獄中結婚とは刑務所・拘置所にいながら結婚することで、獄中結婚をする死刑囚は意外と少なくありません。
今回はなぜ獄中結婚するのか、その心理やメリット、やり方、獄中結婚をした芸能人や有名人、死刑囚などをまとめました。
この記事の目次
獄中結婚とは
獄中結婚とは刑務所や拘置所にいる受刑者・死刑囚が結婚することです。
日本では犯罪者(受刑者)や死刑囚でも結婚する権利は憲法で認められているので、当人同士の合意があれば、刑務所や拘置所にいながらも結婚することができます。
一般的には獄中結婚というと、1人が刑務所や拘置所にいて、結婚相手は社会で生活していることが多いですが、結婚する2名とも刑務所や拘置所にいるケースもあります。
獄中結婚をするのはなぜ?心理やメリット① 受刑者・死刑囚側
獄中結婚をするのはなぜでしょうか?その心理やメリットを受刑者・死刑囚側から見ていきましょう。
面会できるようになる
獄中結婚をするメリットの1つは、面会できるようになることです。
死刑が確定した後の面会は、弁護士や身内のみに制限されます。
そのため、死刑囚は会いたい人がいたら、その人と結婚することが一番の近道だと言えます。
つまり、死刑確定後も面会して会う機会を確保するために、獄中結婚するんですね。
苗字を変えることができる
獄中結婚をすると、苗字を変えることができるというメリットもあります。
死刑確定後はもう市中に出ることはほぼありません(再審無罪などを除く)が、受刑者の場合は刑期が終わったら刑務所を出所して、新しい生活を始めることになります。
その場合、苗字を変えてしまったほうが、出所後の生活はいろいろと便利になります。
報道されるなど名前が一度知れ渡っていると、どうしても「犯罪者」というレッテルで見られてしまいますから。
このように、苗字を変えるために獄中結婚をすることがあります。また別バージョンとして、養子縁組をするケースもありますね。
自己顕示欲のため
獄中結婚をする心理・メリットの3つ目は、自己顕示欲を満たすためというケースもあります。
「死刑囚でも受刑者でも結婚することができる」ということを社会に示そうとして、獄中結婚をするのです。
「犯罪者でも結婚してくれと言われる私(俺)、すごいでしょ?」とアピールするためというわけですね。
心の拠り所が欲しい
なぜ獄中結婚をするのか?その心理やメリットの最後は、「心の拠り所が欲しい」というものです。
死刑囚はそれだけの犯罪を犯したのですから、死刑確定は当然の報いと言えるかもしれません。
死刑確定後はいつ死刑になるのかは知らされず、明日突然執行されるかもしれないという恐怖の中、面会できる人も大きく制限された特殊な状態で拘置所内で生活します。
そうすると、人間はどうしても心の拠り所が欲しくなるのです。
面会に来る弁護士はあくまでも「ビジネス」であり、家族からは既に見放されてしまった…。
そんな中で、獄中結婚をしても良いという人が現れたら、藁にもすがるような思いで、結婚を承諾することもあるでしょう。
獄中結婚をするのはなぜ?心理やメリット② 結婚する側
獄中結婚をするのはなぜか?その心理やメリットを、次は受刑者・死刑囚と結婚する側の視点から見ていきましょう。
面会できるようになる
先ほども説明しましたが、死刑囚が面会できる人は制限されています。
死刑囚と会いたかったら結婚するしか手はなく、死刑囚と面会したいがために、獄中結婚をするケースはあります。
取材ができる
受刑者や死刑囚と獄中結婚をすると、取材をしやすくなるというメリットがあります。
新聞記者や週刊誌の記者は、受刑者や死刑囚にいろいろ取材をして、それを記事・本にまとめたいと望む人が大勢います。
そのためには、獄中結婚をするのが一番の近道なのです。
獄中結婚をすれば、面会しやすくなり、インタビューを取ることができます。
また、獄中結婚をした、つまり配偶者・家族になったという安心感を相手に与えることで、今までには話さなかった証言を得られることもあります。
そのため、愛ゆえに獄中結婚をするのではなく、自分の仕事の延長線上で獄中結婚することもあるのです。
財産目当?
