ブラック・ダリア事件はアメリカで起きた第2次世界大戦後初の殺人事件で、驚くことに遺体写真が現在も出回っています。
今回はブラック・ダリア事件の詳細、被害者と遺体写真、残る謎や犯人など真相、映画化などその後をまとめます。
この記事の目次
ブラック・ダリア事件は最も有名な未解決事件
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ある平和な町で突然起こった殺人事件が、世界中に知れ渡ったのは理由があります。被害者の若い女性が遺体を切断されるという、無残な殺害方法で発見されたからです。
その異様な様子は、新聞をはじめ各社メディアがこぞって報道を続けました。しかし犯人像が全く掴めないまま年月が経過し、現在も未解決となっています。
謎が多く、現在も解明していないブラック・ダリア事件について、まずは事件概要から見てみましょう。
ブラック・ダリア事件の概要
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ブラック・ダリア事件発生は、1947年1月15日のこと。アメリカのロサンゼルスにおいて、22歳の女性エリザベル・ショートさんが遺体となって発見されました。
遺体は胴で真っ二つに切断された上、血が抜かれていました。
また、現場の状況も不可解な点が多く、事件発覚後に何者かによる犯行声明めいた手紙が届くなど、ますます世を恐怖のどん底に陥れることになったのです。
精鋭の捜査官が投入されるも虚しく、真犯人は捕まりませんでした。そして、いつしかブラック・ダリア事件と呼ばれるようになったのです。
ブラック・ダリア事件の被害者「エリザベス・ショート」とは
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被害者のエリザベス・ショート
ここでは、ブラック・ダリア事件の被害者であるエリザベス・ショートさんの生い立ちをまとめました。
父親は一時失踪、再会後は折り合いが悪かった?
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マサチューセッツ州ボストンで、5人兄弟の3人目の娘として生まれたエリザベス・ショートさん。
父親はパターゴルフクラブの造成業でしたが、ウォール街大暴落による不況で一家は破産。
ある時、父親の自動車の愛車がチャールズタウン橋に置き去りにされているのが発見されました。父親の姿は見当たらず、自殺を疑われています。
母親は娘5人を伴い小さなアパートに引っ越し、新しい生活が始まりました。その2年後、死んだと思われた父親が生存していたことが判明。
密かに生活を立て直した父親と再び同居が始まりましたが、父親との関係が悪かったのか、ある日喧嘩をきっかけに、エリザベス・ショートさんは家を出て友人宅で暮らし始めたのです。
女優を目指してレストランでで働いていた?
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自宅を飛び出したエリザベス・ショートさんは、高校を中退し数人の友人と共に暮らしていたようですが、未成年飲酒の罪で逮捕された経歴があります。
1946年にはロサンゼルスに転居し、ウェイトレスの仕事をしながら女優を目指していたそうです。
ブラック・ダリア事件は被害者の遺体写真が出回っている…
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カルフォルニア州に所在するエリザベス・ショートの墓地
ブラック・ダリア事件での遺体発見時の様子について詳しく紹介します。遺体発見時の画像が現在もインターネット上で出回っています。
遺体発見時にマネキンだと思われていた
発見されたエリザベス・ショートさん
エリザベス・ショートさんが発見された場所は、ロサンゼルスのレイマートパーク。発見者は地元の住人女性とその娘でした。
発見者によると、娘と散歩していると空き地の一画にマネキンが転がっていると思ったそうで、近づいて確認してみると人間の切断遺体でした。
血液が抜かれて真っ白な状態だったことも、マネキンと錯覚した原因の1つのようです。
慌てて発見者の女性は、近所の家に駆け込んで警察に通報したのです。
あちこちを切り裂かれていた
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通報を受けた警察官が到着すると人が集まり始めました。その中には、新聞社「ロサンゼルス・ヘラルド・エクスプレス」の記者もいました。
その記者によって、遺体や現場の写真を何枚か撮影していた様子が確認されています。
エリザベス・ショートさんの遺体は、口から耳までを刃物で切り裂かれ、脛や胸も傷が何箇所か走っていました。該当部分の肉は薄くスライスされていたようです。
さらに、臓器の一部が引き出され臀部に突っ込まれるという、目を覆いたくなるような状態だったそう。
また、現場には血液が混じったセメントの袋が発見されましたが、どのような理由で置かれたのかは不明のままでした。
ブラック・ダリア事件の遺体検死でわかった意外なこととは?
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無残に変わり果てた姿で見つかったエリザベス・ショートさんでしたが、遺体は検死に回された後、身元がすぐに判明しています。
身元が素早く判明した理由や、死因について見てみましょう。
死因は?なぜ身元がすぐに判明したの?
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検死が始まるよりも前に、遺体の身元が判明していたことが警察により明らかにされています。
実は、遺体の指紋をワシントンDCに送り照会をしたところ、かつて未成年飲酒で逮捕された際に採取されたエリザベス・ショートさんの指紋が残っていたのです。
頭部には、顔から頭にかけて殴打された痕跡が見つかり、検死の結果、死因は「頭や顔への殴打によるショック」と断定されました。
つまり、エリザベス・ショートさんの死因は切断による出血死ではなく、死後に切り刻まれたということを意味します。
ブラック・ダリア事件の謎① 空白の6日間
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ここまでで、ブラック・ダリア事件がかなり不気味な事件であることはわかりましたが、実は他にも謎や不可解な点があります。
生前最後にエリザベス・ショートさんが目撃されてから遺体発見まで、不思議な空白の時間が存在していることが判明しています。
ここからは、捜査を行っても残った謎について紹介していきます。
行方をくらました?監禁されていた?
