「こまっちゃうナ」や「どうにもとまらない」などメガヒットを飛ばした歌手の山本リンダさんですが、最近では自宅や事故も話題です。
今回は山本リンダさんの年齢、昔や若い頃、結婚した旦那や子供、自宅や事故など現在を紹介します。
この記事の目次
山本リンダのプロフィール
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山本リンダさんと言えば、目鼻立ちがハッキリした美貌とメリハリのあるプロポーションが特徴の歌手です。
「リンダ」という名前は、出生に関係があるようです。
プロフィール
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山本 リンダ(やまもと りんだ)
本名: 稲葉あつ子(旧姓は山本)
生年月日: 1951年3月4日
出身地: 福岡県小倉市
血液型: 不明
身長: 168cm
山本リンダの昔や若い頃① 父親はアメリカ人で母親が日本人のハーフ
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若い頃の山本リンダ
山本リンダさんは、父親がアメリカ軍の軍人で、母親が日本人です。
本名は「山本あつ子」ですが、リンダ(Linda)というのは、生前の父親が山本リンダさんに付けた愛称だったのだとか。
父親は、山本リンダさんが幼い頃に戦死しています。父親の亡き後は、母親が女手一つで育ててきました。
家庭は貧しく、5歳の頃に神奈川県横浜市に転居しましたが、学校に通うと「外人」と言われていじめられてきました。
大人からも白い目で見られ、辛い日々を送る山本リンダさんの心の支えは母親でした。
悲しい時、母親は「あなたは今は醜いアヒルの子だけれど、最後には白鳥になるの」と慰めてくれたのだとか。
幼い山本リンダさんは、優しい母親を慕い、早く楽をさせてあげたいという気持ちがあったのでしょう。若くしてお金を稼ぐことを考え、実行したのです。
山本リンダの昔や若い頃② 「こまっちゃうナ」が大ヒット
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山本リンダさんの歌手デビューは1966年、デビューシングル「こまっちゃうナ」が大ヒットを記録しました。
芸能界に入ったのは、もう少し前のこと。山本リンダさんは、最初の頃はモデルをしていました。芸能界入りの経緯について見ていきましょう。
モデルから歌手に転身
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芸能界デビューは、11歳の頃に受けた雑誌「装苑」のオーディションに合格したことがきっかけです。
母親に楽をさせたいと、「山本リンダ」名義でモデル活動を開始すると、たちまちティーン世代の少女達から人気を博しました。
1966年、15歳になった山本リンダさんに出会いが訪れます。これがその後の人生を大きく変えることになります。
ある日、山本リンダさんは事務所社長に連れられて、作詞作曲家の遠藤実さんに挨拶をしにいきました。
遠藤実さんは何の気なしに「ボーイフレンドはいるの?」と質問したところ、山本リンダさんは「リンダ困っちゃうな」と答えました。
これを聞いて作詞作曲のイメージが湧いた遠藤実さんは、「こまっちゃうナ」を作ったのです。
リリースされると、100万枚リリースの大ヒットを記録。可愛い容貌に舌足らずな感じで初々しく歌う様子は、男女共に受け入れられてトップアイドルに君臨したのです。
「一躍有名に」という言葉がありますが、当時の山本リンダさんにピッタリの言葉です。デビュー翌年には紅白歌合戦にも初出場しました。
山本リンダの昔や若い頃③ 「どうにもとまらない」で再ブレイク
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山本リンダさんは、デビューシングル「こまっちゃうナ」でミリオンを達成していますが、その後は人気が低迷し、苦しい時期を歩むことになります。
それを乗り越えるために、アイドル路線から大きな路線転換を余儀なくされたのです。
大胆な衣装とダンスで世間を魅了した山本リンダさんを見ていきましょう。
歌手としての危機感を感じていた
1967年に華々しいヒットを飛ばすも、その後人気が低迷し苦しんでいた山本リンダさんは、1972年のシングル「どうにもとまらない」に全てを賭けることになります。
作詞を阿久悠さん、作曲は都倉俊一さんによる名コンビによる楽曲であり、大人の色気と激しさを前面に押し出したものでした。
これまでアイドル路線でしたが、「どうにもとまらない」のデモテープを初めて聞いた時、「すごくカッコイイ。これで売れなければもう歌手としてだめだ」と感じる程、惚れ込んだそう。
昔では考えられない大胆な衣装が注目された
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歌の魅力を引き出すために、これまでの可愛い路線を捨てて、衣装はヘソ出しルックで、激しく腰を振るスタイルを自身で提案しました。
昔の歌手は歌を歌う時、せいぜい手を動かすくらいで、激しいパフォーマンスをする人はいませんでした。
ましてや、ヘソ出しルックなど前代未聞だったのです。
しかし、セクシーな衣装で激しいダンスを披露するとたちまち大ヒット。「アクション歌謡の先駆け」と呼ばれる存在になったのです。
山本リンダさんは「どうにもとまらない」で、1972年の第14回日本レコード大賞作曲賞、第3回日本歌謡曲大賞、有線放送大賞と、まさに総なめ状態で受賞しています。
