映画プロデューサーで、倉田真由美さんの旦那さんの叶井俊太郎さんが、2024年2月にすい臓がんのため亡くなりました。
この記事では叶井俊太郎さんの身長や血液型、経歴、600人斬りの性豪エピソード、倉田真由美さんとの馴れ初めや結婚、子供、すい臓がん公表や死去などについてまとめました。
この記事の目次
- 叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)のプロフィール
- 叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)の身長は179cm
- 叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)の血液型
- 叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)の経歴① 高校時代から女の子と遊びまくる
- 叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)の経歴② 専門学校のラジオ放送学科へ
- 叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)の経歴③ ハワイに語学留学し女の子と遊びまくる
- 叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)の経歴④ ラジオ局ADを経て映画配給会社へ
- 叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)の経歴⑤ 「アメリ」の大ヒットで一躍有名に
- 叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)の経歴⑥ 映画会社を設立しカルト的作品を多数製作
- 叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)は600人斬りの性豪ぶりも話題に
- 叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)と倉田真由美の結婚
- 叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)と倉田真由美の馴れ初めは中村うさぎの紹介
- 叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)と倉田真由美の子供
- 叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)の現在① すい臓がんを公表
- 叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)の現在② すい臓がんのため死去
- まとめ
叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)のプロフィール
叶井俊太郎のプロフィール
生年月日:1967年9月18日
出身地 :東京都
身長 :179cm
血液型 :非公開
叶井俊太郎(かない・しゅんたろう)さんは、2001年公開のフランス映画「アメリ」を買い付けて興行収入16億円の大ヒットに導いた事などで知られる伝説的映画プロデューサーで、「だめんず・うぉ〜か〜」の作者である漫画家の倉田真由美さんの旦那さんとしても知られていました。
ここでは叶井俊太郎さんの経歴や、嫁の倉田真由美さんとの結婚や馴れ初め、子供、病気公表から亡くなった現在までをご紹介します。
叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)の身長は179cm
叶井俊太郎さんの身長は「179cm」と公表されていました。
『だめんずうぉ~か~』の漫画家倉田真由美と4度目の結婚。身長179cm 。
上の画像は身長174cmの梅宮辰夫さんと叶井俊太郎さんが並んで立っている写真です。叶井俊太郎さんの方が数cm身長が高いようなので、叶井俊太郎さんの身長が179cmというのは事実であったようです。
叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)の血液型
叶井俊太郎さんの血液型は非公表となっていました。
ちなみに、嫁の倉田真由美さんの血液型はO型です。
叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)の経歴① 高校時代から女の子と遊びまくる
出典:https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/
