2024年11月27日に、参議院議員の猪口邦子氏の自宅マンションが火事になりました。その火事で亡くなったのが猪口孝氏と長女です。
猪口孝氏のプロフィールや若い頃からの経歴、家族と結婚した嫁の猪口邦子氏との馴れ初めや子供(娘)と長女が自閉症の噂、火事の原因やペットボトルを持つ人影の真相、現在をまとめました。
この記事の目次
猪口孝は国際政治学者&猪口邦子の夫
猪口孝
生年月日:1944年1月17日
没年月日:2024年11月27日
出身:新潟県新潟市
活動:学者
猪口孝氏は著名な国際政治学者です。
専門は政治学・国際関係論で、東京大学名誉教授、新潟県立大学理事長・学長を歴任し、2023年には瑞宝中綬章を受章しています。
報道では「猪口邦子氏の夫」と言われることが多いですが、国際政治学者として十分すぎるほど素晴らしい実績を持っている方です。
猪口孝の若い頃からの経歴
出典:nikkei.com
学生時代
1944年1月17日に新潟県新潟市で生まれた猪口孝氏は、寄居中学校・新潟高校を卒業後に東京大学教養学部に進学します。
1966年に東京大学教養学部教養学科を卒業した後、東京大学大学院修士課程に進学し、1968年に社会学修士号を取得しました。
その後、アメリカのマサチューセッツ工科大学大学院に留学し、政治学博士号を取得します。
研究者としての実績
修士課程修了後に、上智大学外国語学部の助手になり、留学して博士号を取得した後は帰国して上智大学外国語学部の助教授に就任しました。
以下、学術界において次のような役職に就いています。
・1977年:東京大学東洋文化研究所助教授
・1977年 ~1978年:ジュネーヴ大学国際問題高等研究所客員教授
・1983年~1984年:ハーバード大学国際問題研究所客員研究員
・1986年:オーストラリア国立大学豪日研究センター上級研究員
・1988年:東京大学東洋文化研究所教授
・2004年:東京大学を定年退官、名誉教授に就任
・2005年:中央大学法学部教授(同公共政策大学院教授兼任)
・2009年~2017年:新潟県立大学学長兼理事長
・2017年:桜美林大学アジア文化研究所 所長 兼 特別招聘教授
研究分野は政治理論、比較政治、東アジア政治、政治経済学、国際関係論、国際安全保障、国際政治経済と幅広く、多くの著作を残し、論文を発表しています。
1982年には「国際政治経済の構図」でサントリー学芸賞を受賞し、1987年に大嶽秀夫、村松岐夫ともに雑誌『レヴァイアサン』を共同で創刊し、実証主義的政治学の発展に貢献しました。
また、語学も堪能で大学時代には英語・ドイツ語、フランス語、ロシア語、中国語・韓国語を学び、大学教員になってからはベトナム語とインドネシア語も学んだとのこと。主に使うのは英語ですが、学会での発表では韓国語と中国語も使うとのことです。
2018年には日本政治法律学会より現代政治学会賞を受賞し、2023年には秋の叙勲において瑞宝中綬章を受章しました。
その他の役職
猪口孝氏は以下のような役職も歴任しています。
・1992年~1996年:米国社会科学評議会(SSRC) 平和安全保障委員会委員
・1995年~1997年:国際連合大学上級副学長
・1998年~2000年:アジア太平洋大学交流機構(UMAP)事務局事務次長
・2000年~2002年:日本国際政治学会理事長
・2000年~:法制審議会委員
・2001年~:国際連合本部 戦略計画委員会委員 (議長:コフィ・アナン事務総長)
・2003年~:日本学術会議会員
・2004年~:アジア政治研究連合(ACPR)執行委員会議長
・2004年~:国際連合 教育科学文化機構平和研究国際委員会 委員
国際社会においても、猪口孝氏の功績は非常に大きいことがわかります。
猪口孝の家族
猪口孝の実家の家族
猪口孝氏の実家はいわゆる「名家」のようなものだったと思われます。
・父親:猪口孝吉
・母親:猪口光子
父親の実家は新潟県新発田市の商家で、母親の実家はお寺でした。両親の実家共にしっかりした家なので、猪口孝氏の実家は経済的にはある程度恵まれていたことは間違いないでしょう。