獄中結婚をするメリットには、財産もあります。
死刑囚と獄中結婚をした場合、その死刑囚が死刑になった場合、その死刑囚の財産はその配偶者のもの(子供がいれば半分)になります。
死刑囚やその親が財産を持っていたら、死刑囚と獄中結婚をすることで自動的にその財産を手にすることができるのです。
死刑囚の中で資産家というケースは非常に稀だとは思いますが、財産目当で獄中結婚をするケースもゼロではありません。
「死刑囚」に惹かれる
獄中結婚をする心理としては、「死刑囚に惹かれる」というケースもあります。
死刑囚になるほどの犯罪を犯す犯罪者は、人とは違う雰囲気・危うさをまとっています。そのため、その雰囲気に惹かれる人もいます。
死刑囚の中にはその思想から、一種のカリスマ性を持っている人もいますので、死刑囚に本気で恋をして、結婚をしたいと申し出るケースもあるのです。
人権派として注目を集める
獄中結婚をする心理やメリットには、一種の「売名」もあります。死刑囚と結婚することで、「人権派」の活動家として名前を売ることができるのです。
弁護士なら、「人権派の弁護士」として世間に名が広まりますし、犯罪者の人権擁護活動をしている人なら、その活動を世間に知ってもらうことができます。
人権派として注目を集めるためには、獄中結婚をすることが1つの近道であり、簡単な方法と言えるでしょう。
自己満足のため
獄中結婚をする心理やメリットの最後は、自己満足です。
「死刑囚と結婚した自分ですごい」、「獄中結婚をして、相手の魂を救ってあげた」、「私って究極の優しさを持っている」という自己満足の一種で、獄中結婚をすることもあります。
もちろん、このような方の多くは人権派の活動をしていますが、「あのような大罪を犯した死刑囚と結婚する私、すごいでしょう!」というアピールで、獄中結婚を選ぶこともあるのです。
獄中結婚のやり方
相手は塀の中(刑務所・拘置所)にいるのに、どうやって獄中結婚をするのだろう?と疑問に思った人も多いと思います。
実は、獄中結婚のやり方は特別難しいものではありません。
婚姻届を相手に送付、もしくは差し入れとして持って行き、サインをしてもらい、それを役所に提出すればOKです。
死刑囚でも手紙のやりとりはできますし、弁護士を通じて差し入れをしてもらうことはできますので、婚姻届を受け取ってサインすることも可能なのです。
次に、どうやって知り合うのか?ですが、獄中結婚の1つのケースとしては、逮捕前からの知り合い(交際)だったケースがあります。
逮捕後に知り合う場合は、刑務所もしくは死刑確定前に面会に行くケースが考えられます。
死刑確定後でも、弁護士等を通じて、メディアなどで幅広く獄中結婚の相手を探すというケースもありました。
獄中結婚をした芸能人・有名人は加藤登紀子
出典:columbia.jp
加藤登紀子
生年月日:1943年12月27日
出身:満州・ハルピン
所属:トキコ・プランニング
血液型:O型
活動:歌手
獄中結婚をした芸能人・有名人は歌手の加藤登紀子さんです。
加藤登紀子さんは、1972年に当時受刑者だった藤本敏夫さんと獄中結婚をしています。
藤本敏夫さんは学生運動の指導者で、加藤登紀子さんは学生運動が激しかった1968年ごろに藤本敏夫さんと出会い、恋に落ちました。
当時の藤本敏夫さんは、学生運動のリーダー的な存在でした。
「彼は一番たいへんだった時期。1年間のうち10カ月くらいは拘置所に入っているような、そういう人だった」
そして、1972年に公務執行妨害などで実刑判決を受けた藤本敏夫さんと加藤登紀子さんは、獄中結婚をします。そして、同年に長女が誕生しています。
加藤登紀子さんは獄中結婚をすることで、藤本さんとの愛を貫いたんですね。
藤本敏夫さんは獄中結婚した2年後の1974年、出所しています。
獄中結婚をした女性死刑囚2人
獄中結婚をした女性死刑囚を見ていきましょう。
木嶋佳苗
出典:diamond.jp
木嶋佳苗
生年月日:1974年11月27日
出身:北海道中標津町
死刑確定:2017年
罪状:強盗殺人罪など(3人殺害、6人疑惑)
獄中結婚をした女性死刑囚の1人目は、木嶋佳苗です。
木嶋佳苗は結婚詐欺で少なくとも3人を一酸化炭素中毒で自殺・事故に見せかけて殺害。そのほかにも、3人の男性の死に関わっているのではと見られていますが、起訴はされていません。
