香取慎吾さんら元SMAPメンバーを連れてジャニーズ事務所を退社した飯島三智さんに注目が集まっています。
今回は飯島三智さんの経歴や家族、大学、若い頃についてや、文春に端を発するSMAP解散騒動やその原因になったとされる木村拓哉さんの裏切りや現在についてなどをまとめます。
この記事の目次
- 飯島三智(元SMAPマネージャー)とは
- 飯島三智(元SMAPマネージャー)の経歴① 大学卒業後ジャニーズ事務所に入社
- 飯島三智(元SMAPマネージャー)の経歴② 若い頃からSMAPのマネージャーを務める
- 飯島三智(元SMAPマネージャー)の経歴③ SMAPを大人気グループに押し上げる
- 飯島三智(元SMAPマネージャー)のジャニーズ事務所退社は文春がきっかけ
- 飯島三智(元SMAPマネージャー)と共に事務所からの独立を考えたSMAPメンバー
- 飯島三智(元SMAPマネージャー)の独立計画は失敗!木村拓哉の翻意が原因との噂も
- 飯島三智(元SMAPマネージャー)への香取慎吾の想いとは
- 飯島三智(元SMAPマネージャー)の家族や結婚・大学についてのネット上の噂
- 飯島三智(元SMAPマネージャー)の現在
- まとめ
飯島三智(元SMAPマネージャー)とは
飯島三智さんは、2016年12月31日に解散した大人気男性アイドルグループSMAPのマネージャーを長年務めた人物で、無名だったSMAPを国民的グループにまで成長させた立役者として知られています。
飯島三智さんの生年月日は1958年2月20日で、2020年で62歳になります。
現在は、ジャニーズ事務所を辞職して、芸能事務所「株式会社CULEN」を設立、その代表取締役を務めています。
この飯島三智さんと、ジャニーズ事務所を取り仕切る副社長・メリー喜多川さん(当時)と、その娘の藤島ジュリー景子さんとの確執が、SMAPの解散および、香取慎吾さん、草なぎ剛さん、稲垣吾郎さんのジャニーズ事務所退所に深く関わっている事が週刊誌などで報じられ注目を集めています。
今回は、SMAP解散騒動で渦中の人となった、飯島三智さんについて詳しく紹介します。
飯島三智(元SMAPマネージャー)の経歴① 大学卒業後ジャニーズ事務所に入社
飯島三智さんは、1981年頃に大学を卒業後、父親の友人だったという大物音楽プロデューサー・酒井政利さんの紹介からジャニーズ事務所に入社しました。
最初は事務員としての入社で、マネジメント業務に関しては全くの素人で、当時は芸能界の事もアイドルの事もほとんど知らなかったのだそうです。
ジャニーズ事務所に入ったばかりの頃の飯島三智さんは、東京山手育ちのお嬢様で、スレていないタイプだったとも言われています。
その後、飯島三智さんはひょんな流れからSMAPのマネージャーを任されるまで、事務員として経理やファンクラブ運営の雑務などを担当していました。
飯島三智(元SMAPマネージャー)の経歴② 若い頃からSMAPのマネージャーを務める
結成された当初全く売れなかったSMAP
1988年、当時の大人気アイドルだった「光GENJI」のバックで踊っていた「スケートボーイズ」というグループから、6人のメンバー(木村拓哉、中居正広、稲垣吾郎、森且行、草なぎ剛、香取慎吾)が選抜され、新たに「SMAP」が結成されました。
その後、国民的大人気グループへと成長するSMAPでしたが、結成当初は鳴かず飛ばずで、イベントを行っても訪れるファンは数人という事もざらにあったのだそうです。
全く売れなかった事もあって、ジャニーズ事務所内でもSMAPの存在は軽視されており、当初はマネージャーすらつけられずに放ったらかしにされているような状態でした。当時まだ小学生だった最年少メンバーの香取慎吾さんが、使い走りのようにマネージャーの仕事をやらされているような状態だったそうです。
SMAPは1991年にようやくCDデビューにこぎつけたものの、事務所のバックアップをほとんど受けられなかった事もあってほとんど売れず、さらにジャニーズ事務所の子会社にあたる「ジャニーズ出版」という別会社に移籍させられ、一時は解散の危機にまで追い込まれています。
見かねた飯島三智がSMAPのマネージャーに
ジャニーズ事務所入社から数年間、事務員として堅実に仕事を続けていた飯島三智さんは、この頃、「ジャニーズファミリークラブ」のデスクを任されていました。
そんな中で、こうしたSMAPの惨状を目にし、まだ若いメンバー達をこのまま放ってはおけないとの思いから、上層部に自分にSMAPのマネジメントを担当させてくれと直談判します。
