ゴッドハンドとも呼ばれた脳外科医の福島孝徳さんが亡くなりました。
この記事では福島孝徳さんの生い立ちや東京大学卒業後からの経歴、両親や家族、結婚や嫁、子供、年収や自宅、悪性腫瘍と医療ミスで訴えられた過去、死因と現在その技術を後継者となっている弟子についてまとめました。
この記事の目次
- 福島孝徳のプロフィール
- 福島孝徳の経歴① 東京大学医学部を卒業
- 福島孝徳の経歴② 東京大学病院での研修医時代に世界初の脳内視鏡手術
- 福島孝徳の経歴③ 西ドイツやアメリカの病院に研究員として留学
- 福島孝徳の経歴④ 頭蓋底の鍵穴手術を確立し米国で神の手と称される
- 福島孝徳の家族① 父親は明治神宮宮司を務めた福島信義
- 福島孝徳の家族② 叔父は患者想いの内科医
- 福島孝徳の家族③ 母親の和歌子さんと兄と弟
- 福島孝徳の結婚…嫁は法子さんで2017年に還暦
- 福島孝徳の子供は娘と息子で長女の梨沙は医学部の情報も
- 福島孝徳の自宅はアメリカ
- 福島孝徳の年収
- 福島孝徳と悪性腫瘍
- 福島孝徳は過去に医療ミスで訴えられた事も
- 福島孝徳の死因
- 福島孝徳の現在…弟子や後継者が技術や志を継いでいる
- まとめ
福島孝徳のプロフィール
福島孝徳のプロフィール
生年月日:1942年10月15日
没年月日:2024年3月19日(没年81歳)
出身地 :東京都
福島孝徳さんは、患者の負担を極限まで減らすため、小さな穴を開けて顕微鏡を使って患部を切除する「鍵穴手術(キーホールオペレーション)」を独自に開発し多くの難手術を成功させ、数万人の患者の命を救った脳外科医で、拠点とした米国では「ゴッドハンド(神の手)」、「侍ドクター」、「ラストホープ」と称されました。
日本でも、患者を第一に考える名医として尊敬を集め、医療界のヒーローとも呼ばれていました。
そんな福島孝徳さんが2024年3月に81歳で亡くなった事が発表され、その死を惜しむ声が広がっています。ここではこの福島孝徳さんについて改めて紹介していきます。
福島孝徳の経歴① 東京大学医学部を卒業
福島孝徳さんは1942年、後に明治神宮の宮司を務めた神職の福島信義さんの次男として東京都で生まれました。
福島孝徳さんは小学2年生の時に野口英世の伝記を読み世界で活躍する医者になろうと志し、東京都立戸山高校(最新の偏差値71)を卒業後、東京大学へ進学し1968年に医学部を卒業しています。
素晴らしい学歴を持つ福島孝徳さんですが、実は中学時代まではヤンチャな少年だったそうで、小学生時代には教室の入り口に黒板消しを挟んだり、ストーブの煙突をはずして先生を煤だらけにしたりして困らせていたそうです。中学に進学後は番長グループの参謀役で他の中学校の番長グループとの喧嘩で作戦を考える役割だったのだとか。
また、高校進学後も実家を家出して年上の女性と同棲するなど、かなり破天荒な一面があったようです。
さらに、東京大学へ進学後も2年生まではあまり勉強には熱心でなかったそうで、スキー部や自動車部に所属したり、早稲田大学ニューオリンズジャズクラブに参加してドラムに打ち込んだりと、趣味の方へ情熱を傾けるタイプだったのだとか。ただ、大学3年からは真剣に医学を学ばれています。
福島孝徳の経歴② 東京大学病院での研修医時代に世界初の脳内視鏡手術
福島孝徳さんは東京大学医学部を1968年に卒業後は、東京大学医学部附属病院や東京警察病院で研修医として勤務しています。
福島孝徳さんは研修医1年目にファイバースコープを使った脳内視鏡手術を世界で初めて行い世界的に注目されています。研修医2年目に経鼻下垂体マイクロサージェリーを実施し、これらがその後の鍵穴手術研究のルーツとなっています。
福島孝徳の経歴③ 西ドイツやアメリカの病院に研究員として留学
