エド・ゲインの生い立ち&母親と兄など家族!資産や事件・死因と最期・本物の作品・名言や映画も総まとめ

アメリカの犯罪史を代表する猟奇殺人鬼のエド・ゲインが話題です。

 

この記事ではエド・ゲインの事件やその原因となった生い立ち、母親など家族、残された資産、裁判の判決や最期の日々と死因、彼の残した”作品”の本物、名言やエド・ゲインをテーマにした映画などについてまとめました。 

 

エド・ゲインはアメリカ犯罪史を代表する猟奇殺人鬼

 

出典:https://cdn.britannica.com/

 

エド・ゲイン(エドワード・スィアドア・ゲイン、Edward Theodore Gein)は、アメリカ犯罪史を代表する猟奇殺人鬼です。

 

 

エド・ゲインのプロフィール

 

生年月日:1906年8月27日

出身地 :アメリカウィスコンシン州ラ・クロス郡

 

エド・ゲインは、1954年から1957年にかけて、アメリカ合衆国ウィスコンシン州プレイン・フィールドで、少なくとも2人の女性を殺害し、さらに、墓に埋葬された遺体を掘り返して少なくとも9体を盗み、それらの死体を解体し、それを材料に家具や衣服などを作るという猟奇的な犯罪を犯しました。

 

こうした猟奇的な犯行内容から、エド・ゲインは「プレイン・フィールドの屠殺解体職人(The Butcher of Plainfield)」などの異名で呼ばれています。

 

また、エド・ゲインは遺体の一部を食べていた疑いも持たれています。

 

今回はこのエド・ゲインの起こした事件や、その事件を起こす原因となったと見られているその生い立ちや家族、母親による異常な教育、彼が死体から作り出した「作品」などについてまとめていきます。

 

 

 

エド・ゲインの起こした事件① 金物店の女主人を殺害しバラバラに解体

 

エド・ゲインに殺害されたバーニス・ウォーデン

 

最初に、エド・ゲインが起こした一連の猟奇事件を発覚した順に見ていきます。

 

エド・ゲインの猟奇的な犯行の数々が発覚するきっかけになったのは、1957年11月16日に、エド・ゲインの住む、ウィスコンシン州中部のウォーシェラ郡に所在する村落・プレインフィールドの金物店の女性店主のバーニス・ウォーデン(Bernice Worden)が失踪した事でした。

 

その日はちょうど、鹿狩りが解禁された初日で、バーニスの息子で群の副保安官であったフランク・ワーデン(Frank Worden))も鹿狩りに参加していました。フランクが夕方に帰宅すると、なぜか店と自宅の鍵は閉められており、母のバニースの姿も見えませんでした。

 

フランクが近所の住人に何か知らないかと話を聞いたところ、午前9時犯頃にこの店の配達用のワゴン車(貨物自動車)が走り去って行ったとの目撃情報がありました。しかし、その日は配達の予定などは特になくフランクは不審を抱きます。

 

さらに、店の中の様子を確認したところ、金庫の鍵が開けられて場所も動かされており、床には血溜まりができていました。フランクはただちに保安官のアート・シュリー(Art Schley)に通報。

 

保安官が店舗を調べたところ、店に置かれていた猟銃のうち、1丁だけが逆さまに置かれており、それを調べたところ、弾丸が発射されてから間もない状態である事が判明します。

 

保安官に犯人の心当たりがないかと尋ねられたフランクは、前日に近くに住むエド・ゲインが、店に不凍液を買いに訪れ、その時にバーニスを遊びに誘ったが断られており、その後自分に明日の予定を聞いてきた事を話しました。

 

こうして、エド・ゲインが事件の容疑者とされ、その日の夕方に、ウエスト・プレインフィールドの食料雑貨店にいるところを逮捕されています。

 

そして、郡の保安局がエド・ゲインの農場を捜索したところ、敷地内の小屋から頭部を切り落とされ、身体もバラバラに切断されたバーニスの遺体が見つかりました。

 

