2006年に起きた「東大阪集団リンチ殺人事件」の主犯・小林竜司ですが、残酷な殺害に至った彼の生い立ちや父母も話題です。
今回は事件の経緯、小林竜司と被害者との関係、父母との関係や生い立ち、死刑執行など現在を紹介します。
この記事の目次
東大阪集団リンチ殺人事件の主犯格・小林竜司とは
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2006年6月19日に発生した、東大阪集団暴行殺人事件、いわゆる集団リンチによる殺害事件。
この事件は、岡山県岡山市灘崎町(現在:岡山市南区)の山中で2人の被害者男性が加害者グループに集団リンチを受け、生き埋めにされて殺害された事件です。
事件の発端は恋愛関係のもつれで、被害者と加害者がお互いに集団で暴行する連鎖が続いたことが殺人事件に発展しました。
この集団リンチ殺人事件の主犯格とされているのが小林竜司で、当時無職の21歳です。
事件の発端となった人物は中学時代の同級生で、小林竜司本人の発端ではなかったものの加害者9名の中でも最も重い「死刑判決」が下されました。
事件当時、小林竜司は暴力団関係者ではないかという噂もありましたが、暴力団組織関係の人間ではありません。
この事件が発覚した際、被害者にも非があったことからネット上では「お互い悪い」という論調の意見が頻出しました。
そもそも、痴情のもつれで最初に暴行したのは、殺害された被害者側だったのです。
そして、被害者が暴力団の存在をチラつかせて金銭を要求したことも発覚しており、殺害された被害者側の行動にも非難が集まりました。
ここでは、この集団リンチ事件の概要はもちろん、主犯格である小林竜司の生い立ちや父母との関係、被害者との関係、死刑執行の件まで、詳しく紹介していきます。
小林竜司が起こした東大阪集団リンチ殺人事件の経緯や被害者との関係
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ここでは、「東大阪集団暴行殺人事件」と呼ばれる集団リンチ殺人事件を詳しく解説していきます。
複雑に人間関係が絡み合う事件なので、まずは殺害された被害者と集団リンチを犯した加害者グループそれぞれの名前を確認しましょう。
この事件で殺害された被害者は、藤本翔士、岩上哲也の2人。
殺人事件を起こした加害者は、小林竜司、徳満優多、佐藤勇樹、広畑智規などです。
それでは事件の概要を順を追って説明していきます。
事件の発端は恋愛関係のもつれ
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被害者の藤本翔士と加害者の徳満優多は、元々は同じサッカーサークルのメンバーで、仲の良い友人関係でした。
徳満がサークルである1人の女性と知り合い好意を抱きますが、この女性は藤本の彼女だったようです。
藤本の彼女と知りつつも、徳満は女性に交際を申し込む告白のメールを何度も送信し、猛烈なアプローチによって女性も徳満に傾き始めました。
その頃、藤本は彼女とうまくいっていないことを友人に相談し、彼女と親しくしている徳満に対して怒りの感情を持ち始めます。
徳満への怒りが我慢できなくなった藤本は、ついに徳満を呼び出して殴り合いのケンカを起こしました。
一対一のケンカで済めばよくある話ですが、この後2人はお互いの友人を巻き込み、グループでの暴力の連鎖が始まります。
友人を巻き込んで暴行の連鎖に
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再び藤本に呼び出された徳満は、友人である佐藤勇樹に一緒について来てもらうよう頼み、藤本に会いに行きました。
呼び出された場所に向かった徳満・佐藤を待ち受けていたのは、藤本を含む5人の男達だったのです。
リンチするつもりで人を集めて徳満を呼び出し、やって来た徳満・佐藤に暴行を加える藤本ら。
散々暴行を加えて動くこともできなくなった徳満・佐藤を車に乗せ、約5時間車に監禁して脅しをかけました。
この時、藤本側にいた5人の内の1人である岩上哲也が「逃げられると思うな。山口組系のヤクザを知ってるんだ、払わなかったら殺す」と脅し、50万円の金銭を要求しました。
解放された佐藤は東大阪市の布施警察署に被害届を出しましたが、散々暴行された上にヤクザの名前を出して金銭を要求してきた相手にどうすればいいのか、徳満と佐藤は困り果てました。