猪口孝氏の結婚後の家族
猪口孝氏は猪口邦子さんと結婚して2人の子供に恵まれましたので、4人家族でした。
・猪口孝
・猪口邦子
・娘2人
亡くなる時まで火事になった文京区小石川にあるマンションで、家族4人で住んでいました。
猪口孝が結婚した嫁は猪口邦子
猪口孝氏は1976年に猪口邦子さん(旧姓・横田)と結婚しました。猪口孝氏が32歳、猪口邦子さんが24歳の時です。猪口孝氏はアメリカ留学で政治学博士号を取得し、日本に帰国した後のタイミングでの結婚でした。
猪口邦子は政治家
出典:mainichi.jp
猪口邦子
生年月日:1952年5月3日
出身:千葉県市川市
所属:自由民主党
活動:参議院議員、国際政治学者
猪口孝氏が結婚した女性は、参議院議員の猪口邦子さんです。
猪口邦子さんは千葉県市川市で生まれましたが、父親が東京海上火災保険の社員で海外転勤があったこともあり、海外で生活することがありました。
<猪口邦子の学歴>
・ブラジルのサンパウロ日本人学校、アメリカンスクール
・八幡小学校
・桜蔭中学校
・コンコードアカデミー高校(アメリカのマサチューセッツ州)
・上智大学外国語学部
・イェール大学政治学修士課程修了、修士号取得
・イェール大学大学院政治学研究科博士課程修了、博士号取得
これを見ると、とんでもない高学歴の持ち主で、超優秀な人物であることがわかります。
博士号取得後はアメリカのハーバード大学の研究員になったり、オーストラリアで客員教授をやり、1990年からは母校の上智大学で法学部教授に就任しました。
2002年からは軍縮会議日本政府代表部特命全権大使を務め、2005年には自民党からの要請で衆議院議員選挙に立候補し当選。小泉チルドレンとして政治の道を歩み出し、1期目から内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画担当)に抜擢されました。
2009年に自民党から次の総選挙で比例単独の下位候補としての出馬を打診されましたが、これを拒否。翌2010年の参議院議員選挙に立候補して当選し、現在は参議院議員3期目を務めています。
日本大学国際関係学部の任期制教授に就任したこともありますし、上智大学名誉教授や日本学術会議委員なども務めているので、学者・研究者(専門は国際関係論、安全保障論)としても実績がある女性です。
猪口孝と猪口邦子の馴れ初め
猪口孝氏と猪口邦子さんは、上智大学で出会いました。
猪口孝氏は1974年にアメリカのマサチューセッツ工科大学で政治学の博士号を取得し、日本に帰国して上智大学外国語学部で助教授を務めていました。
その時、猪口邦子さんは上智大学外国語学部を卒業し、大学院に在籍していました。
猪口孝氏は教授に猪口邦子さんを紹介され、すぐに意気投合し、プロポーズしました。
《まだまともにデートもしたことがないというのに、孝はある日一緒にお茶を飲もうと喫茶店に誘うと、「結婚してほしい」とプロポーズしてきた。直球だった。なんと率直な人なのだろう。古風な親に育てられていた私もなぜか「はい」と即答して、結婚は決まりとなった》
2人ともお互いに運命的なものを感じたのでしょう。そして、1976年に結婚しました。
猪口孝は家事をして嫁を支える
猪口孝氏は嫁の猪口邦子さんの政治活動を献身的にサポートしていました。
猪口邦子さんは2005年に衆議院議員総選挙に出馬し、政治家としてのキャリアをスタートさせます。それまでも軍縮会議日本政府代表部特命全権大使を務めるなど、とても忙しくしていましたが、政治家になると、さらに忙しくなります。
猪口孝氏はそんな邦子さんを料理などの家事を担当して、献身的に支えました。
05年、邦子さんが衆院議員に初当選し、政治家に転身してからは、孝さんが双子の娘さんの食事を作るなどして、多忙な奥様を支えました」(前出のメディア関係者)
引用:「双子の娘さんの食事を作り奥様を支えた」 火災で亡くなった猪口邦子議員の夫・孝さんの心優しき素顔 「仲むつまじい夫婦として有名」(全文) | デイリー新潮
これって、とてもすごいことだと思いませんか?
