新実智光はオウム真理教の幹部で、教団による殺人事件の全てに関わった死刑囚です。
今回は新実智光の高身長イケメンの噂、口唇口蓋裂でのいじめなど生い立ち、実家と家族、獄中結婚した妻、死刑執行の様子と最期の言葉を紹介します。
この記事の目次
新実智光はオウム幹部だった死刑囚 【高身長でイケメンだった?】
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オウム真理教の幹部だった新実智光
新実智光は、オウム真理教の中で「最も血なまぐさい男」と称された幹部の1人です。
「ミラレパ」がホーリーネームで、教団内では自治省大臣の肩書きを持っていました。
教祖の麻原彰晃に熱狂的に傾倒し、これまでに「松本サリン事件」、「坂本弁護士一家殺人事件」など、合計11件で26人の殺人に関与したと言われています。
ちなみに、教団教祖の麻原彰晃は27人の殺人に関与していたと言われ、麻原氏に次ぐ人数であることから、教団との関わりの深さが分かるのではないでしょうか。
裁判で死刑判決を言い渡され、2018年7月6日に死刑が執行されています。
新実智光は一体どのような人物だったのでしょうか。まずは、プロフィールや外見の特徴について見ていきましょう。
新実智光のプロフィール
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新実 智光(にいみ ともみつ)
生年月日: 1964年3月9日
没年月日: 2018年7月6日
出身地: 愛知県岡崎市
出身大学: 愛知学院大学
新実智光の身長は?
新実智光は芸能人ではないので、身長や体重、血液型など一般的なプロフィール情報は明かされていません。
ただし、身長についてはおおよその高さを推察できる情報があります。
キリスト協会牧師をしている進藤龍也さんが自身のブログで、2001年8月に、東京拘置所内で新実智光と会っていたと明かしています。
進藤龍也さんはかつて暴力団に入っていた経歴を持ち、新実智光と同じ頃に服役していたようです。そして、護送車で一緒になったという思い出を以下のように語りました。
拘置所に着いて、同じ舎房に振りわけられて帰るのですが、同じ棟の住人にオウムの新実智光がいて、しかも連行されて帰る時に私の隣に立ちました。
私の身長は176センチあるのですが、私の目線は悔しいかな彼の鼻先でした。
身長が高く、色白で、顔が大きく、頭がよさそうな顔でした。
引用:新実智光に会った進藤龍也氏に聞く – 日刊キリスト新聞 https://christianpress.jp/
176cmの進藤龍也さんの身長で、視線が鼻先になるということは、180cm以上あるということになりますね。
また、ブログには「色白で、顔が大きく、頭がよさそうな顔でした」とも書かれており、高身長でスマートな見た目だったことは間違いありません。
イケメン説が流れている
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新実智光は、生まれつき「口唇口蓋裂」でした。
口唇口蓋裂というのは、「兎唇」や「口蓋裂」とも呼ばれ、唇の一部に裂け目が入っているという特徴があります。
日本においては500人中1人の確率で発症するようです。昔は、外科手術が発展していなかったので、大人になっても裂け目が残っているケースが多く見受けられました。
現在は治療法が確立しているため、外科手術で治すことが可能で、手術の傷跡もほぼ目立ちません。
写真を見る限り、口唇口蓋裂の跡が見当たらないので、手術をした可能性がありますね。
新実智光は高身長で、スキンヘッド、顔は白い肌と大きな瞳が特徴的です。
そのため、一部のネットでは、「イケメン」だと称賛されています。
新実智光の実家・家族とは
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新実智光の実家は愛知県にあることが分かっています。
実家の場所や、家族構成について調査しました。
弟がいる可能性が高い?
