結合双生児として生まれたベトちゃんドクちゃんの現在が話題です。
この記事ではベトちゃんドクちゃんが結合双生児となった原因とされる枯葉剤、父親や母親ら家族、手術での執刀医や内臓の措置、ベトさんの死因、ドクさんが生きてるか、日本とも関わる現在についてまとめました。
この記事の目次
ベトちゃんドクちゃんのプロフィール
ベトちゃんドクちゃんとは、1980年代から90年代にかけて日本で話題になった結合双生児のベトナム人兄弟です。
兄のグエン・ベトのプロフィール(写真中央)
生年月日:1981年2月25日
没年月日:2007年10月6日(26歳没)
出身地 :ベトナム・コントゥム省サータイ
ベトちゃんドクちゃんの兄がグエン・ベト(Nguyễn Việt)さんです。
幼少期から弟のドクさんに比べて体調が安定せず、1986年6月に急性脳症を発症。日本に緊急移送され手術を受けるも後遺症が残りました。
その後、1988年3月に意識不明の重体に陥り、兄弟2人ともが死亡するリスクを避けるため、分離手術が決定。分離手術は成功するも重い脳障害を抱えて寝たきりの状態となりました。
そして、2007年10月6日に26歳で亡くなっています。ベトさんの死因などについては後述します。
弟のグエン・ドクのプロフィール
生年月日:1981年2月25日
出身地 :ベトナム・コントゥム省サータイ
ベトちゃんドクちゃんの弟がグエン・ドク(Nguyễn Đức)さんです。
ドクさんは分離手術後、元気に成長して職業学校でコンピュータープログラミングを学び、病院の事務員として働きながらボランティア活動にも取り組まれています。
ボランティア活動で知り合ったグエン・ティ・タイン・テュエンさんと2006年12月に結婚し、2009年10月25日には双子の子供(男の子と女の子)も生まれています。
ベトちゃんドクちゃん結合双生児となった原因は枯葉剤の可能性
出典:https://upload.wikimedia.org/
ベトちゃんドクちゃんが結合双生児となった原因は、ベトナム戦争の時にアメリカ軍が散布した枯葉剤であると言われています。
ベトナム戦争時、アメリカ軍はゲリラ戦を展開する解放戦線の隠れ場所であるジャングルを除き、さらに農作物を汚染して解放戦線側の食糧源を奪うために大量の枯葉剤を散布しました。
ベトちゃんドクちゃんが生まれたベトナム中部高原のコントゥム省サータイは、大量の枯葉剤が撒かれた地域で、母親は枯葉剤が撒かれた井戸の水を飲んでいました。
アメリカ軍が使用した枯葉剤に含まれるTCDDというダイオキシンの1種の成分は、マウスでの実験で催奇形性が出る事が確認されており、ベトちゃんドクちゃんが結合双生児となった原因がこのTCDDである可能性が示され報じられました。
TCDDがヒトに影響を与える事は確認されていませんが、事実としてベトナムでは25年間で30例もの双生児の癒合例(通常は2000万分娩に1例という極めて低い発生確率)が出ている事から、ベトちゃんドクちゃんが結合双生児の原因が米軍の枯葉剤である事は十分にありえるとされています。
ベトちゃんドクちゃんの家族① 父親
ベトちゃんドクちゃんの家族についてもみていきます。
ベトちゃんドクちゃんの父親は北ベトナムの出身で、ベトナム戦争時には南部で戦い、戦争終結から4年後の1979年にコントゥム省サータイに開拓移住しています。
妻(ベトちゃんドクちゃんの母親)との結婚はこの開拓移住の以前で、北ベトナムにいた時に第一子(ベトちゃんドクちゃんの姉)も生まれていますが、この姉には特に障がいなどの異常は何も見られませんでした。
ベトちゃんドクちゃんの父親は、ベトちゃんドクちゃんが結合双生児として生まれた後、逃げるように失踪しています。父親のその後の行方は知れず、現在生存しているのかどうかもわかりません。
ベトちゃんドクちゃんの家族② 母親
ベトちゃんドクちゃんの家族のうち母親についてはフエさんという方で、ベトちゃんドクちゃんを出産する前に第一子の長女と死産だった第二子を出産していました。
ベトちゃんドクちゃんの母親のフエさんは、結合双生児として生まれてきたベトちゃんドクちゃんを見て驚きのあまり失神。父親もどこかへ逃げ出してしまったため、周囲の人々によってベトちゃんドクちゃんは近くの病院に預けられて命を取り留め、その後はコントゥム総合病院へと移され、さらにその後、ハノイ市のベトナム・東ドイツ友好病院へと移されています。