福島孝徳さんは研修医と臨床医員としての5年間の勤務を終えた後、当時の西ドイツのベルリン自由大学スティグリッツクリニック(Steglitz)に脳神経外科研究フェローとして2年間留学し、欧州の名医の手術を見学して当時最先端の脳外科手術の技術を学ばれています。
その後は渡米し、アメリカの名門メイヨー・クリニックの脳神経外科臨床・研究フェローとして3年間留学。ここではアメリカの名医と呼ばれる医師達から徹底的に臨床を学ばれています。
福島孝徳の経歴④ 頭蓋底の鍵穴手術を確立し米国で神の手と称される
出典:https://www.mahoroba-jp.net/
福島孝徳さんは欧米の最先端医療の現場で5年間学んだ後、1978年に帰国し東京大学医学部附属病院脳神経外科助手を2年務めています。その後、1980年より東京秋葉原の三井記念病院脳神経外科部長に就任し、この頃に頭蓋底の鍵穴手術法(キーホールオペレーション)を独自に研究開発・確立しました。
その後、学閥や人脈、研究論文数などのみを評価基準として臨床実績や患者の負担軽減を最優先に考えたマイクロ手術手技を評価基準としない日本の医学界に疑問を感じ、48歳だった1990年に渡米し、南カリフォルニア大学医療センターの脳神経外科教授に就任し、米国に拠点を移されています。
以降は米国に永住し、ペンシルバニア医科大学アルゲニー総合病院脳神経外科教授、アルゲニー脳神経研究所頭蓋底手術センター長、カロライナ頭蓋底手術センター所長、デューク大学脳外科教授、ウエスト・ヴァージニア大学教授などを歴任して、鍵穴手術を用いて多くの難手術を成功させて医療世界最先端国でアメリカでゴッドハンド(神の手)」、「侍ドクター」、「ラストホープ」、「全米トップの脳外科医」と称賛を集めました。
福島孝徳の家族① 父親は明治神宮宮司を務めた福島信義
出典:https://www.rekishidb.meijijingu.or.jp/
福島孝徳さんの父親は、明治神宮宮司、明治記念館館長を務めた神職の福島信義さんです。
福島信義さんは清廉潔白を絵に描いたような高潔な人物で、大地主だった父親(福島孝徳さんの祖父)からの遺産相続を「遺産は人をだめにする」と言って全て相続放棄し、福島孝徳さんら子供達に「うちには遺産も資産もないから、自分の道は自分の力で切り開きなさい」と言い渡したそうです。
また、明治神宮の神職として付け届けや贈り物は一切受け取らなかったのだとか。
福島孝徳さんの父親の福島信義さんの高潔な人物を象徴するエピソードとして、日本が戦争に負けGHQが明治神宮を取り壊して国民公園にしようとした際、英語が堪能だった福島信義さんがGHQに乗り込み「あなたがたは日本を占領できても日本人の精神までは占領できない」と説いて明治神宮の取り壊しを中止させたというものがあります。
福島孝徳さんは脳外科医師としてほとんど1日も休まずに患者を救う事のみを考えた方として知られていますが、この父親の福島信義さんの高潔さを受け継いだ部分もあったのだと思われます。
福島孝徳の家族② 叔父は患者想いの内科医
福島孝徳さんは父親の福島信義さんに対しては強い尊敬の念を抱きつつも、「明治神宮に一生を捧げたので、家族の面倒は全く見なかった」と語られていて、父親にどこかに連れて行ってもらったり、遊んでもらったりした記憶は全くないと語られていました。
その父親の弟である叔父は子供がなかっため、福島孝徳さんら兄弟を自分の子供のように可愛がってくれたそうで、福島孝徳さんにとってもう1人の父親のような存在であったようです。
この福島孝徳さんの叔父は、新小岩で内科を開業した医師だったそうで、福島孝徳さんは小学1年生の時にこの叔父に憧れて医者になりたいと思ったと語られています。
両親に加えて、大きな影響を受けたのが新小岩で内科を開業していた叔父の存在だ。