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新実智光の両親は、資源回収業を営んでいました。新実智光は、長男として誕生しています。
弟がいるとネットで噂されていますが、本人が兄弟について明かしていないため、真相は定かではありません。
2018年7月に死刑執行されると、マスコミはこぞって実家に取材を申込みに行ったことが報道されました。
報道によると、愛知県岡崎市にある実家は、窓のカーテンを閉め切りひっそりとした様子だったそう。
家族と思われる男性が車で帰宅したところを、取材陣が声を掛けると「話すことはなにもない」と語り、家に入っていきました。
この男性が、弟なのか父親なのかは判明していません。
新実智光の生い立ち① 口唇口蓋裂でいじめられたことも
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新実智光が宗教に心酔してしまったのは、生い立ちが影響していると言われています。高校生の頃には、死生観や宗教に興味を持っていたそうです。
新実智光の生い立ちや学生時代について見ていきましょう。
中学生の頃はいじめられていた
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愛知県岡崎市で育ち、地元の公立中学校に入学した新実智光は、水泳部に入部し、将来は医学部に入りたいという夢を持つ少年でした。
当時から坊主頭だったからか、学校では「空海」という愛称で親しまれ、仲間に恵まれた時期もあったようですが、見た目の口唇口蓋裂が原因で、熾烈ないじめに遭ったようです。
中学校の卒業文集には「苦しかったことを耐えてこれた、今の僕には生きる自由がはっきり言ってない、あっても自信がない、生きる資格がない」と書かれてたことが判明しています。
自殺現場を目撃し、死生観にとりつかれる
1979年4月、愛知県立岡崎東高等学校に入学した新実智光は、電車通学でした。
そして、東岡崎駅で2回も飛び込み現場を目撃するという、ショッキングな経験をしています。
徐々に人の生死や世の中の無常について真剣に考えるようになり、宗教や精神世界に興味を持つようになったのです。
そして、崇教真光や阿含宗に入信したのですが、求めていたものとは違ったようですぐに脱会しています。
その後、愛知学院大学に進学した新実智光は、やがてオウム真理教と出会うことになります。
新実智光の生い立ち② オウム真理教との出会い
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オウム真理教の麻原彰晃と幹部達
高校生のころから宗教に興味を持っていた新実智光でしたが、心に響く宗教に出会うことができず、愛知学院大学に進学後は普通の大学生として過ごしていました。
しかし大学卒業を控えたある時、オウム真理教と出会い、やがて人生を狂わせていくことになります。
ここでは、大学生時代の生活ぶりと宗教との出会いについて紹介します。
学生時代は真面目一辺倒だった
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愛知学院大学の法学部法律学科に進学した新実智光は、商法を専攻し、卒業後は公認会計士になりたいと周囲に話していたそうです。
かなり真面目な学生で、3年生の後半には大学4年生時に必須のゼミを除き、単位はほとんど取り終えていました。
4年生では保険法ゼミを取り、幹事も務めていたそうです。
周囲の学生からは「明るくて活発な学生」という評価をされています。
実家を出て実家から金銭的な援助を受けていましたが、日中はミスタードーナツでアルバイト、夜間は吉野家で働いて生活費を自身で賄っていたことも分かっています。
一方でカルト雑誌として知られる「トワイライトゾーン」、「ムー」を定期購読していたようで、雑誌に掲載されていた麻原彰晃の空中浮場の記事に釘付けになりました。
ちなみに、当時の教団名は「オウム神仙の会」でした。
麻原彰晃に惹かれた理由とは?
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教団教祖の麻原彰晃
初めてオウム真理教のセミナーに参加した時、「求めていたものはこれだ」と感じた新実智光は、様々な修行を続けるうちに、赤と青の光が見えるようになったといいます。
一般的な宗教の教祖は、「神から選ばれて啓示を受けた」といった設定が多い中、麻原彰晃は「苦難を乗り越えたことで特殊な能力を使えるようになった」と説きました。
努力の末に何かを得たという教祖の教えは新実智光にとって斬新だったようで、ますますオウム真理教の熱心な信者になって、麻原彰晃に傾倒するようになっていったのです。
さらに修行を重ねると、アストラル体の浮遊を会得し、体が痺れ多大な至福感を得たのだとか。この時に「もう麻原彰晃に一生付いていくしかない」と確信したと言われています。
