東京都中野区で劇団員の加賀谷理沙さんが殺害された事件の犯人・戸倉高広の判決が確定し話題を集めています。
今回は、加賀谷理沙さんが殺害された事件の概要や、犯人・戸倉高広の家族や実家などの生い立ち、裁判後の現在についてまとめました。
この記事の目次
加賀谷理沙が殺害された事件の概要① 東京都中野区で当時25歳の劇団員女性の遺体が見つかる
出典:https://twitter.com
2015年8月、東京都中野区弥生町3丁目のマンションで、この部屋に住む、当時25歳の劇団員・加賀谷理沙さんが何者かに殺害されているのが発見されました。部屋は外側から施錠され、完全に密室の状態でした。
発見された加賀谷理沙さんの遺体は、部屋の玄関から少し入ったところで全裸の状態で仰向けに倒れており、首にはひも状のもので絞められたとみられる痕跡が残され、遺体の顔にはタオルがかけられていました。
警察は、加賀谷理沙さんが、何者かに首を絞められ窒息死させられたと見て、殺人事件として捜査を開始。
出典:https://matome.naver.jp
その後の調べでは、加賀谷理沙さんの遺体の後頭部や両腕には打撲痕があり、顔にもみ合った際についたとみられる痕跡が残され、口の中が切れて出血しているのが確認されましたが、部屋の中に激しく抵抗した形跡はありませんでした。
こうした遺体と現場の状況から、加賀谷理沙さんが玄関近くで突然犯人に襲われ、後ろ向きに転倒し後頭部を打った後もみ合いになり、ひも状のもので首を絞められ殺害されたと推測されました。
また、加賀谷理沙さんの遺体の口元と乳房からは、犯人のものと思われる唾液が検出されたが強姦された痕跡は無かった事などが警察から発表されています。
加賀谷理沙が殺害された事件の概要② 一ヶ月前に男性トラブルで警察沙汰
出典:https://twitter.com
加賀谷理沙さんが、東京都中野区の自宅マンションで遺体で発見される約1ヶ月ほど前、下の階に住む住人が、食器が割れる音やバタバタと暴れるような音と共に「やめて!」などと女性が叫ぶ声を聞いて警察に通報する事態になっていた事が判明しています。
この時に加賀谷理沙さんと揉めていたのは交際相手の劇団員男性で、警察が駆けつけた後、数時間にわたって部屋の中に立てこもるなどしたようです。
また、加賀谷理沙さんが近所の公園で男性と言い争っている場面なども目撃されており、複数の男性と交際を巡ってトラブルになっていたと報じられています。
また、アルバイト先だった居酒屋に顔に殴られた後のような痣を作って出勤する事もあったという事で、交際していた男性からのDVを受けていた可能性なども疑われていました。
こうした背景もあり、当初警察では加賀谷理沙さんが男女関係のトラブルによって怨恨によって殺害された可能性があると見て捜査を続け、この交際相手男性も容疑者としてマークされていたようです。
一歩間違えば冤罪被害が出ていた?
出典:https://matome.naver.jp
しかし、この時揉めていた交際相手は加賀谷理沙さん殺害事件の犯人ではありませんでした。
その後、別の男性が犯人として逮捕されたため、この交際相手男性の無実が証明されましたが、一部のメディアは事件発覚直後、名前などは伏せつつも、この交際相手男性をあたかも犯人のように報じていた事もあり、一歩間違えれば深刻な冤罪被害が出ていた可能性も指摘されています。
加賀谷理沙が殺害された事件の概要③ 現場に残されたDNAから犯人が特定逮捕される
出典:https://twitter.com
加賀谷理沙さんの遺体の爪の間からは犯人のものと思われる微量の皮膚片が発見されており、警察は、この皮膚片から男性のDNA型を採取、これを手掛かりとし、加賀谷理沙さんと交友のあった関係者や周辺住人など1000人を超える男性から、DNAの提出を受け照合する作業を重ねました。
これと並行して、警視庁は捜査範囲を事件直後に別の場所へ転居した人物にも広げており、そこで容疑者として浮上したのが、加賀谷理沙さんの自宅から約400メートルほど離れたマンションに住んでいた戸倉高広という当時37歳の男でした。
戸倉高広は、加賀谷理沙さんの殺害事件が発覚した直後に、自宅マンションから福島県の実家へと引っ越すなどの不審な動きを見せており警察がマークしていました。
出典:https://www.sankei.com
警視庁は戸倉高広から任意のDNA提供を受け照合したところ、加賀谷理沙さんの爪の間から採取されたDNA型と一致したとして、2016年3月12日、加賀谷理沙さん殺害の容疑で戸倉高広を逮捕しています。
加賀谷理沙が殺害された事件の概要④ 犯人・戸倉高広は偶然見かけ声をかけたと主張
