風見しんごさんの長女・大下えみるさんは理不尽な交通事故に遭い10歳という若さでこの世を去りました。
今回は大下えみるさんの交通事故の概要や事故現場、遺された家族、犯人のトラック運転手の名前が公表されない理由、事故のその後や現在についてなどをまとめました。
この記事の目次
大下えみる(風見しんごの娘)は交通事故で10歳の若さで死去
俳優やタレント、歌手として活躍する風見しんごさんの長女の大下えみるさん(当時10歳)が、2007年1月17日の8時8分頃、小学校への通学途中の道で、配送用の2トントラックに轢かれる交通事故に遭遇しました。
大下えみるさんは、すぐに病院に救急搬送されましたが、事故に遭遇してから約1時間半後の9時33分頃に亡くなりました。
当時、人気タレントで、俳優としても活躍していた風見しんごさんの最愛の娘の突然の訃報はすぐに各メディアで大きく報じられ社会に衝撃を与えました。
今回は、風見しんごさんの娘・大下えみるさんの交通事故に焦点を当てます。
大下えみる(風見しんごの娘)の交通事故現場は自宅のすぐ近くだった
出典:http://www5.nikkansports.com/
風見しんごさんの長女・大下えみるさんが交通事故に遭遇した現場は、自宅から出て100メートルほどの道を右に曲がり、それから50メートルほど進んだ先の横断歩道上でした。
向かいの道から右折して横断歩道に時速15キロから20キロで進入した配送用の2トントラックは、青信号を横断する大下えみるさんに気がつかずにそのまま大下えみるさんをはね、そのまま9メートルほど進んだ道路上でようやく停車しました。
大下えみるさんが交通事故に遭遇した道路は「スクールゾーン」に指定されており、その時間帯は車両は進入禁止でした。
父・風見しんごさんと、母・大下尚子さんは大下えみるさんが事故に遭遇した直後に連絡を受け、自宅から事故現場に駆けつけましたが、大下えみるさんはトラックのタイヤの下敷きになっており、すでに大下えみるさんは瀕死の状態でした。
風見しんごさんは近所の住人と協力して必死にトラックのタイヤを持ち上げ、下敷きになった大下えみるさんを助け出しますが、身体中の骨が折れ、全身血だらけの状態だったといいます。
大下えみる(風見しんごの娘)が搬送先の病院で亡くなる
大下えみるさんは救急車に乗せられてすぐに病院に搬送され、風見しんごさんと母の大下尚子さんも一緒に病院へと向かいました。
大下えみるさんは、病院に運び込まれた時には心肺停止寸前の状態でしたが、風見しんごさんと大下尚子さんが必死に声をかけ続けると、その声に応えるかのように一瞬だけ息を吹き返し、必死に生きようとしている様子だったそうです。
風見しんごさんは、後に悲痛な面持ちで「すごく頑張ってくれた。あんな小さな体で…」とコメントされています。
また、母親の大下尚子さんは後に、最後に大下えみるさんに「頑張って」と必死に声をかけ続けたことを後悔しているとの気持ちを明かされています。
大下尚子さんは、えみるさんに幼少期から何事にも「頑張れ」と励ましながら育ててきたそうで、最後にえみるさんが病院で必死に戦っている時にも「頑張って」と声をかけ続けた事に、「どうして最後くらい、もう頑張らなくていいよと言ってあげられなかったのだろう」と、深く後悔されているという事でした。
突然最愛の娘を理不尽な交通事故で奪われた風見しんごさんと、母の大下尚子さんの当時の心情を想像すると胸が痛みます。
大下えみる(風見しんごの娘)の家族① 父・風見しんご
大下えみるさんの父親は、タレントや俳優、歌手として活躍する風見しんごさんです。
風見しんごのプロフィール
本名 :大下義博
生年月日:1962年10月10日
出身地 :広島県広島市西区
身長 :169cm
血液型 :A型
風見しんごさんは、1982年にTBSのバラエティ番組「欽ちゃんの週刊欽曜日」のレギュラーに抜擢され「欽ちゃんファミリー」の一員として芸能界デビューしました。
1983年5月には歌手デビューも果たし、デビューシングル「僕笑っちゃいます」は、オリコンチャートで週間ランキング最高6位を獲得する大ヒットとなり、その年の「日本有線大賞最優秀新人賞」と「日本レコードセールス大賞新人賞」に選ばれています。
ドラマ俳優としても数多くの作品に出演し、1985年には、スペシャルドラマ「まさし君」や「名探偵はひとりぼっち」に主演して注目を集めました。
映画俳優としても、1987年公開の「泣き虫チャチャ」、同年公開の「あいつに恋して」、1991年公開の「超高層ハンティング」、1992年公開の「200X年・翔」などに主演して活躍。
また、テレビタレントとしても絶大な人気を獲得し当時出演した番組は軒並み高視聴率を叩き出しました。代表的な過去のレギュラー出演番組は「マジカル頭脳パワー!!」「伊藤家の食卓」など。
風見しんごさんは現在もテレビタレントとしての人気が高く、TBS系のワイドショー番組「噂の!東京マガジン」やフジテレビ系の情報番組「ノンストップ!」などにレギュラー出演中。
俳優としては、2019年に放送された特撮ドラマ「ウルトラマンタイガ」に佐倉警部役として出演されています。
