ネットフリックスのドラマ「極悪女王」が人気になり、ドラマの中に登場する女子プロレスラーに注目が集まっています。その1人がクレーン・ユウさんです。
クレーン・ユウさんのプロフィールや若い頃からの経歴、同期のダンプ松本さんとの関係、結婚した旦那や子供、離婚と現在をまとめました。
この記事の目次
クレーン・ユウは元極悪同盟のプロレスラー(身長173cm)
出典:x.com
クレーン・ユウ
生年月日:1962年10月31日
出身:東京都北区
身長:173cm
所属:COMBO、元全日本女子プロレス
活動:女子プロレスラー
クレーン・ユウさんは女子プロレスラーです。
ダンプ松本さんや長与千種さん、ライオネス飛鳥さんらと同期で、ダンプ松本さんとは極悪同盟を結成し、ヒール役として活躍しました。
現役引退後は、単発でOG戦などに参加していましたが、2015年からはプロレス団体COMBOで正式に現役に復帰し、孫がいる「おばあちゃんレスラー」として活躍しています。
クレーン・ユウの経歴①:全日本女子プロレスに入るまで
出典:ameblo.jp
クレーン・ユウさんは小学生の頃からテレビでプロレスを見ていて、小学校高学年の頃には「ビューティ・ペア」の全盛期で、「ビューティ・ペアになりたい」と思い、女子プロレスラーを志すようになります。
水泳をやりたいと思っていたこともありましたが、実家が経済的に裕福ではなく、スイミングスクールに通うことができなかったそうです。
中学生の時に、担任の先生に「高校には行かない」と宣言しましたが、先生からは「女子プロレスのオーディションに落ちたらどうするんだ?」と聞かれ、答えることができなかったために高校を受けることになりました。
実際に、中学生の時にはオーディションに落ちてしまい、高校に進学しました。
――入門の競争率は、すごい倍率でしたからね。
「高校は1校受けておきなさい」って言われていて、単願で私立の高校受けて。受かって、そこに行ってたの。当時、練習生で1カ月2000円かなあ。目黒の、まだ黄色い古いビルの1階の道場で、週3回、月水金に練習を教わってたね」
引用:【インタビュー】クレーン・ユウが9・25新宿FACEで還暦記念大会。全女の仲間が集結。ユウは、怖すぎたジャガーに「今度こそ勝つ!」と宣言!! | バトル・ニュース
高校1年生の時にプロテストに合格し、1980年(昭和55年)に全日本女子プロレスに入門しました。この時の同期が松本香(ダンプ松本)やライオネス飛鳥、長与千種、大森ゆかりなどです。
クレーン・ユウの経歴②:マスクド・ユウから極悪同盟
全日本女子プロレスでデビューした直後は、「本庄ユカリ」というリングネームでしたが、先輩のデビル雅美と会社の意向で、マスクをかぶることになり、覆面レスラーの「マスクド・ユウ」というリングネームに変更して、デビル軍団に入ることになりました。
――なんで急に覆面をかぶることに?
「「性格が優しいから、ヒールなのに悪いことができないから、覆面かぶれ」って、会社の人に言われて。その意味がよくわからなかったんだけどね。覆面したって私は私じゃない? 喋っちゃダメとかも言われた」
引用:【インタビュー】クレーン・ユウが9・25新宿FACEで還暦記念大会。全女の仲間が集結。ユウは、怖すぎたジャガーに「今度こそ勝つ!」と宣言!! | バトル・ニュース
その後は、デビル雅美さんがベビーフェイスに転向したのを機に、「デビル軍団に謀反する」という形で、ダンプ松本さんと「極悪同盟」を結成しました。
クレーン・ユウさんは、ダンプ松本さんとのタッグチームで、クラッシュギャルズを破り、第78代WWWA世界タッグ王座を獲得しました。
極悪同盟は人気絶頂のクラッシュギャルズとの抗争相手として注目を集め、凶器を使った容赦ない攻撃も人気となりました。
クレーン・ユウの経歴③:まさかの引退でレフェリーに
クレーン・ユウさんは、1985年4月26日に第1回ジャパングランプリ公式戦でダンプ松本さんと試合をして、壮絶な大流血の試合となり、レフェリーストップでクレーン・ユウさんが負けた形になりました。そして、その直後にクレーン・ユウさんは現役を引退することになったのです。
しかし、この引退はクレーン・ユウさんの意向ではありませんでした。自分が知らないうちに引退が発表されていたんです。
ブル中野さんのYouTube動画でクレーン・ユウさん本人が語ったところによると、ダンプ松本さんとの試合後に、クレーン・ユウさんはダンプ松本さんと袂を分かち、ベビーフェイスになるはずでした。
しかし、クレーン・ユウさんはが試合後に控室で治療を受けていた時、MC席で植田コミッショナーが「クレーン・ユウは引退します!」と宣言したんです。
この様子はテレビで放送されていたため、コミッショナーの引退宣言を撤回することはできず、クレーン・ユウさんは自分が知らないうちに現役を引退することになりました。
