アントキの猪木さんはプロレスラーのアントニオ猪木さんのモノマネをするお笑い芸人で、元公務員の経歴や副業ビジネスでの成功も話題です。
今回はアントキの猪木さんの身長・学歴や経歴、結婚した嫁や子供、病気と現在を紹介します。
この記事の目次
アントキの猪木の身長などプロフィール 【アントニオ猪木のモノマネ芸人】
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モノマネ芸人のアントキの猪木
アントキの猪木さんは、30歳を過ぎてから芸人としてブレイクし、これまでに「笑っていいとも」、「爆笑レッドカーペット」、「笑いの金メダル」などに出演し、人気を博しました。
アントキの猪木のプロフィールや身長
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アントキの猪木(あんときのいのき)
生年月日: 1973年6月8日
出身地: 茨城県かすみがうら市
血液型: B型
身長: 183cm
趣味: 格闘技観戦、ボランティア、居酒屋巡り
アントキの猪木さんの本名は「小松原裕」さんといいます。
所属事務所はマセキ芸能で、アントニオ猪木さんのモノマネをメインに活動しています。
身長は183cmで体重は92kg、足のサイズは30cmとかなりの大柄です。
ただし、本家のアントニオ猪木さんの身長は190cmで体重は102kgなので、本物よりも一回り小ぶりな体格のようです。
アントキの猪木の学歴
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アントキの猪木さんは、茨城県新治郡千代田村で生まれ育ちました。現在はかすみがうら市に名前が変更されています。
小学校と中学校は地元の公立学校に通い、茨城県立土浦工業高等学校建築科を卒業しました。
その後、専門学校である中央工学校建築科に進学し、2級建築士の資格を取得していたことから、建築関係の仕事を目指していたようです。
そして、就職先は地元の町役場(現在はかすみがうら市役所)を選び、公務員となります。
一見芸人とは程遠い経歴と思われるかもしれませんが、この選択肢こそが「アントキの猪木」を生み出すきっかけになるのです。
アントキの猪木の経歴① 公務員時代
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専門学校で建築を学び、建築士の資格も取得していたアントキの猪木さん。
就職先の役場では、様々な体験をしていたことを明かしています。
町役場の土木課で勤務
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専門学校を卒業したアントキの猪木さんは、千代田町役場(現在はかすみがうら市役所千代田庁舎)の行政職員として働き始めました。
建築系の部署かと思いきや、土木課だったようで、3年間にわたり工務、管理、用地買収に関わる業務をしていたそうです。
直属の上司は役所内でもかなり仕事ができると評価が高い人物で、実際に大規模予算を引っ張ってくれたことで、若いうちから億単位の大きな仕事ができてやりがいがあったといいます。
福祉課の仕事は意外に楽しかった
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その後、福祉課に異動となったアントキの猪木さんは、最初のうちは「資格を活かせる課に行きたかった」と不満に思っていたそうです。
福祉課では、入所の手伝いや各種制度の受付業務など、土木課とは異なり、直接住民と接することが多く、やがて住民のために働いているという実感が出てきたといいます。
そして、町内会やカラオケ大会の司会も務めたりと、役場の職員としてのキャリアの中で一番楽しい時期だったそうです。
この頃から、周囲から「アントニオ猪木に似ている」と言われて、余興としてモノマネをすることが増えていきました。
3年に一回行われる人事のヒアリングシートには、3つまで異動先の希望を書けるそうで、アントキの猪木さんは、全て福祉課内の係名を記入して提出。
それほど、福祉課に愛着がわいていたんですね。
もともと福祉課は役場内では人気があるとは言えない課だったので、ここまでアピールすれば大きな異動はないだろうというアントキの猪木さんは考えていましたが、その目論見は外れます。
商工観光課に配属後退職へ
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人事異動で伝えられた課は商工観光課で、思わず「なんで福祉課じゃないんですか。なんでいきなり観光課なんですか」と上司に突っかかってしまったそうです。
配属先は「雪入ふれあいの里公園」という場所で、施設の管理や観光客対応として鳥や花の説明が主な業務だといいます。
またしてもアントキの猪木さんの希望に反する仕事ではあったものの、人前で話すことに対して抵抗が無くなったのは、商工観光課の仕事を通じて得たスキルだったといいます。
それでも福祉課の仕事のほうが楽しかったので、上司には「どうにかして戻りたい」と熱意を伝え続けましたが、1年経ってもお呼びはかからなかったそうです。
そして、商工観光課に配属されて2年6ヶ月が経過したある朝、「あ、俺公務員辞めよう」となんの前触れもなく、突然決意を固めます。
上司からは引き留められましたが、意志が変わることはなく、28歳の時に役場を退職しました。
アントキの猪木の経歴② モノマネ芸人になるまでのこと