ジャニーズ事務所側は、当時はお荷物的存在だったSMAPという事もあり、半ば押し付けるような形で飯島三智さんの申し出を認めました。
飯島三智さんは、それからSMAPのために必死に奔走する事になります。事務所からのSMAPへの期待は依然として小さく、まともなバックアップを受けられない中、飯島祥さんはまるで彼らの母親のように必死な姿を見せていたといいます。
「特に偉そうにすることもなく、彼らに尽くしている感じでした。マネジャーというより、子どもの世話を焼く“お母さん”みたいでしたよ」
こうした経緯で、飯島三智さんはまだ30代の若い頃から、20年以上にわたってSMAPのマネージャーを務める事になったのです。
飯島三智(元SMAPマネージャー)の経歴③ SMAPを大人気グループに押し上げる
飯島三智さんは、自らSMAPのプロモーションに走り回り、テレビ局や雑誌編集部へと企画を立てて持ち込むなどの熱心な営業活動などを粘り強く行いました。
そして飯島三智さんは、当時は、イメージダウンにつながるとしてアイドルがほとんど進出していなかったテレビのバラエティ番組に、SMAPを挑戦させる事を決断します。
飯島三智さんの営業努力の結果、1992年、SMAPはフジテレビ系列のバラエティ番組「夢がMORI MORI」にレギュラー出演する事が決まり、メンバー達は番組内で、当時のアイドルとしては異例の本格的コントに挑戦。これがきっかけとなってSMAPの人気は急上昇し始めます。
SMAPメンバーの俳優としての道を切り開く
さらに飯島三智さんは、これまでのジャニーズアイドルの鉄則「主役でなければテレビドラマには出演しない」を打ち破り、1993年放送のテレビドラマ「あすなろ白書」に3番手の準主役として木村拓哉さんを出演させます。
結果、木村拓哉さんが演じた取手治が、ヒロインの石田ひかりさんを後ろから抱きしめるようにしながら呟く「俺じゃダメか」のセリフが流行語になるほどの大ブレイクとなり、これをきっかけにして木村拓哉さんは大人気トレンディ俳優への道を切り開く事になったのです。
また、飯島三智さんは、他のSMAPメンバー達についても、これまでアイドルのドラマで演じる役の鉄則であった「イケメン役」という枠にこだわらず、そのメンバーの魅力が引き立つのであれば躊躇する事なく三枚目な役にも出演させるなどの果断な決断を続け、次々とメンバー達の新たな魅力を引き出しました。
音楽活動の面でも新たな境地を開拓
飯島三智さんはアイドルの本業とも言える音楽の分野でも新たな挑戦を試みました。これまでの男性アイドルの既定路線であった10代のファン向けの楽曲にこだわる事なく、SMAPには大人向けの落ち着いた内容の楽曲を次々とリリースさせたのです。
また、こうしたイメージ展開に合わせる形で、実力派の有名ミュージシャンとのコラボレーション企画も次々と打ち出した事も話題を集め、特に、山崎まさよしさんとの「セロリ」、スガシカオさんとの「夜空ノムコウ」、槇原敬之さんとの「世界に一つだけの花」など、実力派のアーティスト達とのコラボレーション曲は、それぞれ大ヒットを記録しています。
こうした当時としては斬新な方策によって、SMAPは20代後半から30代にかけての新たなファンを獲得していきました。
以上のように、飯島三智さんの打ち出したこれまでのアイドルの常識を打ち破るような新しい数々の試みによって、SMAPは国民的アイドルグループへと上り詰めたと言っても過言ではないでしょう。
飯島三智(元SMAPマネージャー)のジャニーズ事務所退社は文春がきっかけ
ここまで見てきたように、飯島三智さんはその辣腕を振るい、SMAPを国民的アイドルグループへと成長させました。
こうした手腕を、ジャニーズ事務所の社長(当時)ジャニー喜多川さんは、高く評価しており、一時は「次の社長は絶対に飯島。飯島しかいない」とまで語っていたと言われます。
しかし、飯島三智さんが事務所内や、芸能関係者の間で高い評価と信頼を集めるにつれ、それに危機感を募らせたのが、ジャニー喜多川さんの姉で、当時、同事務所の副社長を務めていたメリー喜多川さんだったと一部メディアが報じました。
メリー喜多川さんは、このまま飯島三智さんがジャニーズ事務所内で権力を大きくすれば、自分の娘で、同事務所でマネジメントを担当する藤島ジュリー景子さんが、将来社長につけなくなるという事を危惧し、次第に飯島三智さんとの確執を強めていったと噂されています。
ジャニーズ事務所内での不穏な空気を感じ取ってか、週刊誌「週刊文春」は、2015年1月、ジャニーズ事務所の時期社長についてのインタビューをジャニーズ事務所に申し入れます。