猪口孝さんは1944年生まれ。つまり戦前生まれです。さらに、東京大学卒業・マサチューセッツ工科大学大学院留学という超高学歴の持ち主です。しかも、当時の猪口孝さんはもちろん無職だったわけではなく、中央大学法学部教授(同公共政策大学院教授兼任)の職に就いていました。
その状態で、政治家に転身した嫁を支えるために、料理などの家事を担当するというのはなかなかできることではないと思います。
猪口孝・邦子夫婦はおしどり夫婦
猪口孝氏がさらにすごいのは、猪口邦子さんの才覚・才能を理解し、キャリア構築を邪魔しなかったところです。
1976年に結婚しましたが、猪口邦子さんは結婚した1ヶ月後にはアメリカに留学しました。1977年にイェール大学政治学修士号を取得し、1982年にはイェール大学大学院政治学博士号を取得しました。
1970年代は結婚したら女性が家庭に入るのはごく普通のことでした。そのような中、嫁の猪口邦子さんはアメリカに留学し、修士号・博士号を取得したんです。これができたのは、猪口邦子さんの能力が高かったのはもちろんですが、夫である猪口孝さんの理解があったからだと思います。
猪口邦子さんももちろん、猪口孝氏のキャリアを応援していたので、共に支え合う素敵なご夫婦だったと思います。
「アメリカのホームパーティー文化を体験しているお二人は、自宅に仕事仲間を招くことが度々あったそうです。それ以外でも、お二人は社交の場によくそろって顔を出されており、仲むつまじい夫婦としてつとに有名でした」(猪口夫妻を知るメディア関係者)
引用:「双子の娘さんの食事を作り奥様を支えた」 火災で亡くなった猪口邦子議員の夫・孝さんの心優しき素顔 「仲むつまじい夫婦として有名」(全文) | デイリー新潮
仲良しのご夫婦としても有名だったんですね。
猪口孝の子供は双子の娘
猪口孝氏と猪口邦子さんには2人の娘がいます。娘2人は双子とのことです。
学者同士、そして妻の政界進出という生活はすれ違いもあったが、双子の娘に恵まれるなど幸せな暮らしを送っていた。
2024年11月に火事があった時点で、2人の娘の年齢は33歳でしたから、双子の娘さんが生まれたのは1991年と思われます。1991年は猪口孝氏は東京大学東洋文化研究所教授、猪口邦子さんは上智大学法学部教授の時でした。
1995年には火事が起こった文京区小石川のマンションを購入し、家族4人で住んでいました。
猪口孝の長女は自閉症?障害がある?
猪口孝氏の長女は自閉症で障害があるという情報があります。
猪口議員が障害を抱えたお嬢さんを育てていることは、永田町では公然の秘密だったからです。どうかお嬢さんが無事であってほしいと、祈るように中継映像を見ていました
ただ、この「猪口孝氏の長女は障害がある」、「娘は自閉症だ」という情報はあくまで第三者からの情報であり、猪口孝氏や猪口邦子さんが公の場で発言したわけではありません。
予算委員会での蓮舫氏からの質疑で注目を集めた
猪口孝氏と邦子さんの子供に障害があることが一般に知れ渡ったのは、2006年の予算委員会での蓮舫氏からの質疑と2010年のフジテレビのプライムニュースに出演した与謝野馨氏の蓮舫批判だと思います。
こちらが、2006年の予算委員会の質疑です。
どんなに悔しかったでしょうか?
