関西のスター・やしきたかじんさんですが、3番目の嫁となった家鋪さくらさんが話題です。
今回は家鋪さくらさんについて、やしきたかじんさんとの関係、過去の結婚歴、重婚説や遺産目当て説など黒い噂や正体、現在を紹介します。
この記事の目次
やしきたかじんのプロフィール・結婚歴と離婚歴
プロフィール
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名前:やしきたかじん
本名:家鋪隆仁(やしきたかじ)
生年月日:1949年10月7日
没年月日:2014年1月3日
出身:大阪府大阪市西成区
芸能活動
1971年に歌手としてデビューし、歌手としての成功はもちろん、タレントとして多くの番組で司会を務め、関西を代表するタレントにのし上がりました。
しかし、成功を収めるまでには長い下積み時代も経験しています。
歌手としては、「なめとんか」「やっぱ好きやねん」「東京」など大ヒットナンバーで知られ、関西ではもはや知らない人はいないほどの人気ぶりでした。
タレントとしては、歯に衣きせぬ物言いが人気を集め、あっという間に人気司会者となりましたが、どれだけ熱望されてもたかじんさんは東京進出を拒否し続けたと言われています。
東京では関西に比べて放送コードが厳格だったため、ズバズバと鋭く切り込むたかじんさんのトークが関東ではカットされることに納得が行かず、関西ローカルでの仕事にこだわりました。
関西では「たかじんのそこまで言って委員会」「たかじん胸いっぱい」などレギュラーを抱えていましたが、3本以上はレギュラーを持たないというのがたかじんさんの独自ルールでした。
それ以上では、ベストなパフォーマンスができないと考え、テレビに出る以上はどの裏番組よりも高視聴率を記録しなければならない、と絶対に努力を惜しまない姿勢を見せ続けてきました。
仕事に関してはとてもストイックで、強い信念を持っていましたが、プライベートでは女性関係に関してかなりルーズなことでも知られています。
結婚・離婚歴
たかじんさんは21歳の頃に初めての結婚を経験し、1人目の妻との間には1人の娘さんをもうけました。
芸の道を歩む者としては当時珍しくありませんが、女遊びが激しく、結婚から数年でたかじんさんは家に帰らなくなったと言います。
離婚調停がなかなか決着しなかったため、2人の離婚が成立したのは1980年のことでした。
1980年代はたかじんさんにとって仕事でもかなり苦労した時期で、関西でも一切仕事の依頼がない低迷期でした。元妻への養育費や生活費の支払いさえ、ままならない状態だったそうです。
泥沼離婚に見えますが、離婚後も誕生日やクリスマスなどイベントで元妻と娘さんの3人で食事するなど定期的に会う仲で、娘さんは成人以降も年に何度かたかじんさんに会っていました。
ちなみに、1人目の妻であった女性は1988年にくも膜下出血で亡くなっています。
その後、たかじんさんは1993年に2度目の結婚をします。
お相手は、たかじんさんの15歳年下の和服モデルをしている女性でした。
女癖の悪さが原因で結婚に一度失敗したたかじんさんですが、2度目の結婚でもたかじんさんはその女癖を改善することはありませんでした。
ただ、2人目の奥さんとなった女性は非常に寛容だったそうで、ひどい時には1年も家を空けるたかじんさんでしたが、帰ってくると必ず「おかえりなさい」と迎えたと言います。
しかし、どんなに寛容で理解のある女性でもあまりに自由すぎるたかじんさんに愛想を尽かし、2006年に奥さんから離婚を申し出て、その後彼女は違う方と再婚したそうです。