これを受け、これまでメディアのインタビューを受けた事がほとんどなかったメリー喜多川さんが、「自分がインタビューを受ける」と名乗りを上げました。
このインタビューで、ジャニーズ事務所に、ジュリー景子さんと飯島三智さんの派閥が存在し対立関係にあるのではないか?という噂に話題が及ぶと、メリー喜多川さんは次第に声を荒げ、「もしそれが事実であれば、飯島三智さんを辞めさせる」と言いだしたとされます。
さらに、メリー喜多川さんは、その場に取材内容すら知らない飯島三智さんを呼び出し、「もし、ジュリー景子さんとの対立があるのならSMAPを連れてジャニーズ事務所から出て行け!」と、文春の記者の前で恫喝するように言い放ったのだそうです。
飯島三智さんは対立の事実はないとメリー喜多川さんに伝えたそうですが、聞く耳を持たれず険悪なムードが流れたとの事。この衝撃的な顛末を週刊文春がそのまま記事として掲載したため、飯島三智さんはメリー喜多川さんに宣告された通りジャニーズ事務所を辞めざるをえなくなったとされます。
飯島三智(元SMAPマネージャー)と共に事務所からの独立を考えたSMAPメンバー
SMAPのメンバー達も、自分たちを国民的アイドルへと押し上げた飯島三智さんに対して大きな恩義を感じているとされ、飯島三智さんがジャニーズ事務所を辞めるという話が伝わると、自分たちもジャニーズ事務所から独立して飯島三智さんに付いて行こうという思いが生まれたそうです。
こうしたSMAPメンバー達の想いも受けてか、飯島三智さんは大手芸能事務所「田辺エージェンシー」の社長で、芸能界の大物として知られる田邊昭知さんを頼り、自分とSMAPを田辺エージェンシーの系列である芸能事務所「ケイダッシュ」へと移籍させてもらう計画を隠密裏に進めていたと一部メディアが報じました。
そして、2016年9月のSMAPが契約満了をもって移籍するという話がまとまり、関連作品、グループ名使用権、コンサート興行権の利益配分などについて、双方の弁護士が交渉を行う段階にまで至っていたという情報もこの騒動後に一部メディアから報じられています。
飯島三智(元SMAPマネージャー)の独立計画は失敗!木村拓哉の翻意が原因との噂も
しかし、飯島三智さんが当初描いた、SMAPを連れての独立計画は失敗に終わりました。
この失敗の大きな原因となったのは、当初は一緒に独立するつもりで動いてた木村拓哉さんが、突然反旗を翻し、自分はジャニーズ事務所に残ると言い出したためだとも言われています。
木村拓哉さんと飯島三智さんは元々は深い信頼関係で結ばれており、過去には木村拓哉さんが飯島三智さんを絶賛する場面が度々見られました。
「ひと言いえば、すぐにそれを実行してくれる。自分の考えていることを理解してくれる凄い人」とも公言し、96年、ラジオ番組で森且行のSMAP脱退時のエピソードを語ったときは、飯島氏をこう絶賛したこともある。「この人やっぱすげぇなぁって思ったのは、森がバイクの世界に行くってなったときに良き理解者だったこと。アドバイスしてあげたりしてて、この関係性って羨ましいなって、僕から見ても思いましたね」
そんな木村拓哉さんが、全幅の信頼を寄せていたはずの飯島三智さんから離れるきっかけになったと言われているのが、歌手・工藤静香さんとの結婚です。
木村拓哉さんと工藤静香さんは2000年に結婚しましたが、飯島三智さんは当初、この結婚に反対していたのだそうです。その後、飯島三智さんが木村拓哉さんの強い意志に折れ、むしろ事務所を説得する側に回ったそうですが、この出来事をきっかけにして工藤静香さんと飯島三智さんの関係は険悪化したと言われています。
こうした背景もあり、木村拓哉さんと飯島三智さんの信頼関係は次第に崩れていったとされます。そして、問題のSMAP解散騒動において、当初は他のメンバーと独立するつもりだった木村拓哉さんをジャニーズ事務所に残るように説得したのが工藤静香さんであるとの報道が流れました。
この噂から、SMAPのファンだった多くの人々が現在でも工藤静香さんに対して良い感情を持っていないようです。工藤静香さんのSNSが些細な事で頻繁に炎上するのは、こうしたファン達の悪感情が関係していると言われています。
飯島三智(元SMAPマネージャー)への香取慎吾の想いとは
木村拓哉さんの行動は一部メディアやファンから「裏切り」だと糾弾される空気が広がりましたが、木村拓哉さんに対して最も怒っていたと言われているのが、飯島三智さんを母親のように慕っているという香取慎吾さんでした。
そして、飯島三智さんがジャニーズ事務所を退社した後、一時はSMAPは解散しないと宣言しておきながら、結局それからすぐに解散してしまった裏側には、香取慎吾さんと木村拓哉さんの深刻な対立があったためだと報じられています。