バーニスのバラバラにされた遺体は、狩りで獲った鹿を解体して血抜きをするのと同じ要領で吊るされ、あたかも食料にするためのように”下ごしらえ”がされていたそうです。

 

その後の調べで、エド・ゲインは、バーニスを22口径の銃器で撃って殺害した後、店の貨物自動車に乗せて運び、その後、自分の自動車に移した後に小屋に運びこんで解体した事を供述しています。

 

 

 

エド・ゲインの起こした事件② 自宅から大量の人骨や遺体を加工した家具などの”作品”が発見される

 

出典:https://i1.wp.com/www.the-sun.com/

 

バーニスの遺体が発見された後、保安局の保安官らは、エド・ゲインの農場をさらに捜索し、自宅屋敷内から、大量の人骨と、皮や骨などの遺体の一部を加工して作られた家具や衣服などが発見されました。

 

エド・ゲインの自宅内から発見された”作品”は、家具としては、人間の皮膚を伸ばして作られたゴミ箱や、皮膚が貼り付けられた椅子、頭蓋骨を加工したボウル、人間の顔面の皮膚から作られたランプシェイドなどでした。

 

さらに、女性の乳房のついたチョッキ、女性の乳首から作られたベルト、人間の脚の皮膚から作られた脛当て、女性の頭部の皮膚から作られた仮面なども見つかり、また、”作品”に加工されていない、頭蓋骨や指や爪、切り取られた鼻などの遺体の一部なども大量に発見されています。

 

このおぞましい”作品”を見た、保安官のアート・シュリーは、ショックのあまり思わずソファーに倒れ込みますが、その時にソファーの感触がおかしい事に気がつき、その下から切断された人間の頭部5〜6個を発見しています。この切断された頭部の中には、その日に殺害されたバーニスのものも含まれていました。

 

これら”作品”の材料として使用された遺体のほとんどは、エド・ゲインが地元の3箇所の墓地を夜間に訪れて、墓を暴いて盗み出したものだった事が後に判明しています。

 

 

 

エド・ゲインの起こした事件③ 行方不明になっていた居酒屋の女主人の殺害も判明

 

エド・ゲインに殺害されたメアリー・ホーガン

 

エド・ゲインは、何年にもわたる取り調べを受け、州立犯罪研究所に移され尋問をされた時に、1954年から失踪して行方不明になっていた居酒屋の女性店主・メアリー・ホーガン(Mary Hogan)を銃で撃って殺害した事を認めています。

 

ただ、エド・ゲインはメアリーの殺害は認めたものの、その事件の詳細については何も語りませんでした。

 

この2件の殺人事件の他にも、1953年に失踪したままのベビーシッターのエヴリン・ハートリー(Evelyn Hartley)の事件をはじめとし、ラ・クロス郡で発生した複数の未解決事件に、エド・ゲインが関わっていた可能性が疑われています。

 

 

 

エド・ゲインの生い立ちと家族① 父親はアルコール依存で母親と兄弟に暴力

 

エド・ゲインの父・ジョージの墓

 

エド・ゲインがあまりにおぞましい事件を起こした背景には、その生い立ちと家族が関係しているとも見られています。ここからは、エド・ゲインの生い立ちや家族について見ていきます。

 

エド・ゲインは、1906年8月27日に、アメリカ・ウィスコンシン州のラ・クロス群で生まれました。父親のジョージ・フィリップ・ゲイン(George Philip Gein)は、大工やなめし革職人、保険勧誘員など様々な仕事をしていましたが、どの職場も長続きせず、アルコール依存症で妻(エド・ゲインの母親)やエド・ゲインや兄のヘンリーに暴力を振るう事もありました。

 

エド・ゲインが生まれた時、家族は地元で食料雑貨店を経営していましたが、1914年にこれを売却して、プレイン・フィールドという村にある155エーカー(約63万平方メートル)の農場を買い取って家族で移住しています。

 

エド・ゲインの父親のジョージは、エド・ゲインが34歳だった1940年4月1日にアルコール依存症が原因の心不全で66歳で死去しています。

 

 

 