愛知大学を卒業した新実智光は、後ろ髪を引かれる思いで一般企業に就職しました。
新実智光の生い立ち③ 就職して半年で出家
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大学を卒業した新実智光は、一般企業に就職して営業職をしていた時代がありました。かなり優秀だったようですが、あっさりと会社を退職して出家しています。
どのような理由があったのでしょうか。ここからは、新実智光の出家について紹介します。
退職して出家と修行
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1986年3月に大学を卒業すると、地元で味噌や豆乳を扱っている「マルサンアイ」に就職しました。
面接で物怖じしない様子から、営業に向いていると太鼓判を押されて営業部門に配属が決まり、健康食品の営業を担当しています。
どんな場所へも躊躇せずに営業をかけるガッツが功を奏したのか、常にセールスの成績は上位で、かなり上司から可愛がられていたそうです。
毎日が充実しているように見えましたが、新実智光の心には闇が広がっていたようで、プライべーで車を運転中、120キロの猛スピードで田んぼに突っ込んだこともあったようです。
幸い大した怪我にはなりませんでしたが、「麻原彰晃のシャクティーパットや、霊的な体験によって守られているという自信があったため死なないと確信していた」と後年語っています。
それから数か月後の1986年9月になると、会社を退職し、家族には「ヨガの修行を積んでくる」とだけ伝えて姿をくらまし、オウム真理教で出家の儀式を受けたのです。
誰よりも麻原彰晃に従順だった
新実智光が出家した当時のオウム真理教はまだ小さな教団で、新実智光は5番目の出家信者でした。
教団では営業職を担当していましたが、1987年12月3日に24歳の若さで太師へと昇進。「ミラレパ」というホーリーネームを授かっています。
教団の関係者の証言によると、新実智光は麻原彰晃を誰よりも崇拝していたそうです。
証言の中には「教団幹部の中では、ミラレパが可愛がられていましたね。オッチョコチョイで、頭を使う仕事は苦手だが、命じられたことは自分の意思をはさまず、即実行する」とのこと。
好意的な意見が出ていた一方で、「新実が、教団では密告者の代表だった。何か批判的なことをいうと、すぐ麻原に密告する」と、マイナスな意見もあったようです。
新実智光が関与した事件① オウム真理教男性信者殺人事件
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オウム真理教は、これまでに「松本サリン事件」や「地下鉄サリン事件」など、日本の犯罪史上稀にみる凶悪な殺人事件を起こしてきました。
大半の事件に関わった幹部として、ニュースや新聞で取り沙汰されることになった新実智光が関わった事件について紹介していきます。
抵抗に遭い首の骨を折った
教団が最初に起こした殺人事件は、1989年2月10日の「オウム真理教男性信者殺人事件」です。信者の名前は明かされていません。
教団のやり方に不信感を抱き、脱会を申し出た男性に対し、教祖の麻原彰晃は「ポア(殺す)しかないな。ロープで一気に締めろ。その後は護摩壇で燃やせ」と指示を受けました。
教団の幹部が首を絞めて殺害を試みましたが、激しい抵抗に遭い、新実智光が男性の首の骨を折って絶命させたのです。
その後、教祖の指示通りに遺体を護摩壇で焼き、骨を砕き細かい状態にした上で教団の敷地にばら撒き隠蔽しています。
そのため、遺体はおろか、遺骨の欠片すら見つかっていません。
新実智光が関与した事件② 坂本堤弁護士一家殺害事件
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オウム真理教幹部に殺害された坂本堤弁護士一家
最初の殺人事件を隠蔽した新実智光をはじめとした幹部は、再び殺人を命じられました。1989年に世間を震撼させた「坂本堤弁護士一家殺害事件」です。
事件概要
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事件の被害者は、横浜法律事務所に所属していた弁護士の坂本堤さん(享年33歳)と、妻と1歳になる息子の3人でした。
坂本堤弁護士は、オウム真理教に出家した信者の家族から相談を受けて教団を調査するうちに、反社会性に気が付き、「オウム真理教被害者の会」を設立してメディアで訴えていました。
オウム真理教側としては、批判的な記事を書いたり、テレビのインタビューで教団の危険性を説く内容のコメントを発する坂本堤弁護士は当然煙たい存在でした。
麻原彰晃は幹部を集めて一家の殺害を指示し、1989年11月3日、幹部達は、坂本堤弁護士の最寄り駅で待ち伏せて車に連れ込み、塩化カリウムを注射して殺害する計画を立てました。