やしきたかじんの3番目の妻・家鋪さくらが話題に
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2度の離婚を経験したやしきたかじんさんは、2013年10月に3度目の結婚を果たしました。
そのお相手は、32歳年下のさくらさんという女性で、イタリアでネイルサロンを経営していたと言われています。
そんな2人はFacebookを通じて出会い、海外生活の長かったさくらさんは「やしきたかじん」という名前を知らなかったそうです。
「家鋪隆仁」という名前のおじさんという認識だったそうで、さくらさんが妹の出産のために一時帰国していたときに食事会で出会いました。
この時たかじんさんがさくらさんに一目惚れして、5日後に初めて2人でデートをすると同時になんとたかじんさんはプロポーズしたと言います。
さくらさんは一時帰国の予定でしたが、この頃に実家の父親の体調が悪くなったため、その看病のために日本に残ることになりました。
こうして、2011年12月頃に2人の交際が始まり、たかじんさんはさくらさんに対してかなりの惚れ込み様だったようです。
しかし幸せは長くは続かず、交際から1ヶ月後、たかじんさんの食道癌が見つかったのです。
2011年10月頃からたかじんさんは胸の痛みを訴えていましたが、このときは病名が分からないままで、年明けに人間ドックに入ったところ病名が発覚。
すぐに芸能活動を休止してガン治療が始まり、その長く辛い闘病生活を支えたのがさくらさんでした。
抗がん剤治療と食道癌切除手術などを受け、退院後の2013年3月に芸能界復帰を果たしたものの、その痩せ細った姿はファンに衝撃を与えました。
復帰を果たしても、決して元気そうには見えかったように、5月にはたかじんさんは再休養となってしまいました。
そんな中、2013年10月にたかじんさんはさくらさんと極秘で入籍。
交際を始めてすぐ発覚した食道癌の長い闘病生活をさくらさんは献身的に支え、たかじんさんの生きる希望となっていました。
ごく親しい関係者にのみ結婚を報告したたかじんさんは、長い闘病生活を支えてくれたさくらさんへの「ケジメ」として入籍という選択をしたと言われています。
さくらさんとの入籍から3ヶ月後、たかじんさんは2014年1月3日に64歳で他界しました。
年末に風邪で体調を崩し、肺炎も合併した結果、容体が急変し最期を迎えたと言い、さくらさんがたかじんさんを看取りました。
たかじんさんは生前に、「絶対におめでたい正月が明けるまでは口外するな」と遺言を残していたため、世間に発表されたのは7日のことでした。
まるで自身の死を予知していたかのようですね。
さくらさんは、最愛の人を亡くし憔悴しきった様子だったものの、たかじんさんの冠番組「たかじんの胸いっぱい」の収録現場に足を運び、最期のたかじんさんの様子を伝えたそうです。
やしきたかじんの3番目の妻・家鋪さくらのプロフィール~過去の結婚歴や重婚説も紹介
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2度の離婚歴があり、女遊びは本当に激しかったことで知られるやしきたかじんさんが、「最後の女」として選んだのがさくらさんです。
たかじんさんの妻と言っても一般人であるため、詳細は分かっていませんが、さくらさんについて多くの噂が囁かれています。
家鋪さくらは4度目の結婚だった?