— ねこZ3 (@NecoZi3) May 22, 2024
その質問の最後の部分の映像です。
猪口大臣の表情をどうか皆さま、ご覧戴きたいのです。 pic.twitter.com/Ifj5ewmvOk
猪口邦子さんは蓮舫氏から「猪口大臣は障害者扶養共済制度をこれまで知らなかった」と決めつけられていました。この決めつけに対し、猪口さんは何も反論せず、ただ悲しい表情をして質疑応答を終えています。
そして、2010年にフジテレビの討論番組で、与謝野馨氏が蓮舫氏を批判し、『蓮舫は「あなたは障害児を育てている親の気持ちなんかわからないでしょう。全くわからない人ですからね」と猪口大臣に言った。非人間的だ』と発言しました。
蓮舫議員が障害児をもつ猪口大臣に『あなたは障害児を育てている親の気持ちなんか、まったくわからないような人ですからね』って、こう言った。
— 辻よしたか 大阪市会議員 東住吉区 (@ytsuji2001) June 3, 2024
猪口さんはじっと耐えて、答弁していましたよ。だけど、その時に蓮舫さんの人間性と言うのを知ったんですよ。非常に、非人間的な発言ですよ。… pic.twitter.com/64LKED8ZRH
この情報・動画がTwitterを中心に火事が起こるずっと前から出回っていたため、猪口孝氏の子供は障害があるのだろうと言われるようになりました。
ただ、先ほども言いましたが、猪口孝・邦子さんご夫婦が自ら「うちの長女には障害がある」と発言したわけではなく、あくまでも与謝野馨氏の蓮舫さん批判から広まった情報でしかありません。
だから、自閉症なのかどうかは不明ですし、どのような障害があるのかもわかりません。さらには本当に障害があるのかどうかも不明なのです。
猪口孝は火事で死亡
2024年11月27日に文京区小石川にある自宅マンションで火災が起こり、猪口孝氏は長女と共に焼け跡から遺体となって発見されました。猪口孝氏は80歳、長女は33歳でした。
自宅は6階建てのマンションの最上階で、消防車30台以上が出動して消火活動に当たりましたが、火の勢いが強く、自宅は全焼し、完全に消火できるまで9時間かかっています。
捜査関係者によると、亡くなった2人は猪口議員の夫で東大名誉教授の猪口孝さんと30代の長女とみられていて、2人は台所付近に倒れていたということです。
引用:猪口議員宅で火災 “燃え広がる条件”重なったか 過去に取材…室内の様子は?(2024年11月29日掲載)|日テレNEWS NNN
火事が起こった後すぐは2人の遺体の身元は判明しておらず、「猪口孝氏と長女と連絡が取れない」という報道でしたが、12月1日に身元が判明し、遺体は確かに猪口孝氏と長女だったことが分かっています。
死因は焼死だったとのことです。
車椅子で逃げ遅れたか?
猪口孝氏は車椅子だったために、逃げ遅れて亡くなった可能性があります。
孝さんは足が不自由で車椅子生活だったといわれています。
引用:猪口邦子議員の火災現場“人影映像” 日テレが「使用不可」にしたウラに「親族からのクレーム」(FRIDAY) – Yahoo!ニュース
猪口孝氏は車椅子。一緒にいた長女は何らかの障害があったとなると、火事が起こって避難するのは難しかったのかもしれませんね。
猪口孝の自宅火事の人影は誰?ペットボトルの中身は?
