2011年に激安焼肉チェーン「焼肉酒家えびす」で発生した「ユッケ集団食中毒事件」のその後や現在が注目されています。
この記事ではユッケ集団食中毒事件の概要や社長のその後や現在、被害者の後遺症への不安や遺族の苦しみ、その後の裁判や現在などについてまとめました。
この記事の目次
ユッケ集団食中毒事件の概要
「ユッケ集団食中毒事件」の概要から見ていきます。
「ユッケ集団食中毒事件」は、2011年4月頃から「株式会社フーズ・フォーラス」が経営する激安焼肉チェーン「焼肉酒家えびす」の富山県、福井県、石川県、神奈川県の店舗で発生した集団食中毒事件です。被害者の数は181人にも上り、そのうちの32人が溶血性尿毒症症候群を発症して重症化、その後、6歳から70歳までの5人が死亡するという極めて深刻な事態となりました。
被害者のうち96パーセントが「焼肉酒家えびす」で提供されていたユッケを食べており、被害者の約半数から検出された腸管出血性大腸菌O-111が、同店舗に保管されていた未開封の肉からも検出され、遺伝子パターンが一致したため、集団食中毒の原因はこの「焼肉屋えびす」と、同店舗に食肉を卸していた食肉卸売業者「大和屋商店」である事が特定されました。
その後、警察の強制捜査などにより「焼肉酒家えびす」では菌の付着しやすい肉の表面を削り取る「トリミング」という処理をしていなかった事が判明し問題になります。その後の報道で生肉を卸していた「大和屋商店」が焼肉酒家えびすを経営する「フーズ・フォーラス」に「トリミングは必要ない」とするメールを送信していた事などもわかりますが、大和屋商店は加熱用の肉として出荷していたと説明しており、双方の主張が食い違いました。
また、「焼肉酒家えびす」の各店舗では、売れ残ったユッケを冷蔵庫などに保存し、翌日も客に提供していた事なども判明し、衛生管理に問題があった可能性も指摘されました。
焼き肉チェーン店「焼肉酒家えびす」では、各店舗が売れ残ったユッケを翌日も客に提供していたことが分かった。チェーンを運営するフーズ・フォーラスは菌が付く可能性の肉の表面をそぐ「トリミング」をマニュアル化していなかったことも判明。
ユッケ集団食中毒事件のその後については後半で改めて紹介していきます。
ユッケ集団食中毒事件が発生した激安焼肉店「焼肉酒家えびす」
「ユッケ集団食中毒事件」が発生した「焼肉酒家えびす」は、1997年に富山県高岡市で創業した焼肉チェーンで、一皿100円の「豚バラ」や一皿280円の「和牛ユッケ」などの激安メニューで話題になり業績を拡大し、ユッケ集団食中毒事件を起こした2011年の時点で富山県、石川県、福井県、神奈川県の4県で20店舗を経営していました。
ユッケ集団食中毒事件を起こした焼肉酒家えびす社長・勘坂康弘について
「ユッケ集団食中毒事件」を起こした「焼肉酒家えびす」を経営していたのは「株式会社フーズ・フォーラス」という会社で、その社長が勘坂康弘という人物です。
勘坂康弘元社長は、1968年8月18日富山県高岡市野村の生まれで、ユッケ集団食中毒事件発生当時43歳でした。大学卒業後に高岡市内の多田薬品工業に就職しますが2年で退職し、地元の工場で契約社員として働いて貯めた1000万円を開業資金に1997年に地元、高岡市大野地内に焼き肉店「焼肉酒家えびす」を開業し、翌1998年に「株式会社フーズ・フォーラス」を設立。焼肉酒家えびすをチェーン展開して業績を拡大していました。
そして、2011年にユッケ集団食中毒事件が発生すると、勘坂康弘元社長は当初、事件の責任を卸売業者である「大和屋商店」に押し付けている(大和屋商店にも責任があるのは事実ではあるものの)かのような発言や、「生食用として市場に流通している牛肉はありません!」法律で生食用というか普通の精肉をユッケとして出しているものを全て禁止すればいい!」などと逆ギレのような発言をして批判を浴びますが、4人目の死者が出ると、一転して態度を変えて土下座し「必ず償います」と謝罪。この土下座に対しても「パフォーマンスだ」などと批判が集まりました。