作家・百田尚樹さんがやしたかじんさんの晩年を描いた「純愛ノンフィクション」作品「殉愛」が発売されたのをきっかけに、2014年11月「金曜日のスマイルたちへ」にさくらさんが出演。
さくらさんの過去を知る関係者たちから、過去の情報が多くネットに書き込まれました。
その情報によると、なんとさくらさんには3度の離婚歴があり、たかじんさんとの結婚は4度目だったと言います。
32歳も年上の、女遊びは一流だったたかじんさんでさえ3度の結婚だったにもかかわらず、さくらさんは32歳で3度も離婚を経験していたのです。
1度目の結婚:岸和田市在住の男性
1度目の結婚は、高校卒業後に大阪の高島屋にあったショップで店員として働いていた頃で、相手は岸和田市在住の男性だったという噂です。
2度目の結婚:英会話講師ダニエル
そして、2人目は英会話講師・ダニエルさんです。この情報源は、大型犬専門のブリーダーのブログでした。
ブログには、2007年5月に訪れた一組のカップルのことが綴られていて、その女性がさくらさんのようだ、との声が多数寄せられていました。
文面だけでは判断は難しいですが、一緒に添えられた写真に写る女性はさくらさんに瓜二つで、このブログの中で、さくらさんがダニエルさんの婚約者であると紹介されていたのです。
また、百田尚樹さんの「殉愛」の中でも、さくらさんが過去にアメリカ人英会話講師と結婚していたことが事実であると明かされています。
3度目の結婚:イタリア人のIvan Signore
そして、3回目の結婚相手と言われているのが、イタリア人のIvan Signoreさんです。
イタリアへのショートステイの際に出会ったIvanさんと長距離恋愛の末、2008年12月に結婚し、2009年にイタリアへ移住したと言います。
イタリアで、主婦をしながらその副業としてネイルサロンを開いていたようで、その後やしきたかじんさんと日本で出会うわけです。
一般人のさくらさんの結婚歴がこれほど明らかになってしまった理由は、さくらさんが運営するブログ「都会っ子、イタリア・カントリーサイドに嫁ぐ」に全て書かれていたからです。
たかじんさんとの交際が明るみになってからこのブログは削除されたのですが、やはり過去に見ていた人がいたので、流出してしまったようです。
イタリア人のIvan Signoreとの重婚の噂
イタリアで年下男性Ivanさんと結婚していたさくらさんは、2011年12月に日本に一時帰国した際にたかじんさんと出会っています。
そして、さくらさんはそのままイタリアは戻らず日本でたかじんさんと交際を開始しました。
その間、Ivanさんと離婚するためにイタリアへ渡ったという話もなく、正式に離婚が成立していたわけではないまま交際がスタートしたものと見られています。
ところが、2012年3月15日、Ivanさんは自身のSNSで「妻と離れ離れで気が狂いそう。この状況をなんとか考えないと。日本に移住するかな」と発信しています。
この時点では、離婚どころか、Ivanさんはまさかさくらさんが日本で新しいパートナーと生活を共にしだしたことなど知る由もありませんでした。
先述した、さくらさんのブログ「都会っ子、イタリア・カントリーサイドに嫁ぐ」で、イタリアに帰らない理由を「父親のガン手術」のためとし、その後の看病を理由に日本に留まりました。
しかし、のちにその記録から推測すると、この時期とたかじんさんのガン手術の時期が完全に一致するのです。
ブログはこの記事を最後に更新が途絶え、たかじんさんが亡くなった後で削除されています。
のちに、週刊誌に対して取材に答えたさくらさんは、日本に帰国した理由の1つが日本での離婚手続きもあったと話しているため、重婚というのはデマかもしれません。
しかし、少なくとも婚姻関係を継続した状態でたかじんさんのと交際に発展したことは間違い無いでしょう。
やしきたかじんの3番目の妻・家鋪さくらの現在① たかじん家族との確執
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やしきたかじんさんが2014年1月3日に他界し、最愛の人を失ったさくらさんは当時憔悴し切った様子だったと言います。
しかし、たかじんさんが亡くなる3ヶ月前に籍を入れ、しかもそのことはたかじんさんの実の母親にも報告していなかったそうで、たかじんさん亡き後、多くの騒動を起こしています。