エド・ゲインの生い立ちと家族② 母親のオーガスタはプロテスタント信者で兄弟に異常な教育を施した

 

エド・ゲインの母親のオーガスタ

 

エド・ゲインの母親、オーガスタ・ヴィルヘミーネ(Augusta Wilhelmine)は、プロイセン系の移民の家系の出身で旧姓はレアケ(Lehrke)といい、聖書に書かれている事のみを重要視するルター派の熱心なプロテスタント信者でした。

 

そうした宗教思想を持つ母親のオーガスタは、アルコール以前で自身や子供らに暴力を振るう夫のジョージを憎悪して軽蔑し、エド・ゲインと兄のヘンリーに対しても「父のようにはなるな」、「ジョージなど死んでしまえばいい」などと言い聞かせていました。

 

さらに、この母親のオーガスタは、隔絶された田舎の農場という場所を利用して、エド・ゲインとその兄のヘンリーを世間から遠ざけて育て、息子らが学校などで友人を作ることも厳しく禁じました。

 

母親のオーガスタは、エド・ゲインと兄のヘンリーを、そうした閉鎖的な環境の中に置いただけでなく、毎晩、2人に聖書の終末的な部分(死や殺人、神罰)の節を選んで読み聞かせました。

 

そして、母親のオーガスタはエド・ゲインとヘンリーに、「人間は生まれながらに邪悪」、「飲酒は悪徳行為」、「自分を除いた全ての女性は淫乱で悪魔の手先」などと言い聞かせていました。

 

エド・ゲインの一連の猟奇的な犯罪は、この母親による異常な教育が与えた影響も大きいと見られています。

 

 

 

エド・ゲインの生い立ちと家族③ 兄・ヘンリーは母親の異常性に気づくが火災で不審死

 

エド・ゲインの兄のヘンリー・ジョージ・ゲイン

 

エド・ゲインの5歳年上の兄のヘンリー・ジョージ・ゲイン(Henry George Gein)は、父親の死後に2人の子供のいる離婚歴のある女性と交際するようになり、この女性と農場を出て移住する計画を立てていました。

 

兄のヘンリーはこの女性と交際したのをきっかけに、母親のオーガスタの異常性に気がついており、弟のエド・ゲインの事も気にかけて、母親がおかしい事を伝えようとしていました。

 

ただ、エド・ゲインは母親を信仰しきっており、兄からのこうした忠告は苦痛以外の何ものでもなかったようです。

 

そして、1944年5月16日、ヘンリーはエド・ゲインと農場敷地内の草木を焼き払う作業の最中に、火災を起こして消防隊が出動する事態となります。

 

火災はその日のうちに鎮火されましたが、消防隊が撤収した後、エド・ゲインから保安局へ「兄が行方不明になった」との通報が入りました。

 

捜索隊により、ヘンリーは農場の敷地内でうつ伏せで倒れて死亡した状態で発見されます。警察は彼の死因を「火災による窒息」と断定し、保安局も事故死として受理しています。

 

しかし後に、この兄・ヘンリーの死因は、エド・ゲインに殺害された事ではないかとの疑いも浮上しています。

 

兄・ヘンリーの死の真相については未だ謎が多いとされています。

 

 

 

エド・ゲインの生い立ちと家族④ 母親の死後猟奇的犯行を繰り返した

 

この兄・ヘンリーの死から約5年後の1949年12月29日、母親のオーガスタは67歳で死去しています。死因は脳卒中でした。

 

エド・ゲインは母親の死後、その自室を聖域として封印しています。エド・ゲインはこの母親の死後に猟奇的な犯行を繰り返したと見られていますが、母親を神格化して崇拝していた事が、一連の犯行には深く関係していると見られています。

 

 

 

エド・ゲインの裁判の判決は精神異常を理由に実質無罪

 

出典:https://lh3.googleusercontent.com/

 

一連の猟奇的な犯行で逮捕されたエド・ゲインは、「第一級殺人」で告訴されますが、エド・ゲインの弁護側は精神異常を理由に無罪を主張。

 