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思い立って公務員を辞めたアントキの猪木さんですが、すぐに芸人デビューしたわけではなく、職を転々としていたのです。
どんな仕事に就き、どんなきっかけで芸人への道が開けたのか見ていきましょう。
ショーパブや営業マンまで
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役場を辞めてから、アントキの猪木さんは3年間、パチプロとして生活していたといいます。
当時は規制が緩かったこともあり、「こんなんで生活できるんだ」というくらい生活が楽になったんだとか。
この当時、車を2台購入したそうで、本当に稼いでいたということになりそうですね。
しかし、さすがに一生パチプロは良くないと考えて、まずはショーパブのオープニングスタッフとして働き始めました。
するとある日、店のスタッフが黒いパンツと赤いタオルを用意して「アントニオ猪木に似てるからモノマネやってくれないか」と依頼されたそうです。
あまり乗気ではありませんでしたが、試しにやってみたところ大ウケで、毎日披露していたといいます。
それ以外にも、IT系商材や求人広告の営業、合コンのセッティングなど何でもやってきました。
営業先の店舗では「アントニオ猪木のモノマネ得意なんで、店でやらせてください。ウケたら求人広告くださいよ」と頼み、大ウケしてバンバン仕事を受注していたといいます。
モノマネ芸人にならなかったとしても、ビジネスで成功していたかもしれませんね。
笑っていいともでデビュー
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アントキの猪木さんは、「笑っていいとも」の番組企画の「身内自慢コンテスト」に出場。
これがきっかけで番組スタッフの目に留まり、芸人デビューが決定しました。
それ以降は「笑いの金メダル」、「爆笑レッドカーペット」などのバラエティ番組に出演して、アントニオ猪木さんのモノマネ芸人として認知されています。
アントキの猪木の芸風
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アントキの猪木さんの芸風は、黒のショートパンツ、肩には赤いタオルをかけて登場します。
そして、「元気ですか!!元気ですよ!」、「元気があれば〇〇になれる」というフレーズからネタが始まります。
〇〇の中身は、タクシードライバーや、コンビニ店員などの職業が入ることが多く、そのまま続けて「もしもアントニオ猪木が〇〇だったら」というネタに繋げていきます。
その他には、「元気ですか」をもじった「現金ですか」もあります。
とんねるずの石橋貴明さんから「今日のギャラは振込ですか?」と振られた時には、咄嗟に「現金ですか?」と返したところ、「疑問に疑問で答えてどうするんだ」と突っ込まれていました。
そこで「現金ですよ!」とネタを調整したというエピソードもあります。
アントキの猪木は病気なの?噂と真相
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アントキの猪木さんについて調べていると「病気」という言葉が度々散見されますが、どのような病気にかかっているのでしょうか。
噂の病気について調査したところ、椎間板ヘルニアであることが判明しています。
これまでに2回発症している
アントキの猪木さんは長年腰痛持ちで、どんどん痛みが強くなり、2013年6月に病院を受診したところ椎間板ヘルニアであると診断を受けます。
この時は2週間の入院で済んだものの、2回目のヘルニアを発症した2018年には、設備の整った昭和大学病院で診断を受けたところ、手術をすることに。
ただ、セラピーとマッサージを合体させたような治療法「フローメソッド」の紹介を受けて、試しにやってみたところ驚くほど症状が軽くなり、現在まで手術を受けずに済んでいるそうです。
今は、腰に負担がかからないように体重を増やさない努力と、日常生活にトレーニングを取り入れているとのことです。
アントニオ猪木が心配される事態に
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2013年に椎間板ヘルニアであることを公表したところ、ネットでは「アントニオ猪木さんがヘルニアだ」と間違って受け取る人が多かったようです。
そのため、アントニオ猪木さん本人に連絡をしてきたり、ツイッターにメッセージを送ってきたりする人が後を絶たず、アントニオ猪木さんは「みんな俺じゃないぞ」と病気を否定しました。
アントキの猪木が結婚した嫁は経営者
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アントキの猪木さんは既婚者ですが、嫁がどんな人物なのか気になりますよね。
嫁は経営者
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アントキの猪木さんが結婚したのは2009年1月23日です。これは、モノマネのネタである「1、2、3ダアーッ」に掛けてこの日にしたのだとか。
関係者によると、嫁は当時、30代前半の会社経営者で、倍賞美津子さん似の小柄な女性という証言が入っています。
実は、本物のアントニオ猪木さんの2番目の嫁は倍賞美津子さんということもあり、「モノマネ芸人は嫁の外見も真似たのか」と注目が集まりました。
馴れ初めは?