人影が報じられる
猪口孝氏の自宅マンションの火事は火の勢いが強く、さらに6階建てマンションの最上階であり、周囲から「火事である」ことが見える状態だったため、近隣の人たちが火事の様子をスマホなどで撮影していました。
そして、その動画をマスコミが用いて、火事の報道をしたために、臨場感があり火事の様子が克明にわかる報道をするテレビ局が多かったのですが・・・。
視聴者提供の動画の中に、マンションのベランダに出て、ペットボトルのようなものを持っている女性の人影が映っているものがあったんです。その動画を日本テレビの「ミヤネ屋」が放送しました。
「視聴者提供」として流された映像には、燃え盛る炎の中、手にペットボトルを持つ女性らしき人影が映っていた。誰かも分からず何をしていたのかも分からないというなか、そのまま放送されたのだ。
引用:猪口邦子議員の火災現場“人影映像” 日テレが「使用不可」にしたウラに「親族からのクレーム」(FRIDAY) – Yahoo!ニュース
室内が見えないくらい火の勢いが強い中、女性と思われる人影がペットボトルを持ち、そのペットボトルの中に入っている液体を出しているような映像は本当に衝撃的で、すぐにSNSでも拡散されました。
放火犯では?というネット上での憶測あり
この人影が映っている衝撃映像がテレビで放送されたことで、この人影は「放火犯」ではないか?という憶測が飛び交うようになりました。
見方によっては、人影が踊っているように見えますし、ペットボトルの中にはガソリンが入っていて、ガソリンをまいて放火しているのでは?と思った人が多かったようです。
確かに、ガソリンを撒いたのではないかと思うくらい火の勢いが強かったのですが、これはあくまでも憶測であり、「陰謀論」が好きな人たちが好き勝手に想像していただけと思われます。
長女の可能性が高い
出典:fnn.jp
火災の映像の人影は、放火犯などではなく、長女の可能性が高いようです。というのも、猪口孝氏の親族から日本テレビにクレームが入ったからです。
「ミヤネ屋を放送後、親族と名乗る人からクレームが入りました。“あの映像を使うのをやめてほしい”と言われたので報道局幹部で緊急協議に入った。
引用:猪口邦子議員の火災現場“人影映像” 日テレが「使用不可」にしたウラに「親族からのクレーム」(FRIDAY) – Yahoo!ニュース
親族からクレームが入ったということは、あの人影はやはり長女だったのでしょう。最終的には亡くなった長女が火事の中であのような行動をした(炎の中で助けを求めようとしていた?)のを見るのは辛いはずですから。
あの人影が長女だったと仮定すると、燃え盛る炎の中で必死に助けを求め、残っていたペットボトルの水をかけて消火しようとした。だけど、それができなかったから、最終的にあの炎の中、父親である猪口孝さんの元に行き、一緒に亡くなったと考えることができます。
猪口孝が死亡した火事の原因は?
猪口孝氏の自宅の火事の原因は、人影の映像があったことや火の勢いが強かったこともあり、当初は放火の可能性も疑われていましたが、放火の可能性は低いようです。
警視庁が実況見分した結果、台所に近い応接室の燃え方が激しく、火元とみられる。第三者が外部から侵入したり、油などがまかれたりした形跡はなく、警視庁が出火原因を調べている。
第三者の侵入がなく、可燃性のものが撒かれた形跡もなかったということは、火の不始末のようなことから火災が起こった可能性が考えられます。
火の勢いがとても強かったのは気になりますが、夫婦ともに研究者だったことを考えると、自宅内には書物がたくさん置かれていて、それが火の勢いを強めた原因だったのかもしれません。
猪口孝の自宅火事後の現在
猪口孝氏の自宅火災は、事件性は低いと見られているものの、まだ明確な原因は明らかになっていないようです。また、葬儀が行われたという情報もありません。
また、猪口孝氏が亡くなったことで、学長・理事長を務めた新潟県立大学や上級副学長を務めた国連大学が追悼コメントを出しています。このように追悼コメントが出るということは、猪口孝氏が学問の分野において大きな貢献をしてきたと言いう証拠でしょう。
猪口孝のまとめ
猪口孝氏のプロフィールや若い頃からの経歴、家族や結婚した嫁の猪口邦子さんとの馴れ初め、双子の子供や長女の自閉症・障害の噂の真偽、火事の原因やペットボトルを持つ人影の真相や現在をまとめました。
猪口孝さんのご冥福をお祈りいたします。