勘坂康弘元社長はその後、ユッケ集団食中毒事件によって「焼肉酒家えびす」が営業停止に追い込まれた事により、約13億2000万円という多額の借金を抱え、2012年4月27日に富山地裁に自己破産を申し立てています。
ユッケ集団食中毒事件の被害者
「ユッケ集団食中毒事件」の被害者についてもみていきます。
ユッケ集団食中毒事件の被害者は181名にも上り、うち、溶血性尿毒症症候群を発症し重症化した被害者が32名、その重症者のうち名が死亡しました。
死亡した被害者は、富山県の「焼肉酒家えびす砺波店」で食事をした4名が、当時6歳の男児、当時14歳の少年、当時43歳の女性、当時70歳の女性でした。
後の1人は福井県の「焼肉酒家えびす福井渕店」で食事をした当時6歳の男児でした。
被害者のうち、焼肉酒家えびす砺波店での食事が原因で亡くなった14歳の少年は、富山県小矢部市の久保秀智さんの次男の大貴君でその日は14歳の誕生日を祝うために家族で同店を訪れていたという事です。サッカーやボーイスカウトに熱心に取り組まれていたそうです。
同じく、焼肉酒家えびす砺波店で食事をして亡くなった女性2人は、富山県砺波市の小西政弘さんの妻(当時43歳)と、義母(当時70歳)でした。その日は長女の誕生日を祝うとために同店を訪れており、一時は長女と長男も意識不明の重体になりました。
ユッケ集団食中毒事件のその後① 焼肉酒家えびすは全店舗廃業
「ユッケ集団食中毒事件」のその後についてもみていきます。
まず、チェーン展開する4県の店舗で食中毒被害者を出した「焼肉酒家えびす」は、事件が明るみになってから2日後の2011年4月29日に全店舗の営業自粛を発表しました。
その後の同年5月頃、焼肉酒家えびすを経営するフーズ・フォーラス社は「巨額な賠償金を確保するため」という理由で管轄の金沢市保健所を訪れて営業再開を打診しますが、許可は下りず、資金繰りが悪化。同年6月8日には営業再開を断念し、役員を除く全社員90人を解雇しています。同年7月8日には会社を解散して生産手続きへと移行し、「焼肉酒家えびす」も全店舗廃業となっています。
ユッケ集団食中毒事件のその後② 勘坂康弘元社長は不起訴処分に
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続けて、「ユッケ集団食中毒事件」を引き起こした勘坂康弘元社長のその後についてもみていきます。
勘坂康弘元社長はその後、フーズ・フォーラス社解散後に妻と離婚し、被害者への対応は清算人に丸投げして知人の経営する飲食店でアルバイトをして生活していたようです。
そして、ユッケ集団食中毒事件発生から5年後の2016年2月15日、警視庁、富山県警、神奈川県警の合同捜査本部は、勘坂康弘元社長と大和屋商店の元役員の2名を業務上過失致死傷容疑で書類送検しますが、富山地検は同月19日に嫌疑不充分を理由に2人を不起訴処分としています。
「焼肉酒家(ざかや)えびす」で2011年、ユッケを食べた客が食中毒となり計181人が発症、うち富山県で4人、福井県で1人が死亡した事件で、富山地検は19日、業務上過失致死傷容疑で書類送検された関係者2人を不起訴処分(嫌疑不十分)とした。
被害者遺族らはこの不起訴処分を不服として富山検察に審査を申し立て、2019年7月8日にそれが認められ不起訴不当の議決が下されました。
しかし2020年10月7日に、富山地検は改めて嫌疑不十分を理由に不起訴処分の決定を下しています。
富山検察審査会が処分を不当と議決した運営会社「フーズ・フォーラス」の元社長と肉を卸した「大和屋商店」の元役員について、富山地検は6日、再び不起訴とする方針を遺族に伝えた。
この決定によって「ユッケ集団食中毒事件」の捜査は終結する事になりました。
この決定に被害者遺族らからは無念の声が上がりました。