また、殺人以外にも多数の詐欺・詐欺未遂・窃盗を行っていることが判明し、2009年に逮捕。
2017年、最高裁で上告棄却に対する木嶋佳苗の訂正申し立てをしたことで、死刑が確定しました。
木嶋佳苗は一般的には美女とは言い難いルックスでしたが、嘘が得意だったようです。
男性からだまし取ったお金で高級マンションに住み、ベンツを乗り回すという生活をしていて、事件発覚当時はワイドショーで大きなニュースとして取り上げられています。
そしてこの木嶋佳苗は、現在までになんと3度も獄中結婚をしています。
しかも、3度目の獄中結婚は週刊新潮のデスクの男性だったことを週刊新潮が報じています。
週刊新潮のデスクと獄中結婚ということは、取材目的と木嶋死刑囚の自己顕示欲の利害が一致したのかもしれません。
ただ、2009年に逮捕されてから3度も獄中結婚をしているというのは、やはり木嶋佳苗死刑囚にはほかの女性にはない、特別な魅力があるのかもしれません。
宮崎知子
出典:twitter.com
宮崎知子
生年月日:1946年2月14日
出身:富山県
死刑確定:1998年
罪状:身代金目的誘拐罪と殺人罪
1980年、富山県と長野県で起こった富山・長野連続女性誘拐殺人事件。現場で赤いフェアレディZが目撃されていたことから「赤いフェアレディZ事件」とも呼ばれています。
この事件では、1980年2月に富山県で女子高生が身代金目的で誘拐・殺害され、さらに翌3月には長野県で帰宅途中のOLが赤いフェアレディZに乗せられて誘拐された後、殺害されました。
事件前、犯人の宮崎知子は不倫相手とギフト店を始めますが、経営がうまくいかずに借金だけが残ります。そして、身代金目的の誘拐を考えるようになり、事件を起こしました。
1980年3月30日に逮捕されています。
この宮崎知子はこの後で紹介する藤波芳夫元死刑囚と獄中結婚をして、一時期は藤波知子という名前になっていました。
しかし、2006年に藤波芳夫元死刑囚の死刑が執行されたこともあってか、2009年ごろには宮崎知子という苗字に戻っています。
死刑囚同士が獄中結婚したという、かなりレアケースだったと言えるでしょう。
獄中結婚をした男性死刑囚6人
大森勝久
大森勝久
生年月日:1949年9月27日
出身:岐阜県多治見市
死刑確定:1994年
罪状:爆発物取締罰則違反、殺人罪など
大森勝久は、1976年に北海道庁爆破事件を起こした犯人です。
この爆破事件では2人の職員が死亡し、80名近くが重軽傷を負いました。
事件後、北海道新聞社に「東アジア反日武装戦線」を名乗る男から「大通りコインロッカーに声明文がある」という犯行声明がありました。
警察は反日闘争に関わる人物を中心に捜査を進め、大森勝久を逮捕しています。
大森勝久は北海道庁爆破事件の意義については同意していたものの、犯行自体は否認し、裁判でも一貫して無罪を主張していましたが、1994年には死刑が確定しています。
大森勝久は第一審で死刑判決が出た後の1985年、支援者の女性と獄中結婚をしています。
2021年現在でも、まだ死刑は執行されていませんが、アムネスティインターナショナル日本からは、「冤罪の可能性が最も高い7名の死刑囚」の1人に指定されています。
宅間守
出典:twitter.com
宅間守
生年月日:1963年11月23日
出身:兵庫県伊丹市
死刑確定:2003年
罪状:殺人罪(8名)
2001年6月8日、大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校で発生した無差別殺傷事件。
犯人の宅間守が附属池田小に侵入し、小学1年生1名と小学2年生7名の合計8名を殺害、児童13名・教諭2名がけがを負いました。
宅間守元死刑囚は2003年に第一審で死刑判決が言い渡されると、弁護士は控訴しましたが、宅間守本人が控訴を取り下げ、刑が確定しています。
しかし、死刑確定後6ヶ月以内に死刑が執行されないと、「精神的苦痛を受けた」として国家賠償請求を起こす準備をするなど、一刻も早く死刑が執行されることを望んでいたようです。
そんな宅間守元死刑囚は、死刑確定後に死刑廃止運動家の女性と文通を行い、獄中結婚をしています。
