「東京最強の不良」と謳われ硬派でも知られた与国秀行さんですが、関東連合や幸福の科学との関係や失明事件が話題です。
今回は与国秀行さんの経歴、関東連合や幸福の科学との関係、嫁と襲われた失明事件、最新活動をまとめました。
与国秀行のプロフィール&経歴
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名前:与国秀行(よくにひでゆき)
旧姓:谷山秀行(たにやまひでゆき)
生年月日:1976年6月6日
出身:東京都杉並区
身長:173cm
血液型:A型
経歴
在日韓国人の父親と日本人の母親の間に生まれ、日本国籍を保有しています。
かつて「東京最強の不良」と呼ばれ、カッターやナイフなどの武器を使わない、素手の喧嘩で負け知らずの不良だったと言われています。
小学高学年の時点ですでに警察沙汰の事件を起こすなど、かなり早い時期から不良の道を進みました。
この頃から毎日筋トレに励み、「男の強さ」を追求していったと言います。
1990年代には、地元の杉並では不良たちの頭となり、関東一辺にその悪名を轟かすようになり、「カリスマアウトロー」などとも呼ばれました。
しかし高校卒業後、喧嘩ばかりの日々に嫌気がさして、日本各地を転々とした後、沖縄へ。
沖縄では、スキューバダイビングのインストラクターやリゾートホテルなどで住み込みで働きました。
そして、その頃に「幸福の科学」の存在を知り、喧嘩三昧の悪なる生き方と決別する決意をします。
2005年には作家としてデビューし、これまでに「優しき心への水」「日本最大の国難 – 目に見えぬ黒船の来航」「武士道を行く」「大和魂の復活」などを執筆しています。
その後、落選したものの衆議院総選挙に立候補するなど、元不良でありながら宗教家、小説家として活動しており、現在はYouTubeチャンネルを開設しYouTuberとしても活躍しています。
与国秀行の喧嘩伝説
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①渋谷、府中、三鷹、中野、江東区の頭を倒す
東京一の不良と呼ばれた与国さんは、渋谷、府中、三鷹、中野、江東区の頭とタイマンで勝負して勝利したそうです。
こうして東京一と謳われるようになった与国さんは、拳一つで勝負し、汚いことは一切やらない硬派としても知られていました。
タイマンで勝負し負かされた方は、潔く負けを認め不良から足を洗うものもいます。
中野の頭を与国さんが倒した際には、その人物はその後不良を辞め、真面目に勉強に励んだ結果、慶応大学に進学したそうです。
また、中野の頭とはその後も親友のような関係を築き、結婚式では与国さんが親友代表でスピーチを行い、彼は与国さんに対して「お前のおかげで更生できた」と話したと言います。
不良の世界にも暗黙のルールがあり、男と男のタイマンで勝負がついたあとは、そこに友情が芽生えることもあるのですね。
硬派を貫いた不良として知られる与国さんだからこその、大きな器が感じられるエピソードです。
②相撲取りと喧嘩して勝利
高校生の頃、病気がちで入院を繰り返している1人の少女がいて、彼女は余命1ヶ月と宣告されていました。
与国さんは友人らと共に、彼女が退院した時に花見に連れていって喜ばそうとしたそうです。
しかしその時に、相撲取りが通りかかって腕っぷしがどうという空気の読めない言動を繰り返したことに腹を立て、与国さんはその相撲取りを殴って追い返したと言います。
暴力を肯定するわけではありませんが、余命1ヶ月と言い渡された少女を思っての男気ある行動と言えます。
③金村剛弘をボコる
与国さんが不良としてその名を轟かせていた頃、関東連合の面倒見として知られていた金村剛弘氏に呼び出されたことがありました。
金村さんは、自身の後輩をあてがって与国さんとタイマンをさせましたが、与国さんが勝利。
「次は誰ですか?」と与国さんが詰めたところ、金村氏は逃げ、かなり悔しがっていたそうです。
金村剛弘さんと言えば、「関東最強の男」と謳われ、昔から札付きの悪として関東全域にその名を轟かせていました。
そんな金村さんさえも恐れをなして逃げていってしまうほどの強さを誇っていた与国さんは、やはり東京一と言われているだけあります。
与国秀行と関東連合との関係とは?
関東連合グループと乱闘
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関東連合は、渋谷、六本木、西麻布、新宿のいわゆる地下社会で一定の勢力を誇っており、「既存の暴力団ではないが暴力的な犯罪を行う集団」を意味する「半グレ」の象徴的な存在です。
与国さん自身はこの関東連合に属していたわけではありませんが、与国さん自身も東京では超有名な不良でしたから、当然、関東連合のメンバーたちと関わりもありました。
杉並を中心に名前が知られていた関東連合のOBである柴田大輔氏は、与国さんと親しくしており、柴田氏が少年院から出所した際には与国さんも出所祝いに駆けつけました。
しかし、同じくお祝いの場にいた関東連合のメンバーがお酒の勢いで与国さんに食ってかかると、与国さんが大暴れし、関東連合のグループと大乱闘に発展。
関東連合と親しくしている与国さんとの乱闘を止めるために、柴田氏は泣きながら「やめてくれ!その人は俺のために駆けつけてくれたんだ!」と叫び、乱闘をなんとか静止したそうです。
柴田大輔氏と言えば、関東連合OBの中でも必ず名前のあがるリーダー格の1人ですが、そんな柴田氏が一目を置き、乱闘を避けたいと思うほどの存在だったのです。
関東連合OBの憧れだった?
