください。ジワジワきますよ~。
ぴんから兄弟で思い出したが、「わ~たしが~捧げたぁ~♪」とか、殿様キングスの「あなた~のためにぃ~守りぃ~通したおんな~の操ぉ~♪」て子供の頃熱唱してたなぁ~。意味もわからずね。(笑)
— 桂猫丸 (@katuranekomaru) June 23, 2020
その後もヒット曲を連発する宮史郎
続いて発売した「女のねがい」が170万枚、「女のゆめ」が80万枚の大ヒットを記録したことを機に、「ぴんからトリオ」はそれまでの音曲漫才グループから、歌謡コーラスグループに移行。
出典:http://timerecords.jp/
同時期に人気を博していた「殿さまキングス」や「平和勝次とダークホース」などのグループ演歌が、昭和50年代前半までのブームとなりました。
1973年、「ぴんからトリオ」から並木ひろしさんが脱退。
グループ名を「ぴんから兄弟」に改名すると、「女のきず」「ひとり酒」「夢を抱く女」と…次々とヒット曲を連発していきました。
出典:https://blog.xuite.net/
その後約10年間に渡って、「ぴんから兄弟」として活動するのですが、1983年に解散。
以降は宮史郎さんがソロ歌手として活動し、実兄・宮五郎さんは芸能界を引退して史郎さんのマネージャーとなり、弟のサポート役に徹していたようです。
ソロ歌手として活動を始めた宮史郎さんは、1984年「片恋酒」が大ヒットを記録!
それ以降は、1988年に「いのち川」、1995年に「命のかぎり」、2000年に「酒場さすらい」といった感じでマイペースで新曲を発表していきました。
結局、2004年8月25日に発売した「悲しい意地」まで、ソロ歌手としては合計8曲の楽曲を発表しています。
出典:https://www.amazon.co.jp/
CMや映画にも出演して話題になった宮史郎
そんな宮史郎さんは、2004年には金鳥「虫よけグリーン」のCMで、虫に扮して「虫ごころ」を歌い、2005年には金鳥「おでかけカトリス」のCMで「おでかけ慕情」を歌って話題に。
今回、その動画が残っていないかとYouTubeを漁ってみたのですが、結局見つけることができませんでした…残念。
宮史郎さんの「虫ごころ」もう一度聴きたい。
— 彷徨える堕天使 (@melcom360) July 27, 2010
でも金鳥のHPには無いのよな。
その代わり…と言ってはアレですが、2010年に浜崎あゆみさんと共演したソフトバンクのCMが残っていたので貼っておきますね。
ついでに、CMのメイキング動画もありました。宮史郎さんの人の良さが垣間見られますよ~。
多くの識者がすでに言っていることだが、ソフトバンク新CMのキモは浜崎あゆみじゃなくて宮史郎だよね
— 殊能将之 (@m_shunou) October 13, 2010
宮史郎先生が…犬にどなりつけられている。。“@893bangaichi: 浜崎あゆみのソフトバンクCM。宮史郎(2年連続オリコン年間シングルチャート第1位の記録保持者)を引っ張ってきたところまではよかったが、いかんせん浜崎の衣装が残念。http://bit.ly/a9I4nc”
— デリ ヘル美 (deli hellme) (@deli_hell_me) October 18, 2010
宮史郎の取って付けたような髪型はかつら?
そんな宮史郎さんのトレードマークと言えば、鼻の下にたくわえた口ひげと…一風変わった髪型なんですよね。
出典:https://gensun.org/
耳まわりをスッキリカットすれば普通の七三なのですが、なぜか耳を完璧に隠しておられます。
そして、この宮史郎さんの髪型がまた不変なのです。長年に渡ってスタイルが変わらないばかりか、長さもほとんど変わりません。まさに取って付けたような髪型なんですよね。
そこで浮上したのが…宮史郎さんのかつら疑惑でした。
ここでは、撮影した年代が判明した画像をピックアップし、長期間に渡って少しずつ変わっていった、その微妙な髪型の変遷を追っていくとこで、宮史郎さんのかつら疑惑を検証してみます。
しかし、こうやってよくよく見ていくと…髪型の基本形こそ昔から変わっていませんが、ボリュームは年々減っていっているように感じられますな。
そして極めつきがこちら。
ほとんど同じ髪型で白髪になっているんですよね。
地毛の色に合わせてかつらを新調していった…とも考えられますが、かつてはトップスターだったとは言え、この年代の男性がそこまでするでしょうか…。
晩年は、若干ボリュームが増しているようにも見えるのですが、白髪になると髪質も変わるので、全体にふんわりとなった自然な仕上がりにも見えます。
従って、当記事の結論としては…
宮史郎さんの髪型はかつらではなかった。
と言うことで、(ふぁっ…)ふぁいなるあんさー!
宮史郎の死因とは? 【多くの病気を抱えていたとも…】
そんな宮史郎さんは、2012年10月17日頃に体調を崩され、翌11月3日には都内の病院に入院して療養に当たっていたのですが、約2週間後の2012年11月19日に永眠されました。
出典:https://ameblo.jp/
宮史郎さんの死因は“多臓器不全”とのこと。69歳でした。
数年前まで宮史郎さんと一緒に仕事をしていた関係者は、ここ数年の宮史郎さんは多くの病気を抱えていたことを明らかにし、次のように語っています。
「体の具合は、かなり悪いと聞いていた。年齢を重ね弱ってきたこともあり、体のあちこちが悪かったようです」
そして、宮史郎さんが亡くなった2012年の12月30日、宮史郎さんが生前に遺した歌謡界での功績が讃えられ、第54回日本レコード大賞特別功労賞が追贈されました。
出典:https://bareo.hatenablog.com/
まとめ
いかがでしたでしょうか。
大ヒット曲「女のみち」で、まさに歌謡界の一時代を築いたとも言われる宮史郎さんの経歴を振り返るとともに、髪型やかつら疑惑、2012年に死去した際の死因や病気の噂もまとめました。
出典:https://www.sponichi.co.jp/
宮史郎さんは、「女のみち」が大ヒットするまで大変な苦労をしてきた分、メジャーになってからもスタッフや周囲の人には常に温かく、誰からも好かれるような人だったと言います。
また、お酒が大好きで「身体を壊すから」と周囲の人達は心配したそうですが、結局、お酒が原因のトラブルはただの一度も起こすことはなかったと言います。
最後になりましたが、宮史郎さんのご冥福を心よりお祈りいたします。