しかし、当日は祝日で坂本堤弁護士も仕事が休みでした。
駅で張り込んでいても仕方がないという事実に気が付いたのは、日付が変わる頃でした。そのため、坂本堤弁護士の横浜市磯子区にある自宅に押し入っています。
実行犯の1人である中川智正が坂本堤弁護士に馬乗りになって殴り、大人しくさせて塩化カリウムを注入しようとするも、激しい抵抗に遭い、窒息させて殺害。
そして坂本堤弁護士の妻を、新実智光が首を絞めて殺害しました。
息絶える前に「子供だけは助けて欲しい」と訴えられたのですが、1歳の長男が泣き出したので、新実智光は子供の鼻と口を押えて窒息させています。
3人の遺体は上九一色村に運ばれて、各々新潟県、長野県、富山県の山の中に埋められました。
事件発覚と逮捕
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それから数日後の11月7日、無断欠勤を続ける坂本堤弁護士の安否を心配した同僚が、坂本堤弁護士の母親を伴って自宅に行くと、家の状態からただ事ではないと警察に通報しました。
当時、坂本堤弁護士がオウム真理教に対して批判的だったことを訴え、捜査本部が設置されたものの、捜査は難航。
1995年に別件でオウム真理教の幹部が逮捕されたことにより、事件が教団の仕業であることが明るみに出ました。
供述から得た情報を頼りに捜査を進めていくうちに3人の遺体が発見され、新実智光も逮捕されています。
新実智光が関与した事件③ 地下鉄サリン事件
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路上で治療を受ける地下鉄乗客
オウム真理教の3大事件の1つと呼ばれる、地下鉄サリン事件が起きたのは1995年3月20日のこと。化学兵器を使用した無差別テロに、多くの犠牲者が出ました。
新実智光はこの事件にも送迎役として事件に関わっています。
ここでは、どのような事件だったのかを振り返ってみましょう。
事件概要
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日本転覆を目論む麻原彰晃は、密かに神経ガスの一種であるサリンを都内を走る地下鉄に散布し、大量殺人を幹部に指示しました。
事件当日の午前8時頃、実行犯は運転役の幹部とペアになり、通勤ラッシュ真っただ中の都営丸ノ内線と日比谷線の車両に乗り込み、サリンを散布。
この事件で14人が死亡し、負傷者数は6300人になりました。
東京23区に配置されている全ての救急車が事件の救護に向かったため、災害救急情報センターによる患者の搬送が全てストップするという異例の事態になったのです。
別件逮捕で事件が進展
警察は、教団に対して疑惑の目を向け、家宅捜査を行います。上九一色村にある施設からサリンの残留物が見つかったものの、決定的な証拠ならず、捜査は一時停滞しました。
しかし事件から19日後、教団幹部であった林郁夫が放置自転車窃盗の容疑で逮捕されました。
実は教団に不信感を募らせていた林郁夫は、地下鉄サリン事件を自白したのです。
これをきっかけに捜査が大きく動き出し、おウム真理教の組織的な犯行だと断定した警視庁により、教団幹部や麻原彰晃が一斉に逮捕されました。
新実智光の裁判での様子とは
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ここからは、1995年に逮捕された新実智光の裁判について紹介します。
裁判においては検察側から、人間的な良心の一片も見られないと新実智光の冷酷さが伝えられています。
麻原彰晃の法廷では黙秘
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新実智光は、オウム真理教が起こした事件の内、11件で26人の殺人に関与したとして逮捕されています。
同時に逮捕された麻原彰晃の裁判にも召喚され、「麻原尊師の再生によって全てが救われますよう!」と意見陳述したのみで、何を聞かれても黙秘を貫きました。
自身の裁判では謝罪をせず
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新実智光は自身の裁判において、「たとえ、この命が奪われようとも」「オウムの正史を残すため」と息を巻き、これまでの事件をかなり正確に供述しています。
自身の罪については、「ポア(殺害)は慈悲の心による救済」、「尊師と共に断罪されたい。来世において真理勝者になることしかない」と正当化し、麻原彰晃への敬愛を表現しました。
この期に及んでもまだ麻原彰晃を崇拝し続ける新実智光の様子はただ事ではないと、ニュースでも大きく取り上げられたのです。
被害者に対しては「すみませんとか申し訳ないとか言うつもりはありません。それを言うくらいなら、最初からしなければいいのです」と、1度も謝罪していません。