萩本欽一との対談で香取慎吾が飯島三智への想いを語っている
この噂を裏付けるかのように、香取慎吾さんは、2017年12月に発売された「週刊文春」で組まれた萩本欽一さんとの対談特集の中で、飯島三智さんへの想いを語っています。
この対談の中で、萩本欽一さんは過去に香取慎吾さんとテレビ番組で共演した時に「その人のために頑張れる、という人はいるの?」と香取慎吾さんに聞いた時、香取慎吾さんが「いる」と即答した事を振り返り、改めて、「慎吾がそこまで想う人っていうのはどんな人」と質問しました。
この質問に対して、香取慎吾さんは次のように答えています。
「上手く言えないですけれど……言葉が見つからないくらいに、「この人と一緒に仕事をしたい」と思っている人です。」
「例えば、僕が「AとB、どっちを選べばいいですか?」と訊いて、その人が「A」と言えば、「オッケー。あなたが言うならAで」と、ずっとやってきたんです。僕にとっては、そういう風に信じられる人、ということですね」
さらに続けて香取慎吾さんは、共に独立する事になった、草なぎ剛さんと稲垣吾郎さんについても、自分と同じように飯島三智さんについて行きたいという強い想いがあった事も明かしています。
「実は、僕の方から彼らに「一緒にやろうぜ」と言ったわけではないんです。「あの人」と一緒に仕事していきたいという僕の思いが、あの二人にも同じように強くあった。三人の思う場所が一緒だったから、「じゃあ一緒にやろう」となったんです」
香取慎吾さんらしい、真っ直ぐな想いを感じられる発言です。現在、香取慎吾さんと稲垣吾郎さん、草なぎ剛さんの3人は「新しい地図」という名義で新たな芸能活動を開始しています。
ジャニーズ事務所に残った中居正広について
なお、当初はこの3人と共に独立すると報じられていた中居正広さんは、ジャニーズ事務所に残る選択をしています。これについては、中居正広さんはジャニー喜多川さんへの恩義を重んじた事や、自分の強みであるテレビ出演を利用してこの3人を応援するためだったと言われています。
中居正広さんに関しては、メリー喜多川さんとの不仲説が囁かれている事や、ジャニーズへの残留を決めた最大の理由だったジャニー喜多川さんが2019年7月に逝去された事などから、今後「新しい地図」に合流するのではないか?との噂も浮上しています。
飯島三智(元SMAPマネージャー)の家族や結婚・大学についてのネット上の噂
SMAP解散騒動で一躍時の人となった飯島三智さんの、家族や大学についても注目が集まり、ネット上で噂になっているため、これについても紹介しておきます。
飯島三智さんの家族は、父親が大手レコード会社の社員、母親はピアノの先生をしていたとの噂です。ただ、これは信頼性の高い情報元が示されておらず、真偽については不明です。
飯島三智さんは現在も独身のようで、結婚歴や旦那と子供がいたことはないようです。
また、大学については、上智大学、青山学院大学、立教大学といった噂が流れていますが、こちらも噂の域を出ていません。
飯島三智(元SMAPマネージャー)の現在
飯島三智さんは現在、2016年7月に設立した「株式会社CULEN(カレン)」の代表取締役に就任されています。
この会社は表向きは、不動産ビジネスや空間プロデュース、グッズの企画、製造、販売、出版などを事業内容として挙げていますが、実質的には、稲垣吾郎さん、草なぎ剛さん、香取慎吾さんを新たに売り出すために設立された芸能プロダクションです。
飯島三智さんは、現在はこの「株式会社CULEN(カレン)」にてその辣腕を振るっており、ジャニーズ事務所からの圧力があると見られる中で、着実に元SMAPの3人の活躍の場を増やしています。
まとめ
今回は、SMAPの生みの親とも言われる、凄腕の芸能マネージャー・飯島三智さんについてまとめてみました。
飯島三智さんは、2016年に世間を騒がせたSMAP解散騒動の渦中の人物として注目を集めた人物で、自らが手塩にかけたSMAPと共にジャニーズ事務所から独立する計画を立てましたが、あえなく失敗。
しかしその後、飯島三智さんを母親のように慕う、稲垣吾郎さん、草なぎ剛さん、香取慎吾さんの3人がジャニーズ事務所を退所し、飯島三智さんと共に「新しい地図」を立ち上げ、新たな芸能活動を開始し注目を集めています。
SMAPは解散してしまいましたが、多くのファン達が3人の今後の活動を応援する姿勢を示しています。飯島三智さんの手腕によって、今後「新しい地図」の3人がどのような活躍を見せるのかにも期待が高まります。