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関東連合の最も中心的人物で、世に知られる「六本木襲撃事件」の首謀者として現在も指名手配されている見立慎一氏。
与国秀行さんとは同じ中学の先輩後輩で、放送委員会で同じだったと与国さんが語っています。
関東連合と、敵対グループとの最大の抗争となった「六本木襲撃事件」により関東連合は実質的に崩壊しましたが、現在も語り継がれる事件となりました。
この事件の中心人物だった見立氏、そして先ほどの柴田氏、そしてもう1人、同じ杉並区で悪名を轟かせた松嶋氏にとって、与国さんは憧れの不良だったと言われています。
ちなみに、3人は与国さんが通うボクシングジムにも通っていたそうです。
誰もが恐れる不良たちの憧れの不良ですから、かなりの人望と強さがあったことが分かります。
また、関東連合とは関係ありませんが、日本を代表するレゲェグループ「湘南乃風」の若旦那さんは、与国さんが杉並区でその名を轟かせていた頃、世田谷の不良として大暴れしていました。
若旦那さんはたまたま与国さんが喧嘩しているのを見かけた際に、「絶対勝てない」と思ったそう。
そして、その後2人は意気投合し長い交流がありますが、若旦那さんは与国さんと出会ったことで自分は1番にはなれないと理解し、不良の道を諦めたと言います。
不良として広く名の知れた多くの人たちが与国さんを恐れ、そして憧れていたのです。
与国秀行の失明事件とは?嫁と襲われた経緯とその後
失明事件の経緯
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現在、与国秀行さんは左目を失明した状態です。
その原因は、妻とレストランで食事を終えた後に道を歩いていると、突然バットを持った暴漢に襲われ、左目を失明するほどの大きな怪我を負ったのです。
与国さんは、不良から足を洗った後、自分探しの旅の中で「幸福の科学」と出会い、その教えに傾倒していきました。
そして、2009年、当時設立したばかりの「幸福実現党」から衆議院選挙に立候補。
街頭演説など、精力的に選挙活動を行い一定の支持を得ましたが、結果は残念ながら落選しました。
衆院選を終え、与国さんは妻と食事へ出掛けた帰りに赤羽の路上にて、突如バットを持った暴漢に襲われたのです。
与国さんは一緒にいた妻を守るため、「妻だけには手を出さないでくれ」と懇願し、自身は路上に座り込んで無抵抗に殴られ続けたと言います。
抵抗しようと思えばできたはずですし、与国さんほどの腕っぷしがあれば簡単に追い払うこともできたはず。
しかし与国さんは抵抗するどころか、一方的に殴られ続けた挙句、「お前らも正しく生きろ」と暴漢を諭そうとしたそうです。
結果的に、与国さんは左目を失明するという大きな怪我を負いましたが、与国さんは「左目の視力を失ってより一層いろんなものが見えるようになった」と言ってのけました。
東京一と名を馳せた与国さんが、不良という世界から足を洗い、なんと政治の世界にまで進出しようとしたその信念は確固たるものがあります。
もう人を傷つけない、そして復讐の連鎖を生まない、という決意が感じられます。
犯人は未だ不明
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この事件を受けて、昔から深い交流があったた関東連合OBの田丸大氏がすぐに病院に駆けつけ、犯人への仕返しを提案したそうです。
しかし与国さんは復讐どころか、田丸さんを争いの世界から脱却するように諭したと言います。
与国さんを襲った犯人について、すぐに関東連合の関与が疑われましたが、与国さんはこれを否定。
その他、敵対する宗教集団や政治団体の犯行も考えられましたが、与国さんはこの事件に関して被害届も出さず、犯人を詮索することもありませんでした。
もしかすると、与国さんは襲われた時点で犯人が誰なのか見当がついていたかも知れません。しかし、自分が犯人の正体を明かせば、必ず自分を慕う仲間が報復を考えます。
そしてそれは復讐の連鎖を生み、争いが繰り返されることになります。
与国さんは自分で争いの連鎖を終わらせるために、犯人について追求しなかったのかも知れませんね。
与国秀行と「幸福の科学」の関係とは?
幸福の科学とは?