精神病犯罪者用州立中央病院に移送されたエド・ゲインは検査を受け、医師団は「エド・ゲインは統合失調症であり、裁判に出廷する能力ない」との判断を下しました。

 

その後、エド・ゲインは統合失調症の治療の為、マディソン郡のメンドータ州立病院へと移送されています。それから約10年後の1968年、エド・ゲインの担当医師が回復を確認したことを受けて、同年11月14日に改めて裁判が開始されています。

 

この裁判で、エド・ゲインは第一級殺人での有罪判決を受けますが、同時に精神病も認定され、「州立病院への無期入院」という決定が下されました。

 

エド・ゲインは精神異常を理由に実質的に「無罪」という判決が下された事になります。

 

 

 

エド・ゲインの資産の多くは逮捕後に火災で消失

 

出典:https://external-preview.redd.it/

 

エド・ゲインは、父親ら家族の死後、広大な農場とその敷地に建つ大きな屋敷を資産として保有していました。

 

エド・ゲインが家族から継承した時、この農場の敷地は275エーカーと広大でかなりの資産価値がありましたが、エド・ゲインはこれを少しずつ切り売りしながら生計を立てていたため、逮捕時には160エーカーにまで目減りしていました。

 

エド・ゲインの逮捕後、これらの資産は競売にかけられる事が決まり、「4700ドル(現在の価値にして4万2000ドル相当)」の資産価値が認定されています。

 

ところが、競売にかけられる直前の1958年3月20日、屋敷で火災が発生して全焼してしまいます。これは、競売で売却された金額がそのままエド・ゲインの資産になる事に納得がいかない、地域の住人による放火の可能性も疑われましたが、住人らの心情が考慮された部分もあったのか、それ以上の追求は行われず、単なる火災として処理されています。

 

その後、エド・ゲインの残された資産として、事件にも使用された自動車(フォードのセダンタイプ)が競売にかけられ、760ドル(現在の価値で約6700ドル相当)で落札されています。

 

このエド・ゲインの自動車はその後、「エド・ゲインの人食い車」(Ed Gein’s Ghoul Car)として、見物料25セント見せ物にされています。ただ、この見せ物興業は各地で抗議を受けて反対運動なども起き、イリノイ州を最後に消息不明となりました。

 

 

 

エド・ゲインの最期の日々は穏やかなものだった

 

エド・ゲインは裁判で精神病院への無期入院が決まり、メンドータ州立病院でその最期の時を過ごしています。

 

エド・ゲインの最期の日々は、おぞましい猟奇的犯罪を起こした犯人とはとても信じられないような穏やかなものだったという事です。

 

この病院での最期の日々、エド・ゲインは温厚な模範囚となり、職員や他の患者らとも打ち解けて、リトル・エディ(Little Eddy)という愛称まで付けられていたそうです。

 

のんびりと日向ぼっこをしながら、他の人々と話をする姿は、とても猟奇殺人鬼とは思えなかったようです。エド・ゲインはこの逮捕によって、母親の呪縛から解き放たれたのだろうという見方もあるようです。

 

 

 

エド・ゲインの死因は呼吸不全(Respiratory Failure)とされている

 

出典:https://upload.wikimedia.org/

 

エド・ゲインは収容されていたメンドータ州立病院(1974年にメンドータ精神衛生研究所に再編)で、1984年7月26日に77歳で死亡しています。死因は呼吸不全とだけ発表されています。

 

エド・ゲインはプレイン・フィールド墓地に埋葬されましたが、一部のコレクターにより墓石が削り取られ、2000年には墓石自体が盗難に遭っています。

 

 

 

エド・ゲインが作った死体家具などの作品の本物は現存していないとされている

 

出典:https://media.doanhnghiepvn.vn/

 

その死後に墓石が盗まれるなど、エド・ゲインには狂信的なコレクターが存在しています。

 

そうしたコレクターらは、彼が一連の犯行で生み出した家具などの”作品”の本物を探し求めていると言われています。

 