出典:https://twitter.com
戸倉高広は当初、「被害者の事は全く知らないし、殺してもいない」などと容疑を否認していましたが、翌13日の夜頃から「私が殺しました。責任を取ります」と容疑を認め、「被害者の事は知らなかったが、事件の直前に見掛けて後をつけた」などと供述しました。
後をつけた理由について、戸倉高広は、その後の取り調べや裁判などで「地元に戻る前に、東京のつながりが欲しかったので、LINEを交換しようと思った」などと供述。
また、戸倉高広は犯行について、加賀谷理沙さんの自宅マンションの玄関前で声をかけたが、加賀谷理沙さんが驚いて部屋の中に入ろうとしたので、自分も後を追って部屋の中に入り、騒がれたので加賀谷理沙さんの口を塞ぎ、手や扇風機のコードなどで首を絞めて殺害したなどと供述しています。
ただ、加賀谷理沙さんが事件前に見知らぬ男に付けられたと知人に相談していた事や、戸倉高広が加賀谷理沙さんのマンションから約400メートルほどの近所に住んでいた事などから考えて、偶然見かけて後をつけ殺害したというのは疑わしく、以前から見知っておりストーカー行為をしていた可能性なども疑われています。
加賀谷理沙殺害事件の犯人・戸倉高広の生い立ち① 実家や家族など
出典:https://matome.naver.jp
加賀谷理沙を殺害した犯人・戸倉高広の生い立ちについても注目が集まっています。
戸倉高広は、福島県西白河郡矢吹町の生まれで、実家は祖父の代から会計事務所を営む、比較的裕福な家庭だったようです。
戸倉高広の家族については、祖父が会計士として地元に会計事務所を開いて独立し、戸倉高広の両親が会計士としてこの会計事務所を引き継ぎ、経営していたと報じられています。
なお、戸倉高広に兄弟がいるかについては現在のところ明らかにされていません。
加賀谷理沙殺害事件の犯人・戸倉高広の生い立ち② 学歴や上京後の経歴
中学時代の戸倉高広は真面目な優等生だった
出典:https://okigogo.ti-da.net
祖父が開業した会計事務所を、両親が継いで経営していたという会計士家系に生まれた戸倉高広は、中学時代には剣道部に所属し成績も優秀で、学級委員長を務めた事もある真面目な生徒だったようです。
その後、戸倉高広は地元の高校へと進学し、高校在学中に、将来家業を継ぐべく会計士の試験を受けたものの不合格しています。
また、高校卒業後は推薦で大学への進学決まっていたものの、3年生の時に何らかの問題を起こして推薦が取り消され、卒業後は大学進学を諦め、上京して会計士を目指す道を選んだようです。
戸倉高広の地元の近隣住人の証言では、上京するまでの戸倉高広について「挨拶をしてもそっぽを向く、自治体の共同作業にも出てこない」などと、良い印象は持たれていなかったとの事。
会計士を目指し上京するも挫折し職を転々とする
出典:http://pocop0c0.blog.fc2.com
前述のように、戸倉高広は高校を卒業後に上京し、公認会計士や税理士の資格取得を目指していたとも報じられていますが、この目標は挫折してしまったのか、その後はパチンコ店や、ゴミ収集の仕事、都内のカラオケ店などいくつかの仕事を点々とした後、2013年頃からは都内の会社に就職し営業を担当していたという事でした。
この会社の当時の同僚の証言によれば、戸倉高広は、真面目ながらも大人しい性格で、口数が少なく親しみのある人間性ではなかったためか営業の成績は芳しくなく、上司に叱責される事が度々あったそうです。仕事について悩んでいる様子で、深夜まで業務の練習をする姿も見られたとの事。
年下の彼女との結婚を理由に退職
出典:https://okigogo.ti-da.net
事件が発生する数ヶ月前の2015年の春頃、戸倉高広は前述の同僚に「年下の交際相手と結婚するので仕事を辞める」と伝えています。転職先について戸倉高広は、交際相手の父親が飲食店を経営しているのでそこで働こうと思っているなどと話していたようです。
また、この彼女が八王子にマンションを持っているので、そこで一緒に住むなどと嬉しそうに話していたという事でした。
しかしその後、戸倉高広が結婚した事実はなく、この話がどこまで本当であったのかは不明です。
なお、この戸倉高広が最後に勤めていたという都内の会社は、被害者の加賀谷理沙さんがアルバイトをしていた居酒屋のほど近くに所在していた事などが判明しています。
事件の1ヶ月前に友人に「福島に帰る」とLINE
出典:https://twitter.com
戸倉高広は、加賀谷理沙さんを殺害する約1ヶ月前にあたる、2015年7月16日、地元福島県の友人に宛てて、「うだつが上がらないから、もう福島に帰る」といった内容のLINEを送信していたようです。