大下えみる(風見しんごの娘)の家族② 母・大下尚子(荒井晶子)
大下えみるさんの母親は、過去に新井晶子の名前で女優や歌手として活躍していた大下尚子さんです。
大下尚子(おおしたしょうこ)のプロフィール
生年月日:1967年7月20日
出身地 :栃木県
大下えみるさんの母の大下尚子さんは、元ミス日本の経歴を持ち、1990年に芸能界入りしました。
女優としての出演作は1992年公開の映画「釣りバカ日誌5」、1992年から1993年にかけて放送されたテレビドラマ「愛しの刑事」などがあります。
風見しんごさんと結婚したのは1994年で、1996年に長女の大下えみるさんを出産。2003年に次女の大下ふみねさんを出産しています。
大下尚子さんは、最愛の娘、大下えみるさんを突然の交通事故で亡くした後、病に寝込むなど精神的に不安定な状態になったそうですが、当時まだ幼かった次女の大下ふみねさんが必死に両親を元気付けようとする姿を見て、段々と前を向けるようになったと言います。
「私 いつか天国へ行った時、えみるに会えた時“頑張ったね”って言ってほしい。だからね、私、ふみねのためにやれることは全部やってあげたい。全部を頑張るって決めたの。それがこれからの私の生き方」(尚子さん)
大下えみる(風見しんごの娘)の家族③ 妹・大下ふみね
大下えみるさんの妹の大下ふみねさんは、姉のえみるさんが交通事故で亡くなった当時、まだ3歳でした。姉のえみるさんはふみねさんにとって憧れの姉だったという事で、幼い心にも大きなショックを受けていたようです。
大下えみるさんが交通事故で亡くなってからしばらくしたある日、母の大下尚子さんが大下ふみねさんを連れて近所を散歩していた時、通りすがりの女性に、ふみねさんが「お名前は?」とたずねられました。
すると、ふみねさんは「えみる」と亡き姉の名前を答えたのだそうです。尚子さんは「違うでしょ、ふみねでしょ」と正したそうなのですが、それでもふみねさんは「ううん、私、えみる」と言って譲らず、続けて「えみるがいれば大人は泣かなくなるでしょ。だから私がえみるになるの」と説明したのだそうです。
このふみねさんの言葉に、大下尚子さんと風見しんごさんは、まずは幼いふみねさんを守る事が何よりも大切だとようやく気づく事ができたと当時を振り返っています。
この時、風見しんごさんは自分達が悲しみのあまり、幼いふみねさんに目を向けていなかった事に気がつき「ごめんなふみね、気付いてやれなかった」と声をかけると、ふみねさんは小さな手を伸ばして風見しんごさんの頭を撫で、「いい子、いい子。チチ(風見しんごさん夫婦は、娘たちにチチ、ハハと呼ばせている)はいい子。だから泣かないで」とまるで小さな子をあやすように優しく言葉をかけてきたのだとか。
このふみねさんの優しい気持ちに、風見しんごさんと大下尚子さんは随分と救われたそうです。
その後、成長した大下ふみねさんは、英語を学ぶためにアメリカのハイスクールに留学し、母・大下尚子さんと共にロサンゼルス近郊のオレンジカウンティに暮らしているそうです。
大下えみる(風見しんごの娘)の家族④ 弟・こころ
大下えみるさんが突然の交通事故で亡くなってからちょうど1年後、風見しんごさんと大下尚子さんは新たな命を授かりました。
新たな兄弟を迎える事を次女のふみねさんが強く望んでいた事もあって、妊娠がわかった時、尚子さんは「えみるが連れてきてくれたのかもしれない」と感じたのだそうです。
風見しんごさんと大下尚子さんは新たな家族に「こころ」と名付けますが、なんとその5ヶ月後、お腹の子に染色体異常が見つかり、おそらくダウン症の男だという衝撃的な事実を告げられます。
風見しんごさんはこの事実にショックを受け、ついネガティブに考えてしまったそうなのですが、大下尚子さんは、「命の重みやありがたさを誰よりも知っている私たちが投げ出す事はできない」と、前向きな気持ちで出産を決意します。
前向きな妻に背中を押される形で、風見しんごさんも「父ちゃんがしっかり守ってあげるからね」と息子を育て抜く決意をし、家族でこころさんの誕生を心待ちにしていたそうです。
しかし、残酷なことに妊娠から8ヶ月目、こころさんは尚子さんのお腹の中で心臓の動きを止めてしまいます。
このあまりにも理不尽な展開に、風見しんごさんは「なぜこんなに試練が続くのか。何か私たちが悪い事をしましたか?」と深い悲しみとも怒りともしれない気持ちを抱いたといいます。
それでも、大下尚子さんは既に命の無い我が子を自然分娩で産む事を決め、2008年6月28日に産声を上げる事の無いこころさんを出産しました。
風見しんごさんと大下尚子さんはこころさんを自宅に連れ帰り、その夜は3人で一緒に眠ったのだそうです。この時、尚子さんは産まれてくる事もできずに亡くなったこころさんに「天国には本当に優しくて、面倒見のいいえみるがいる。安心してお姉ちゃんに甘えるのよ」と心の中で伝えたといいます。
そして、大下尚子さんは天国の2人の子供達に「えみる、こころ、見ててね。ハハは頑張るから」と誓ったそうです。
大下えみる(風見しんごの娘)の交通事故の犯人のトラック運転手の名前は?