最終的に2人が頼ったのは、佐藤の中学時代の同級生・小林竜司と広畑智規でした。
友人に頼られた小林は「ヤクザなんて怖くない」と言い切り、藤本と岩上を誘い出して報復する意思を口にしました。
集団暴行殺人事件に発展
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報復を決めた小林達は、広畑が立てた具体的な計画に従って役割を決め、小林が人数を集めて報復計画を実行に移すこととなりました。
約束の50万円を払うという名目で藤本・岩上を呼び出し、事件現場となった岡山に誘い出します。この時、藤本と岩上の他に車を運転していた会社員の男もいました。
待ち合わせ後、隙を見計らって小林達が一斉に藤本達を取り囲み、そこからは一方的に暴行を加えるリンチ行為が始まりました。
小林達は暴行を加えるために武器を用意し、バット、金づち、鉄パイプなどを使用して藤本達を殴り続け、倒れようものなら数人で蹴り上げるという酷い暴力を与えます。
すでに瀕死状態だった藤本・岩上ですが、たまたま通りがかった通行人にリンチの現場を目撃されたため、2人を車のトランクに詰めて人目のない山中へと向かいました。
次の犯行現場は、最初のリンチ現場から5km離れた山中でした。岡山市と玉野市の境にある山間部で、小林竜司がかつて勤務していた会社の産業廃棄物処理場です。
小林竜司の土地勘があるこの場所で、加害者グループはさらに2人に暴行を加えました。
顔面は腫れ上がって原型を留めず、全身血まみれ。服は裂けてただの布になり、立つこともできない状態です。
報復を頼んだのは徳満と佐藤ですが、あまりの酷い状況に、このままでは本当に死んでしまうと不安を感じてきた頃、小林がついに決定打を打ちました。
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小林は現場に置いてあった建設機械で仲間に穴を掘るよう指示を出し、1.5メートル程掘った穴の横にすでに瀕死の藤本を立たせました。
そして、藤本の仲間で車の運転をしていた会社員に対し、警棒を使用して藤本を殴り、穴へと突き落とせと命令したのです。
藤本は必死に命乞いをしますが、無関係で連れてこられて自分の命も惜しい会社員は、藤本の背中を蹴って穴に突き落としました。
その上から小林の仲間が重機で土砂をかぶせていき、まだ生きている状態で藤本を生き埋めにしたのです。その後、完全に穴は埋められ、窒息で生きていることは不可能でした。
殺害したことを確信し、ここで一旦リンチは終了しました。
もう1人、瀕死状態で生かされていた岩上は車のトランクに詰め込まれ、小林竜司のマンションに連れて行かれます。
今後岩上をどうするか考え、闇金で借金をさせて金ヅルにする事も考えましたが、すでに1人を殺しているため「こいつも埋めるしかない」と殺害することを決定しました。
再び岩上を車のトランクに詰め込み、藤本を殺害した現場に戻ります。
藤本を生き埋めにした穴の近くにまた穴を掘り、藤本と同様に穴の中に突き落として生き埋めにしました。
解放された被害者の通報で事件発覚
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藤本、岩上を生き埋めにして殺害した後、小林竜司は藤本達の運転手を務めていた会社員の男は生かしていたものの、しばらくの間監禁していました。
警察に言わないと約束させられて解放された会社員でしたが、東大阪市の布施警察署に通報。
会社員の通報で事件が明るみになると、小林竜司は自首を選びました。
警察に出頭した後、2007年5月に大阪地裁で裁判が行われました。
裁判長は「2人の若い命を奪った結果は重大で、犯行に至る経過や態様もむごすぎる」と述べ、小林竜司に死刑判決を下しました。
2011年3月に最高裁判所が小林竜司の上告を棄却したことで死刑が確定し、主犯格として一番重い刑が言い渡されました。
その他、集団リンチ殺害事件に加担した加害者グループの判決は以下の通りです。
広畑智規は小林竜司と並ぶ主犯格として無期懲役。
徳満優多は懲役11年。
佐藤勇樹は懲役8年。
また、積極的に暴行を行ったとされる白銀資大が懲役20年、佐山大志に懲役7年の判決が下りました。
東大阪集団リンチ殺人事件の主犯格・小林竜司の生い立ち・父母とは
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むごすぎる集団リンチ殺害事件を起こした主犯格の小林竜司。