「子供のいなかった叔父は私をとてもかわいがってくれました。叔父のような医者になろうと、小学校1年のときから決めていました。叔父が通った東京医科大学の内科の研究室にもよく遊びに行き、医者の世界の雰囲気を肌で感じていました。
福島孝徳さんの叔父は、患者さんをとても大切にする立派な医師だったそうで、福島孝徳さんの「すべては患者さんのために」という信念の原点となった人物だったようです。
福島孝徳さんが高校時代に不良になりかけた時に、もう1度医師を志す道に連れ戻してくれたのもこの叔父だったのだそうです。
叔父は東京・新小岩で内科医をやっていたんですが、患者さんに物凄く親切で、もう夜でも日曜日でも患者さんを診ていましたね。私は遊びまくっていたから大学受験に滑ったんですけど、ある日、叔父に「このまま不良を続けてヤクザになるのか、それとも改心して医者になるのか。いまここではっきりさせろ」と詰め寄られたんです。
福島孝徳の家族③ 母親の和歌子さんと兄と弟
福島孝徳さんの母親は和歌子さんという方で、富岡八幡宮の宮司の娘で府立深川高女を卒業したとても頭の良い女性だったそうです。福島孝徳さんの頭脳明晰さは、両親から受け継いだものともよく言われています。
また、福島孝徳さんは3人兄弟の次男で、兄は義徳さん、弟は信正さんという方です。
Dr.福島は、明治神宮の神職を務める父・福島信義と、代々神職の家柄に生まれた母・和歌子の間に1942年に誕生した。兄・義徳、弟・信正に挟まれた3人兄弟の次男だ。
福島孝徳さんは、子供時代はヤンチャな少年で、高校時代には一時は不良化し、東京大学時代にも1度は医師への志しを忘れかけていますが、母親の和歌子さんに「人間は初志貫徹が一番大事」と諭されて真っ当な道へと戻してもらったと当時について語られています。
母は、とにかく可愛がってくれましたね。私は小学校2年の時に野口英世の伝記を読んで、世界に出る医者になろうと思った。で、中学、高校時代ちょっとグレかけた時に「人間は初志貫徹が一番大事」と諭されました。だから、母がいなかったら私は医者になっていません。
福島孝徳の結婚…嫁は法子さんで2017年に還暦
福島孝徳さんは結婚されています。
福島孝徳さんの結婚の時期は明かされていませんが、嫁は法子さんという女性である事が明かされています。
福島孝徳さんの嫁の法子さんは2017年に還暦を迎えられたという事なので、福島孝徳さんより14歳も年下だったようです。
福島孝徳さんと嫁の法子さんの結婚経緯や馴れ初めなどは不明ですが、歌が非常に上手いという事なので、福島孝徳さんの趣味の音楽活動を通じて知り合われたのではないかと言われています。
- 柏葉脳神経外科病院の院長の寺坂俊介さんが福島孝徳さんを偲んだ文章の中で、福島孝徳さんが恐妻家だった事を明かされています。
私が毎日見ていた福島先生は恐妻家で、よく悩んで、ビールが好きで、そして何よりも患者さん思いでした。
福島孝徳の子供は娘と息子で長女の梨沙は医学部の情報も
福島孝徳さんには2人の子供がいる事が明かされています。
福島孝徳さんの子供は息子さんと娘さんで、息子さんは徳仁さん、娘さんは梨沙さんだと言われています。
息子の徳仁さんについては情報がありませんが、娘の梨沙さんについては福島孝徳さんが2010年にテレビに出演された際に、娘は脳外科医を目指して医学部で学んでいると語っていたとの情報があるようです。
ただ、真偽は不明で現在、娘の梨沙さんが脳外科医として活躍しているといった情報も確認できません。
福島孝徳の自宅はアメリカ
福島孝徳さんは自宅はアメリカです。
福島孝徳さんは1990年にアメリカの拠点を移し、カリフォルニア州ロサンゼルスに4年、ペンシルバニア州ピッツバーグに4年、1998年から亡くなる2024年まではノースカロライナ州ダーラムのデューク大学を本拠としていたため、自宅もアメリカノースカロライナダーラムに置かれていたようです。