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アントキの猪木さんとキャリアウーマンの嫁との出会いは、2007年頃、友人に誘われた合コンでした。
アントキの猪木さんは、嫁の第一印象はほとんど覚えていないそうです。
当時、飲み会はお笑いイベントのチラシを配る営業に近い位置づけだったそうで、飲み会から2週間後に行われたイベント会場に、嫁が本当に遊びに来てくれたことで再会しました。
その後、2人で会うようになって交際に発展。結婚する1年前から同棲して結婚の準備を進めてきたそうです。
結婚式は明治記念館で行われ、披露宴には400人を超える参列者だったことがニュースで報じられました。
アントキの猪木の子供は娘が1人
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アントキの猪木さんには子供が1人誕生しています。
2015年2月3日にブログを更新して、第1子となる娘が2月2日に帝王切開で誕生したことを報告しました。
娘の体重は1384gで、報告した時点では集中治療室に入っているものの、体調は良好とのことでした。
予定では、出産に立ち会って「ヒー、ヒー、フー、1、2、3、ダァーッ!」と力付けるつもりでしたが、緊急手術になってしまい、叶わなかったことだけが残念だと語っています。
2015年に誕生しているのであれば、2022年7月現在、娘は小学生になっているはずですが、娘の名前や画像、通っている小学校などの情報は公表していません。
アントキの猪木の現在:副業ビジネスで成功中
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2022年現在、アントキの猪木さんは49歳になりました。
2020年以降、コロナ禍の影響で、女優や歌手をはじめ、芸人ももちろん甚大な影響を受けています。
アントキの猪木さんは、全盛期の月収は1000万円を超えることもありましたが、2020年以降は、芸人での収入が月に1万円ということも珍しくないそうです。
そんな厳しい情勢の中で、アントキの猪木さんは得意なコミュニケーションスキルを活かした副業をいくつか立ち上げて、かなり稼いでいると言われています。
ここでは、アントキの猪木さんが取り組んでいるビジネスについて見ていきましょう。
ビジネス① コンサルティング
1つ目の副業は、企業のコンサルティング活動です。
具体的には、企業と企業を繋いだり、ある企業が新商品を出すときの販路の見つけ方を提案するという仕事だそう。
これまでに担当した企業は50社を超えているとのことで、片手間でやっているコンサルタントとは思えない実績ですね。
ビジネス② 企業や学校で講師
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2つ目の副業は、企業や学校などでの特別講師です。
ビジネスのヒントをレクチャーしているそうで、アントキの猪木さんは多数の依頼が舞い込む売れっ子講師になっています。
2022年6月に放送された「爆問×伯山の刺さルール!」では、アントキの猪木さんが大学で講義する様子がVTRで放送されました。
マイク片手に、教壇から「大学1年生の皆様、元気ですかー!」「リモート参加の皆様、見えてますかー!」と声を張り、見ている者の心を一気にわしづかみ。
ちなみに、この日の講義は「プレゼンテーション」のコツ。近年は起業する大学生もいますし、やがて卒業して就職先でプレゼンを行うことを考えて興味を持つ学生が多かったようです。
ビジネス③ 茨城アストロプラネッツ
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3つ目の副業は、地元である茨城県の野球独立リーグに所属する「茨城アストロプラネッツ」の球団公認選手兼PRアンバサダーとなります。
2019年には、入団会見がYouTubeで動画配信され、抱負を聞かれると「(野球を)一度諦めた人に再チャレンジしてもらえる、きっかけになりたい」と力強くコメント。
球場でパフォーマンスを行ったり、マスコットキャラクターと一緒に茨城県の県庁を訪問して活動報告をしたりと、多忙にしているようです。
まとめ
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アントキの猪木さんは、アントニオ猪木さんのモノマネでブレイクしたモノマネ芸人です。
芸人デビュー前は、地元茨城県の千代田町役場(現在はかすみがうら市役所千代田庁舎)で公務員として勤務していたという異色の経歴の持ち主でもあります。
28歳で退職し、パチプロとして生活した後、ショーパブのオープニングスタッフのアルバイトをしたことがきっかけで、モノマネを披露するように。
「笑っていいとも!」の「身内自慢コンテスト」に出演したところ、番組スタッフの目に留まり、芸能界デビューを果たしました。
プライベートでは、2009年に会社経営をしている一般人女性との結婚を発表。2015年には待望の女児が誕生しています。
全盛期には月収が1000万円を超えていたアントキの猪木さんですが、コロナ禍に入ってからは芸人としての活動が困難になり、月に1万円に。
しかし現在は、副業ビジネスを3つ展開して成功を収めており、副業ビジネスで成功を収めた芸人のパイオニアとして脚光を浴びています。
これからのアントキの猪木さんのアクティブな活動を応援していきたいですね。