この混乱により、ベトちゃんドクちゃんは母親のフエさんと姉とは生き別れ状態になっています。
ベトちゃんドクちゃんと母親のフエさんは、それから7年後の1988年3月に再開しています。
ベトちゃんドクちゃんの分離手術には日本から医師団が派遣された
ベトちゃんドクちゃんが母親と再会したすぐ後、兄のベトちゃんが意識不明の重体に陥りました。
結合双生児は片方が亡くなった場合、もう片方もすぐに亡くなる場合が多いため、2人ともが亡くなる最悪の事態を避けるため、1988年10月4日にベトナム大都市のホーチミン市にある市立トゥーズー産婦人科病院で分離手術が行われました。
この4ヶ月前、兄のべちゃんが急性脳症を発症しており、治療のため医療技術の進んでいた日本に緊急移送され手術を受けています。この時に日本赤十字社が支援していた事から、ホーチミン市で行われたベトちゃんドクちゃんの分離手術も日本赤十字社が支援しする事になり、全ての医薬品と設備機器も日本から支援されています。
ベトちゃんドクちゃんの分離手術にはベトナム人医師70人と、日本から派遣された4人の医師団のチームによって行われました。
ベトちゃんドクちゃんの分離手術の執刀医
ベトちゃんドクちゃんの分離手術には、ベトナム人医師70名と、日本赤十字から派遣された4人の日本人医師によって行われました。
これほどの大医師団になったのは、これまで世界でもほとんど前例のない困難な手術だった事から、あらゆる事態に対応できるように外科、麻酔、臨床、内科、心血管など、それぞれの分野のプロフェッショナルを集める必要があったためでした。
このうち実際に中心になって執刀にあたった執刀医は、当時ホーチミン市第2小児病院の外科部長を務めていたチャン・ドン・アーさんという方です。
ベトちゃんドクちゃんの内臓の分離手術での措置
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ベトちゃんドクちゃんの分離手術で大きな問題となったのは、結合している2人の内臓をどのように分離するのかという点でした。
ベトちゃんとドクちゃんは下肢結合体と呼ばれる結合双生児で、腹部と生殖器、肛門部分で繋がっており、脚は3本(1本は短く日常生活で使う事は難しかった)しかありませんでした。
兄弟は、腹部と生殖器、肛門部分がつながっており、2本の脚と1本の短い脚しかついていなかった。
また、ほとんどの内臓はそれぞれに持っていましたが、腎臓は当初は1つのものを共有していると推測されており、腎臓を2つに分離するのか、比較的元気な状態だったドクちゃんに腎臓を渡し、意識不明の重体となっていたベトちゃんは人工透析をするのかという重大な選択を迫られました。最終的には、腎臓も他の内臓と同じように2人それぞれが自分のものを持っている事がわかり、この問題は解消されています。
最終的な手術では共有している生殖器と肛門部分は障害のないベトちゃんに渡され、ベトちゃんには人工肛門がつけられるという措置が取られました。また、脚はベトちゃんに左脚がドクさんに右脚が配されました。
ベトちゃんドクちゃんの兄のグエン・ベトさんの死因は腎不全と肺炎の併発
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ベトちゃんドクちゃんの分離手術後、兄のグエン・ベトさんは、重い脳障害を抱えた状態が続き寝たきりになり、トゥーズー産婦人科病院で入院を続けていました。
ベトさんは、2006年12月に弟のドクさんが結婚した後は、ドクさんの夫婦に引き取られて介護を受けてましたが、2007年4月28日頃から次第に食欲がなくなり、6月に入る頃から高熱を出すようになりました。
ベトさんは肺炎、腎臓の衰弱、貧血、脳炎、その他感染症などを併発し、医療チームが24時間体制での治療にあたるも容体は回復せず、2007年10月6日に26歳で亡くなりました。
ベトさんの死因は「腎不全と肺炎の併発」と発表されています。
兄のベトさんは術後も重い脳障害を抱え寝たきりの状態が続き、2007年に腎不全と肺炎の併発により死去(享年26歳)した。
ベトちゃんドクちゃんの弟のグエン・ドクさんは現在も生きてる
ベトちゃんドクちゃんの弟のグエン・ドクさんは現在も生きています。