福島孝徳の年収
福島孝徳さんの年収ですが、「1億7000万円」ほどと言われていました。
2009年に毎日新聞が、福島孝徳さんが医師申告漏れで所得税の支払い漏れを国税局に指摘されているとの内容を報じた事から年収が推測されました。
ただ、福島孝徳さんはこの毎日新聞の記事の内容を虚偽だとして賠償を求める訴訟を起こして勝訴しており、毎日新聞の記事がどこまで正確だったのかはわかりません。
問題となったのは2009年9月8日の毎日新聞夕刊記事。「『神の手』医師申告漏れ」の見出しで、福島氏に所得税など1億数千万円の支払い義務があると国税局が判断したもようだなどと報じた。同社は翌月10日、一部を訂正するおわび記事を掲載した。
毎日新聞側は「複数の国税当局者から1億数千万円の支払いを求める方針と聞いた」などと主張。
ただ、いずれにしてもアメリカでは優秀な医師に対しては日本よりも大きな報酬が支払われるので、福島孝徳さんの年収が1億円超えだったのは間違いないと思われます。
福島孝徳と悪性腫瘍
出典:https://encrypted-tbn0.gstatic.com/
福島孝徳さんと「悪性腫瘍」というワードが関連づけられています。
これは、福島孝徳さんが基本的に悪性腫瘍の患者の手術を「多くのケースで予後改善が見込めない」という理由で引き受けていない事を明かしていたためだと思われます。
一方で、福島孝徳さんの手術を受けた悪性腫瘍の患者で良好な予後を送られている方がいる事もTwitter(現在のX)に投稿された事があります。
脳外科医の福島孝徳医師
— ダーマン (@da_man101) February 28, 2018
やはり凄まじくスゴい❗
やや意地悪だが当時20才の男性(グリオーマという超難関の悪性腫瘍)の予後を見ようと検索したらなんとその人のFacebookに行き当たり、お子さんまでいた!
もう5年以上はとっくに経っているだろう。
奇跡としかいーようがねぇd(>ω<。)
福島孝徳さんはグリオーマと呼ばれる脳の悪性腫瘍についても公式サイトで解説されていて、早期発見の重要さを説かれていました。
グリオーマは、腫瘍の悪性度によってGrade1~4に分類されます。Grade1は小児から若年の特殊なタイプのグリオーマで全剔出の可能性もあります(毛様細胞腫と呼ばれます)。Grade2は良性ですが、全治可能なのは1.5㎝以内の腫瘍で早期発見の数%程度です。ほとんどの患者さんは5~10年の余命となります。Grade3は3~5年、Grade 4は2年内外の余命となります。赤ちゃんから高齢者まで、年1回の脳ドックを受けて脳疾患の早期発見、早期治療を実現し、全治しましょう。
世界が認めた天才脳外科医、福島孝徳。「脳ドックで早期に発見すれば、悪性腫瘍だって全員全治。とにかく早期発見が全て」
— 福田 譲 (Yuzuru Fukuda) (@Yuz0130) March 30, 2010
福島孝徳は過去に医療ミスで訴えられた事も
福島孝徳さんは2011年に医療ミスで手術をした患者が死亡したとして遺族に訴えられた事がありました。
脳腫瘍摘出手術で切除部位を誤ったために患者が四肢麻痺となり死亡したとして、脳外科医の福島孝徳氏が提訴された。福島氏は国内外で数多くの難手術をこなし、“神の手を持つ男”として称賛されてきた。
これについて、福島孝徳さんはインタビューにて「真実は、高度悪性腫瘍で死亡したもの。手術とは無関係」、「死亡に至る医療ミスを起こしたわけではなく、患者の主張を中心とした既存の記事内容は一方的」と、実際には医療ミスではなく、悪性腫瘍によって死亡したのが真実だと説明されていました。
福島孝徳の死因
2024年3月19日にアメリカのデューク大学は福島孝徳さんが81歳で死去した事を発表しました。福島孝徳さんの死因は公表されていません。