――そのときはまだ、自分が引退するとは知らなかった。仕掛けられたようなものですよね。
「ダンプは知ってたのかな。で、会社に「おまえは明日からレフェリーだ」みたいな。
引用:【インタビュー】クレーン・ユウが9・25新宿FACEで還暦記念大会。全女の仲間が集結。ユウは、怖すぎたジャガーに「今度こそ勝つ!」と宣言!! | バトル・ニュース
その翌々日から、クレーン・ユウさんは本名の「本庄ゆかり」として、正統派レフェリーに転身しました。
クレーン・ユウの経歴④:現役復帰するも引退
自分の意にそわない引退後にレフェリーをすることになったクレーン・ユウさんは、1988年にブル中野さん率いる獄門党の覆面トリオ、ザ・ダイナマイトの一員として3年ぶりに現役復帰することになりました。
この現役復帰も「会社の意向」によるものでした。獄門党で1人足りなくなって、レフェリーとしてその場にいたクレーン・ユウさんに白羽の矢が立ったのです。
クレーン・ユウさんは「ダイナマイトジャック」というマスクウーマンとして現役復帰したものの、テレビマッチでマスクをはぎ取られたことで、会社から「レフェリーに戻って」と言われてしまいます。
会社の意向に沿うことに嫌気がさしたため、選手としてもレフェリーとしても引退することになりました。
クレーン・ユウは若い頃はモテた
クレーン・ユウさんは若い頃はモテていて、彼氏が途切れないタイプでした。
当時の全日本女子プロレスは、「三禁」でした。酒・たばこ・男は厳禁ということですね。
ただ、クレーン・ユウさんはこの三禁を全部破っていたとのこと。お酒も飲んでいたし、タバコも吸っていた。そして、彼氏も途切れたことはなかったとのことです。
ブル中野さん曰く、「色気があった」とのこと。色気があったから、なんでマスクド・ユウで顔を隠しているのか不思議に思っていたと話していました。
クレーン・ユウとダンプ松本の関係
ダンプ松本は極悪同盟
ダンプ松本
生年月日:1960年11月11日
出身:埼玉県熊谷市
身長:164cm
所属:えりオフィス、元全日本女子プロレス
活動:タレント、元プロレスラー
クレーン・ユウさんのプロレス人生を語る上で、欠かすことができない存在がダンプ松本さんです。ダンプ松本さんはクレーン・ユウさんと同期で1980年に全日本女子プロレスに入門します。
1984年にリングネームを本名の松本香から「ダンプ松本」に変え、クレーン・ユウさんと「極悪同盟」を結成して、凶器攻撃を厭わない超極悪ヒール役として活躍しました。
ダンプ松本さんは徹底したヒール役を貫き通し、1985年8月の長与千種さんとの髪切りデスマッチでは長与千種ファン500~600人のファンが極悪同盟のバスを取り囲んでバスを揺らしたほか、警備員にも殴られたことがありました。
さらに、実家に石を投げられたり、車を傷つけられたり、街でも罵声を浴びせられることがあるほどの嫌われっぷりで、日本で一番嫌われていたと言っても過言ではないヒールでした。
「当時、日本で一番殺したい人間と言われてました」
引用:ダンプ松本「日本で一番殺したい人間」とまで言われても、“悪役”を背負い続ける理由(5ページ目) | 週刊女性PRIME
その分、人の記憶に残り続けるヒール役のレスラーと言えるでしょう。
悪役としての姿勢の違いで決裂
出典:ameblo.jp
クレーン・ユウさんとダンプ松本さんは、極悪同盟を結成し、ヒールレスラーとして全日本女子プロレスを引っ張っていく人気レスラーでした。しかし、1985年の第1回ジャパングランプリ公式戦で2人は大流血試合を演じ、袂を分かつことになります。
なぜ、2人は袂を分かつことになったのか?これは悪役レスラーへの姿勢の違いによるものでした。
前述の通り、ダンプ松本さんはヒールレスラーを貫き通しました。リングの中だけではなく、リングの外でも悪役でいることをクレーン・ユウさんにも課したのです。
「本当はいい人なんて、絶対に思われたくなかった。だからファンサービスなんか、いっさいなし。クレーンはそれをやりたがったんで、辞めてもらったくらいです」
引用:ダンプ松本「日本で一番殺したい人間」とまで言われても、“悪役”を背負い続ける理由(5ページ目) | 週刊女性PRIME
でも、クレーン・ユウさんはそこまでヒール役に徹することはできませんでした。元々、人が良いためにファンサービスをしたくなってしまうとのこと。
嫌われ役のヒールレスラーのファンなんて、一握りしかいないのだから、そのファンを大切にしたいとクレーン・ユウさんは考え、ファンに対して手を振ったり、サインをしたり、優しくしたりしていたら、ダンプ松本さんとの考えの違いに溝が大きくなり、決別したとのこと。
クレーン・ユウさんは引退後にレフェリーになりましたが、レフェリーとして極悪同盟の試合を担当する時には、ダンプ松本さんから首にチェーンを巻き付けられて投げ飛ばされたり、ラリアットを見舞われることもありました。
ダンプ松本と仲が悪いわけではない