叶井俊太郎さんは中学時代は成績がオール1になるほど勉強ができませんでしたが、高校に行ったら1人暮らしをさせてやると両親が約束してくれたため、奮起して小学校3年生に戻って勉強をやり直し、「都立園芸高校」(偏差値43〜47)に進学しています。
ちなみに、叶井俊太郎さんが受験勉強を頑張った理由は、1人暮らしをして女の子とたくさん遊ぶためでした。高校時代には新島の民宿でアルバイトをし、そこで知り合った女の子約200人と関係を持ったそうです。
叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)の経歴② 専門学校のラジオ放送学科へ
叶井俊太郎さんは都立園芸高校を卒業後は、マスコミ系の専門学校のラジオ放送学科へと進学。この専門学校を選んだ理由は、女の子が多いであろう秘書科がある学校だったからでした。
叶井さんは都立園芸高校を出た後、マスコミに就職する専門学校に入った。選んだのはラジオ放送学科だったが、放送作家になりたかったから、その学校に進んだわけではない。進学の理由は「秘書科があったから」だ。
叶井俊太郎さんは後に600人以上の女性と関係を持ったとして「性豪」の異名で呼ばれるようになりましたが、学生の頃から無類の女好きでした。
叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)の経歴③ ハワイに語学留学し女の子と遊びまくる
叶井俊太郎さんは専門学校時代も女の子と遊びまくっていたため、20歳の誕生日に六本木のディスコでパーティーを開いた際に、当時同時に交際していた15人の女性が鉢合わせして修羅場と化し、叶井俊太郎さんはその場から逃亡。
その追求から逃れるためハワイに留学して語学学校に入学。現地の日系ラジオ局の番組「ココナッツ数珠つなぎ」に「DJうめ」の名前で週に1度パーソナリティとして出演するようになり、その立場を利用してビーチに出かけては「番組に出てよ」と若い女の子に声をかけて、ここでも女の子達と遊びまくったのでした。
この時にも約200人の女性と関係を持ったと叶井俊太郎さんは豪語されていました。
叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)の経歴④ ラジオ局ADを経て映画配給会社へ
ハワイへの語学留学から1990年に帰国した叶井俊太郎さんは、知人の紹介で某ラジオ局にADとして入社。
このラジオ局AD時代にタイアップ試写会を担当して映画配給会社について知って興味を持ち、1年後の1991年に洋画配給会社「ニューセレクト」に転職。4年目の1994年にグループ会社の「アルバトロス株式会社(アルバトロス・フィルム)」に異動になったのをきっかけにバイヤー兼宣伝担当になります。
叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)の経歴⑤ 「アメリ」の大ヒットで一躍有名に
叶井俊太郎さんはアルバトロス株式会社では、主にB級やC級の映画をホラーから恋愛ものまで幅広く買い付け宣伝する業務に従事していましたが、ある時にフランス映画「アメリ」をゲロゲロのホラー映画と勘違いして買い付けます。
苦難の末に「アメリ」を公開にこぎ着けると、これが空前の大ヒットとなって興行収入16億円を記録し、一躍映画業界の有名人となりました。
叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)の経歴⑥ 映画会社を設立しカルト的作品を多数製作
叶井俊太郎さんは、アルバトロス・フィルムを退職後、2004年(正確には2003年12月)に独立して小西啓介さんとともに「ファントム・フィルム」を設立して代表取締役に就任します。
しかしわずか1年後の2005年に小西啓介さんと袂を分かって叶井俊太郎さんは代表を退き退社。次いで、大橋孝史さん(あのジョリー・ロジャーを設立した人)と共に「トルネード・フィルム」を設立し、代表取締役社長に就任します。
しかし、経営がうまくいかずに2008年に大赤字を出し、その責任をとって社長から取締役に降格しています。ただ、この間、叶井俊太郎さんは「いかレスラー」、「ヅラ刑事」、「コアラ課長」、「日本以外全部沈没」、「ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発」などの斬新かつ尖った作品を果敢に製作・配給しカルト的な支持を得ました。
2009年に社長に復帰したものの、あまりにも製作・配給する映画が尖りすぎていた事とインディーズ系の映画会社が次々と破綻する厳しい流れの中で経営が傾き「トルネード・フィルム」は2010年4月1日付で東京地裁に破産申請して破綻。負債総額は3億円でした。
その後、叶井俊太郎さんは色々な映画関係の会社を渡り歩いてプロデューサー業や、ウェブメディアを中心にコラムニストとして活動。2018年6月当時所属していた映画配給会社「レスペ」を映画事業撤退に伴い退社し、以降はフリーランスで活動されていました。
叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)は600人斬りの性豪ぶりも話題に
出典:https://m.media-amazon.com/
「アメリ」を発掘した伝説的映画プロデューサーである叶井俊太郎さんですが、600人以上もの女性と関係を持った「性豪」としても話題になっていました。
叶井俊太郎さんは、「日刊ゲンダイDIGITAL」や「cyzowoman」などのウェブメディアで自身の女性関係を面白おかしく綴ったコラム記事を発表しており、その600人斬りの「性豪」ぶりはよく知られています。
2010年には、叶井俊太郎さんは嫁の倉田真由美さんと共著でその生い立ちや女遊びの数々を面白おかしく赤裸々に綴った「ダメになってもだいじょうぶ―600人とSEXして4回結婚して破産してわかること」を発表しこれも話題になりました。
ちなみに、叶井俊太郎さんは「日刊ゲンダイDIGITAL」の連載「千人斬り男に学ぶセールスの極意」では、600人どころではなく15歳から42歳までの間に1000人近くの女性と関係を持った事を明かしています。
叶井さんは15歳から42歳までの間に1000人近くの女性と寝た。
ちなみに、叶井俊太郎さんは倉田真由美さんと結婚し子供が生まれた後は女遊びはしていなかったようです。
倉田は、600人斬りの性豪キャラが話題になった叶井俊太郎氏との結婚・出産が話題になったが、現在は家族水入らずで仲むつまじく暮らしているという「だめんず・うぉ~か~」の人気漫画家。
叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)と倉田真由美の結婚
叶井俊太郎さんは、2009年9月に「だめんず・うぉ〜か〜」などの作品で知られる人気漫画家の倉田真由美さんと結婚されています。
倉田真由美さんは結婚の2ヶ月前の7月に、連載中のエッセイの中で未婚のまま第2子(倉田真由美さんは前夫との間に子供が1人いた)を妊娠した事を告白しており、この時には子供の父親が叶井俊太郎さんである事も明かされています。
第2子の父親は映画配給会社トルネード・フィルムの叶井(かない)俊太郎氏(41)。「アメリ」の買い付けや「いかレスラー」の企画で映画業界では有名人。倉田さん自身はバツイチで子どもが1人いるが、叶井さんはバツ3で数百人の女性経験があるという。
その後、9月に倉田真由美さんは叶井俊太郎さんと正式に結婚した事を発表しました。
この時には、叶井俊太郎さんに3度の離婚歴があり、倉田真由美さんから400万円の借金をしている事など、倉田真由美さんの代表作「だめんず・うぉ〜か〜」にかけてその「だめんず」ぶりが話題にされていました。
倉田真由美さんは「だめんず・うぉ〜か〜」で、ダメな男(=だめんず)ばかりを好きになってしまう自分の恋愛体験談を紹介していますが、この叶井俊介さんとの結婚も、また倉田真由美さんがだめんずと結婚したのかと話題にされたのでした。
しかし、倉田真由美さんは「私が最後の女と言ってくれているので心配していない」、「最後の人でいい。健康で長生きでいて欲しいと素で思える人」と叶井俊太郎さんへの想いを明かされていました。
今年7月に未婚での妊娠を発表していた倉田は、“バツ3”で自身から400万円の借金をしている叶井氏と、今月18日に夫婦になったことを発表。ダメ男(だめんず)ばかり好きになる女性を描く漫画『だめんず・うぉ~か~』の作者でもある倉田は「私が最後の女と言ってくれてるし、心配してない」と周囲からの「夫=だめんず」の声を一蹴し、幸せオーラを振りまいた。
倉田真由美さんの言葉の通り、叶井俊太郎さんは結婚後は浮気も女遊びをする事なく、倉田真由美さんと生まれてきた子供を大切にされていたようです。
叶井俊太郎は倉田真由美との結婚後、前妻に損害賠償訴訟を起こされ敗訴
出典:https://contents.oricon.co.jp/
叶井俊太郎さんと倉田真由美さんが結婚を発表してから約半年後の2010年5月に、「週刊文春」が、倉田真由美さんと叶井俊太郎さんが、叶井俊太郎さんの前の嫁に、2人の結婚は倉田真由美さんによる略奪婚だとして損害賠償を求める訴訟を起こされている事を報じました。
文春の記事では、叶井俊太郎さんと前の嫁は2009年3月13日に離婚しているもののこれは形式的な離婚だったと前嫁が主張している事が明かされました。
当時、叶井俊太郎さんが経営していた「トルネード・フィルム」が倒産しかけていて債権者の取り立てで迷惑をかけるとして叶井俊太郎さんが「落ち着いたら復縁しよう」と形式的な離婚を持ちかけられ、前嫁はこの言葉を信じて離婚に応じたそうです。
ところが、この離婚時に、すでに倉田真由美さんが叶井俊太郎さんの子供を妊娠していた事がわかり、前嫁は精神的な苦痛を受けたとして、2009年11月30日に叶井俊太郎さんに1500万円、倉田真由美さんに500万円の損害賠償を求める訴訟を起こしました。