天才脳外科医と呼ばれた福島孝徳氏が3月19日に米国で死去したと、名誉客員教授として所属していたデューク大学が発表しました。享年81。死因は明らかにされていません。
死因は公表されていませんが、関係が深い「福島孝徳記念クリニック」が、福島孝徳さんの死去発表を受けて「昨年より療養されていた当院最高顧問である福島孝徳先生が逝去されました。」と公式サイトに掲載しているため、福島孝徳さんは2023年より何らかの病気で療養されていたようです。
したがって、福島孝徳さんの死因は何らかの病気によるものだと推測されています。
福島孝徳の現在…弟子や後継者が技術や志を継いでいる
福島孝徳さんは2024年3月に死去されましたが、福島孝徳さんは生前に後進の育成に力を入れており、現在も多くの弟子や後継者にその技術と意志は引き継がれています。
福島孝徳さんは生前に、自身の弟子の中でも知識、技術、経験において高度なレベルにあると認めた18名の方を「熟達医」として信頼されていたという事です。
福島教授の最後の15年間は、この「熟達医」を育成することに力を注いできました。全国で18名の「熟達医」が選ばれており、彼らは福島教授から直接指導を受けた150名の医師の中から選ばれたもので、福島式スーパーミクロ鍵穴手術、低侵襲ミニ開頭手術、頭蓋底手術において教授が高い技術を持つと認めた専門家です。
今後は、以下の18名の「熟達医」が福島教授の代わりに手術を担当いたしますので、どうぞ安心して治療をお受けください。
福島孝徳さんのオフィシャルサイトでは、この18名の弟子が福島孝徳さんの後継者として紹介されています。
入江伸介 札幌孝仁会記念病院
佐藤俊輔 総合南東北病院
後藤博美 総合南東北病院
松岡剛 森山記念病院
白水秀樹 森山記念病院
根本暁央 森山記念病院
酒井淳 総合東京病院
沼澤真一 総合東京病院
渡邉貞義 総合東京病院
佐々木裕介 福島孝徳記念クリニック
井上卓郎 湖東記念病院
池永透畷 生会脳神経外科病院
土居温畷 生会脳神経外科病院
溝渕光 愛宕病院
梶田健 愛宕病院
寺崎瑞彦 寺崎脳神経外科
野中洋一 東海大学病院
渡邉健太郎 慈恵医科大学病院
まとめ
今回は、「ゴッドハンド」、「ラストホープ」とも称された天才脳外科医の福島孝徳さんについてまとめてみました。
福島孝徳さんは東京大学医学部を卒業後、東京大学医学部附属病院、東京警察病院などで研修医、臨床医員として勤務後に西ドイツやアメリカに留学して欧米の名医から外科技術を学び、帰国後に「鍵穴手術(キーホールオペレーション)」を独自に開発しました。
1990年に渡米してアメリカに拠点を移し数々の難手術を成功させ、全米でもトップの脳外科医として称賛された経歴を持ちます。
福島孝徳さんの家族は父親が明治神宮の宮司を務めた神職の福島信義さんで、その高潔な人柄が福島孝徳さんにも影響を与えたと言われています。また、叔父は内科の開業医でその患者を大切にする姿勢が福島孝徳さんの「患者を第一に考える」という信念のルーツになったと言われています。
福島孝徳さんは結婚しており、嫁は法子さんという女性です。子供は息子と娘がおり、娘の梨沙さんは脳外科医を目指していたという事ですが現在は不明です。
福島孝徳さんの年収は1億7000万円ほどと推測されていましたが、正確なところは不明です。
福島孝徳さんは1990年からは拠点をアメリカにおいており、自宅もアメリカでした。
福島孝徳さんは2011年に医療ミスで訴えられていますが、実際には医療ミスではなく悪性腫瘍によって患者が死亡したと説明されています。
福島孝徳さんは2024年3月に81歳で亡くなりましたが死因は公表されていません。
現在は、福島孝徳さんの18人の弟子が後継者としてその技術と意志を引き継がれています。