論告求刑裁判においては、検察側が論告を読み上げた際、高笑いをしたことがニュースや新聞で報じられています。
新実智光が獄中結婚した嫁はアレフ信者の新見由紀
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新実智光は、死刑確定後に獄中結婚をしています。一体妻はどのような女性なのでしょうか。
妻の名前はアレフ信者の新実由紀
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新実智光の妻の新実由紀
結婚相手の女性は新実由紀さんです。旧姓について調査しましたが、情報はありませんでした。
分かっているのは、オウム真理教の後身の宗教法人「アレフ」の信者であることです。ただし、入信したのは2014年で、それまでの生い立ちは不明です。
2人が結婚したのは2012年のこと。馴れ初めについては一切明かされていないものの、新実智光と由紀さんはかなり仲睦まじい夫妻だったようです。
拘置所の職員の証言によると、「何年経っても新婚夫婦のようなアツアツぶり」だったそうです。
また、死刑確定後に不安定な精神状態に陥っていた新実智光も、妻が面会に来るとすぐに穏やかになっていた、という証言も出ています。
新実智光の死刑執行の様子と最期の言葉とは
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新実智光の死刑執行は、2018年7月6日に行われました。
死刑執行当日の様子や最期の言葉について、妻の由紀さんの手記をもとに紹介します。
会えないと言われて執行を悟った
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2018年3月、新実智光は身柄を大阪拘置所に移送されています。
これにより、死刑執行が近いことを悟った新実智光と妻は、ある程度覚悟していたといいます。
死刑執行当日に、妻の由紀さんが拘置所に面会に行くと「今日は会えません」とだけ伝えられました。
押し問答をしてもらちが明かず、なんとなく拘置所から立ち去りがたい気持ちから、拘置所の一角で佇んでいると、電話がかかってきて「今、死刑執行しました」と連絡がきたそうです。
遺体を引き取りに来て欲しいと言われ、指定の場所に向かうと死亡診断書を渡されました。
そこには、執行時間は8時33分、死亡確認は8時49分と書かれており、「16分吊るされていたのか」と胸を締め付けられたそうです。
職員に「夫の最期はどんな様子でしたか?」と質問すると「立ち合いは別の人間ですが、非常に落ち着いていたと聞いています」と言われました。
その後、葬儀会社で新実智光の遺体に対面した妻の由紀さんは、穏やかな顔をしている新実智光を見て、「やっと楽になれたんやね」と言葉をかけたそうです。
最後の言葉とは?
新実智光の死刑執行に立ち会ったという拘置所関係者により、当日の様子を明かされています。
死刑執行を伝えられると、腰を抜かす死刑囚も沢山いるのですが、新実智光は落ち着き払って「わかりました。ありがとうございました」と答えたそうです。
一連の流れの中で一度たりとも喚いたり震えたりという様子を見せずに、潔く刑を受けたそうです。
まとめ
出典:https://girlschannel.net/
新実智光は、オウム真理教の幹部の1人で、最も教祖の麻原彰晃を崇拝していた信者として知られています。
生まれながら「口唇口蓋裂」だったので、中学生の頃にいじめにあった経験を持ち、高校生の頃から宗教や生死観に興味を持つなど影がある学生だったようです。
しかし、その後は見た目でいじめられることはなくなり、むしろネットではイケメンだと称えられているので、手術をした可能性があります。
大学生の頃にオウム真理教と出会った新実智光は、大学卒業後に食品会社に就職するも、半年後に退職して出家を遂げています。
その後は、幹部としてオウム真理教で出世すると、麻原彰晃の命を受けて「坂本堤弁護士一家殺害事件」や「地下鉄サリン事件」などに関わりました。
幹部の1人が逮捕されると、次々に教団の犯罪が明るみになり、新実智光も逮捕されて、2010年の裁判で死刑が確定。拘置所で由紀さんという女性と獄中結婚をしています。
2018年7月6日に死刑執行された新実智光は、死刑執行を言い渡されても落ち着いていたそうで、最後の言葉は「わかりました。ありがとうございました」だったと伝えられています。
令和になった現在も、オウム真理教が起こした事件は日本犯罪史上、最悪な大量殺人事件として語り継がれています。
新実智光が謝罪を一度も口にしなかったのは非常に残念ですが、獄中で伴侶を得て、少しの間でも心穏やかな日々を過ごせたことに少し救われる思いがします。
最後に、被害者の方々のご冥福をお祈りして結びとさせていただきます。