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幸福の科学とは、1986年に大川隆法によって設立された日本発の宗教団体です。
キリスト教やイスラム教の神、仏陀などのさらに上位に位置するとされる地球神「エル・カンターレ」を信仰しています。
仏教僧・日蓮の霊言集にある「幸福科学」という言葉から「幸福の科学」と名付けられ、日本国内にとどまらず世界中で布教活動が行われています。
また、仏法の教えを基にしていますが、仏教とは違い入信すると「出家」ではなく「職員」と呼ばれるようになります。
与国秀行と幸福の科学の出会い
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与国秀行さんは、喧嘩に明け暮れる毎日を過ごす中で、争いを繰り返すことに疑問を抱くようになりました。
喧嘩で人を負かしても、必ず報復され、そしてまた報復する…その繰り返しの日々に嫌気がさして、与国さんは高校卒業と同時に自分探しの旅に出るため全国各地を放浪します。
同じ頃に実家の家業が倒産、与国さんはほぼ無一文の状態で旅をすることとなり、仕方なく沖縄でスキューバダイビングのインストラクターやリゾートホテルでバイトしながら過ごしました。
そして、旅の途中には宗教関連の本を読み漁り、キリスト教聖書や仏教の宗教書、日本文学などに触れるようになりました。
ある日、宮古島の図書館でたまたま幸福の科学の創始者・大川隆法氏の「太陽の法」という著書に出会い、深い感銘を受けたそうです。
そして、与国さんは自身が歩んできた争いの絶えない日々を悔い、不良の世界から足を洗おうと決意したのです。
「太陽の法」との出会いにより、与国さんは幸福の科学の教えにのめり込むようになりました。
この頃には、それまでの仲間たちに争いを繰り返す世界から抜け出そうと説得するようになり、急に人が変わったように方向転換した与国さんは周りから煙たがられる存在になったそう。
思うように周りを説得できない自分に、無力さを感じていたと言います。
そして2008年3月16日、関東連合や東京で不良と呼ばれた者たち全てに衝撃の走る出来事が起きました。
それは「西新宿集団リンチ事件」です。
与国さんもかつてタイマンを張ったという、関東最強の男・金村剛弘氏が関東連合と敵対するグループの数人から集団リンチを受け、見るも無残な姿で亡くなった衝撃的な事件でした。
この事件を受けて、与国さんはより一層、堅気に戻ろうという決意を固め、葬儀に集まった関東連合のメンバーにも、報復などせず堅気に戻ろうと必死で説得したそうです。
しかし、伝説の男とは思えない与国さんの発言は「空気の読めないやつ」と思われただけで、結局その後、金村剛弘氏の報復として「六本木襲撃事件」が起きてしまいました。
与国さんは幸福の科学に出会い、堅気に戻ろうと決意し、過去の自分と決別するために、結婚を機に「谷山」の姓を捨て「与国秀行」として生きることを決めたのでした。
与国秀行の現在
①幸福の科学の職員
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先述したように、不良の世界から足を洗った与国さんは現在、幸福の科学の職員として宗教活動を行っています。
2017年には神輿団体「隆和会」を結成しましたが、現在は公式サイトなども削除されておりその活動内容については不明です。
2018年には、一般社団法人「武士道」という会社を設立。与国秀行さんの妻が代理理事を務めており、現在ホームページも作成されています。
国民一人一人の目覚め、国家の質向上につながり、迫りくる国難を打ち破ると掲げ、武士道精神を元に、理想社会の実現を目指す会社だと紹介されています。
活動も様々なことを行っているようで、同じ考えの方と活動を共にしたり、運営の為に寄付金も募っています。
②作家活動
出典:https://career-find.jp/
不良だった頃から本を読むことが好きで、作家になりたい願望があったという与国さんは、自分探しの旅の中で様々な本を読み漁りました。
そして、2015年にはついに作家としてデビューし、現在までに6つの著者を手掛けています。
「優しき心への水」「本最大の国難」「幸福の科学はどこまでやるのか」「本最大の国難 – 目に見えぬ黒船の来航」「大和魂の復活」「貧困繫栄国家 – 超格差社会を粉砕せよ」です。
どれも東京一の不良と呼ばれた人が書いたとは思えない、難しい内容です。
③YouTuberとして活躍
出典:https://togetter.com/
最近では、一般人から芸能人まで多くの人が挑戦しているYouTubeによる動画配信。
与国さんもまたYouTuberとして、自身の政治的、宗教的考えを動画で配信しています。
まとめ
「東京一の不良」と謳われ、拳一つでその強さを誇示してきた谷山秀行さん、改め与国秀行さん。
硬派で1匹狼なスタイルを貫き、喧嘩に明け暮れていた日々から一転、幸福の科学の職員となって宗教家に転身するなど、その人生は波乱万丈です。
現在は宗教家、作家、YouTuberと幅広く活躍し、自身の考えを世に発信し、不良だった自身の生き方を改め、争いのない世界の実現を説いています。
多くの修羅場を越えてきた与国さんだからこそ、見えたものがあったのかもしれませんね。