宅間守元死刑囚はこの付属池田小事件の前に4回も離婚しているので、この獄中結婚が通算5回目の結婚となりました。
獄中結婚をした女性はクリスチャンで、「宅間守を何とかしたい」という博愛精神から結婚したとのことです。
宅間守はこの女性に心を開いていたようで、死刑執行前には「『ありがとう、と僕が言っていた』と、妻に伝えてください」と話しています。
また、この獄中結婚をした女性以外からも、宅間守元死刑囚は愛の告白を受け、文通をしていたとのことです。
この宅間守の一種独特な雰囲気は、特定の人を惹きつけてしまう何かがあるのかもしれません。
新実智光
出典:jiji.com
新実智光
生年月日:1964年3月9日
出身:愛知県岡崎市
死刑確定:2010年
罪状:殺人罪(11件26人)
池田大作サリン襲撃未遂事件や薬剤師リンチ殺人事件に関わり、阪本弁護士一家殺害事件や松本サリン事件の実行犯で、地下鉄サリン事件では運転手役で事件に関わった新実智光元死刑囚。
「尊師と一緒に断罪されたい」と、最後まで麻原彰晃に対する忠誠を捨てず、オウム真理教と事件の正当性を主張し続けた元オウム真理教幹部でです。
第一審・第二審で死刑判決を受けた後、2010年に上告が棄却され、訂正申し立ても棄却されたことで、死刑が確定しています。
死刑が確定した後の2012年に、新実智光元死刑囚はアレフ信者の女性と獄中結婚をしました。
この獄中結婚をした女性は、2013年に無理やり知人女性をアレフに入信させようとした罪で有罪判決を受けました。
新実智光元死刑囚は、2018年に死刑が執行されています。
永山則夫
出典:amazon.co.jp
永山則夫
生年月日:1949年6月27日
出身:北海道網走市
死刑確定:1990年
罪状:殺人罪(4人)
永山則夫は、1968年に東京・京都・北海道・愛知でアメリカ軍から盗んだ拳銃で男性4人を殺害した犯人です。
犯行当時、19歳の未成年だったこと、他に類を見ない重大犯罪だったことなどで、裁判の判決に注目が集まりました。
第一審では死刑判決、第二審では無期懲役の判決となり、差し戻し控訴審では死刑判決、そして最高裁でも差し戻し判決を支持し、死刑が確定しています。
永山則夫は1980年、アメリカに住む日本とフィリピンのハーフ女性と獄中結婚をしています。
この獄中結婚や妻の働きかけによって、永山則夫は事件に対して真摯に反省し、贖罪の気持ちを持つようになったとのことです。
しかし、差し戻し控訴審中に、この獄中結婚した妻とは離婚しています。
永山則夫は獄中小説家としても活動していて、手記のほかに『木橋(きはし)』などの小説を複数発表しています。
藤波芳夫
出典:twitter.com
藤波芳夫
死刑確定:1993年
罪状:殺人(2人)
藤波芳夫は今市覚醒剤殺人事件の犯人です。
覚せい剤中毒だった藤波芳夫が、別れた妻の居所を知らせない妻の実家を襲撃、登山ナイフで子供2人に大けがを負わせ、さらに元妻の兄嫁と兄を殺害して、金品を奪って逃げた事件です。
1993年に死刑が確定し、2006年に死刑が執行されていますが、この藤波芳夫は赤いフェアレディZ事件の犯人の宮崎知子と獄中結婚をしています。
北村孝紘
出典:ameblo.jp
北村孝紘
出身:福岡県大牟田市
死刑確定:2011年
罪状:強盗殺人、殺人、死体遺棄罪・銃砲刀剣類所持等取締法違反
北村孝絋は大牟田4人殺害事件の犯人です。
大牟田4人殺害事件は、暴力団組長一家4人が金銭目的で闇金融業者一家3人+知人を次々に殺害して、死体を遺棄した事件です。
逮捕後は犯人の1人である父親が拳銃自殺を図ったり、検察から長男が脱走するなど、ゴタゴタがありましたが、犯人一家4人全員が死刑判決を受けています。
北村孝絋は犯人一家の次男ですが、2013年に支援者の女性と獄中結婚をしています。
現在はその女性の姓に変わっていて、井上孝絋という名前になっているとのことです。
獄中結婚のまとめ
獄中結婚の心理やメリット、やり方、獄中結婚をした芸能人・有名人、獄中結婚をした死刑囚をまとめました。
獄中結婚をする心理・メリットにはいろいろあります。もちろん、獄中結婚をする権利もあります。
それでも、被害者と遺族の心情を思うと、いろいろと考えてしまいますね。