ユッケ集団食中毒事件のその後③ 民事裁判で被害者で1億円分配で和解へ
「ユッケ集団食中毒事件」では不起訴処分となったため刑事裁判は行われませんでしたが、被害者8人とフーズ・フォーラス社が、卸売業者の「大和屋商店」を相手取り、損害賠償を求める民事裁判を起こしていました。
この民事裁判は、大和屋商店が受け取る保険金1億円を、原告と利害関係人として起訴に参加した被害者ら合計110人が分配して受け取るという内容で2017年9月7日に和解が成立しています。
平成23年に5人が死亡した「焼肉酒家えびす」の生肉集団食中毒事件で、運営会社のフーズ・フォーラス社(東京、特別清算中)と被害者8人が肉を卸した大和屋商店(東京)に損害賠償を求めた訴訟は7日、金沢地裁(大嶺崇裁判長)で和解が成立した。
ユッケ集団食中毒事件の被害者には現在も後遺症の不安に苦しんでいる
「ユッケ集団食中毒事件」は、2020年に警察による捜査が終了し、民事裁判でも2017年に和解が成立した事で一応の決着がついていますが、被害者らは現在も後遺症の不安などで苦しみ続けています。
1996年に大阪府堺市で発生した大腸菌「O-157」による集団食中毒の被害者となった当時小学校1年生だった女性が、それから19年後の25歳の時にこの食中毒の後遺症によって「腎血管性高血圧」という病気にかかり、命を落とした事が報じられました。
この報道が出た事で、「ユッケ集団食中毒事件」の被害者やその家族も、今後後遺症が出るのではないかという不安に苦しんでいるという事です。
「焼肉酒家えびす」集団食中毒事件を契機に、国は生食用食肉の規格基準を見直し、牛レバーについては販売禁止とした。だが、事件後も生肉を巡る集団食中毒はなくならず、被害者は後遺症やトラウマに苦しんでいる。
また、当時のトラウマによって未だに生の肉が食べられない方もいるという事で、現在も「ユッケ集団食中毒事件」の被害者達には深い傷が残されています。
ユッケ集団食中毒事件の遺族は現在も苦しみ続けている
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そして何よりも、「ユッケ集団食中毒事件」で最愛の家族の命を奪われた遺族らは現在も苦しみ続けています。
妻と義母の命を奪われた富山県砺波市の小西政弘さんは、現在も続く苦しみをメディアの取材に明かし「この10年誰も謝罪にも墓参りにもこなかった」と怒りを露わにされていました。
「この10年、誰も謝罪にも墓参りにも来ず、起訴もされなかった。期待をしていたけど、何も変わらなかった」。妻(当時43歳)と義母(同70歳)を失った富山県砺波市の小西政弘さん(58)は自宅の仏壇前でため息交じりにつぶやいた。
また、当時14歳だった次男の大貴君の命を奪われた富山県小矢部市の久保秀智さんは、現在も深い悲しみの中にいる事をメディアに明かされていました。
写真に写った息子の笑顔に、周囲に愛された生前の様子を思い出す。「面倒見がよく、小さい子によく懐かれていた」。生きていれば、今頃社会人になっていたかもしれないが、想像したくてもできない。「私たち家族の時間はあの時で止まっている」
現在も続く被害者の遺族の無念や怒りを想像すると胸が痛みます。
まとめ
今回は、2011年4月に激安焼肉チェーン「焼肉酒家えびす」で発生した「ユッケ集団食中毒事件」についてまとめてみました。
ユッケ集団食中毒事件は、「焼肉酒家えびす」の富山県、福井県、石川県、神奈川県の店舗で同時期に発生し、被害者181名、重症者32名、そのうちの5名が死亡するという大惨事となりました。
その後、「焼肉酒家えびす」は全店廃業となりますが、勘坂康弘元社長は不起訴処分となり遺族からは無念の声が上がっています。卸売業者の「大和屋商店」を相手取った民事裁判では1億円の保険金を被害者が分配するという形で和解が成立していますが、被害者やその遺族らは現在も後遺症への不安や事件のトラウマ、やり場のない怒りや悲しみに苦しみ続けています。