たかじんさんの最期を看取ったさくらさんは、故人の強い意志を尊重し葬儀は密葬となったのですが、実はたかじんさんの死を大阪に住む実の母親に報告しなかったそう。
たかじんさんの1人娘は葬儀に駆けつけていたようですが、娘さんからたかじんさんの母親にたかじんさんの死が伝えられたのは1月7日のことで、知った母親は絶句したと言います。
これは、母親が脳梗塞で倒れ車椅子生活だったのを配慮したのではとも言われていますが、母親がたかじんさんの後を追うように5月に亡くなり、その葬儀で確執が明らかとなりました。
たかじんさんの母親の葬儀に足を運んださくらさんは、キリスト教徒であることを理由にお焼香を拒み、周囲とも一切口をきかず、親戚の食事会も辞退して、骨も拾わず帰って行ったそう。
たかじんさんの最後の女性として注目されたさくらさんですが、たかじんさんの親族や親しい関係者たちとはうまくやれているとは決して言えない状況です。
やしきたかじんの3番目の妻・家鋪さくらの現在② 遺産目当てで結婚したと言われる
そして、たかじんさんの妻として注目された当初から言われてきたのが、さくらさんが「遺産目的」で結婚したのではないかということです。
たかじんさんが亡くなった後、遺言には「OSAKA明るクラブ」に2億円、母校である桃山学園に2億円を寄付し、残りは全てさくらさんに相続するという旨が書かれていました。
唯一の娘である、長女への相続はなんと0。
この遺言書を見た長女は、あまりの驚きとショックから絶句してしまったそうです。
また、たかじんさんの死後、さくらさんはすぐに「office TAKAJIN」を設立し、たかじんさんの肖像権などの権利関係全てを引き継ぎました。
そのため、たかじんさんの歌がカラオケで歌われるたびにさくらさんにお金が入るわけです。
しかも、さくらさんはたかじんさんが希望した寄付についても辞退を申し出ており、もはやさくらさんの独壇場です。
これでは、さすがに遺産目的と言われても仕方ない気がしますね。
たかじんさんが亡くなった今、さくらさんは妻という1番強い立場にあるわけですから、覆すには裁判を起こしてそれなりの時間と労力をお金をかけるしかありません。
自分が亡くなった後で大切な人たちが争っていることを思うと、たかじんさんも報われませんね。
どうかたかじんさんのためにも、お金への執着ではなくたかじんさんへの愛情を大切にしてほしいですね。
やしきたかじんの3番目の妻・家鋪さくらの現在③ 華原朋美のマネージャーになるもトラブル
家鋪さくらさんは2021年1月から1ヶ月間、華原朋美さんのマネージャーを務めていたと週刊女性が報道しています。
しかし、華原朋美さんのマネージャーを務めていた1ヶ月の間に色々と面倒なことが起きていたようです。
2人の出会いについて、出版関係者「とある大手出版社社員の紹介で知り合った」と語っています。家鋪さくらさんが何人かの有名人の名前を持ち出し、華原朋美さんはさくらさんを頼ることにしました。
しかし、その後、家鋪さくらさんに不審な行動が見られ、契約を解除になったといいます。
「華原さんの所有するマンションの売却を執拗にすすめたり、お金がらみの不審な行動が尽きませんでした。また、華原さんはさくらさんがたかじんさんの後妻だと知らなかったそうです。周囲の人に“あの人は危ない”と言われて、初めて警戒心を持ったんです」(前出・芸能プロ関係者)
実際にさくら氏は、華原のもとで動画制作を請け負っていたものの、やはり問題が。
「動画の制作を数本行いましたが、制作費として相場よりだいぶ高い金額の請求があったそうです。ぬぐい切れない不信感から、就任1か月ほどで訣別することになりました」(同・芸能プロ関係者)
週刊女性によると、華原朋美さんには小室哲哉さんが手がけた楽曲の歌唱印税があり、また兄弟には会社の経営者もいます。そういった資産を家鋪さくらさんが狙ったのではないかと報道しています。
まとめ
「関西の視聴率男」と呼ばれたやしきたかじんさんの、3人目の妻であり最後の女として話題になった家鋪さくらさん。
イタリア人男性との重婚説や遺産目当ての噂など話題は尽きず、たかじんさん亡き後も騒動が絶えません。
生前大切にしていた人たちが自分のことで争う姿をたかじんさんは決して望まないはずです。
どうかさくらさんもその想いを汲んで、たかじんさんを偲ぶ気持ちを持っていて欲しいですね。