さらに5年ぶりの紅白歌合戦出場も果たしており、山本リンダさんの人気は、まさに「どうにもとまらない」状態になるのです。
NHKとは衣装で揉めたことも
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1972年の紅白歌合戦に出場する際、NHKからは「ヘソ出しルックではなく、普通の衣装を着るように」と指示された山本リンダさんは、しぶしぶお腹が隠れるパンツを履いて出場します。
しかし、お腹が見える状態で激しく踊るからこそ楽曲の良さが際立つ、と考えた山本リンダさんは一計を案じます。
紅白歌合戦のリハーサルで、大きなリボンをお腹のあたりで結ぶブラウスを着用し、ダンスを軽めにするとNHKに提案しました。
NHKのディレクター達も、山本リンダさんの提案に「確かにそうだ」と考えて、衣装にOKを出しました。
しかし本番では、山本リンダさんはいつもと同じように激しく踊り出します。当然、リボンの結び目にかなり揺れて、おへそもが丸見え状態に。
翌年、普通にヘソ出しルックでリハーサルに臨んだところ、もうNHK側も何も言ってこなかったそう。それ以降、堂々と好きな衣装でパフォーマンスができるようになったとのことです。
昔は衣装に厳しかったことから、山本リンダさんもかなり対策を練ったこととがうかがえるエピソードですね。
山本リンダの昔や若い頃④ 狙いうちで不動の人気へ
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山本リンダさんは、起死回生のヒット曲「どうにもとまらない」で、新たなジャンルへの活路を見出すと、水を得た魚のように「狙いうち」をリリースし、大ヒットとなりました。
イントロの工夫
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歌そのものは肉食系女子のワイルドな歌ですが、当初、歌の冒頭は「ラララ ラララ」と始まるものだったそう。
ですが、今一つパンチが足りないと感じた作詞担当の阿久悠さんが、「ウララ ウララー ウラウラよ」に変えたところ、「一度聞くと忘れられないイントロと歌詞が面白い」と大ヒット。
そもそも「ウララ」とは一体何なのか、気になる人が多かったようで、一部では男性を落とすための呪文説を力説する人もいました。
「ウララ」を選んだ理由について阿久悠さんは明かしていませんが、意味は特になく、インパクトを重視したと言われています。
高校野球の応援歌の常連に
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歌のタイトルが「狙いうち」で、ボールをヒットさせることを想起させることから、東京六大学野球の1つ、明治大学の応援団がチャンステーマとして起用しました。
どうやら明治大学は阿久悠さんの出身大学であることもあったようです。
その後、プロ野球でも、中日ドラゴンズの外国人選手の応援歌やチャンステーマとして次第に波及。
今では高校野球の応援歌の定番として定着しており、この当時の山本リンダさんを知らない若者でも「狙いうち」なら知っているという方も多いはずです。
山本リンダの昔や若い頃⑤ 仮面ライダーにも出演
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仮面ライダーに出演時の山本リンダ(右)
ここからは山本リンダさんの伝説と言われるエピソードを紹介します。
山本リンダさんは、1971年に放送された「仮面ライダー」に出演しており、同作をヒットへと導いた立役者だと言われています。
道義を欠いた行為にブチ切れた
山本リンダさんが出演した仮面ライダーは、1971年に放送が始まりました。
現在では、女性にも人気の仮面ライダーシリーズですが、当時売れるかどうか全く読めない手探りの状況で開始されていたんだとか。
そこで、知名度のある山本リンダさんを起用することで、少しでも視聴者に興味を持ってもらいたいという制作側の意図があったそうです。
ロケ地に選ばれた北海道のホテルに到着すると、歓迎の看板には本来「仮面ライダー御一行様」と書かれるはずが、「山本リンダ御一行様」と書かれていたそう。
当時はまだ仮面ライダーが無名の番組だったので、ホテルとしては山本リンダさんの名前を出した方が宣伝になると考えたようですね。
山本リンダさんは、この行為に「みなさん方に失礼です!」と激怒し、出演者やスタッフを庇いました。
当時の山本リンダさんはまだ20歳という年齢でしたが、周囲に気遣いができるところが大物だと、このエピソードに感心する人が多いようです。
山本リンダさんが出演した仮面ライダーは高視聴率を獲得し、現在まで長年続くシリーズの土台になりました。
山本リンダの結婚した旦那は稲葉光彦~子供はいない
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ここからは、山本リンダさんの結婚について見ていきましょう。
山本リンダさんが結婚したのは50歳の頃でした。旦那はどのような人なのでしょうか。
旦那は稲葉光彦
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山本リンダさんの旦那は、富士常葉大学経済学部で教授をしている稲葉光彦さん。山本リンダさんより7歳年上です。
2人の馴れ初めは、共通の友人の紹介でした。
その後、何度か食事会を重ねていく中で次第に距離を縮めて交際に発展。2001年5月に結婚しています。
子供はいるの?