極悪同盟で一緒にやっていたクレーン・ユウさんとダンプ松本さんは、ヒール役の姿勢への違いで袂を分かつことになりましたが、決して仲が悪いというわけではありませんでした。
クレーン・ユウさんがブル中野さんのYouTubeチャンネルに出演した時には、同期はみんな仲が良かったし、派閥とかはなかったと話していました。
また、引退後の1998年8月にダンプ松本さんらが主催した「メモリアル・オールスター戦~あの時、君は強かった!!」にも参加していますし、それ以降もダンプ松本さんと「極悪同盟」のタッグを組んだりしています。
だから、あくまでもヒール役への姿勢が違ったことで袂を分かつことになったというだけで、個人的なわだかまりがあったというわけではありません。
クレーン・ユウは結婚して子供が3人いる
クレーン・ユウさんは引退後に一般男性と結婚しました。旦那さんとの馴れ初めはお見合いだったそうです。結婚後は子供を3人出産しています。
・長女:未婚
・長男:既婚(柏在住)
・次男:既婚(大宮在住)
旦那さんは一度「恐妻家」をネタにしたバラエティ番組に出演していたそうですが、この旦那さんとクレーン・ユウさんは離婚しています。
旦那さんは借金を作り、それが原因で離婚したそうです。
クレーン・ユウは離婚後に生活保護を受けた
旦那さんの借金が原因で離婚することなったクレーン・ユウさんは、3人の子供を抱えたシングルマザーになります。当時はすでにプロレスを離れていましたし、手に職があるわけでもなかったので、生活苦に陥ります。
2014年に放送された「ノンフィクション」の中では、生活苦から一時は生活保護を受けることになったと語られていました。
極悪同盟で人気レスラーだったクレーン・ユウさんが、生活保護を受けるまでになってしまうというのは衝撃的です。
ダンプは相棒でもあったクレーン・ユウこと本状ゆかりにも声を掛けた。シングルマザーとして3人の子どもを育て、生活保護を受けるまで追いつめられていた彼女はプロレスをやることは断ったが、ダンプのセコンドとして登場することになった。
引用:ダンプ松本が寂しい中年に――生活保護に親のたかり…あの女性レスラーたちが悲惨な今に立ち向かう!|サイゾーpremium
この生活保護を受けることになったのはいつ頃のことかは不明ですが、このサイゾーのネット記事によると、ダンプ松本さんのセコンドとして登場する頃に生活保護を受けることになったようですから、2014年3月ごろのことと思われます。
2014年3月22日の長与千種プロデュース興行「That’s 女子プロレス」では、クレーン・ユウさんがダンプ松本さんのセコンドで登場していますから。
ただ、このダンプ松本さんのセコンドに着いた頃から、少しずつクレーン・ユウさんの絵師勝は上向きになっていきます。
クレーン・ユウの現在:おばあちゃんレスラーとして活躍
出典:youtube.com
クレーン・ユウさんは前述の2014年3月にダンプ松本さんのセコンドについて、「女子プロレス」の熱が自分の中で高まっていた頃、たまたまママ友の中にプロレス好きがいて、そのママ友が「COMBO」というプロレス団体の試合を見に行く予定があり、一緒に行かないかと誘われました。
ただ、その試合のチケットは4000円!4000円を払いたくないと思ったクレーン・ユウさんは、そのママ友に「そのCOMBOの代表の人に、クレーン・ユウって知ってる?今度見てもらおうと思ってるんだけどってCOMBOの代表の人に言ってみて。そしたら、お金いらないって言うと思うよ」と伝えました。
そのママ友は半信半疑だったものの、COMBOの代表の人に伝えたら、「お金なんてとっちゃダメ。お金もらえないよ」と言われて、クレーン・ユウさんは招待される形でCOMBOの試合を見に行きます。
最初に代表に挨拶したら、「一言なんか言ってください」と試合会場で話を振られ、「しょっぱい試合でした。練習相手くらいだったら多分なれると思うんで、いつでも誘ってください」と思わず言ってしまったそうです。
それからは、とんとん拍子に事が進み、2015年10月にCOMBOの試合に出場し、現役に復帰しています。
2022年10月は還暦記念で、「クレーン・ユウ、ダンプ松本さんZAPさん」VS「ジャガー横田、井上京子、伊藤薫」というタッグマッチも行われました。
それ以降も、COMBOの試合には定期的に出場し、2024年時点でもまだまだ現役を続けています。
クレーン・ユウのまとめ
クレーン・ユウさんのプロフィールや経歴、若い頃のモテた話、同期のダンプ松本さんとの関係、結婚した旦那や子供と離婚理由、現在の活動をまとめました。
クレーン・ユウさんは極悪同盟のヒールレスラーでしたが、元々の性格が優しすぎた&ダンプ松本さんのように割り切れなかったので、いろいろ葛藤があったのだと思います。でも、60歳過ぎても現役レスラーとしてリングの上に立てるのはすごいですよね。