生きたまま土に埋める残虐な行為に、その人格を作り出した生い立ちに注目が集まりました。
小林竜司の生い立ちには、父母との確執があったとも言われています。
ここでは、小林竜司の生い立ちと父母との関係について記述していきます。
小林竜司の父母は、ギャンブル好きであることが分かっています。
常にギャンブルのために家を留守にするような父母で、小林竜司は弟の面倒を父母に代わって全て担っていたようです。
依存症とも言える中毒レベルのギャンブル好きな両親ですが、父親はさらに小林竜司に虐待を行なっていました。
虐待とギャンブル好きによる育児放棄、その中で弟の世話をする良い兄としての一面を持っていたのが小林竜司です。
母親もギャンブル依存症で家事育児はほとんどやってきませんでしたが、そんな母親でも小林竜司にとっては大切な存在でした。
父親と違って手を上げず、虐待はしない母親は小林竜司にとっては良い母親だったのかもしれません。
その証拠に、小林竜司は自首する直前に母親に「母さんの子で幸せでした」とメールを送っています。また、「長生きして」とも言っており、母親に対する愛情が深かったようです。
ギャンブル狂の両親の下で育った小林竜司ですが、弟や母親へは愛情を持っていたようです。
また、小林竜司は子供の頃イジメを受けていました。小学校の時にトイレに間に合わず漏らしてしまったことがイジメの発端で、小学校から中学校までそのイジメは続きました。
しかし、そんな悲惨な子供時代を過ごしてきた小林竜司にも友達ができます。それが、加害者グループの佐藤勇樹でした。
小林竜司と佐藤勇樹は中学の同級生で、仲が良かったと言われています。
両親はギャンブル依存症、子供時代にはイジメ。そんな生い立ちを持つ小林竜司にとって、自分と仲良くしてくれる友人の存在は大きかったのかもしれません。
佐藤勇樹から相談されたことがきっかけで集団リンチ殺害事件を起こしているのも、自分が大切に思う人間のために動いてあげたいという思いからだったのでしょう。
小林竜司の生い立ちを知ると、元々残虐な人格だったとは言いきれません。
父親からの虐待、両親のギャンブル好き、子供の頃のイジメを経験した上で大切な友人ができ、
その友人に頼られてこの事件を起こしてしまったようにも考えられます。
しかし、残酷な事件を起こした人物であることには変わりません。
2人の命を奪った結果、死刑という最も重い判決が下されました。
東大阪集団リンチ殺人事件の主犯格・小林竜司の現在~死刑執行はいつ?
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小林竜司は現在、死刑囚として収監されています。
死刑執行の時期は通常、判決確定後6ヶ月以内と定められています。
ただ、執行時期は様々な要因で6ヶ月を超えても執行されないケースもあり、2020年1月現在、大阪拘置所で死刑執行の日を待っています。
2020年内に死刑が執行されると考えられますが、死刑執行の日程は発表されないため、正確な日程は分かりません。
現在の小林竜司の様子についても、死刑囚なので公表される事がないため、本人からの言葉を聞くことはできません。
死刑執行される日まで何を考え、何を思い、どんな日々を過ごしているのでしょうか。
それが分かるのが、岡崎正尚の著書「慈悲と天秤 死刑囚・小林竜司との対話」です。
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収監されている小林竜司と文通、接見を通じて交流を続けてきた著者が、小林竜司の現在の心情を本にしました。
現在の小林竜司は罪を認めて深く後悔しているようで、被害者や被害者遺族にも申し訳ないと考えて死刑を受け入れようとしているのだと書かれています。
大切な友人のために犯罪を犯し、その友人に主犯として責任を背負わされることになった小林竜司。
友人に対する赤裸々な想いも記されており、現在の小林竜司を知ることができる作品です。
日本の死刑制度にも触れており、死刑適用基準の曖昧さや真実の贖罪とは何かについて書かれたノンフィクション作品となっています。
気になった方はぜひチェックしてみてください。
まとめ
東大阪集団リンチ殺人事件の主犯格として、死刑判決を受けた小林竜司について紹介しました。
まもなく死刑執行されると言われている小林竜司。
今後このような残酷な事件が起きないことを祈るばかりです。