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2人の間に子供はいません。
2001年に結婚した段階で山本リンダさんは50歳で旦那は57歳でしたので、子供をもうけるには難しかったのかもしれません。
現在の山本リンダさんは70歳。子供はいなくても、旦那と穏やかな結婚生活を送っているのかもしれませんね。
山本リンダの自宅がすごいと話題に
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一時代を築いた山本リンダさん。やはり気になるのは旦那と共に暮らす自宅ではないでしょうか。
過去にテレビ取材を受けて何回か自宅の様子が公開されたこともあります。とにかくすごいと言われたその理由についても紹介します。
自宅はジムと化している
山本リンダさんの自宅は、東京都新宿区にある一戸建です。ネットでは、自宅を上空から撮影した写真も掲載されています。
見る限り、広大な敷地面積というわけではなく、周囲にある一軒家とあまり差がありません。旦那と2人で住んでいる家なので、普通の広さでも充分なのかもしれません。
山本リンダさんの自宅がスゴイと言われるのは、屋内のトレーニング機器の多さです。あまりにも多いので、自宅がジム状態に。
山本リンダさんは、年齢を重ねて70歳になってもスラリとした抜群のポロポーションを保っています。やはり自宅での日々の鍛錬の賜物なのでしょうか。
お家時間が増えて体重を気にする人が多いご時世ですが、山本リンダさんには「太る」という言葉を許容しないストイックさを持っているようですね。
山本リンダの現在① 事故を起こしていた
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山本リンダさんは、2021年3月現在70歳になりました。
最近は、テレビで歌を披露する機会も減っている状況ですが、近年ニュースとして取り上げられていたことをご存知でしょうか。
実は2019年6月、車で衝突事故を起こしていたのですが、世間が注目したのは、衝突事故の相手でした。
衝突事故の相手は楽天の三木谷社長
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事故を起こした場所は東京都の信濃町付近。その相手とは、楽天の社長を務める三木谷浩さんの車だったのです。
三木谷社長の車が路肩に停車していたところ、後方から来た山本リンダさんの車が接触したことで、右側のミラーが破損。
お互い車を運転していたのはお抱え運転手でしたが、幸い双方に怪我人はありませんでした。
接触した車同士がお互い有名人だったことで世間から注目を集めたものの、車の運転手は山本リンダさんではなかったことで、さほどバッシングされませんでした。
事故を防ぐためにも、運転手を付けた方が良いという芸能界の思惑は一致しているものの、近年の不景気で売れっ子でも自身で運転せざるを得ないという背景もあるようです。
こういった意味で、山本リンダさんは運転手に任せていて正解だったと、朝日芸能が報道してます。
山本リンダの現在② 年齢よりも若い秘訣を語る
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2021年3月に70歳を迎えた山本リンダさんは、実年齢よりも若く見えますよね。
その秘訣について、雑誌の対談で食生活の注意点を語っています。
独自のダイエットをしている
30代以降、食べるとすぐに太ってしまうことに気が付いた山本リンダさん。
ただ、食事を極端に減らすと体力も落ちてしまい、ステージで激しいダンスを踊ることができなくなってしまいます。
太ってはいけないというジレンマとストレスの中で編み出したのが、夕飯を食べないようにして、それ以外の時間帯で好きな物を食べるという方法でした。
果物が大好きな山本リンダさんは、特にイチジクやイチゴが好きで、1パック食べてしまうこともあるそう。
その代わりに、日中は筋トレをしたり、スポーツクラブで水泳の時間を確保したりするなど、体を積極的に動かしています。
食事で糖分を入れる時には黒砂糖を使い、ご飯は五穀米が基本。そして夕飯は抜いているそうです。
一方で、なんでもこうしなければいけないとルールで自分をガチガチにしないようにも心がけているそうです。
ダイエットはストレスが溜まりがちですが、あまり自身を追い詰めないように、少し遊びを持たせていることが、山本リンダ流ダイエットなのかもしれませんね。
まとめ
出典:https://www.hmv.co.jp/
山本リンダさんは、アメリカ人の父親と日本人の母親の間に生れたハーフです。父親が戦死してしまったことで母子家庭で育っており、貧しい幼少期を過ごしました。
ハーフであるが故にいじめを受けていたこともあったそうです。
家計を楽にするために芸能界に飛び込み、数年は人気モデルをしていましたが、歌手へと転向しています。
デビュー曲「こまっちゃうナ」で一躍有名に。歌手として低迷期を経て「どうにもとまらない」で起死回生のヒットを飛ばします。
その後も「狙いうち」などで歌手として盤石の地位を築きました。
私生活では、2001年に50歳での結婚が話題になりました。
旦那は7歳年齢上で、大学教授をしている稲葉光彦さん。2人の間に子供はいませんが東京都新宿区に一軒家を構えて、現在も夫婦で仲睦まじく生活しています。
自宅は度々テレビで公開されているのですが、とにかくトレーニング機器が沢山設置されていてさながらジムのようです。
抜群のプロポーションは、こういったところから生まれているのかもしれません。
2021年現在、70歳になった山本リンダさんのパワフルな活動をこれからも応援しましょう。