倉田真由美さんは叶井俊太郎さんの前嫁の示した証拠は捏造されたものだと主張して「略奪婚というのは事実無根」だとして裁判で全面的に争う姿勢を示しました。
しかし、東京地裁では150万円の賠償金の支払いを命じる判決で敗訴。倉田真由美さんは判決を不服として控訴するも、東京高裁はさらに50万円を上乗せした200万円の支払いを命じる判決を下すという完全敗訴という形になっています。
今年5月に東京地裁が下した判決は、150万円を払えというもの。これに納得がいかない倉田氏は、控訴して争っていたが、9月14日に高裁が下したのは、不貞行為を認定したうえで、さらに50万円上乗せの「200万円」の支払いを命じるという、まさに〝ヤブヘビ〟判決だった。
叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)と倉田真由美の馴れ初めは中村うさぎの紹介
出典:https://livedoor.blogimg.jp/
叶井俊太郎さんと倉田真由美さんの馴れ初めは、2人の共通の知人で、エッセイストで小説家の中村うさぎさんの紹介だったそうです。
ネット上では、2人が映画関係のパーティで中村うさぎさんに紹介されたのが馴れ初めとの情報が出回っていますが、倉田真由美さん本人が3人で食事をしたと書いているのでパーティ会場で知り合ったというのは誤情報の可能性が高そうです。
2人の馴れ初めは「友人の(作家)中村うさぎが、紹介してくれて3人でご飯を食べた」こと。3か月後に交際をスタートさせ、約半年の交際を経て入籍となった。
また、叶井俊太郎さんの方も、中村うさぎさんから「これからくらたま(倉田真由美さんの愛称)を連れていく」と言われて連れてきてくれたのが馴れ初めと語っています。
――エッセイストで小説家の中村うさぎさんは、叶井さんが倉田さんと出会うきっかけをつくってくれた方だそうですね。
叶井:はい。くらたまを紹介してくれたのはうさぎさんです。食事の時に、これからくらたまを連れていくからと言われて、対面したのがきっかけ。だから、うさぎさんには感謝していますね。
引用:「末期がんはパワーワード」叶井俊太郎、最後に語る家族や仕事、書籍への思い「くらたまのあとがきは笑えない。だけど、良い文だよね」
叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)と倉田真由美の子供
叶井俊太郎さんと嫁の倉田真由美さんとの間には1人の子供が生まれています。
叶井俊太郎さんと倉田真由美さんの間に生まれた子供は女の子で、2009年11月に誕生しています。
また、倉田真由美さんの連れ子である長男がおり、結婚した当時小学4年生でした。
映画プロデューサーの叶井俊太郎さん(52才)は2009年9月、「くらたま」の愛称でおなじみの漫画家・倉田真由美さん(48才)と結婚。同年11月に長女が誕生した。
叶井さんはバツ3で、バツ1の倉田さんには小4の息子がいた。
叶井俊太郎と倉田真由美の子供は長女の「ココ」さん
叶井俊太郎さんと倉田真由美さんの子供は、娘さんの「ココ」さんです。この「ココ」というのは愛称なのか本名なのか不明ですが、叶井俊太郎さんは子育てに関するコラム記事で娘さんを「ココ」と呼んでいました。
叶井俊太郎さんは子供に対してかなり教育熱心だったようで、娘のココさんは幼少期から英会話、バドミントン、工作教室、科学実験教室、バレエなどたくさんの習い事をしています。このうち、バドミントンは中学に進学した後も続けられていました。
叶井俊太郎さんは当初は中学受験も考えていたようでしたが、本人の意思を尊重して受験はやめ、ココさんは2022年4月に目黒区内の公立中学校へと進学されているようです。
叶井俊太郎と倉田真由美の連れ子の関係
叶井俊太郎さんは倉田真由美さんの連れ子である長男に対してもとても熱心に接し、倉田真由美さんの福岡県の実家から東京へ引っ越してきた長男が学校でいじめられた際には、強くしてやろうと空手を習わせ、塾や英語のレッスン、美容院や服装のコーディネートまでしたのだそうです。
しかし、それから1年も経たないうちに長男は「福岡に帰りたい」と泣きながら訴えたそうで、叶井俊太郎さんは小学校だけでも東京で卒業したらどうか?と提案したそうなのですが、長男の気持ちは変わらずに5年生に上がるタイミングで福岡県へ戻らせたそうです。
それからは長男とは会っていなかったそうですが、電話で1年に1度くらい話をしていたそうです。
長男はその後成長し、早稲田大学を卒業したとの噂がありますが真偽不明です。
叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)の現在① すい臓がんを公表
倉田真由美さんと結婚し子供にも恵まれて幸せな家族を築いていた叶井俊太郎さんでしたが、2023年10月11日、嫁の倉田真由美さんが自身のXで、叶井俊太郎さんが末期のすい臓がんを患い闘病している事を明かしました。