分離手術後、ドクさんはそれまで在籍していた障害児学校から中学校へと入学。中学校は中退するも職業学校に入学してプログラミングを学び、手術を受けたトゥーズー産婦人科病院の事務員として働き始めました。
その後、同病院の平和村(Lang Hoa Binh)のスタッフとしてボランティア活動にも取り組み、その活動の中で専門学校生だったグエン・ティ・タイン・テュエンさんという1歳年下の女性と知り合い、2006年12月に結婚されています。
2009年10月25日には、妻のテュエンさんがトゥーズー産婦人科病院にて男女の双子を出産し、長男はグエン・フー・シー(阮富士)、長女はグエン・アイン・ダオ(阮櫻桃)と名付けられました。子供2人の名前はそれぞれ、日本の富士山と桜に因んだものだそうです。
ドクさんは日本との関係の深さから、度々来日されていて、日本の障害者の方々との交流や、2017年には広島国際大学の客員教授にも就任されています。
また、天皇皇后両陛下がベトナムを訪問された際には面会もされています。
ベトちゃんドクちゃんの弟のドクさんの現在① 日本風飲食店を開業も閉店
ベトちゃんドクちゃんの弟のドクさんは、2019年1月にホーチミン市で「Doc Nihon」という日本風の飲食店を開業されました。
ドクさんは日本の支援者がよく自分に会いに来てくれるため、交流する場を作りたいとの思いからこのお店をオープンさせたそうです。
しかし、開店の直後にドクさんは体調不良により入院する事になり、場所代の関係もあって2月中旬に閉店する事が発表されました。
ベトナム戦争中に米軍がまいた枯れ葉剤の影響とみられる結合双生児として生まれ、日本の支援で分離手術を受けた「ベトちゃん、ドクちゃん」の弟グエン・ドクさん(37)は14日、ベトナム南部ホーチミンに1月に開業したばかりの日本風の飲食店を閉店したことを明らかにした。自身の体調不良が主な理由という。
その後、ドクさんの体調は無事回復しています。
ベトちゃんドクちゃんの弟のドクさんの現在② 日本を心配しマスクを寄付
出典:https://www.kitano-hp.or.jp/
ドクさんは、2020年7月に日本でも新型コロナウイルスが感染者が増えている事を心配し、日本ベトナム友好協会を通じて、不織布マスク1万2500枚を寄付してくれました。
ベトナム戦争で米軍が散布した枯れ葉剤の影響とみられる結合双生児として生まれ、日本の医師らの分離手術を受けたベトナムのグエン・ドクさん(39)が、日本ベトナム友好協会大阪府連合会に不織布マスク1万2500枚を寄付した。
ドクさんは現在も日本に対して感謝の気持ちを抱いてくれているとの事で、日本への恩返しのつもりでマスクの寄付を実施したと説明されています。ドクさんは2011年の東日本大震災の時にも、ベトナム国内で義援金を募り、集まったお金を支援してくれていました。
まとめ
今回は、1980年代から90年代にかけて日本でも注目された、結合双生児のベトちゃんドクちゃんについてまとめてみました。
ベトちゃんドクちゃんは、ベトナム戦争時にアメリカ軍が散布した枯葉剤の影響で結合双生児として生まれた可能性があると報じられ、日本でも支援の動きが起こりました。
ベトちゃんドクちゃんの家族は、父親と母親、姉ですが、父親は2人が生まれた直後に失踪。母親と姉とも生き別れになり、再会を果たしたのは2人が7歳の時でした。
1988年にベトちゃんドクちゃんの分離手術が行われ、日本からも4人の医師が派遣され、医療品や医療機器全ての支援も実施されました。分離手術はベトナム人医師のチャン・ドン・アーさん中心の執刀医となって行われ成功しています。2人の内蔵はそれぞれが持っている部分はそれぞれに分離され、結合し1つしかなかった生殖器と肛門は健康体であった弟のドクちゃんに配されました。
兄のベトさんは手術の前から重い脳症で重体となっており、手術後も植物状態が続き、2007年に26歳で亡くなっています。死因は「腎不全と肺炎の併発」でした。
弟のドクさんは現在も生きており、日本への感謝の気持ちを持ち続けてくれているようです。2019年には日本から会いに来てくれる支援者との交流の場を作りたいとして日本風の飲食店を開店させますが、自身の体調不良などが原因ですぐに閉店しています。
また、2020年には新型コロナウイルスの感染拡大を心配し、日本に1万2500万枚の不織布マスクを寄付してくれています。