このLINEの内容から、戸倉高広は加賀谷理沙さんを殺害する前から、地元の福島に帰る事を計画していた可能性が高まりました。この友人は2015年11月頃に戸倉高広に「福島はどう?」と尋ねるLINEを送信しており、これに対して戸倉高広は「ぼちぼち。まだ職探しをしています」と返しています。
友人によれば、動揺している様子はなかったという事でしたが、この数ヶ月前に戸倉高広は加賀谷理沙さんを殺害し、そのすぐ後に逃げるようにして福島県の実家へと戻っていた事になります。
被害者・加賀谷理沙の生い立ちや経歴、所属していた劇団も紹介
出典:https://girlschannel.net
続いては、被害者の加賀谷理沙さんの生い立ちや経歴、所属していた劇団についても紹介します。
高校時代は文芸部に所属し俳句の才能を見せていた
出典:https://matome.naver.jp
加賀谷理沙さんは仙台市の出身で、地元の宮城県名取北高等学校へと進学。高校時代は文芸部に所属し、地元の新聞社「河北新報」が主催する俳壇では2007年、2008年と2年連続で入選。他にも2008年には、第1回佐藤鬼房顕彰全国俳句大会のジュニア部門で「佐藤鬼房奨励賞」を受賞するなど文芸の才能を見せていました。
高校時代の担任教師はその当時、加賀谷理沙さんについて「ほんとに俳句が好きな子で、年中俳句を作っています」と紹介しています。
大学卒業後に上京、劇団員として俳優を目指していた
出典:https://matome.naver.jp
高校卒業後は宮城大学へと進学し、大学卒業後に就職して上京しますが、俳優を夢見て就職先を退職して芸能事務所に登録し、アルバイトをしながら劇団に所属して週4〜5日は稽古に励みながら舞台にも出演していました。
加賀谷理沙さんは将来の夢を「人を笑わせられる俳優になりたい」と語っており、居酒屋とものまねパブなどでアルバイトしながら夢に向かって努力を続けていたようです。
所属していた劇団は「劇団ふりぃすたいる」と「劇団FULL HOUSE」
加賀谷理沙さんが所属していた劇団は、「劇団ふりぃすたいる」という劇団だった事が判明してます。また、その後「劇団ふりぃすたいる」から「劇団FULL HOUSE」へと移籍していた事なども明らかになっています。
加賀谷理沙殺害事件の犯人・戸倉高広の現在は?裁判で無期懲役判決が確定
出典:https://www.sankei.com
加賀谷理沙さんが殺害された事件の犯人・戸倉高広の裁判は、2018年2月16日に東京地裁で初公判が開かれました。
戸倉高広は被告人質問で、加賀谷理沙さんの自宅マンションの前で声をかけた時に突然「悪魔がうつるよ」「早く倒さないと」という男の声が聞こえ「その声に従わなくちゃならないと思いました」と衝撃的な供述をしています。
その後も「首だよ首」「コード」という男の声が聞こえた為、部屋にあった扇風機の電気コードを使って加賀谷理沙さんの首を絞めたと供述しています。戸倉高広は、裁判開廷前に精神鑑定を受けており、その結果「回避性人格障害」という鑑定結果が出されました。
「回避性人格障害」とは、対人関係で臆病になってしまう人格障害で、弁護側は犯行時戸倉高広が、この人格障害による幻聴などが原因で、合理的判断を下させない状態にあったなどと主張し減刑を求めました。
3月7日の判決公判で、裁判所は弁護側のこうした主張を退け、求刑通り「無期懲役」の判決を下しています。
被告側はこの判決を不服として控訴しますが、控訴審でも第一審判決が支持され「無期懲役」の判決が下されます。被告側はこれも不服として上告しましたが、最高裁は2019年4月15日付で、被告側の上告を棄却する決定を下し、戸倉高広の「無期懲役」の判決が確定しました。
まとめ
東京都中野区で劇団員女性・加賀谷理沙さんが、近所に住んでいた当時37歳の男、戸倉高広に殺害された事件についてまとめてみました。
事件の前に、加賀谷理沙さんが当時交際していた男性とトラブルを起こし警察沙汰になっていた事などもあって、当初警察は男女関係のもつれによる怨恨の線で捜査を進めていました。
こうした捜査当初の混乱もあって、犯人の戸倉高広が逮捕されたのは、事件発生から約7ヶ月が経過した後でした。
その後の裁判では、戸倉高広は「悪魔がうつるよ」「早く倒せ」などの男の声の幻聴を聞いた為殺害に至ったなどと主張し、精神障害を理由に減刑を求めましたが、裁判所はこうした主張を一蹴し、検察側の求刑通り「無期懲役」の判決を下しました。
最後になりましたが、若くして理不尽に命を奪われた加賀谷理沙さんの冥福を祈りたいと思います。