風見しんごさんの最愛の娘・大下えみるさんの命を奪う交通事故を起こした犯人のトラック運転手は、当時22歳の男性と報じられましたが、名前は一切公表されませんでした。
世間でこの事故が大きく報じられた事もあり、犯人の名前を公表しないのはどういう事かとマスコミへの批判が一般視聴者から殺到しますが、ついに大下えみるさんの命を奪った犯人の名前が公表される事はありませんでした。
ネット上では、この犯人の名前が公表されないのは、この運転手がマスコミの大手スポンサーである「花王ロジスティックス」の社員だからではないかという噂が流れ、花王への批判も集まる事になりました。
大下えみる(風見しんごの娘)の交通事故のその後の裁判
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大下えみるさんの命を奪う交通事故を起こしたトラック運転手の裁判は東京地裁で開かれ、2007年6月6日に「禁固2年(求刑禁固3年)」の実刑判決が言い渡されました。
犯人のトラック運転手の弁護側はこの判決を不服として即日控訴しています。
犯人が控訴した事に対して風見しんごさんは自身のブログで以下のコメントを発表されています。
控訴されたということで、コメントはありません。
最後まで「心」を信じています。
これってやっぱりバカでしょうか?
風見しんごさんは、争いごとが何より嫌いだったという大下えみるさんの気持ちを汲み、犯人のトラック運転手への怒りなどは一切コメントしていませんでしたが、犯人側が控訴したという事に対して、ついにこうした言葉を発表された形になりました。
「心」を信じているというのは、犯人の良心を信じるという意味でしょう。
そして、2007年9月28日、東京高等裁判所は、一審判決を支持し、犯人側の控訴を棄却し「禁固2年(求刑禁固3年)」の判決が確定しました。
ただ、この判決に対しても世間からは「軽すぎる」として批判の声が多数上がっています。確かに、子供の命が理不尽に奪われた事実に対し、わずか禁固2年というのはあまりにも軽すぎると感じてしまいます。
大下えみる(風見しんごの娘)の交通事故の現在
2020年の現在で、大下えみるさんの交通事故死から13年が経過しました。父の風見しんごさんは、娘の大下えみるさんの事故から、交通安全啓発運動をはじめ、現在もその活動に力を注がれています。
風見しんごさんは、各地での講演活動をはじめ、交通安全や飲酒運転の防止などを訴えるテレビCMやポスター広告、その他のキャンペーンにも積極的に参加され、交通事故0に向けての活動を現在も続けられています。
また、2020年に猛威を振るう新型コロナウイルスについても、愛する家族を突然失った経験を持つ立場から以下のコメントを発表し注目を集めました。
「コロナもそうだし、事故も災害もそうですけど、人生で想定外のことで、突然大事な人、愛する人、子どもだったり、お父さん、お母さんだったとと亡くなった時、別れなければならなくなった時は、想像を絶する悲しさと、後悔の念に襲われる」と訴えた。
まとめ
今回は、2007年1月に理不尽な交通事故によって突然その命を奪われた大下えみるさんについてまとめてみました。
大下えみるさんは、人気タレントで俳優の風見しんごさんの長女で、亡くなった当時、まだ10歳という若さでした。
最愛の娘・大下えみるさんの突然の死に、父の風見しんごさんや母の大下尚子さんは深い悲しみに暮れますが、当時まだ3歳の幼さだった次女の大下ふみねさんが、悲しみに暮れる両親を気遣い、必死に悲しみを取り去ろうとする姿を見て次第に前向きに生きる力を取り戻したそうです。
現在、大下えみるさんの父・風見しんごさんは、タレント業を続ける一方で交通安全啓発運動に力を入れられています。母の大下尚子さんと妹の大下ふみねさんは、前向きな気持ちで夢を追いい、英語を身につけるためにアメリカに留学されているようです。
深い悲しみを乗り越え、それぞれの人生を歩む大下えみるさんの家族達の今後の幸せを祈るとともに、改めて大下えみるさんの冥福を祈りたいと思います。