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亡くなる前の1947年1月9日、エリザベス・ショートさんは、彼氏との旅行に出かけてロサンゼルスの自宅に戻っています。交際相手によると、この日は姉に会いに行くと話していました。
さらに目撃情報が2件寄せれられています。ビルトモア・ホテルの従業員の証言によると、この日、ロビーの公衆電話を利用していたそう。
その直後に、クラウン・グリル・コックテール・ラウンジの常連客がエリザベス・ショートさんを目撃しています。
ここで目撃情報が途切れ、6日後の1月15日に遺体が発見されるまで空白の期間が存在しているのです。
検死の結果、遺体発見から約10時間前が死亡指定時刻とされています。
この空白の期間、エリザベス・ショートさんがどのように過ごしたのかという謎は現在も解明されていません。
ブラック・ダリア事件の謎② 犯行声明の意図とは?真実は?
犯人からの電話と手紙が来ていた
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事件発生後6日が経過した1947年1月21日、犯人を名乗る謎の人物から、ロサンゼルス・イグザミナーの編集者宛てに1本の電話がかかってきたことが判明してます。
犯行声明は、「エリザベス・ショートの形見が届くのを楽しみに待つように」と一方的に話して切れてしまいました。
その3日後には、新聞紙を切り貼りしたと見られる犯行声明が届いています。「遺品に関してはいずれまた」と書かれていました。
封筒から何か犯人の手掛かりに繋がるのでは?と期待されたものの、肝心の封筒は、ガソリンで拭き清められていたので何もわかりませんでした。
しかし、エリザベス・ショートさんの体もガソリンで拭かれていたことから、犯人か、その人物に近しい人間だという解釈がされています。
同日、エリザベス・ショートさんの遺品と見られる「ハンドバッグと黒いスエードの靴」が遺体発見現場から近い場所で発見されています。
本人の遺品なのかを確かめましたが、やはりこれらもガソリンで拭かれていたので、確証がないまま謎が増えていくばかり…。
電話は手紙は本当に犯人による声明だったのでしょうか。真実は、犯人が胸にしまったまま時が流れて現在に至ります。
ブラック・ダリア事件の謎③ 犯人は?事件の真実は?
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一番大きな謎として残されているのは、犯人が未だにわからないということではないでしょうか。
容疑者が500名浮上した
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事件が難航した大きな原因としては、遺体からは一切犯人の痕跡が見当たらなかったことや、有力な目撃情報が無かったことにあったようです。
また、事件が有名になったことで虚偽の出頭する人が増加し、捜査初期で60名、その後は数年で500名に及ぶ自白が行われてきたのです。
中には、犯行容疑が濃厚な人も数名存在していたようですが、最終的には容疑者から外れています。
被害者のエリザベス・ショートさんの交友関係は非常に広く、個別に捜査をしても犯人に繋がる供述を取ることがなかなか難しかったそう。
結局、事件の真実に繋がるような情報が見つからないまま、捜査は打ち切られて迷宮入りとなったのです。
ブラック・ダリア事件の謎④ 事件名の名づけ理由とは?
諸説ある
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事件の名前に「ブラック・ダリア事件」と名付けられた理由には、幾つか説があります。
1つ目は、エリザベス・ショートさんが亡くなる前に住んでいた地元の薬局の従業員から名づけられた愛称説です。これは、当時流行していた映画「ブルー・ダリア」から来ているのだとか。
2つ目は、メディアで「透けた黒い洋服を好んで着ていたらしい」と報道されたことがきっかけで、「ブラック」と呼ばれたことでその名前が定着した説です。
しかし、どちらが正しいのかは判明していません。
ブラック・ダリア事件は映画化されている
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アメリカで有名な事件であるブラック・ダリア事件は、2006年に映画化されました。
映画は刑事の視点で描かれた
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映画化された作品「ブラック・ダリア」が公開されたのは2006年のこと。ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品されています。
作品の主人公は、事件を追いかける刑事のバッキー・ブライカート。事件の真相を追い求めるサスペンスストーリーです。
史実では未解決事件ですが、映画の中では真実について仮説が立てられています。物語は終盤に大きく動き、驚きの結末を迎えます。
DVD化されていますので、興味を持たれた方は1度観ても良いかもしれませんね。
まとめ
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ブラック・ダリア事件は、1947年にアメリカのロサンゼルスで起こった、第2次世界大戦後初の凶悪な殺人事件と言われています。
被害者は、当時22歳のエリザベス・ショートさんで、腰から身体を真っ二つに切断されて、全身の血液を抜かれた上、口から耳までを切り裂かれるという無残な様子で発見されたのです。
遺体からは犯人の手掛かりが一切出てこず、捜査は困難を極めました。大きな事件ということで、容疑者は500名を超える大捜査に発展し、大量に投入された警察官を疲弊させたのです。
時間が経過しても決定的な手掛かりが見当たらず、目ぼしい証拠が無いまま迷宮入り事件として決着しました。現在も歴史上稀に見る極悪事件として語り継がれ、映画化もされました。
この先、事件の手掛かりが出てくる日が来るのでしょうか。今後の展開に注目しましょう。