私の夫はすい臓がんを患っています。…
— 倉田真由美 (@kuratamagohan) October 11, 2023
倉田真由美さんによると、すい臓がんの診断を受けたのは2022年で、医師からは「悪ければ半年、長くても一年」との宣告を受けたそうです。
「悪ければ半年、長くても一年」
— 倉田真由美 (@kuratamagohan) October 11, 2023
そう言われて一年以上が過ぎました。夫は今日も会社行っています。
叶井俊太郎さんは当時出版やメディアを手掛ける「株式会社サイゾー」に籍を置き、同社の映画配給レーベルで宣伝プロデューサーを務めていました。すい臓がんであると判明してからも、闘病をしながら変わらず出社し仕事をされていたという事です。
出典:https://m.media-amazon.com/
叶井俊太郎さんは2023年10月30日には、「エンドロール! 末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の〝余命半年〟論」と題し、15人の旧友、知人、有識者と対談をするという、人生の締めくくりを宣言するかのような書籍も発表し話題となりました。
出典:https://www.nikkansports.com/
叶井俊太郎さんは病気により30kgほど体重が減ってしまったとの事で、2023年12月に開催した「第1回東京国際叶井俊太郎映画祭」のトークショーでは痩せ細った姿を見せていました。
叶井俊太郎(倉田真由美の旦那)の現在② すい臓がんのため死去
出典:https://news.goo.ne.jp/
懸命に病と闘っていた叶井俊太郎さんですが、2024年2月16日に都内の自宅で亡くなりました。まだ56歳という若さでした。
叶井俊太郎さんは2022年6月にステージ3で余命半年と告げられてから、「副作用はいや」という理由から抗がん剤は受けず1回に数百万円ほどかかるという高額な免疫治療を受けながら仕事を続け、余命を大きく超える1年8カ月ほど生きました。
2024年の年明けからは仕事には行かず、自宅で介護ベッドで過ごすようになり「痛いのはイヤだから早く死にてぇんだよ」などと話していたといいます。
倉田真由美さんは2月27日にXで夫の死去を報告し、「いい思い出しかありません。最高の父ちゃんでした」などと綴りました。
2月16日夜、夫が永眠しました。
— 倉田真由美 (@kuratamagohan) February 27, 2024
私の見ている目の前で、最期の息を引きとりました。その後は何度も、何度も何度も「父ちゃん!父ちゃん!」と声をかけましたが戻ってくることはありませんでした。…
倉田真由美さんは2009年に結婚してから15年間叶井俊太郎さんと連れ添いましたが、叶井俊太郎さんの死後、インタビューで、夫婦ゲンカはしたことがなく最期まで仲が良かったと明かしていました。
また、倉田真由美さんは叶井俊太郎さんの生前から夫の闘病生活の様子をユーモアを交えながら漫画で発信しており、亡くなってからも夫への思いをXなどで発信しています。
倉田真由美さんの漫画や投稿からは、叶井俊太郎さんがいかに倉田さんに支えられていたかがうかがえます。
夫のことは、病気が判明してからざっくりした日記に残してあります。写真とも動画ともまた違う、その時の様子を思い出させてくれる大切な記録です。https://t.co/h1bJ5WhsrK
— 倉田真由美 (@kuratamagohan) March 6, 2024
まとめ
今回は、2001年に大ヒットしたフランス映画「アメリ」を発掘した事や、600人斬りの性豪エピソードで知られた映画プロデューサー、コラムニストの叶井俊太郎さんについてまとめてみました。
叶井俊太郎さんの身長は179cm、血液型は非公開となっていました。
叶井俊太郎さんの経歴は、東京都立園芸高校を卒業後、マスコミ系の専門学校のラジオ放送科で学び、ハワイへの語学留学を経て、某ラジオ局にADとして勤務。その後、映画配給会社に転職して、洋画の買い付けや宣伝業務に従事しました。
2001年に「アメリ」を大ヒットさせて一躍映画界でその名が知られるになり、2004年に独立して「ファントム・フィルム」を設立して代表取締役に就任。しかし1年で退社し、2005年に新たに「トルネード・フィルム」を設立しました。数々のカルト的人気を生むB級映画を世に出すも、この会社は2010年に倒産しています。
私生活では、2009年に漫画家の倉田真由美さんと結婚し、子供が1人誕生しています。
叶井俊太郎さんは2023年10月にすい臓がんを告白し、2024年2月に56歳という若さでこの世を去りました。倉田真由美さんとの夫婦仲は最期まで良好で、倉田さんに支えられながら闘病生活を送っていたようです。叶井俊太郎さんのご冥福をお祈りいたします。