ただ、エド・ゲインの自宅で発見された遺体を使った家具などの”作品”は、州立犯罪研究所が写真に記録した後、「礼儀正しく処分した」と発表されており、既に本物は存在しないとされています。

 

 

 

エド・ゲインの名言

 

出典:https://encrypted-tbn0.gstatic.com/

 

一部から、カルト的な信仰を集めているエド・ゲインは、その名言もネット上で話題にされています。

 

ネットで紹介されているエド・ゲインの名言としては以下のようなものがあります。

 

「彼女はいなくなってなんかいないよ。いまもうちにいるよ」

「もし手の中に鳥がいたら、よっぽど気をつけない限り握りつぶしちゃうよ」

「シカをさばいていたんだよ」

 

上の名言のうち、「彼女はいなくなってなんかいない、今もうちにいる」というものは、エド・ゲインが殺害していた事が後に発覚する居酒屋の女主人のメアリー・ホーガンの失踪が地元で話題になっていた際、この話を振られたエド・ゲインが放った一言です。

 

この言葉を聞いた人物は、普段は真面目なエド・ゲインがジョークを言ったのだと驚いたそうですが、実際にはジョークでもなんでもなく、本当にメアリー・ホーガンは”作品”としてエド・ゲインの自宅にいたのでした。

 

この事から、これは、エド・ゲインの名言としてかなり有名なフレーズとして知られています。

 

 

 

エド・ゲインをモチーフやテーマにした映画も多数製作されている

 

出典:https://m.media-amazon.com/

 

エド・ゲインをモチーフやテーマにした映画作品もこれまでに多数製作されています。

 

2000年にはアメリカでそのまま「エド・ゲイン(ED GEIN)」というタイトルの映画が、2007年にも同じタイトルの別の作品がアメリカで公開されています。前者はエド・ゲインの事件をそのまま追った内容、後者はスプラッター映画としてさらに脚色されている内容の映画となっています。

 

出典:https://movies-pctr.c.yimg.jp/

 

また、エド・ゲインを着想のモチーフにした映画としては、ヒッチコックの名作映画「サイコ」や、現在もカルト的人気を誇る映画「悪魔のいけにえ」などが挙げられます。特に、悪魔のいけにえに登場するキャラクター「レザーフェイス」は、完全にエド・ゲインをモデルにしたというのが定説となっています。

 

その他、1991年に世界的大ヒットを記録したサイコスリラー映画「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクターは、複数の猟奇殺人者を複合して創造された存在とされていますが、エド・ゲインもそのモデルの1人だと言われています。

 

さらに、2003年公開映画「マーダー・ライドショー」や、2012年に放送されたホラードラマ「アメリカン・ホラー・ストーリー」のシーズン2にもエド・ゲインが影響を与えていると言われています。

 

 

 

まとめ

 

今回は、アメリカの犯罪史を代表する猟奇殺人鬼であるエド・ゲインについてまとめてみました。

 

エド・ゲインは、少なくとも2人の女性を殺害し、また、少なくとも9人の遺体を墓から盗み出し、それらの遺体の一部を使用して、家具や衣服などの”作品”を作成していました。

 

エド・ゲインは、アルコール依存症の父親と狂信的なプロテスタント信者である母親、5歳年上の兄の4人家族で育ちましたが、世間から隔絶された環境で、母親からのかなり偏った教育を受けており、その生い立ちが一連の猟奇事件を起こす原因となったとみられています。

 

エド・ゲインは一連の事件で逮捕され裁判を受けましたが、精神異常を理由に事実上の無罪となり、最期の日々は送致された精神病院での穏やかな生活だったそうです。

 

エド・ゲインは1984年に収容先の病院で77歳で死亡しています。死因は呼吸不全とのみ発表されています。

 

エド・ゲインはその死後、一部からカルト的な人気を集めネット上で名言が紹介され、彼の作った”作品”の本物を探し求めるコレクターも存在するようです。

 

また、エド・ゲインをテーマやモチーフにした映画も多数製作されており、代表的なものとしては「悪魔のいけにえ」などが挙げられます。

 

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